軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第46話 ラスボス、キャサリン

「エルシャ、あんた……よくもやってくれたわね」

「……ご機嫌よう、キャサリンさん」

「なに気取ってるの? 機嫌なんかいいわけないじゃない。あんたのせいで、この屋敷はめちゃくちゃよ!」

わたしはこの人が、怖くて仕方なかった。わたしの生殺与奪の権利は、この人の手の中にあったのです。

「屋敷の采配は夫人の仕事です。この落ちぶれ具合は、あなたの責任だと思いますよ」

「ずいぶん、生意気な口を効くようになったのね……。野良猫みたいに這いつくばって、床に落ちたものを拾って食べていたくせに」

エバンスさんの前で、恥をかかせて屈服させるつもりですね。この人は心を折ることが本当に上手です。

「なんてことを……! 子供にそんなことをさせるなんて……。人として許されることではありません!」

エバンスさんがわたしの前に、立ち塞がって言いました。ヘンリーも一歩前に出ます。

「あら、あなた取り調べ官の……。その子に肩入れしてるの? 仕事に私情を持ち込むなんて、役人失格じゃない?」

……嫌なところをつつくの、本当に上手い。

「エバンスさん、先に行っててもらえますか? この人と少し話をします」

「エルシャ。人を人とも思わない、品性下劣な人間と言葉を交わしてはいけません」

「ありがとうございます。でも、たぶん、これがわたしの最後の闘いです。どうか、やらせてください」

「エルシャ……」

「大丈夫です。わたしは辺境で鍛えましたから、取っ組み合いになっても負けませんよ!」

「……わかりました。でも、淑女なのですから、取っ組み合いは避けて欲しいですね」

「わかりました。善処します」

エバンスさんが、玄関扉の向こう側に控えてくれます。扉は少し開いたままです。

「あら、逃げないの? ふふ。今なら謝れば許してあげるわよ。下女見習いとして、この屋敷に住まわせてやってもいいわ」

「何に対して謝れと言うのですか?」

「馬鹿みたいに叫んだりして、この家の評判を落としたじゃない! いつもみたいに這いつくばって謝りなさい! “わたしが悪いです、ごめんなさい”って」

キャサリンの目が、嗜虐の色に染まります。口元が笑みの形に歪むと、それが地獄のような時間のはじまりの合図でした。

殴られ、蹴られ、ムチで打たれ、いつもお腹が空いていました。誰にも話しかけられず、明日が来なければ良いのにと思いながら、屋根裏部屋で毛布にくるまって眠った。

あの頃のわたしは、キャサリンの言う通り、『ごめんなさい』と『わたしが悪いです』としか言わない、踏みつけられる、ドアマットでした。

「ほら、言いなさいよ。あんたが全部悪いんだから!」

「悪いのは、あなたでしょう?」

「何ですって?!」

「あなたがわたしを追い詰めたから、耐えられなくなったわたしが、全てを叫んで逃げたんです。原因を作ったのも、引き金をひいたのも、あなたです」

「ふん! 愛されたかったとでも言うの? 前妻にそっくりな継子なんて、愛されるわけないじゃない」

「わたしが母に似て綺麗で可愛く、貴族女性らしい品があるのは、わたしのせいじゃありません」

「自慢なの?」

「ええ。母様に似ているのは、わたしの自慢です。あなたは、欠片も持ち合わせていないものですね」

「なんて生意気なの!」

キャサリンが、わたしを打ち据えようと、手を上げました。ビクッと身体が揺れます。でも視線は逸らしません。

ヘンリーが低く唸り声を上げます。

「わたしはまだ、届けを出すまで伯爵令嬢です。あなたは本日づけで平民になりますが、暴力を振るって、大丈夫ですか? もう家族じゃないですし、『しつけ』の言い訳は通用しませんよ」

「なにを言っているの?」

「家の財産を盗んで愛人と駆け落ちしたあなたを、父が放っておくとお思いですか? 離婚届けが本日、受理されました」

「えっ……」

「父は盗難届けも出していますから、逮捕状もそろそろ下りると思います」

「そんな……、えっ、嘘……」

「もう、逃げられませんよ。一緒に逃げてくれる下男もいませんしね」

「わ、私も暴露してやるわ! お前がこの家の恥だって! みっともなく謝っていたくせに、伯爵家を破滅させたって!」

「みっともないのも、恥ずかしいのも、わたしではなく、子供を殴って喜んでいた、あなたです」

「ね、ねぇ、悪かったわ。あの取り調べ官とか、警ら隊の隊長とか、あなた親しいんでしょ? とりなしてよ。何とかしてよ!」

「たった六歳の幼女に、何とか出来るわけがありません」

「ひどいわ! 仮にも義母だった私を!」

顔を手で覆い、シクシクと泣きはじめました。

「愛さなくて、当たり前の継子なんでしょう?」

キャサリンの涙が、ピタリと止まりました。これ以上、わたしに言っても無駄だと思ったのでしょう。

きびすを返して階段を駆け上がっていきます。

「父のところへ行ったんですかね……」

説得出来るつもりなんですか、あの人……。さすがキャサリンです。

「エルシャ、終わりましたか?」

「はい、エバンスさん。ふふ、勝ちましたよ!」

「さあ、今度こそ、帰りましょう」

玄関を出て、わたしは振り返らずに、扉を閉めました。最後に、玄関に敷かれた、少し擦り切れた玄関マットにだけ、心の中でさよならを言いました。

* * *

玄関を出て、うーんと伸びをします。書類を提出すれば、わたしは正式にこの家の人間ではなくなります。少しの寂しさはありますが、清々しくていい気分です。

「エルシャ、エルシャ!」

門の向こうから、ピートくんの声がしました。なぜか新聞配達人の格好をしています。

「心配で……! 迎えに来たんだ」

ピートくんったら! 嬉しくて走って門から出ると、ハドソン先生もいました。診察バッグを持って、所在なさそうに立っています。

「いや、わしは……近所で往診があったから……」

ハドソン先生は貴族街の往診は受けないのに……。

他にも、副長のジョンソンさんと、事務のカールさんもいます。二人とも、雑役人のような格好をして荷車まで引いています。

「ふふっ、お二人とも、変装が似合っていませんね。ピートくんは新聞配達人、すごく似合ってます!」

「ちぇ、褒められた気がしないなぁ……。あ、あれ……?」

ピートくんが、街路樹の向こうを見ながら言い淀んでいます。見ると、郵便配達人の格好をしたダグラスさんがいました。

「なんだ、みんな来ていたのか……」

気まずそうに言いながら歩いて来ます。

ダグラスさん……その制服や配達用のバッグ、どこから借りて来たんですか?

「ダグラス、変装が完璧過ぎて返って引くよ」

エバンスさんが呆れたように言いました。ピートくんがお腹を押さえて肩を揺らして笑っています。

「それでエルシャ、エドワード氏との面会はどうだった?」

「無事に終わりましたよ。書類もあとは提出するだけです」

「そうか。じゃあ、帰ろう」

「はい!」

副長のジョンソンさんが、わたしを抱き上げて荷車に乗せてくれました。ピートくんも乗ろうとしたら、年寄りに譲らんかとハドソン先生が乗り込んで来ます。

「うわっ、重っ……先生、ちゃんと座ってて下さいよ!」

「枯れ木のような年寄りと、幼児が重いわけがなかろう! キリキリ働け!」

皆さんの笑い声に包まれて、荷車がゴトゴトと動き出しました。

もう振り返りません。

わたしの帰る家は、西区八番街警ら隊の詰所なのだから。