軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第6話 エルシャとヘンリーの大ジャンプ

皆さま、こんばんは。

ちびっ子ナースこと、エルシャ・グリーンフィールズ六歳です。

兄妹ケンカなのでしょうか。男の子がわたしよりも幼い女の子に、手を振り上げている場面を目撃して、我を忘れて飛び出してしまいました。

その男の子の手は、グリーンウッド邸でわたしに振り下ろされていた手とよく似ていました。

乗り越えたつもりなのに、身体が震えます。けれど、だからこそ。『元ドアマット幼女』の誇りに賭けて、男の子から目を逸らすわけにはいきません。

「その手を下ろして下さい」

「何なんだよおまえ、関係ないだろう!」

「いいえ、人に暴力を振るうのは悪いことです。悪いことをする人がいたら、わたしは警ら隊に通報します」

警ら隊と聞いて、男の子が振り上げた腕を下ろしました。女の子がほっとした様子で顔を上げます。

ヘンリーがクゥーンと鳴いて、女の子の赤くなった頬をぺろぺろと舐めています。“痛い? 大丈夫? エルシャちゃんがお薬、塗ってくれるからね”と言っています。

「通報でもなんでも、勝手にしろよ! おれは悪くないからな! 悪いのは、母さんを殺したこいつだ!」

男の子は、悪態をついて女の子を指差すと、そのまま走っていってしまいました。男の子が見えなくなると、ようやく女の子が口を開きました。

「おねえちゃん、だあれ?」

「わたしはエルシャ、ちびっ子ナースです。ほっぺに湿布を貼りましょうね」

手を引くと素直について来てくれました。馬車の中で湿布を小さく切って、頬に貼ります。

「ちめたい……」

「冷たくて、気持ちいいでしょう? 膝も擦りむいていますね。傷薬を塗ります。くさいけど、よく効きますよ」

女の子は黙ったままで、わたしが傷薬を塗る手を、じっと見つめています。

「あなたのお名前は?」

「アニー。もうすぐ、ごしゃい」

「わたしは、もうすぐ七歳になります」

五歳にしては、背も小さくて痩せています。言葉も少し、幼いかも知れません。

「さっきの男の子は、お兄様ですか?」

「うん、でも、ちゃーうのかも。いつも、ちゃーうって言われりゅ」

腕に強く握った指の跡があります。足にもいくつか、ぶつけた跡があります。

「ここは、痛くないですか?」

「いちゃい……」

あざに湿布を貼って、包帯を巻きます。

兄妹仲が悪いだけでしょうか。でも『母さんを殺した』という、男の子の言葉が気になります。

アニーちゃんが、膝をくんくんと嗅いでいます。

「くしゃい」

「はい、くさいです。でも効き目は抜群です」

「ふふ、くしゃい」

何が面白かったのか、アニーちゃんが笑いました。へにょっと眉が下がって、かわいいです。

「りんごを……」

食べますかと聞こうとしたら、馬車の扉をバンバンと叩く音と怒鳴り声に遮られました。

「おい、ここを開けろ! 子供を返せ!」

窓から外を覗くと大人の男の人が、ヘンリーに吠え掛かられています。

アニーちゃんが、男の人の声を聞いて、身をすくめました。父親でしょうか?

「ガルルルル! ワウ! ワウ!」

あっ、ヘンリーが本気です。熊に吠えた時よりも、本気で威嚇しています。“おまえ、悪いやつ! エルシャちゃんに近寄るな!”と言っています。

お酒の瓶を持って、ふらふらとしています。顔も赤いし、酔っ払っているみたいです。

「アニー! 出て来い! そこにいるんだろう!」

アニーちゃんの表情が、スッと消えました。さっきまで怯えた様子だったのに、フラフラと馬車を出て行こうとします。

「アニーちゃん? イヤなら行かなくていいんですよ?」

返事がありません。うつろな目をして……小さな声で、つぶやくように歌を口ずさんでいます。俯きながらも、馬車の扉を開けてしまいました。

男の人は、アニーちゃんの腕を掴んで連れて行こうとします。ヘンリーが今にも飛び掛かりそうです。

「ヘンリー、待って! 人を傷つけてはダメ!」

「ガルルル、ガウーッッ!」

“どうして! あの子、連れて行かれちゃう!”

ヘンリーにうまく説明出来ません。わたしだって納得していないのです。アニーちゃんの何も見ていないあの目……。つぶやくように口ずさんでいた歌……。

あれは心を守るために、全てを遮断した目です。あの歌は、現実を見ないための鎧です。アニーちゃんは、もう限界です。

「ヘンリー、わたしに力を貸して下さい。アニーちゃんを、助けにいきます!」

* * *

おじいちゃまが戻って、わたしがいないと心配しますから、急いで置き手紙を書きます。

「ヘンリー、アニーちゃんのにおいを追って、お家を探して下さい」

「わうっ!」

ヘンリーは少しの迷いもなく、集合住宅の階段を登っていきます。わたしも無言でついていきます。

全身の血が怒りで沸騰しそうです。あんな小さな子を、心が壊れるまで追い詰めるなんて、どんな理由があろうと許せません!

アニーちゃんのお家は、二階の角部屋でした。ドアの向こうからは怒鳴り声が聞こえてきます。ガタガタっと物が倒れるような音も聞こえます。もう、猶予はありません。

「こんにちは! 開けて下さい! 開けて下さい!」

大声で呼びかけて、ドンドンとドアを叩きました。ドアノブを回しましたが、鍵がかかっています。

「うるさい! 今は忙しいんだ! 帰れ!」

『ドガンッ!』

ドアが大きな音を立てました。何かぶつけたか、蹴ったようです。

「どうしよう、ヘンリー……」

本当は、詰所まで走ってダグラスさんを呼ぶべきなのかも知れません。

でも、ここから詰所までを往復していたら、そのあいだにも、アニーちゃんは何度も殴られてしまう。

今は、アニーちゃんを、あの家から連れ出さなくてはいけません。たとえそれが、強行突破だとしても。

わたしは一旦馬車に戻り、おじいちゃまの予備の白衣を掴んで、中庭へ走り出ました。

馬車の屋根を踏み台にすれば、ヘンリーならきっと二階の窓まで飛べるはずです。

「ヘンリー、あの窓です。わたしを乗せて、あの窓を破って部屋に突入して下さい!」

「わふっ!」

わたしは、おじいちゃま白衣を頭から被って、ヘンリーの背中に乗りました。ガラスの衝撃から、わたしとヘンリーを守るためです。

救助犬ハーネスをしっかり握ります。

「お願いします!」

ヘンリーがどんどん加速します。わたしは低く伏せて、背中の毛並みに顔を 埋(うず) めました。耳もとで風が唸り声を上げています。

ヘンリーが力を溜めるように、一瞬身を低くして、地面を蹴りました。馬車の屋根を踏み台にして、大きくジャンプします。

ヘンリーの身体が宙に躍った瞬間、急に風の音が止みました。スローモーションのように窓が近づいてきます。

『ガッシャーン!』

ガラス窓を突き破って、部屋へと飛び込みました。白衣に当たったガラスの破片が、パラパラと音を立てて床へ落ちていきます。

いました! 西日でオレンジ色に染まるキッチンに、アニーちゃんが頭を抱えてうずくまっています。

「そこまでです!」

男の人が驚いた顔で振り向いています。

「な、いったい何なんだ……子供と、犬?」

「ちびっ子ナースにして、元ドアマット幼女のエルシャ・グリーンフィールズと、スーパー救助犬のヘンリーです!」

「はぁ? 人様の家の窓を壊しておいて、何を言っている?」

「アニーちゃんの身体と心は、わたしが預かります。申し開きがあるなら、西区八番街警ら隊詰所までいらして下さい!」