軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第90話 使用人『千』②

暗い森の中を、小笠原と走り続けているとき。

幌は感覚的に理解した。

「……どうやら、【千林】は負けたみたいだ」

「はぁ……はぁ……。残念だねぇ……。

でも幌くんが……機転利かせたおかげで……大分……かなりの距離を離せたよ……」

小笠原の言葉に、幌は頷く。

『小笠原さん、逆転の神器で俺たち自身に【能力】を使うべきだ。浮いて【千林】からでているこの風にのれば、距離が稼げるかもしれない』

自身が告げた言葉を思い出す。

しかし幌の浮かべた表情は渋いものだった。

「俺は逃げるための風を生むために、あいつを呼んで代償を支払ったわけじゃないんだがな……」

「……まぁ……。たぶん、どうあがいても……支払う【価値】が足りなかったんだろうね……。『一番高い価値』といってもしても……結局あの瞬間に支払えるなかで一番ってだけだから……それで駄目ってことはどうあがいても駄目だったんじゃないかな……。【千林】くんが悪いってよりも……相手が強すぎるのが悪いって感じかなぁ……はぁはぁ……。……とはいえもう振り返っても見えないし、そろそろ逃げ切れたと思うけ──ヘブッ」

話が変な音で途切れ、振り返ると小笠原が盛大に地面に転んでいた。

「大丈夫か、小笠原さ──ぐっ!?」

片足が前に出ず、幌もまた同じように地面に転がる。

とっさに前に出なかった足へ目に向けると『糸』が、足に巻きついていた。そこだけ体内まで衣服が食い込んでいるのかというほど、強く締め付けられ固く結ばれている。みただけでわかる敵意が剥き出しの結び方に、それが一体誰の仕業なのかを考える必要はなかった。

「と、幌くん……」

暗闇の中でもわかるほど、表情を絶望に染めて小笠原から声をかけられた。言いたいことはわかるが返せる言葉が何もない。

「ぐっ…………うおぉぉッ!!」

「あぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁっ…………」

糸が、尋常じゃない力で引っ張られる。

土を巻き上げながら地面に身体を擦り付け、とてつもない速度でなすがままに引きずられていく。糸の続く先は井戸の底よりも暗い森の闇に飲まれて見えない。ただ決していいことだけは起きないことだけははっきりとしていた。

このままじゃまずい、そう思って咄嗟にすれ違う木にしがみついた。ユニークスキルの【豪腕豪脚】の力でなんとか動きは止まったが、止まったことに苛立ったのか、片足を引きちぎりそうなほど暴れるように糸が引かれ続ける。

「あぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!!」

一人だけ止まった幌の横で小笠原は引きずられていく。

顔は恐怖の色に塗られ、地面の上なのにバタバタと溺れもがくように動いていた。

「じゅ……【重力増加】!」

身体が地面に押し付けられる。

とっさに機転をきかせて『範囲指定』で発動したためか、幌も【重力増加】の影響下に加わり、おかげで引っ張る糸の力に耐えられるのはありがたい。

ありがたい──が。

「あ……あぁぁ…………」

ズル……、ズル……と、小笠原が引きづられていく。

幌もしがみついている木が徐々に傾いてきていて、木の根本をみると、土がひび割れてその隙間から木の根が浮き上がっている様子が目に入る。

これだけやったところで、焼け石に水でしかない。

やはり糸を断ち切る必要があるが、どうすればいい。銃で糸を切るのは無理だ。傷ついた坂棟日暮を糸に巻き取られてさらわれたとき、銃を撃ったところ、糸で弾かれた。

──切るくらいなら。

「……ッ!! 百蘭!!」

ボン、と音と共に「はぁ〜い!」と百蘭が現れる。

「お前なら『糸を切れる』と、そう言っていたな。対価の金ならある。それを『代償』に、頼む。──『願い』だ。この糸をきってくれ」

「もちろんよぉ〜! お姉さんに任せなさぁ〜い!」

緊張感にそぐわない、間延びした声で百蘭が答える。

どうにか咄嗟に百蘭の言葉を思い出せたことに、心でため息をつく。もし思い浮かばなかったらどうなったかというのは想像したくないことだ。

「あ、健ちゃん。それで『どっち』のを切ればいいのぉ〜?」

「どっち……?」

──『糸を一本』切るくらいなら。

はっと、する。

咄嗟に小笠原の方へ見ると、縋り付くように瞳を潤ませながら、こちらへじっと視線をよこしていた。

糸を一本切る……。つまり自分と、小笠原。地獄へ続く結ばれた糸から逃れられるのはどちらか片方だけだ。それを今選ばなければならない。

どうすればいい?

「幌くぅん……。【百蘭】くんは君の能力なんだから……自分に使いなよぉ……。それにこういう役目は先輩に回されるものだからねぇ……」

ずる……ずる……と。

今も引きずられ幌との距離が離れながらも、小笠原はそう言った。

「それにまだ……何か手段があるかもしれないしねぇ……あはは」

さっきまでと打って変わった強い眼差しを浮かべながら、こちらを真っ直ぐにみて、震える手をあげて親指を立てた。その姿に、覚悟を決める。

「迷っていても仕方がないな……このまま共倒れするよりかは……」

覚悟を決めて、百蘭に告げた。

「百蘭……切る糸は、『俺』の方だ。頼む」

「わかったわぁ〜!

えーいっ、ちょっきん!」

そんな緊張感のない百蘭の言葉の直後に、足を締め付けて引っ張られていた感覚がなくなり、片足が解放され自由に動くようになった。立ち上がり、片足に感じる違和感を振り払い、小笠原のところへ駆け出して手を伸ばす……が寸前のところで手が届かない。

「……ぁぁ……」

小笠原が勢いよく引きずられていく。それを追いかけるが、苛つきが爆発したかのように、小笠原がとてつもない速度で引きずられていく。咄嗟に小笠原が『単発指定』で自分自身に能力をかけていたにも関わらず、その効果を全く感じさせない。

「あぁぁぁぁぁああああああ──────!!!!」

「小笠原さんッ!」

瞬く間に小笠原との距離が開いていく。

走るよりも速いスピードで引きずられた小笠原はどんどん姿が小さくなっていく。

もうこれ以上は追うべきじゃない。

冷静な思考がそう囁く。

追ってどうにかできることはない。あの化け物が確実にいる方向へいって、何ができる。二人とも死ぬだけだ。ならばどちらか一人でも、生きるべきだ。

「幌く……幌くうううん!!!! あぁぁぁや、やっぱ!!! やっぱ助けっ、助けてえええええええッッッ!!! あぁぁ、ち、違うんだよぉぉぉぉ!! ごめん嘘!!!! 気にしないでぇぇ……逃げていいよぉぉぉぉ……こ、こわいぃぃぃ…………死にたくないぃぃぃぃぃ…………」

凄まじい断末魔があっという間に遠ざかりながらしぼみ、ついには姿もろとも闇の中に飲まれていく。

その光景に対して、もはや無力感に苛まれながら、絶望的な目で見送ることしか、幌にできることは何もなかった。

小笠原は地面を引きずられていく。時折、出っ張った地面を跳ねながら。露出している皮膚が地面に擦れて、ズタボロになっている。傷口から砂が入ってくる痛みを堪えて、必死に頭を回して、どうにかする方法を考える。この糸の先にたどり着いてしまう前に。

だがその思考はその直後に崩れた。

糸が続いている方向から『足音』が聞こえたことによって。当然のことだ。じっとその場にたって、ただ獲物がやってくるまで待つ必要なんてどこにもない。その可能性を勝手に考えなかったのは、ただ希望的観測にすがっていただけのこと。

「【重力増加】!!」

ふわり、と小笠原の身体が宙に浮かぶ。

逆転の神器で、反転した能力を自分自身にかけた。咄嗟に、当てずっぽうでやったことだった。

もはや博打めいた行動。しかし相手の攻撃は、どうせ見えてからでは遅い。それほど力量の差は明白になっている。博打の一つや二つ打てなければ状況の打開なんてできはしない。

浮かび上がる身体。

その真下を伸びた蜘蛛の脚が一本通り過ぎる。風を切り裂く心地が肌まで伝わってきてぞっとするが、それを押し潰し、下を通り過ぎた虫の脚に咄嗟にしがみついた。これなら攻撃をされないと思ったのかもしれない。

「【重力──」

能力を発動しようとした瞬間、蜘蛛の脚ごと身体が地面に叩きつけられる。

「ガッ……」

内蔵が口から飛び出しそうな衝撃と共に、視界が白く染まる。

微かに視界の端で地面が見えるのは、本来の地面の位置よりも深い場所まで叩き込まれたからだろうか。衝撃で飛びかけた意識で判断することはできなかった。

唯一感じられるのは自分の命の終わりが、躊躇なく近づいてくるという漠然とした予感だけ。

「ま……待って……」

ぼんやりとした中で、静止を促す声が聞こえる。

走ってきたのか、あがった息の間に、弱々しい声だった。

それはこの戦闘という状況において、あまりにも似つかわしくない、場違いで、不釣り合いで、仕方がないもの。

そんな声をあげる人物は、一人しか思い当たらない。

ぼやける景色に『赤色』が混じっていた。

「千さん……殺すのは……その、やめてほしい……」

「………………」

発せられた言葉に答えることもなく、動き続ける気配に、静止の言葉は一切届いていないように思えた。

「待ってって!!」

「どうしてっ、千があなたの言う事を聞かなければならないのでしょうかっ。千には、理解できないんできないんですけどっ」

「それは──

『人質』が、いるから」

その言葉を皮切りに、場の雰囲気が大きく変わった。

今にも命を奪おうとしている敵は、雰囲気に真剣さが増して、話に耳をしっかり傾けるようになっているようだった。それなのに、ひりつくような空気と危険な雰囲気は、以前よりも増している。

そしてもう片方は──『人質』に持っている剣をそえていた。

小笠原は、その様子をみて思う。

幌は『悩める普通の未熟者』として坂棟日暮のことを思い、手を差し伸べようとしていた。

だが小笠原の抱く、彼女への印象は違った。

可哀想な人、困ってる人、恵まれない人。

そんなどこにでもある悲劇に走って自らの命を捧げるかのように振舞う、坂棟日暮という人間を、小笠原は一度も理解できなかった。自分に無理がない範囲なら人間として理解できるのに、彼女は明らかに度がすぎている。

世界が変わり、あらゆる法則が少し違う世界で、前の世界から一番変わらずにいるどうしようもない法則を未だに受け入れようとしていない。そんな彼女の態度はどう考えても『普通』じゃない。

常軌を逸している。

だから今もやっていることは『人を救う』ことなのに。

そんな人間が、まるで浮かべるべきじゃないような、『薄暗い目』を浮かべている。

──『異常』だよ、坂棟くん。僕からみれば君は

──立派な『狂人』だ。

『自分の首』に剣をそえた坂棟日暮に、小笠原は心でそう声をかけながら、おきた衝撃に小笠原は意識を失った。

◇◆◇

『私が戦うことを決めたならば、相手をまず絶対に、逃したりなんてしませんよっ。間違いなく殺しますっ』

はぁ……はぁ……。

走りながら、千さんが言っていた言葉が脳裏によぎっていた。

きっと、私の言うことなんて千さんは聞き入れてくれないだろう。そのことが分かっていたから、何か手段が必要だった。止めなければ、絶対に誰も生きて帰れない。その確信があったから、追いつくまでに必死に頭を振り絞って止める方法を考えていた。

そしてなんとか姿が見えて、声が届くところまできたときには、事態はすでにギリギリだった。小笠原が凄まじい勢いで地面に押し付けられ、周囲に土煙が舞っている。あまりの勢いにそれだけで死んでしまったのではないかと思い、足が止まりそうになったほどだった。

一度声をかける。だけど千さんはこちらを向かない。

背中の虫の脚が、高くあがる。

「待ってって!!」

強く制止しても、千さんはこちらに視線すらも向けない。

言いたいことを言って、私を構うことなく、あげた脚が振り下ろされた。

──人質がいる。

そう言って、私は自分の首筋に剣を当てた。

これしかなかった……。私が、千さんを止めるには……。

しかし千さんの振り下ろした攻撃は止まることがなかった。

勢いよく振り下ろされた攻撃に大きな音が上がる。土煙が舞う光景を、血の気が引くようにみていると、小笠原の顔を、ギリギリ避けて虫の脚は地面に振り下ろされていた。そのせいで直前までかろうじてあったかもしれない小笠原の意識が、完全に途切れている。

千さんが振り向く──。

ニコニコと浮かべた笑顔。なのにこれまでで一番張り詰めた空気で千さんは言った。

「……死にたいので、あれば勝手に死んでくれていいですよっ。

どうぞっ、お好きに」

「私は……千さんに決めてほしいと、思ってます」

「あのですね〜っ。何度も言わないでくださいっ。

興味がないんですよっ。あなたの生死なんて……どうでもいいんですっ。春様に言われなければ、あなたが部屋の中から突然いなくなったって、千は気がつきませんでしたよっ」

そう……なんだとう思う。

これまでの道中で、それはひしひしと感じている。

でも……。

「千さんがどうでもよくても……春さんは、そう思ってないんですよね……。だから少なくとも、千さんがここに……きてくれた……」

「…………」

千さんの顔から表情が抜け落ちる。

「春さんから『命令』を受けていたから……。だから、そういう意味ではきっと千さんも、どうでもよくないはず。『秋の手助けをする』と『私を守る』って二つの使命があるから。でも今秋は一人で動いてる」

魔物の特徴が現れた千さんの、表情がない顔を向け続けられるのは、本当に魔物に見つめられているようで恐ろしかった。

唾を呑み込みながら、続きの言葉を発する。

「その上私が死んだとなると、千さんは疑問に感じると思う。

『何のためにここに来た』のだろうって──」

人質にとっているのは私の命なんかじゃない。『千さんの使命』そのものだ。ここで私が死んじゃうと、秋の手助けもできていない千さんは、せっかくきたのに何も達成できていないし、できないことになるって……そう言っているに等しい言葉だ。

「もしかしたら千さんが思わなくても……春さんが思ってしまう……かもしれない」

……なんてひどい言葉を並べているのだろう。

私よりも春さんと付き合いの長い千さんに対して言える言葉じゃない。

でもその言葉でしか千さんを止められる気がしなかった。

なのにここまでやったところで結局、千さんのちょっとした気分で簡単に判断は覆る。

すごく弱い方法だと自分でも思う。

それでも今はそのちょっとした気分に縋るしか方法はなかった。

少し、沈黙が流れる。

──クスクス。

その沈黙を少しずつ破るように、小さく千さんが笑う。

──クスクスクスクス。

本当におかしいのか、それは長いこと続いた。

「……あぁ、なるほどですね〜。こちらの大陸には、こんな『戦い方』もあるんですねっ。とても回りくどくて、千がそれをやろうとは少しも思いませんが、それはそれとして勉強になりましたっ! あっ! 確か、こういうときに当てはまる言葉がありましたよね〜! え〜っと……『勉強料』でしたかっ!? では今回は、それだと思うことにしましょうかっ」

そういって、にっこりと笑った。

「じゃ、じゃあ……」

不安に思いながらも、返ってきた言葉に希望が宿る。

それを肯定するように、千さんは頷いた。

「確かに、殺すのが一番いいことですけど、戦って逃げられることなんて『向こう』ではよくあることですからね〜。絶対に獲物を逃さないということも、それぐらいの気持ちってことですっ! どうあがいても仕方がない。どうしても、という時は当然ありますよっ! 春様からの使命のことを考えたら一匹二匹逃すくらいは、些細なものですっ!」

よかった……。千さんが聞いてくれて。

どうにか説得ができたようだ。

千さんも屈託のない笑みを私に向けてくれている。

そんな笑みに視線を向けてると、不意に視界の端に動くものを捉える。手を後ろで組んで立っている千さんの背後で、動いたのは、背中から生えている多数ある虫の脚のうちの一本だった。

その虫の脚の一本が、気絶している小笠原の真上まで移動すると、先端が地面を向いて、そのまま降り注ぐように地面へ落下した。

そして地面にいる小笠原の胴体を当然のように貫いて、串刺しにする。

──?

え……?

「ど、どうして……?

殺さないって……」

震える声で尋ねると、不思議そうな顔で千さんは顔を傾けた。

「……? 殺してはいませんよっ!」

虫の脚が、小笠原を貫いたまま移動する。

身体を宙ぶらりんにさせられた小笠原は、がはっ、と苦しそうに吐血していた。

確かに、死んではいない。

よく見ると脚が刺さっている場所は致命的な身体の中心部分から大きくはずれている。

だけど──。

「まさかこれも『ダメ』だなんていいませんよねっ」

無表情の千さんの顔が目の前まで近づいてきて、そう言われて「いや──」と反射的に答えてしまう。千さんは「そうですよねっ」といって表情を笑みに変えた。

こちらを向いていた千さんが、ちらりと背後の方向へ視線をうつす。

不安を抱いたまま、同じ方向に視線を辿る。

すると視線の先では、随分遠くの森の奥から糸で拘束され身動きの取れなくなった幌がずるずると引きずられ寄せられている姿が目に入った。身体を必死に動かし、もがいているようだった。

そんな幌を拘束していた糸が、唐突に解けて無くなる。

自由になった幌は、その場で不思議そうに立ち上がった。そして引き寄せられていた方向である、こちらへ目を向けた。最初は厳しい目つきを浮かべていたが、すぐに飛来するものに気がつき、驚いた表情で身構える。それは千さんが放り投げた、小笠原だった。勢いよく投げられた小笠原を、幌は身体をはって受け止めるが、あまりの勢いに二人して地面を転がっていた。

その後、ぐったりとした小笠原に気づいた幌は冷静に、身体を背中にのせていた。そして一瞬だけこちらへ視線を向けると急ぎ足で森の奥へと溶けるように消えていく。

その様子を複雑ながらも、ほっとした気持ちで見ていたときだった。

身体に衝撃が走った。

「ぐっ……はっ」

何が起きたのか分からないまま、ただ苦しさに声を漏らす。

身体が押しつぶされそうだった。衝撃がきたときだけではなく、今も、継続して。尋常じゃない力で、背中から感じる木の感触に押し付けられている。板挟みになった身体は、圧迫され、一度吐いた空気を吸うことが困難だった。

無意識に私の身体を押している虫の脚に手を当てて、力をいれて抗っていた。それでも押し返すなんて到底できるわけもなく、呼吸だけがなんとかできるようになる程度だった。

押し返している虫の脚の先では、千さんが微笑みながら、私を真っ直ぐに見て言った。

「やっぱり春様は何かの判断を誤っていると、千は思うんですっ。だって、そうですよねっ? あなたみたいな脆弱極まりない生き物がっ、秋様の何かを、変えるに到るなんて、到底想像ができませんっ!」

そう話す千さんの声は、淡々としているのに。

背後からは木の軋みが聞こえる。

押される力は、感情に乗ったように、強くなっていく。

「先ほどは『あなたに興味がない』と言いましたが、そういう意味では逆に興味が湧いてきましたねっ! 春様が正しいか、私が正しいか、果たしてどちらなんでしょうかっ?

きっと、すぐにわかることになると思いますっ!

こちらの大陸は少々『ぬるい』ようですがっ、そんなの関係ありませんっ。本質は結局同じなんですから。誤魔化しても、『世界』は『剥き出し』になっていきますよっ。これから、あっという間にっ。そしていつかあなたが強いのかどうかを、必ず『問いかけ』にきますよっ」

そう言われ、身体を押していた力から解放される。

地面に倒れて苦しかった胸を押さえると、千さんがこちらを見下ろすように……いや、見下すように私を立ちながら見ていた。

「こんなやり方がいつまでも続けられて、何もかもうまくいくと思っているのだとしたら、それはとても大きな間違いですっ。逆にいつまで続けていられるのかは……興味はありますけれどっ!」

そう言って、千さんは背を見せて去っていく。

どうやら死んだ樹新婦の死体の方へ向かっているようだった。

息が整った後、いつまでも地面に倒れてるわけにもいかず、立ち上がる。

だがふらりと、身体がよろけた。

「(…………疲れた)」

ふらふらとした足取りで、歩く。

どこへ……なんて。目的は何もありはしないのに。

下を見て歩いていると、きらり、地面に光るものを見つける。

なんとなく見覚えのあるようなものに見えて、気になってそれを拾い上げる。手に持って間近で見てようやくそれが何かを思い出す。

「(これは確か……『神器』……)」

小笠原が愛用している『指輪の神器』だ。

逆転の力があると言っていたような気がしたが、記憶は曖昧だ。あまり関わりがたくさんあったわけでもないから。

それに、今はそんなことどうでもよかった。

拾った神器をポケットにしまい、吸い込まれるように、森の中へと入って進んでいく。道から離れるうちに、月明かりが遠のいていき、どこからも明かりが届かなくなった森の中は、闇そのもののようだった。

そこが今はどうしようもなく居心地がよかった。

少しだけ暗闇に慣れてきた目で、適当な木を探り当てて

寄りかかるように腰を地面におろした。

膝を抱えて座り込む。

じっとしていると、今日1日の出来事が、自然と頭の中で流れていく……。

「ぐすっ……ぐすっ……」

なんで、私はこんなやり方しかできないんだろう……。

こんな嫌な方法でしか何かを変えられない自分が情けなくて、嫌いで、仕方がなかった。

もっと秋みたいに、出来ればいいのに……。

もっと……。

溢れ出る感情と疲労に溺れてのまれていく。

そして 暮夜(ぼや) に溶けるように、意識を手放した。

◇◆◇◇◆◇

伸ばされた、手を掴む。

そして──

ずるりと。

魔物の死体に下敷きになっていたところを、凄まじい力で引っ張り上げられた。

魔物の血と体液にまみれて滑るように、重さから解放された。

その後の流れは、怒涛のようだった。

手際よく水で全身を流され、拭かれて、服を着せられてと。あっという間の出来事だった。随分と手慣れているのか、ただ身を任せるだけで済んでしまった。そもそも抵抗せず身を任せること自分が選んだことも不思議な気持ちだった。

「【部屋創造】」

目の前に得体のしれないものが唐突に現れる。

それは一度だけ見覚えのあるものだった。

逆に言えば生きていて、それだけしか見たことがない。

だからまじまじと、不思議に思いながら目を向けていると、唐突に殺気が放たれて驚く。

恐怖やいろんな感覚に敏感になった新しい身体に加えて、その殺気は自分自身を死の淵まで追い込んだ存在が放つもの。その事実がいっそう恐ろしさをます。

「『どうするか』は、自分で選ばなければならない」

殺気は、得体のしれないものの横から並ぶように放たれていた。

剣を持ち、進むのを阻むように立っている。

そんな恐怖の隙間から漏れるように、言葉が届く。

「たぶんまだ言葉すらもおぼつかなくて、意味も理由もわかりやしないんだろうが、そんなの関係ない……。今が『選択』をするべきときだから、今『選択』するしかないんだ。配慮や考慮なんて、この世界で微塵もありはしないのは、ここで生きているのであれば理解しているだろう、お互いに。心の、底から」

言葉よりも先に、意味が、感覚的に心へ入ってくる。

そして感覚から逆算するように言葉もまた、少しずつ理解していく。

何かの感覚に、手助けをされながら理解していく。

「自分で選んで、決めるんだ」

周囲では今も魔物が当然のようにいる。

それでも襲ってくる様子がないのは、殺気に怯えて背を向けて逃げているからだ。

「────」

そんな中で、気がつけば、前へと進んだ。

不思議だった。でも『選択』というのは、もうこのときすでに『終えている』ような気がする。その自分の選択したことに背中を押されるように、歩みを進めていた。

ドアの前に立つと、自動的に開いていく。

その中へと足を踏み入れた途端に、殺気が消えた。

──暖かくて、明るい。

最初に抱いた感覚は、それだった。

「──ん?」

中では誰かが何かに腰掛けていた。

寛ぐように、優雅に、飲み物を飲んでいるところだった。

「あぁ、マスター。帰ってきたんだな。

今日も無事に帰ってきてくれて、嬉しいよ。おかえり!」

その人物は中へ入ってきたこちらに気づくと、飲むのをやめて立ち上がり近づいてきた。

「ただいま、休憩中か?」

「そうなんだよ。でも他のみんなはまだ仕事中みたいで、今一人ぼっちなんだ。よければマスターも一緒にお茶をしないか? ……ん? この子は?」

傍にまでよってきた人物は、隣で喋っている人物よりも少し声が大きい。

それに背も高かった。髪も長い。『赤い髪の毛』が一つに束ねられていて、真っ直ぐに腰のあたりまで伸びている。服も自分がきているヒラヒラなものとは形が違っている。

「まさか……『新入り』か!」

「そうだよ」

「やった……また新しい子が加わるなんて、すごいな!

私は『 紅(こう) 』っていう名前なんだ。よろしくしてほしい。仲良くしよう!」

そういって手伸ばされるが、意味が分からない。不思議に思ってみていると手を取られて、無理やりそれを握らされた。なんの仕草なのかわからないが、笑顔で手をぶんぶん振っているのをみて、なんとなく悪いことではないように思えた。ただやけにその動作は長く続き、しまいには手がやけに熱くなってきたので早く離してほしいと思っていた。

「嬉しそうだな、紅」

「もちろん、マスター! 家族や仲間が増えるのは楽しいよ。それに新入りってことは、私の後輩じゃないか! いろいろ教えてあげるから、なんでもきいてほしい」

そういって胸を少し張って、そこに手をそえていた。

そういえば胸部にある出っ張りはなんなのだろう。

目の前の人物にもあり、自分にもある。でもとなりの人物にはない。

自分の体のことなのにいちいち分からないことが多いのはもどかしく思う。

「後輩が嬉しいなら、ついこの間来た『 蛮(ばん) 』はどうなんだ?」

そう言われると、会ってからずっと明るさを保っていた表情に陰りが落ちた。

「蛮は……。うぅ……聞いてくれ、マスター。私は最初のうちは、初めての後輩に嬉しくて付きっきりで相手をしていたんだ。そしたら付き合わされるのはトレーニングルームでひたすら戦いばっかで、聞くことも戦闘のことばかり。戦闘、戦闘……戦闘!! 別に戦闘がいやというわけではないが、外でも散々やっていることじゃないか? もっとこう、他のことを色々したいし、してあげたいのに、あいつの脳味噌には戦闘と筋肉しかないんだ。だから私はもっとかわいい後輩が、ほしくなっていたところだったんだ!」

「…………そう。

じゃあ、ちょうどよかったかもしれないな……。

でも蛮とも、仲良くできるなら、したほうがいいとは思うけど……」

「あぁ、仲は別に悪くないから心配しなくていい。趣味が合わないだけなんだ」

することがなく、楽しそうに行われている会話をぼんやりと眺めていた。

「…………」

すると、別の人物が新しく現れ、会話に加わった。

「随分賑やかで、楽しそうな会話ですね。可愛い新入りを放っておいて。よければ私も、混ぜてもらえますか?」

「あー……春……」

「ち、違うんだ、春様。別に無視していたわけじゃなくて、これは」

「愚か、ですね」

そう一言で切り捨てていた。

紅と名乗った人物は少しショックな表情を浮かべ、もう一人は苦笑を浮かべていた。

新しく現れた人物は、二人を一言で切り捨てた後に、こちらへ身体を向けて真っ直ぐに正面から向き合う。

そして、じっ、と観察するように見られていた。

だが正直それよりも小脇に抱えているものの方が気になり、そちらに意識がもってかれる。

「うにゅう〜?」

視線を向けられたことを不思議に思ったのか、小脇に抱えられたまま、その存在は小首を傾げていた。

「……鞠が気になるのですか? では、どうぞ」

なぜだか分からないが、渡されてしまった。

手で小さな少女を持っているが、どうしていいかわからない。

だからとりあえず──ぎゅっと、抱きしめた。

自然と何も考えずにやった行動だった。

「うにゅー」

すっぽりと腕の中で収まったそれは、こちらの顔を見上げるように鳴き声のような声をあげていた。服越しにも感じる体温がすごい暖かい。

「おぉ、笑ったぞ!」

「無表情よりは笑った顔の方がずっと可愛くて、似合っていますね」

「……かわ……い?」

声を出して、尋ねる。目の前で観察していた人物がうなずき、答える。

「可愛い──あなたが鞠を抱きしめたときに感じていた心の動きと同じものです。できるだけ近くに、側に、引き寄せたくなってしまうもの。『感情』です」

「可愛い……感情……」

ぽつぽつと、頭の中に単語が溶けていくと同時に、口から言葉を発せられるようになっていく。

「秋様はどう思いますか」

「あぁ、俺も、そう思うよ。

笑っていたほうが、確かに似合っていると思う──『 千(せん) 』には」

少し会話が途切れる。

そしてその間を終わらせたのは紅という女だった。

「千……? それが彼女の名前か! 千、千かぁ。うん、いい響きだ。素敵な名前をもらえてよかったなぁ、千。これから使用人同士、一緒にがんばろう!」

「私も、とてもいいと思います。では千、行きましょう。あなたたち『魔物人間』の常識や知識がゴブリン以下の傾向にあるのはすでに理解しています。しっかり勉強しないとゴミより使い物になりません。ですが大丈夫です。最初は混乱していると思いますが、みんな通った道ですから。では秋様、千は連れて行きます」

「あぁ、ありがとう春。頼むよ。

俺はまた『外』に出てくる」

「──……。

わかりました。千を調教して帰りを待っています。

お気をつけて……」

手を引かれなすがままに歩きはじめる。

その直後に、自分をつれてきてくれた人物が、一人背を向けて反対側にあるドアの方向へと歩いていく。さきほど使ったものだ。

その様子を、首だけを後ろに向けて目で追っていた。

ドアが開く。その先では環境が変わって全く別の景色になっているようだった。だけど躊躇なく足を踏み入れ、ドアがしまっていくと、姿がどんどんと見えなくなっていく。まるで彼だけを世界から切り取るように、存在をこの場所から消えさるかのように。

気がつけば閉じていくドアに向かって、思わず手を伸ばしていた。

その手を伸ばした『感情』が何なのかは

今もまだ、分かっていない。