軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第91話 誰もが水面の魚たち

──何かが、おかしい。

そう心で呟くのは、これでもう何度目のことなのだろう。

『ヨクン・シーベル』は本来の依頼であるシープエットの騎士たちの案内から離れ、単独で樹海の奥地へと足を踏み入れていた。

そのきっかけになったのは、『厄災の花』の予兆だ。あらゆる植物を蝕み、生息範囲を広げて、生き物の身体を固める、世界で最も静かな災害を作り出す花。

その花びらを見つけたとき、正直、背筋が凍るような思いだった。

依頼主であるウォールグルトにすぐさま相談すると単独での行動を認めてくれた。もし事実なら、放っておけば南大陸にある国家総出で事態に当たらなければいけない大事になる。だからこそ事実確認が重要だというヨクンの考えに理解を示してくれたのだ。

そしてただ一人、孤独に樹海を進み続けた。

倒木を乗り越え、食肉の植物や擬態した魔物をやり過ごし、廃墟を通って。

すべてはこの樹海で起きている異変を探るために。

だがそんな道程の中で、徐々に『違和感』を抱き始めるようになった。

最初にその感覚を覚えたのは『妙な爆発の跡』を、森の中で見つけたときだ。

周囲一帯が激しい爆発の跡に満たされていた。黒ずんだ木々とえぐれた地面が、生々しく残っており、微かに煙が立ち上ってるところに手を添えるとほんのりと温かったのを覚えている。

一体そこで何があったのか。

少しの時間調査をし、記録も行なったが何も分からず切り上げて先へ進んだ。

だがその後も、『妙な光景』を立て続けに樹海の奥地で何度も見かけるようになっていく。

一帯の植物がすべて溶けている場所。

土が渦のような異様な形で盛り上がっている場所。

そこまで育つことがない植物が、身長を越えるほど異常な成長を遂げている場所。

どれもが全く原因がわからず、出来事そのものも統一感のない『妙な光景』。

気がつけば、その『妙な光景』を辿るように樹海を進んでいた。

もしかしたら一つ一つが、全く別の出来事の起きた結果かもしれない。

あるいは、樹海の奥地へ入った経験は、今回がはじめてなのだから。

これが樹海の奥地では『普通』である可能性は当然考えられるはずだ。

──いや、きっと、それはない。

そう、思う。

そう言い切れる、明確な理由がある。

ケルラ・マ・グランデの樹海に限り、ヨクンが感じられる『異変の波』。

それは樹海の奥地でも相変わらず感じており、むしろ進むにつれてより強くなっている。

まるで樹海そのものが悲鳴をあげているかのように。

しかし違和感を覚えてやまない『妙な光景』の付近では、なぜか『異変の波』を全く感じなくなる。こんなにも『異変』そのもののような場所なのにも関わらず。

──異常だ。

まるで力に樹海が屈服しているかのように、一切の変化がなく樹海が静かなのだ。

だからこそ、感覚的にすぐわかるため『妙な光景』を辿るのは容易だった。

そして行く先々の光景は統一感が全くないにも関わらず、『異変の波』が無いことだけはすべてにおいて『共通』している。

その事実が、気味が悪い。

まるで得体のしれない『何か』が存在するのを裏付けているかのようだ。

もしそうだとしたら一体その『何か』は一体なんなのだろう。

想像していた異変──『風残花』にこんな事態を引き起こす力はない。

だが存在はしていた。しかし奥地は実際にはこの有様だ。

何だ。自分は一体、何の『痕跡』を辿っているんだ。

わからない。

わかるのは、『異様な光景』の規模は、樹海の奥へいくにつれて大きくなっているということだ。魔物が強くなりながら樹海を奥へでも進んでいるのだろうか。

なんにせよ、ここはもう樹海の奥地だ。

表層しかいけずにもどかしく思ってた日々とは違う。

このまま進んでいけば、何かの『答え』にたどり着くはず。

ヨクンは樹海を進んでいく。

追っていた『異変』が、全く別の『異変』になりかわっているという微かな予感と共に。

◇◆◇◇◆◇

ウォールグルトが、側にいる副隊長に話しかける。

「撤退、も視野に考慮にいれるべきかもしれない。

あまりにも状況がきな臭すぎる」

なんとか逃れられた『天使族』と『異様なゴブリン』が入り乱れる戦いから、まだほとんど時間が経っていない。

濃厚に感じた敗色の気配も、混沌の焦燥も、生々しく残っている。気を抜けば勝手に感触として現れてしまいそうだった。

追ってくる気配もなく、ようやく僅かにだが心に余裕が持てるようになったのを見計らって言葉を発した。しかし相手は天使族。今すぐにでもまた飛んで現れるかもしれないと思うと、やはり完全に気を抜くことはできなかった。

だからこそ今このタイミングで、半ば無理やり、口を開いたといっても過言ではなかった。

「そんなの、ありえません」

だがそうした言葉も、すぐ副隊長から真っ直ぐに否定されてしまう。

「まだ我々はここにきて、何の成果も得られていません。勇者も野放しのまま好きに動かれ、やられっぱなしでいいわけがない。むしろチャンスなはずだと思いますが。邪魔をしてきた天使とゴブリンが戦闘して勝手に足を引っ張り合っているのですから。今こそ勇者と花人族を手に入れるべきです」

副隊長の話は分からなくもない。むしろ理がよく通っている。

しかしそれでも不安が拭いきれないのは、理解を越えた出来事が立て続けに起こっているからだ。あのゴブリン共もそうだが、戦闘の後半に出てきた魔物は、明らかに樹海に生息するものとは違うものだった。そんな魔物が現れた原因は分からないが、もしそこに原因があるとしたら間違いなく想像を逸していることだけは確信をもっていえる。

「どちらにせよ、はぐれた仲間と合流する必要があるはずです。そして花人族のいる方向を事前に隊の仲間たちに伝えていて、他に集まる目安がない以上、隊員たちも自然とそちらの方向へ行けば集まるのでは?」

「……そうだな。その通りだ」

「では、向かいましょう」

副隊長に説得されて、花人族の気配を感知した場所へ向かうことになる。

そして目論見通り、道中で散開して逃げ別れた隊員たちと合流することができた。全員が揃ったときには、花人族がいると思わしき場所はすぐそばだった。まったく日が射さない、逆さの木が生えそろった不気味な森へ入る直前の場所で、もう一度方針を決める。だがここまできたならば、選択肢は決まっているに等しかった。隊員たちもそのつもりの表情をしている。

そうと決まれば速やかに行動へ移る。花人族の捕縛へと乗り出した。

暗い森の中を進んだ先には、洞窟があった。

太陽の光が生きるのに不可欠な花人族が、こんなところで過ごしているとはにわかには信じがたかったが、意外に思いながらも洞窟を進んでいると花人族の姿を発見する。見つけ次第、捕らえていく。洞窟の中では悲鳴と物騒な物音が響き渡ったが構うことはなかった。

元々対人の任務が本業といっても過言では無いためか、厄介な植物や魔物を相手取るよりも簡単な作業だった。

洞窟の中で生活の痕跡がある場所はすべて回り、人の気配がしなくなったところで、捕らえた花人族を暗い森の外まで連れ出す。日差しが射す普通の森のところまで戻ると、花人族をひとかたまりにして待機させた。

最初は少なからず抵抗を見せていた花人族も、捕らえたあとは従順な様子を見せて大人しく指示通り動いていた。相当追い詰められていたのか。暗い逆さの木の地帯を抜けて、太陽を目にしたときに涙を流してるものまでいる。

「ウォールグルト隊長、どうですか?

見つかりそうですか?」

「……少し待て」

隊員たちの総数をも超える数の花人族を捕らえ、手に入れた。

すでに祖国に示す成果としては十分だ。気持ち的にもこの危険地帯と別れたい気持ちでいっぱいだ。

だがまだ帰れない理由がある。『探し物』は──充分ではないのだから。

「隊長が感知をしている間の時間がもったいないな。

お前たちは周囲を少し捜索に当たれ。案外すぐ近くにいるかもしれない」

副隊長の指示に、隊員たちは背筋を正しながら返事をする。そして指示通りに周囲の捜索を始めた。

一人一人バラバラに別れ、草藪をかきわけては奥を見る。

木の裏を覗き見て、そのあと木の上を見上げる。いなければさらに奥へ進む。

そんな風に捜索している隊員が、次の草藪に手をかけたとき、ふと背後を振り返ると、花人族と一緒にいる隊長や副隊長の姿がとても小さくなっているのに気づいて、隊員は戻っていく。

──その遠ざかる足音を聞いて、手をかけられた草藪の奥で息を殺して潜んでいた『テリ』は、安堵の息を漏らした。

足音が聞こえなくなり、心臓の音が少し落ち着いたのを確認すると、慎重に草藪から顔を出す。そして目に入る光景に、顔を青くする。

自分の仲間である花人族が、全員捕らえられている。嘘だと思って何度みかえしても、光景は変わってはくれない。姉のマアナも、義兄のテレストも、長の祖父もみんなそこにいる。

「どう……しよう……」

震える声で、小さく呟く。

──まさか、こんなことになるなんて思わなかった。

森へ出ていたのも、たまたま偶然のことだった。

最初は、昨日から姿がないセルカルが朝になっても戻らないことに気づいたときだ。

大人にそれを告げたところで、何がどうなるわけでもない。それにセルカルは勝手に外にいく常習犯だ。本気で危機意識を持たせるのは難しく、むしろ何かあっても自業自得だと思っている大人もいる。実際、今回もそうだった。

しかし今日ばかりは何か『嫌な予感』がした。

なぜならセルカルと一緒に昨日いた『外からやってきた二人』の姿も見えなくなっていたからだ。積極的に何かを害すような人たちではなかったが、親しい人が一緒に姿を消したとなると不安を抱いてしまうような印象の二人とだ。

そんな不安に駆られて、思わず一人で逆さの暗い木の地帯を抜けて森へやってきてしまった。

無謀だったと後悔を抱くのは森へ出てすぐのことだった。しかしここまできたのだからと恐怖と戦いながら、近場でセルカルの姿を探した。なぜか魔物に出会さなかったのは運がよかった。しかし次の一瞬ではそうはならないと考えてしまうと、恐怖は募るばかりで、結局あまり長い時間探すことができず諦めて戻っていた。そんなとき、遠目に連行されている同族たちに気がついた。

まさか無謀にも一人森へ出ている自分よりも、洞窟にいる仲間たちのほうに危機が及ぶなんて……。そう愕然とした。そして連行されている光景を前に、どうしたらいいか全く分からず、今まであわあわしながらつかず離れずの距離で様子を伺うことしかできなかった。

きっと、何かをすべきなのだと思う。

でも小娘一人にできることなんて、何もない。

このまま仲間が連れていかれるのを黙ってみていることしかできない。

「……いや、どうやら『感知』するまでもなさそうだな」

じっと動かずにいた人間のリーダー格の男が唐突にそういって歩き出した。

聞こえてきた言葉に、ゾッとして、すぐに顔を引っ込める。だが最悪なことに、足音はこちらへ近づくようにたっている。

草藪を背にして、足を抱えて姿勢をできる限り低くしながら、祈るような気持ちで身を潜める。

──何かをするどころか、このまま隠れ潜むことすら難しいかもしれない……。

それなら、いっそ捕まってしまった方がいいのかもしれない。

このまま皆連れてかれて、そして一人ここに取り残されてしまうことを考えたなら。そんなのどうせ魔物の餌になるだけだ。それならつかまって、生きて、みんなと一緒にいられるだけでも全然違うだろう。

だけどもしそうなったとき、そのあと人間たちの元でどうなるのかと考えると怖くてしかたない。

大きく聞こえる心臓の鼓動と足音が交互にきこえる。

祈る気持ちの強さと比例するように、足音は大きくなり続けていた。

もはや死刑宣告をまつにも等しい時間だった。

むしろ、もう気がついてもおかしくない場所にまで足音は近づいている。

「──『勇者』だな。

悪いが、我々と一緒にきてもらおう」

…………?

……勇者……?

意味のわからない言葉に、怯えながら少しだけ顔をあげる。

そしてすぐに気がついた。前の森から一人の男が歩いてきている。

背後の、人間と花人族の仲間がいる方向に向かって。

どうやら足音は二つ同時に上がっていたようだ。

背後から聞こえていた足音はとっくに鳴り止んでいて、近づいてきていたのは前方から上がっていたものだけだった。なのに顔を伏せて恐怖と戦っていたせいでそのことに気が付けなかった。

──確か、この人は……。

その人物には、見覚えがあった。

洞窟の最奥。ティアル様の屋敷がある広場で、薬師のテレストにすごい剣幕で詰め寄られていた相手──『灰色の髪』が特徴的だった男だ。

そう、だと思う……たぶん。自信はあまりなかった。

なぜなら自分で特徴的だといっておきながら、『灰色の髪』ではなく『黒色の髪』をしているからだ。そのせいで印象が変わっていて、自分が正しいかどうかがわからない。

ただ……。

背後の人間からは、草藪を間に挟んでいるので姿を隠せている。だけど正面から歩いてくる男からは、身を遮るものが一切何もなく、姿を全く隠せていない。

男の視界にはとっくに自分の姿が目に入っているはずだった。だけどこちらに視線を向けることすらもなく、背後にいる人間に自分のことを伝える様子もない。一つも何もせず、誰もいないかのように、すぐ横を歩いて通りすぎて背後の草藪を抜けていった。花人族の仲間と人間たちがいる場所へ向けて、躊躇なく進んでしまった。

……大丈夫なのだろうか?

「……聞いてるのか?」

「……? 俺に言ってたのか? 『勇者』って……。

誰かと間違えているんじゃないのか……。

それにしても初対面なのに『一緒に来い』なんて、随分横暴なんだな」

草藪から顔を出して、もう一度様子を伺う。

灰色の男(?)は歩みを止めることなく、淡々と答えていた。

その様子に人間たちの視線や態度が厳しくなっていく。

「貴様、我々がシープエットだと知って──」

「副隊長、そう声を荒げるな。できれば我々も、武力行使ではなく任意での同行を望んでいる。大人しくついてきてはくれないか?」

「……お断りします。俺についていく理由がない。

そのつかまってる人に少し用があるだけで、別にあなたたちの邪魔する気があるわけじゃないから気にせずに放っておいてほしい」

「残念ながら、我々が貴殿に用がある、という話だ。あまりこういう交渉の仕方はしたくはないが、我々『シープエット』の話は大人しく聞いておいたほうがいい」

「…………」

「お前、一回進むのをやめろッ──」

人間のリーダー格の男はなるべく穏便にしようと話を進めているが、その次に偉いだろう男が声を荒らげながら灰色の男を止めようと手を伸ばしている。軽く避けられているが、それが火に油を注ぐように雰囲気はより剣呑な方向へ変化している。

その様子をハラハラしながら見ていた。

──ガサッ。

びくり、と身体がはねる。

背後から聞こえた音に驚いて振り返る。

「テリ……? どうしてここに……」

「なんだ……」

ほっとしながら、思わず呟いてしまった。

現れたのは、昨日洞窟で話をした赤い髪の女だった。

あれだけ散々なことを言ったというのに、名前すら知らなかったことを今更ながら思い出す。

状況を察さずに、ぼけっと突っ立ってる女を引き寄せて、見つからないようにしゃがませる。しゃがまされた女は説明を求めてほしそうな顔でこちらを見てきたが、説明が欲しいのは、こちらのほうだった。

「あの……昨日からセルカルがいないんだけど、まさか知っていたりするなんてことない……ですよね……」

そう尋ねると、すぐに目が泳いだ。

それだけでもう答えがわかったようなものだ。

「実は昨日までは一緒にいたんだ……けど──」

申し訳なさを滲ませる語り方に、嫌な予感を覚える。

この女の纏っている、ねっとりとした不吉さは本当に好きになれない。

「朝になったらセルカルがいなくなってて……。

それで千さんが連れてくるって言って、行ってしまったから一人で戻ってきたんだ……」

「……そもそも何の用事で、昨日から一緒にいたんですか?

わざわざ森にまで出て……。本当にセルカルは無事なの?」

「ごめん……。千さんは『大丈夫』って言ってたけれど……。

私の目では直接まだちゃんと確かめられてなくて……」

「なにそれ──」

苛立ちを感じて声を荒げそうになったとき、「しぃー」となだめるような音が鳴った。

赤い髪の女がいる方とは反対の『すぐ隣』でなった音だった。顔を向けると驚くべき人物がいた。

「まぁ、あやつが大丈夫だと言うのであれば、大丈夫であろう」

そこにいたのは魔王の『ティアル様』だった。

いつの間にそこにいたのか。自分たちと同じように、身を低くして茂みに隠れるようにしながら、人間たちのいる方へ視線を向けている。

「ティアル……どうしてここに……」

赤い女が驚いたように呟く。

「どうして、は、お互い様じゃがの。

わしは秋についてきて一緒にここまできただけじゃ」

「秋……?」

そういってティアル様が、人間たちのいる方向を指差す。

その先の光景を見て、ようやく今起きている状況を一つずつ飲み込んでいっているのか、顔色と表情が変わっていく。

「秋が……なんでここに……。

もうこないって……千さんも……」

唖然としながら、次の瞬間、何かに気がついたかのようにはっとする。

「まさか、千夏の症状が悪化して──」

「千夏は無事じゃ。秋が樹海で集めた素材で薬を作り、それを千夏に服用させたからの。すでに症状も無くなっておる。今朝まで秋が看病をしていて、目も覚ましたからのう。ここにきたのはテレストに『返す物』があるからと言っておった。それと『聞くことがある』ともの。……とはいえまさかこんな妙な事態になっておるとは。『人間至上主義』、『レベル崇拝』、『勇者信仰』の中央大陸に巣食う騎士共を、この大陸のこの場所で、また見ることになるとはの」

そういって笑みを浮かべるティアル様。どんな種類の笑みなのかは知る由もないが見ていると少し、怖かった。

それよりも、話に聞いていた魔族の子供は無事なようだ。それだけは心の底からよかったと思う。

視線を人間たちの方へ戻すと、秋と呼ばれていた人は、人間たちの間を通って集められた仲間たちのすぐそばにまで近づいていた。殺伐とした空気を気にもしていないようだ。そしてテレスト前に立つと、何かの本を取り出して、それを手渡した。さらに『瓶』も渡してテレストに何かを話しかけている。

テレストは、秋という男が自分のところにやってくると分かったときからずっと狼狽ている。少し可哀想だと思った。人間たちの殺気の篭った視線も、同族の困惑する視線も、すべてが自分のところへ集約しているのだから。自分がもしテレストの立場なら同じ反応になることは想像に難くない。実際テレストは、渡された瓶の中身を調べようと中を覗いたりしているが、周囲に視線が外れて集中できていない様子だった。どう考えても、状況とやっていることが釣り合っていない。

その最中も、秋という男に人間たちが詰め寄り続けていた。その人数も増えている。

どうやら生かして捕らえたいようで、これまでは穏便にしようと伸ばしていた手も、うまくいなされ躱されているうちに荒々しくなっている。人間たちが発している言葉にも怒号が飛び交い始めた。もはや段々揉み合いに近い状況になってきている。

不安に思い、烏滸がましいと思いながらも、隣にいるティアル様に尋ねた。

「あの……ティアル様。助力してあげなくて、いいんですか……?」

「む? なぜじゃ?」

尋ね返されて、少し狼狽える。

自分が魔王のティアル様と話しているという事実が信じられずに緊張する。

変なことを言わないように気をつけて、慎重に言葉を選ばなければならない。

「あそこにいる、シープエットのリーダーみたいな人間……『ウォールグルト』って呼ばれてたんですけど……もしそうだとしたらあの人は『決死騎士』だと思うんです……。何でも魔王様も退けられてしまったほど強いって……だから……」

「ほう……なるほどのう……。『ウォールグルト』の名は知らぬが、『決死騎士』というからにはユニークスキルの【決死】を持っておるのか。弱者を見くびる強者を数多に散らした格上に強く出られる珍しい優秀なスキルじゃからの。……となると、見物じゃ。秋がどうするのか……気になるのぅ」

少し気分が上がってきたのか、身体をうずうずさせながら、ティアル様は身を乗り出す姿勢に変えて食い入るように眺めている。

……結局、助力に入らないのだろうか?

「……やるべきことは一人でやる。そういう性分の男なのじゃ」

少し落ち着いた声で、そう答えた。

結局自分も、大人しく様子を伺う。仲間が捕まっている最中だというのにこんな観客みたいな真似をしていいのだろうか。

それにしてもあの秋という男は、そんなに強いのだろうか?

今のティアル様の状態は、まるで負けることを微塵も疑ってもいないかのようにも見える。

だが、そんなに余裕のある状況には見えなかった。

相手はあのシープエットの騎士。負ける可能性だってある。

確かに秋という男は、洞窟でみかけたときすごい強そうな人に見えた。しかしさっきすれ違う直前にみたときに、前見たときほど強そうには感じなかった。なぜかは分からない。もしかしたらティアル様や千という人に混じっていたせいで前みたとき『すごそう』だと勝手に勘違いしてしまったのかもしれない。そう考えていた。

逆にそれが間違っていて強かったとしても、それはそれで【決死】の威力があがってしまう。どちらの可能性にも十分負ける可能性があるように思え、だからそんなに絶対といいきれる余裕をもてる状況とは言い難いように思えた。

「私も、止めたほうがいいと思う……」

赤い髪の女も、同じ様に静止を提案していた。

「あの人たち……秋に、殺されてしまうんじゃ……」

が、その理由は真逆だった。

その言葉に、フンと、鼻で笑ったティアル様が視線を向けることすらせず答える。

「ならわしに行かせるのは止した方がいいの。

わしなら連中を皆殺しにして、終わらせるからの」

「…………」

赤い髪の女はその一言で黙りこくった。

「ところで花人族のお主──」

「えっ……? あ、はい……」

唐突にティアル様に呼ばれて、驚く。

「お主はずっと洞窟におったのに、随分世情に詳しいんじゃの」

それは何気ない一言だった。

少し気になったことを軽い会話のつもりで話したのかもしれない。

だからか、本人も答えを求めることなく、人間たちのほうにすぐ意識を戻していた。

だけど妙に引っかかる、一言だった。

ティアル様の言葉が間違っているということではない。

むしろその逆の、『正しすぎる』という意味で。

──確かに……、と。

あまりにも深く納得してしまった。

大した指摘ではない。本来なら軽く済ますはずの言葉に必要以上に納得して──そして急激に浮かび上がる『違和感』。なぜ自分はこれほど詳しいのか、と。

そもそも『決死騎士』の存在や、『ウォールグルト』という名前を知っていたのは、セルカルとの会話に出てきたからだ。セルカルは外の世情に少し詳しかった。その理由をテリは、テレストに聞いていたからだと思っていた。テレストがティアル様のところへ通っていることは偶然にも知っていたため、そこから外の世界の情報を教えてもらっているのだろうと。そんな推測を勝手にして、テレストとセルカルという犬猿の仲の二人が、見えないところでそうした繋がりがあることにどこかほっとしていた。

──『ウォールグルトの名は知らぬが』。

……ティアル様が知らないことを、セルカルは誰に聞いたのだろう?

唐突に、身体を横から引っ張られる。

その力に抗えず、横に身体が倒れた。

その次の瞬間。直前までいた場所を、一人の人間が通り過ぎて行った。凄まじい速度で、草藪を激しく揺らしながら通り抜けていって、背後の木にぶつかった。ぐったりとした様子でその後、起き上がることはなかった。

思わず小さく悲鳴をあげてしまったが、揺らされた草藪の音にうまくかき消されたようだ。この人間はどうやら揉み合いの末に吹き飛ばされたらしい。

「あの……すいません、ティアル様。

ありがとうございます……」

「気にしなくてよい」

ちらちらと背後で倒れている人間の方に意識が奪われながら、ティアル様の横に移動する。そして人間たちの方へ視界を戻した。

状況は悪化している。

人間が飛んでくるのだから、当然そうなっているだろう。

すでに何人かの人間が倒れ、殺気だった騎士たちが剣を抜いていた。剣先はすべて秋という男に向けられている。

周囲に対応するかのように秋という男も、剣を手に持った。何もないところから剣を取り出している。

剣を構えた騎士たちは相手が武器を取り出したせいか、いよいよ本気の殺気を発し始めた。姿勢も、動くことを念頭においたものにわずかだが変わっている。

一方で秋という男の雰囲気はひたすら静かだった。剣を立ったまま棒立ちだ。そしてその姿勢のまま少し伏せられていた顔が、ゆっくりとあがっていく。

────?

その上がった秋という男の表情を見て、なぜだか、少し、背筋に寒気が走った。

どうしてなのだろう。何か怖い表情を浮かべているなんてわけでもないのに。

むしろ、全く、表情なんて浮かべていないのに。

「──待て」

剣をまだ、唯一抜いていない決死騎士が一言で止める。

「……不思議な男だな。強いのか弱いのか、見た目で判断がつかない。職業柄相手の強さを測るのが癖のようになっているがこんなことは初めてだ。一つ提案だがここは一騎討ちで事の成り行きを決めてはみないか」

「……一騎討ち?」

「我々は君の命を奪いたいわけではない。ただ同行して欲しいと思っているだけだ」

「あなた以外の人は、そうは思っていないようだけど」

剣を向けている人間たちを、見回しながら答える。

「……それは自分の求心力の無さのせいだろう。すまないと思っている。この状況に対しての責任は自分にある。だがこちらも一緒にこないと言われて、黙って帰るわけにもいかない事情があるのだ。どちらかの妥協が必要だ。しかし今のままでは『殺し合い』になってしまう。だがそれは、互いにとっての『不利益』だ。違うか?」

「互いの不利益、ね……。

俺の不利益が見当たらないけど……」

「貴殿は魔族に用があって、ここへ来たのだろう。なら少なからずこの魔族たちは君の知り合いのはずだ。でなければ用があって来るなんてことはない。となると、これだけの人数の自衛能力のない『守るべきもの』を背負って、我々となりふり構わない殺し合いをするというのは貴殿もあまり望んでいることではないと思うが」

「……なるほど、確かに。

言われてみればそういう考え方もあるかもしれない。

まぁ……それで済ませてくれるっていうのであれば、俺は全然、それで構わないが」

そう答えると、秋という男は剣を持ったまま、決死騎士の方へ近づくように歩きはじめた。睨み付けてくる人間たちの間を通って、手には剣をもったまま。

呼応するように、決死騎士も進み始める。

途中、長い髪の人間の男が、すれちがいざま決死騎士に声をかけていた。

「余計なことですよ、隊長。

たった一人の相手に対して。臆したのですか。だとしたら恥も甚だしいですね。

全員で片付けてしまえばそれでさっさと事が済む話でしたのに」

「…………」

決死騎士は何も答えずに、その男の横を通り過ぎていく。

フッ、と。横で鼻で笑う音が聞こえる。

「やはり無知というのは恐ろしいの……。

『救われた』とも知らずに……」

「…………」

救われた、というのはあの髪の長い人間たちのことを言っているのだろうか。

やはり魔王様たちはとことんあの人……秋という男が強いことを疑っていないようだ。しかしシープエットの騎士に襲われる街から命からがら逃げた経験が、子供のころにあるテリにはどうしても不安がぬぐいきれない。恐怖が思考に焦げ付いている。

元いた魔族の国でシープエットはよく聞く人間の国の一つだった。無論、闘争の相手の一つとして。自分こそ魔王になると意気込んだ優秀な人が、シープエットの騎士と戦って、二度と名前があがらなくなったなんてことはたくさんあった。戦う力のない自分たちにとって、格下の種族の人間だろうと、シープエットの騎士というのが絶望の対象だったのは間違いない。

そんな相手と戦う……それも『決死騎士』なんて異名を持った相手に。

もはやどうなるのかわからない。ただ見守ることしかできない。いつものように。

歩いていた決死騎士が止まって剣を抜く。

その向かいから歩いてきている秋という男は、それを見てなお歩みを止めずに、躊躇なく前へ進み続けていた。

互いの距離が剣の長さよりも短いところまで近づいたとき、合図も何もなく同時に剣が振られた。

剣と剣がぶつかり合い、金属音が鳴り響く。

「「え…………」」

思わず声を漏らす。

すごい──そう、思ってしまった。

あのシープエットの騎士の一撃を平然と受けられるなんて。

そんな風に驚いていると、ふと思い返す。

そういえば、声が漏れていたのは自分だけではなかった。

横に顔を向けると、声をもらした赤髪の女と魔王様が今まさに剣を撃ち合っている光景に釘付けになりながら驚愕の表情を浮かべていた。

「ありえない……秋の攻撃を止めるなんて……」

赤い髪の女が呟いた。

やっぱり……。シープエットの騎士の力を甘く見ていたのだ。

一瞬、そう思った。でも、違かった。

「秋が──『弱く』なっている」

……弱くなる? あの秋という男が?

……何のためにそんなことをする必要があるのだろう?

「ほれお主、【鑑定】を持っておったじゃろ。

それを使えば秋の今の状態がわかるのではないか」

赤い女が魔王様に視線を一瞬向けたあと、ため息を着きながらスキルを発動する。

「【鑑定】──え、これ」

その直後、ちらりと秋という男が一瞬、こちらへ視線を向けた。

赤い髪の女がそれに気付いて「あ……」と呟く。

「やっぱり……【鑑定】がかけられてることに秋は気がついてるんだ」

「ものすごい感覚じゃのう。

となると、少し水を差してしまったかの」

横からやりとりを耳にしている間に、剣を打ち合っていたふたりの戦いは大きく進展していた。

視線を逸らした秋という男の隙を逃さずに、『決死騎士』がスキルを放った。

そのスキルとは当然、本人の代名詞にもなっているスキルだ。

「──【決死】ッ!」

初めて、血が滴り落ちる。

その血は──『決死騎士』自身のものだった。

力が抜けて崩れ落ちるように、両膝を地面についた決死騎士。

口や鼻から溢れている血を自分で拭い、その自分の手についた血を不思議そうに見た後、口から大量の血を吐き出してその場に倒れた。

「…………?」

秋という男はその様子を首を傾げて見ている。

そしてそれはこの場にいる全員がそうだった。

誰も状況をわかっていないのか、唖然とした表情を浮かべている。

倒れた決死騎士は、起き上がる様子はない。

勝った……と、思っていいのだろうか。

状況に気持ちが追いついていない。

あまりにもあっけなさすぎて、そして拍子抜けしすぎていて。

本当に現実なのかという不安のほうがまだ大きい。

だが確かに『決死騎士』はスキルを発動したその瞬間、ただの一歩も近づくことすらできず、その場で崩れ落ちて敗北した。

「……ま……さか……レ……ベルが……」

這いつくばった決死騎士が、秋という男を見上げながら呟く。

だがなけなしの力を振り絞ったのか、言葉の途中で事切れるかのように意識を失った。残った騎士たちの狼狽ようはここからでもわかるほど大きなものだった。

「『レベル』……。【決死】には格上の相手に破格の効果がある代わりに『反動』がある。さっきの【鑑定】の結果はどうだったのじゃ?」

魔王様が、赤い髪の女に話しかけた。

赤い髪の女は、はっとしながら、少し躊躇うように魔王様に答えた。

「秋のレベルは……『1』だった。それに種族が──」

また躊躇うように言葉を止める。

そして意を決するまでに数秒を要して、ようやく言葉を続けた。

「『人間』に、なってた……」

「ふむ。なるほどの」

……レベルが『1』?

そんなのみたことがない。

それに種族が『人間』になったっていうのは、どういう意味なのだろう。

人間たちに最初は「勇者か」と尋ねられていたのに。

尋ねてみたい疑問は山ほど湧くが、自分は部外者で、なにより答えてもらうに値するほどの人ではないことはわかっていた。だから尋ねはしなかった。

「──狼狽るなッ!」

人間たちの中から、大きな声があがる。

髪の長い、唯一決死騎士の方針に異を唱えていた男のものだった。

「隊長が倒れた今、副隊長である私がこれより指揮を取る!

全員でその男を捕らえろッ!」

剣先を秋という男に向けて、仲間の人間たちにそう告げた。

「……さっきと言ってること違くないか?

一騎討ちしようって元々そっちが言い始めて、それで勝ったんだけど」

「黙れッ! それは隊長が勝手に約束したことだ。私の約束したことではない。全く……反動で意識を失うほどの『低レベル』の男を相手に、一騎討ちなんて提案はやはり余計だったのだ。お前たち、相手は大したレベルではないのは確実だ! さっさと確保して撤退するぞッ!」

人間たちは周りを取り囲み、今にも襲い掛かろうとにじり寄っている。

秋という男は、その様子にため息をつく。

その瞬間だった。

人間たちのいる場所の地面から、広範囲に淡い光が溢れ出す。

そこにいる全員が、一斉に足下に目を向けた。

「な、なんだ!?」

狼狽るような声がいくつも上がり、その場がざわつく。

さっきまで人を襲い掛かろうとしていた人間たちが、恐れをなして後退する。地面に模様を作りながら浮かびあがっている光の中で、秋という男が一人取り残されたように立っていた。

きっとあの秋という男が何かをしたのだ。

だから、そもそも逃げる必要がない。

その『黄金色の光』は彼を中心に円を描くように広がっているのだから。

「…………? なんだろう、これ」

……え?

自分でやったことじゃないの……?

不思議そうに呟いている秋という男に、心でそう返して唖然としていると、横から呆れたようなため息が聞こえる。

魔王様のものだった。

「全く、あやつは……。

いたずらに場をかき回しにきたのか?」

あやつ……?

そう思いながら成り行きを見守っていると、地面の光から『巨大な物体』が勢いよく飛び出してくる。それと同時に地面を覆っていた光は消え失せた。

それが何だったのかはよくわからない。漠然と『緑色』が視界を横切ったことだけが頭に残っていた。

飛び出した物体を追って、視線を動かす。自然と上に顔が向いた。

そしてその存在が、目に飛び込んできた瞬間に、身体が硬直した。

心臓の鼓動があっという間に早くなり、冷や汗が出てくる。本能で体が震えはじめる。

「(竜──)」

空を飛んでいた竜はゆっくりと再び地面に降り立つ。

それと同時に、周囲では異変がおきていた。生えているあらゆる植物が頭をたれるかのように一斉に曲がって折れ出したのだ。陽の一切射すことのない、あまりの硬さに伐採すらできない『逆さの木の地帯』にある木すらも。その場所に陽がささっているの光景を見たのは初めてだ。

目の前の様相に、理解させられる。

いやきっと、自分も植物にまつわる種族だからこそ、なのだろう。

「(『竜王様』だ……。

《緑竜王》本人……だと……思う)」

思わず頭をたれたくなる気持ちを抑える。

それは竜王様という存在に対して、あまりにも自分という存在が矮小であることを自覚しての衝動だった。ふと、花人族の仲間をみると年配者たちは拝むような姿勢をしている。

「……今のはよもぎのだったのか……。

『契約』については未だによく分かってないから唐突で驚いたけど……。

もしかしてこれからずっと、どこでも、こんな感じで勝手に出てこれちゃうのか……?」

困惑しながら、秋という男は呟いた。

竜王様を相手にまるで友達とでも接するかのように語りかけている。冷や冷やする。怒らせないかどうか。言葉尻なんて、ちょっと嫌そうな雰囲気すらだしている。

『──ねぇ』

竜の身体は、この森の立派な木々に勝るとも劣らない大きさだ。

だけどその木々は今、頭を垂れて折り曲がっている。だから、竜王様を見下ろせるものは、他に何もない。

この場でもっとも高い位置から、吐息のような声で竜王様は言葉を発し始めた。

『私の森ではしゃぎすぎって、ちゃんと注意して教えてあげたのに……。どんどんむちゃくちゃになっているのだけど。ねぇ、いったい、どういうつもり……?』

……竜王様を怒らせないかという不安は杞憂だった。

なぜならすでに、竜王様は怒っている。静かな怒りが言葉から満ち溢れている。

「力の加減がわからなかったんだ。悪かった」

身体がビクりと動く。思わず身構えそうになる。

あまりにも秋という男が『普通』に言葉を返したからだ。竜王様に向ける態度として、普通の態度はあまりにも不敬だ。人と竜はそもそもが生き物として対等ではない。だから人は竜に敬意を払うし、竜は人に敬意を払わせる。お互いにとってそっちのほうが都合がいいのだ。

ただの竜ですらそうなのに、竜王様を相手にそんな態度……。

怒りが周囲に振りまかれないか、みていて不安が抑えられなかった。

『ほんとに、最悪……。最悪だわ……。

あの気色の悪い『魔竜王』と同じになっちゃうじゃないの、これじゃあ。

ねぇ……どうしてくれるの?』

「悪かったって」

『どうしてくれるの、って、聞いてるのだけれど』

「あとで……何とかするから……」

『後でって、いつ?

何とかするって、何?』

「何か……あとで……何とかする……」

…………すごい普通の会話をしている。

似たような会話をテレストとマアナがやっているのを聞いたことがある。そんな会話を人と竜王がしているという事実が信じられない。花人族の仲間たちが今まさに唖然とした表情を浮かべているが、きっと同じ表情を自分も浮かべているのだろう。

その後もそんな感じで、いまいち距離感が分からない会話をし続ける二人の側で、髪の長い人間が呟いていた。

「──やはり、か……。そういうことか……。

竜との契約者というのには、少々驚いたが【決死】の反動で倒れさせるほどの『低レベル』な男に対等で話され、あまつさえ契約をする竜なんて、考えてみれば取るに足るはずがない。

どこぞの、大したことのない、『落ちぶれの竜』と運よく契約したのか……」

その言葉に空気が、凍りついていた。

だけど言葉を発している当人は、そのことに気がついていない。

「なんにせよ、そんな低レベルな男と低レベルの竜に、任務の遂行を邪魔されては鎧を授かった名誉を傷つける。私が最初にいく。全員私に──」

凄まじい轟音が、言葉を遮った。

音と同時にあがった大量の土煙が、視界を一時遮る。

その土煙が晴れるまでの間、誰もがその光景を前に言葉を発することがなかった。

それは元々言葉を発していたはずの長髪の男ですらも。

少しして土煙が晴れ、視界がよくなると、髪が長い男がいた場所に当人の姿はなかった。代わりにその場所にあるのは大木のように太くて大きい、表面が宝石のように美しい緑色の光を反射する竜の尻尾だった。必要以上に地面にめり込んだ状態で、倒木のようにそこにある。声を発していた男の周囲にいた何人かの人間の姿もまた見えない。

尻尾がゆっくりと上がっていく。

ついていた土がパラパラとおちている。その中に混じって、『赤い花びら』が宙を舞っていた。

唐突に現れた花の存在に、不自然さを感じ、尻尾が直前までのめり込んでいた地面へ視線を移すと、赤い花が咲き乱れている箇所が数カ所だけあった。人の形を象った鉢で、範囲を決められているかのように咲いている。

とても美しいきれいな花だ。普段ならもっと心が踊ってもいいはずなのに。

その場所をもっとよく眺めようとは、不思議と思わなかった。

『ただの竜と、竜王の違いも分からない人間は、この世界にはいらない。

私は《緑竜王》。竜の最上位。その私が、たった今、そう決めた』

きっとこういう光景を何度も繰り返してきて、敬意を払って払わせる文化ができたのだろう。そんなお手本のような光景だった。世界では愚かな人の数は愚かじゃない人の数を常に越える。だから必要なのだ。

人間たちが絶望的な表情で、竜王様を見上げている。「緑竜王……」「もうずっと姿が見られなかったはずじゃ……」とざわついているものの、竜王様が目を向けると一瞬で静寂に戻った。

そんな光景を──秋という男は淡々と眺めていた。

魔王様もこれまでと変わらず平然と視線を向け続けている。

そして赤い髪の女は──。

盗み見るように視線を向けた。

駆け出そうとしていたのか、少し浮いた腰。

それが既に意味のないことだとわかってか、ゆっくりと腰がまた降りている。

そんな様子から表情へ視線を移す。女が今、浮かべている表情をみて思った。

「(──やっぱり、歪だ……)」

そう思って、視線を元の場所に戻した。

『やっぱり言葉で言っても学ばない。感覚で教えてあげないと、いつまでたっても理解しない。人っていう生き物は。でもいつも思う。そんなに頑張って学ばせるよりも、片っ端から殺したほうがはやくすみそうって……』

それは、死刑宣告のような言葉だった。

縦に細く刻まれた黄金の瞳が、人間たちに向けられる。小さな悲鳴がいくつも起こった。

秋という男が側で、深くため息をついている。

「ま、待ってください! り、緑竜王! あ、いや、緑竜王様! あ、あ、あの! こ、これ! 僕たちの一団の、しゅ、『収納の魔道具』です! 全ての荷物が、この中には、入っています! これを収めるので、どうか、い、命だけは、み、見逃してもらえないでしょうかッ!」

人間の一人が、震えが止まらない身体で緑竜王様にそう告げた。果たして一団のものを勝手に渡していいのだろうか。でも彼らの隊長は倒れ、副隊長は綺麗な花になった。もはや秩序はないのかもしれない。

『……いらない。そんなの』

簡単に拒絶され、青い顔が愕然とした表情に染まった。

「──あぁ、いいよ。それで。さっさと行っていい」

秋という男が、手をひらひらさせながら、軽い調子で答えた。

『……は? 何、勝手に決めてるの?』

「ほら……気が変わらないうちに、早く」

人間たちは言葉で返事をせず、何度も首が取れるほど頷いて、気絶した決死騎士の元へそそくさとかけよっていた。

その端で、今も秋という男と竜王様が軽い言い合いをしているのだから、人間たちの心境もたまったものではなさそうだ。

……いったい何なのだろう……?

ふと、冷静になって思う。

さっき怯えた人間が言っていた。

『緑竜王の姿はもうずっと見えなかった』という言葉は、本当のことだ。

その緑竜王様が、これまでずっといなかったのに、唐突に現れた。

さらにおそらく、口ぶりからして契約もしている。

あの、秋という男と。

その男は『人間』と言われていたり、『勇者』とも言われていたり、強いと思われていたり、なのにレベルが『1』だったり。未だに何者なのか判断がつかない。

さらに横にいる魔王様のティアル・マギザムード様と、千というお名前の辿り至りし種族……『辿魔族』の方もおそらく『同じ繋がり』がある人だ。

そう、『繋がり』だ……。そこがよく考えれば、疑問だ。

漠然と考えもせず受け入れてはいたが、一体『何でつながる』というのだろう。

この世界の超常の方たちが、これだけ集まって……。

何で繋がった、なんなのだろう。

わからない。

わかるはずがない、と思う。

想像すらつきはしない。

──…………AAAAAAAAAA!!!

森のどこかから、あがった咆哮が微かに聞こえてくる。

音の擦れ具合からして、相当遠い距離から上がったもののようだ。

それなのにここまで威圧感を伝えてくる咆哮に、恐怖を覚える。

一体なにがこんな咆哮をあげているのかわからない。この樹海で過ごしてきた日々を振り返っても、一度もこんなことがおきたことはなかった。

──…………OOOOOOOOOO!!!

一回目の咆哮のあと、また同じ咆哮があがる。

人間や、花人族の仲間たちが、異変に気付き始めて周囲を落ち着かない様子で見回し始めた。

魔王様は不思議そうに首を傾げ、竜王様は興味がなさそうに不機嫌な表情を浮かべている。秋という男は、呆れるようにため息をついていた。赤い髪の女はいなくなっている。

咆哮から遅れて、鈍い地響きの音が微かに周囲に響き渡った。

遠いところの出来事なはずなのに、どうしてか不安をかきたてられる。

──…………AAAAOOOOOOO!!!

三回目の咆哮のあと、不安そうにしている花人族の仲間たちが悲鳴をあげていた。

頭上を巨大な物体が通っていったからだ。

風を裂いて進む音と、一瞬だけかかる黒い影に、恐怖からかとっさに体を伏せていた。

幸いなことにその物体は頭上を通り過ぎていった。そしてその数秒後に、地面に落ちて凄まじい物音があがる。いくつもの木がへし折られた音も混じって聞こえてきた。そして音の上がった方へ視線を向けると、何かが土を引きずられたあとのような土煙があがっている。

「い、今のは『ディガディンディル』……。

地をかける『辿魔』がなぜ……空を……」

花人族の長。祖父が、呆気にとられたように呟いていた。

確かに飛んでいた物体は『魔物』だった。それが何の種類なのかまでは見て分からなかったものの。

しかし飛んでいたというよりかは、その様子は『飛ばされていた』という方が正確だった。すでに息絶えた死骸が投げ飛ばされた、というのが事実でも驚きはしない。

もしそうなのだとしたら、それは咆哮をあげた『何か』が起こした出来事なのだろう。

だけど、どれだけの力があれば、影で花人族の仲間全員を覆い尽くせるほどの巨体を、こんなに遠くまで投げ飛ばすことができるのか。聞こえた声の遠さから、かなりの距離が離れているのは明白なのに。

……いったい、何が起きているか。

わからない。

想像すらもできない。

咆哮をあげた魔物も、超常の人たちのつながりも、一体いま何がおきているのかも。

なにもかもがわからないだらけだ。

だからこそ──『一つ』わかることがある。

どうしようもなく理解させられてしまうことが、一つだけある。

それは自分たちは──『水面にいる魚』なのだということ。

魚が泳いでいる湖は、『これまでの常識』という水で満たされている。

その湖でみんな、生きてきた。

食べられてばかりの弱い魚も。

悪巧みをする魚も。

外の川から泳いでやってきた魚も。

お互い決して相入れなくとも、時には食べあう仲だとしても、その湖で住んでいるという事実だけは共通していた。

でも目の前の光景を作っているものは……きっと、『全く違う』。

湖の中にあるものでも、泳いでる魚でも、なんでもない。

全く別の──湖の外からやってきた『異物』だ。

『異物』が湖に、落っこちてきた。

これはきっと、そういう話なのだ。

空を、ふと見上げる。

それをやったことに理由はない、意味も何もない行動だった。

もしかしたら立て続けに起きている理解できないことから目をそらしたくて、見上げたのかもしれない。

見上げてすぐに、空に浮かぶ『光り輝く何か』に気が付ついた。

それはパッと見では、星のようにも見えた。

でも真昼間のこんな時間にあんな綺麗に星がみえるだろうか。

気になって、眺め続けた。

──『水面にいる魚』が、落ちた『異物』の存在に真っ先に気がついた。

異物は、水面に触れた瞬間に波紋を起こしたからだ。

そしていい魚も悪い魚も関係なく、その瞬間に水面にいたという理由で魚たちはたまたま気がついた。

いろいろな場所、いろいろな形、いろいろな角度で。

起きた波に身体を揺らされる『痛み』と共に……。『異物』とそれが引き起こした『波紋』の存在を。

『ケルラ・マ・グランデの樹海』という水面で、気がついた。

そしてきっと、これこそが、もっとも重要な話だ

果たして水面を揺らした、『異物』はなんなのだろう。

それはただ、湖に投げられた『小石』なのだろうか?

それとも──

ゴ、ゴ、ゴ、ゴと。

尋常じゃない音と共に、空気が震えている。

空に向け続けていた視線は、起きている事態を捉え続けていた。

自分が一番最初に、偶然気がついた。

ついさっき星だと思ってたものの姿が大きくなっていて、さらに今もそれは大きくなり続けて──こちらに『近づいてきている』ことを。

「……なんか落ちてきてないか、あれ」

『……ッチ。下らない……。

私がこっちにやってきたことを察したからって。

本当に、くだらなくて、つまらないちょっかいをしてくる……。

よほど私がこうして起きて戻ってきたのが、嬉しかったの? 『天竜王』……』

それとも──『隕石』の『つま先のつま先』なのか。

きっと、水面にいる魚たちだけが知っている。

起きる事態にもみくちゃにされて、何が何だかわからなくても。

『それだけ』は、知っている。

なぜなら絶えがたい痛みが、答えを教えてくれるから。

……でもまだ湖の深くにいる魚たちは、知らない。

起きた波紋の大きさが、例え今は『小石』と同じ程度だとしても。

もしそれが『小石』でないならば、『波紋』は、これだけでは済まない。

時間が経つほどに、比べようもない差をうみだして湖をめちゃくちゃにしていく。

そうして湖にいるすべての魚が、気づくことになる。

気付かざるをえなくなっていく。

『異物』の……存在を。

そんな予感を漠然と感じていた。

秋という男が、落ちてくる隕石に手を伸ばす。

「【爆──」

何かを言っている言葉の途中で、別の攻撃が隕石へと飛んでいく。

その黄金に光り輝く攻撃は、隕石を打ち抜き、爆散させていた。

その攻撃を発した竜王様は、口から煙を出しながら、負けず嫌いそうなきつい視線を秋という男へ向けていた。そんな視線を受けているのに、男は「助かった」と礼を言うものだから、竜王様はより不機嫌になっていた。

隕石は爆散したが、消え去ったわけでない。

周囲に破片となった隕石が降り注ぐ。人を超える大きさの岩もあり当たればひとたまりもない。

悲鳴と、衝撃音が断続的に続く時間をじっと目をつむってやり過ごした。

そして衝撃音がなくなり、目を開けると、視界の端でそそくさと森へ逃げていく人間たちを捉える。決死騎士を二人がかりで持ちながら撤退している。最初に比べてずいぶん、人数が少なくなっていた。

そばでガサリ、と音がなる。

見てみると、赤い髪の女が立っていた。

「見つかっておらぬであろうな?」

魔王様が、赤い髪の女に尋ねる。

「……あの人たちの進路になりそうなところに置いてきただけだから大丈夫だと思う」

何の話かと思い少し考えて、気づく。

後ろで気絶していた人間の姿がなくなっている。

わざわざ届けにいったのだろうか。確かに放っておけば置いてかれて死んだかもしれないが、よくそんな面倒なことをするなと思う。

そして人間の姿が完全に見えなくなった時点で、花人族の仲間のところに駆け込んだ。ようやくこうすることができた。心配していたのか、マアナに泣きながら抱きしめられる。かなりの時間そのままの姿勢で小言を言われつづけたが黙って聞いていた。ただセルカルのことを尋ねられたときは「大丈夫」とだけ言って話を濁すことしかできなかった。

お互いに感情が落ち着くと、周囲の仲間たちが、狼狽ていることに気が付く。

何があったのか、そばにいる人に尋ねた。

「洞窟が崩れてしまっているんだ……」

どうやら隕石の破片のせいで入り口も内部も、全く入れないほど崩れ切っているようだ。隕石の破片で誰も死ななかったのに、まさかこんな形で影響がでるなんて。これでは喜んでいいのかわからない。せっかく陽の光を遮っていた逆さの木の地帯も、陽が差すようになったというのに。

全員が、暗い気分を漂わせている。

誰も『どうするか』の言葉を発することができない。

そんな方法なんてありはしないから。

しかしそんな自分たちを傍目に、長だけが意を決するように動いて声をかけていた。

「あの……あなた様にお話があるのです……」

村長が話かけたのは、今テレストと話をしている最中だった秋という男だった。

「どうか我ら『花人族』をあなた方の住んでいる場所に置いていただけはしませんでしょうか……」

「…………」

秋という男は、テレストに視線を移す。

テレストは狼狽たように視線を泳がすが、最後には申し訳なさそうにその視線を受け止めていた。

未来の自分が、囁く。

聞こえるはずのない、過去の自分に向けた言葉。

──これは決して私たちが救われる物語ではない。