軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第98話 『テールウォッチ』

「どうやら、『表層』に入ったみたいだな」

樹海を進み続けて、四日。

サイセが呟いたのと同じタイミングで、切り株や獣道など、人のいた痕跡を目にするようになってきた。

もうすぐ街につく、そう思うとなんだか不思議な気分だ。

異世界の街は一体どんなものだろうか

「なんつーか、快適な道中すぎたな。とてもじゃないが、危険地帯を四日も歩いた感じがしねぇ」

「快適なら、快適な方がよくないかい。わざわざ進んで不便になんてなる必要はないと思うよ。それよりもサイセ、『街』ってやつはもうすぐ見えてきそうなのかい? 楽しみにしてるんだよ。珍しい食材とか料理とか、あるみたいだから。どんなところなんだろう」

「まぁ飯はそこそこあるだろうな。……魔物の生食より珍しいものかどうかは、わからないが……。しかし驃、アンタって本当に食うの好きなんだな」

サイセと驃の会話を耳に入れながらあたりを見回していると

草藪の先にあるものを見つけて、そちらの方へ近づく。

「──『道』だ。本当に人がいた痕跡が如実に増えてきたな。

……人の気配はまだ周囲になさそうだけど」

整備された道を視界に捉え、近づく

同行している三人も続いてついてきていた。

道もくそもない茂みから、土が剥き出しの軽く整備された道に入る。

結構広い道だった。四人が横に広がって並んで歩いても、少し余裕があるほどだ。

「この道は切り倒した木を運搬するためにでも作られた道なんじゃねえのかな。車輪の跡みたいなのがある。このまま道沿いに行けば、すぐに『テールウォッチ』には辿り着けそうだな」

しゃがみながら地面を観察しているサイセに尋ねる。

「この道はこの感じで街まで続いてるのか?」

「あぁ、だと思うぜ。俺も街には一度しか入ったことがないし、樹海までは行ったことがないから完全にそうだとは断定できないがな。でもこの感じだと、ほぼそうだろうさ」

ちなみになぜ樹海に行かないのに街へ行ったのか尋ねると、ばつが悪そうに「終焉の大陸へいく船はそこから出発したんだよ。川を下ってな」と言った。確かにそれならばつが悪くなっても仕方がない。あまり触れずにいておくことにした。

でも、そうか。この道は街へ続いているのか。

ならばもうあれを使ってもいいと思う。道の幅も十分あるし。

「【部屋創造】──『門作成』」

そう思って、能力で門を作りだした。

日暮とサイセはポカンとしているのを見ると、少し唐突だったかもしれない。

驃は微笑みを浮かべて黙って見守っている。

ゴゴゴ、と音を立てて『門』の扉が自動で開いていく。

「どうせならここから、『獣車』で街へ行ってみないか?

魔物も、当てがあることだし」

開くまでの間に、考えていたことを告げる。

だが『門』の先に釘付けになっているのか返事はなかった。

しょうがないので同じように開いた門に視線をむける。開いた門の先は、景色なんて何もない、ただの『暗闇』だった。

文字通り、黒一色。暗すぎて、奥行きすらも感じられない。だから空間が広がっているかどうかもぱっと見ではわからず、黒塗りの壁で実は塞がっていると言われても信じてしまいそうだ。だが間違いなく空間が広がっているし、7つある『魔物園』の一つとしてちゃんとここに魔物が住んでいる。

「『 逢宵(ほうよい) 』。おいで」

そう呼びかけると、部屋の中からドスドスと地面を駆ける音が聞こえて、徐々に近づいてくる

その音は門の縁までと近づききると、ピタリと止まった。そして──

とぷり、と。

門の先から黒色が滲み出てくるように、門の外にまで伸びて出てくる。それは絞った墨汁が無重力で浮いて漂っているかのような。あるいは白黒で描いた絵が飛び出てきたかのような光景だった。出てきた黒は、あまりにも黒すぎて、門から出ても立体ではなく平面にしか見えない。

うーん。

警戒しているのだろうか?

逢宵は、頭を出した時点で動きを止めてしまい、完全に門の外にまで出てくることはなかった。

「ちょ、ま、待ってくれ。旦那、ちょっと……。

……この魔物を街にいれるつもりか!?」

逢宵を刺激しないためにか、抑え目な声でサイセが言い寄ってきた。

「……? うん」

「いや……こいつは不味くないか、流石に。旦那は涼しい顔をしているが、えげえつないプレッシャーだぞ。姿を見た瞬間に、死んだと思ったわ。こんなの連れて街へ入ったら、バタバタと人が倒れるか、討伐隊が組まれて戦争になっちまう」

「そんなにか……? 結構大人しい魔物なんだけど」

それに強い。

逢宵は俺がいないとき、『領域』に現れた『流れ』を時々倒してくれる魔物だ。

というより、勝手に倒しちゃうだけだが。

この世界にも『自動車』が一応あるらしい。

だがこの世界の人は移動手段に『獣車』を選んで、使っている。それは自動車が前の世界とは比べ物にならないくらい高額だという理由もあるそうだが、他にも街と街の移動に危険が多すぎるという事情もある。

盗賊とか、魔物に襲われるとか。そんなの当たり前のことみたいだ。

そんなとき獣車をひいている魔物に戦いの助力を求めたり、戦闘になっても生き延びてもらったり、相手をビビらせてそもそも戦いを起こさせないといった役割を獣車を引く以外にも求めている。だから今も、魔物に獣車を引かせる文化が続けられているようだ。

そういう目的なら、『逢宵』は頼もしいはずだ。

そう思ったんだが……。

日暮を見てみると、血の気が引いたように青い顔をしている。

意外なことに驃も少し困ったような表情を浮かべていた。

「申し訳ない、秋様……。逢宵は、僕もちょっと……。

ずっと一緒に移動するのは……気が抜けなくなりそうだからね」

強くて、大人しくて、言うことも結構、聞いてくれる。

いい条件だと思ったけど、ダメなら仕方がないか。

逢宵に門の中へ戻ってもらう。

そして一度『門』を消し、再度『門』を作った。

作ったのは『草原』の【魔物園】に繋がる門だ。

「うーん、他にいい魔物……いたかな?」

部屋の中に魔物は結構いるが、獣車をひいてくれそうな魔物となると意外と選択肢は少ない。部屋にいるほとんどの魔物が、終焉の大陸から部屋に入り込んできて、勝手に居着いただけの魔物だからだ。そういう魔物は【魔物園】ごとにいる 領域主(りょういきぬし) が管理しているので、俺の手下だったりとか、いうことを聞いてくれたりとか、そういうのはない。

それに【魔物園】すべてに、魔物が居着いているわけでなく七つ中『四つ』だけで、残りはほぼ『領域主』だけの【魔物園】になっている。実際『逢宵』たちのいる場所も他に魔物はおらず、もはや『専用』になっていた。

「旦那……。実は……。

獣車にひかせて街に入るには資格と許可が必要なんだ……」

開いた門から草原にいる魔物を物色していると、気まずそうにサイセにそう言われた。

「……マジか」

二回も無駄に『門』を作ってしまった。

考えてみれば当たり前の話なのに。誰が脅威と表裏一体である魔物を好き勝手に、無条件で簡単に生活圏にいれるのか。そんなわけがない。

「そっか……。残念だけど、しょうがないな」

「サイセ。そういうのは、もっと早く言うべきだね」

「い、いやすまん。確かにそうだわな。

悪い。魔物にびっくりしすぎてたわ……」

「いやいいよ、聞かずに先走ったのは俺の方だし。何か妙にはしゃいじゃってたな。なんでだろ。…………。とりあえずせっかくだした『門』がもったいないし、ちょっと連れてくるから少しここで待っててくれ」

そういって『門』の中へ入る。

数分後に再び戻ると、三人が前で待っていた。

「待たせて悪い」

「それは全然いいんだが……」

全員の視線が、俺の小脇に向けられていた。

「連れてくるってそういう……」

小脇に抱えていた千夏を、地面に下ろす。

俺だけ街に入っても、意味はない。

街にきた発端は千夏が言い出したことだ。

だから何というわけでもないが、このまま部屋の中に居続けさせたところで、それは千夏の願いじゃないはずだ。だからとりあえずこうして連れてきた。

未だ俺自身どうしていいかよくわからないままだが……。

どうしたらいいんだろうか……。

「ここからは歩けるか?」

千夏は頷く。頷き返して、立ち上がった。

「それじゃあ、行こう」

門を消して、道を進む。

それから程なくして、人とすれ違うようになってきた。

大きな斧を肩に担いで、荷車を引いている集団だった。

冒険者って感じはしない。労働者だろうか。あと結構髪の色がカラフルだ……。

歩きながら視線が向かない程度に、すれ違う人を観察する。だが横にいる千夏は、露骨にじっとすれ違う人を見ていた。そのせいで歩調がゆっくりになっているし、気づいた相手に睨むような目つきで見返されている。

千夏の頭を後ろから掴んで前に向ける。背中を押すと歩調が元に戻った。

少し前で一緒にいた三人が立ち止まって待ってくれている。

子供と一緒に歩くって、もしかして結構大変かもしれない……。

そしてついに視界から木がなくなって街が見えた。

ようやくだ。

あと街との間にあるのは道と、柵だけ。

だけどこれが結構なものだった。

道は街と樹海の境界を描くように、ずっと伸びていて大通りみたいになっていた。柵も木製だけど厳重に立てられていて、穂先が樹海側に向いてるのをみると、樹海に対する警戒心の高さが感じられた。

「結構物々しいんだな」

「一応『危険地帯』への最前線の街だからな」

なるほど……。

樹海と街の間にある広いスペースは道というより防壁に近いのかもしれない。

それにしては人の行き交いがすごいあるけど。いろんな人がいる。冒険者らしき人、労働者、猟師、兵士、探索者っぽい装備をしてる人もいる。女の人が切られた木を丸々三本、肩に担いでる姿なんかはすごい光景に見えるが、誰も気にしてなかった。

「なんかチラチラ見られているようだけど。なんだろうね」

驃のいう通り、気にされているのは俺たちの方だった。

「よくわからないけど、鬱陶しいね。サイセ、これは威嚇でもしたほうがいいのかい?」

「やめとけって……。そりゃ俺らみたいなのがいたら見るだろ。俺でも見るからな。普通、こんな格好で危険地帯になんか入らないんだよ。手ぶらだし。一応言っとくがここは街の人間からしたら『出口』なんだからな。そんなほいほい来る場所じゃないんだ」

……確かに。言われてみればそうか。

俺たちには入り口だけど。

「ま、だから逆に『関門』とかもなしに中へ簡単に入れるんだけどな。とっとと街に入っちまおう。そうすれば、多少なりとも紛れられるだろ。それに意味もなく堂々としてれば絡んでまではこないさ」

そう言って先導するようにサイセが人の流れに入っていく。

それに続きたいところだったが、結構人が多くて、このままだと千夏が迷いそうだ。少し不安だし、渡せるうちに渡しておいたほうがいいかもしれない。

「 蜀(しょく) 、腕輪」

そうつぶやいたあと、胸ポケットから『黒い腕輪』を取り出す。

「千夏。お願いなんだけど、これをずっとつけていてほしいんだ。それをつけていれば困ったことが起きたら、どこにでも俺がそこにいける。そして何が起きても、俺が助ける。だからそれをずっと腕につけ続けていてほしい。いいか?」

頷く千夏を見て、腕輪を腕に通していく。細くて小さな腕だ。これだと少し腕輪が大きすぎる。二回指で叩いて合図すると、腕輪は千夏の腕に合うサイズにまで縮まった。千夏が目を見開いて驚いていた。

「でもまだ迷いそうだな……」

そう呟くと、千夏は伺うような目を向けながら、おそるおそる手を繋いできた。

「……これでいくか?」

「…………」

黙って千夏は頷いた。

「……それじゃあ、これでいくか」

片手に抱く異物感に心のどこかで戸惑いながら、サイセを追う。

刺々しい印象の柵が途中で途切れていて、そこから街の中へ入ることができた。

『異国情緒』というのはこういう感じなのだろうか。

いや、国どころか世界が違うのだから『異世界情緒』と言うべきか。

街の中は結構、すごかった。歩いていて色々なものに目を引かれる。

すれ違う人々の様相にバリエーションが出てきた。

子供や民族衣装のような服を着ている人もいれば、首に輪っかをつけた見窄らしい人もいる。

建物は木造建築ばかりだ。それは理解できるが丸々一本生えた木を家の一部かのように巻き込んで、同じ場所で建てているのはどういうわけなのだろうか。樹海の中で見た廃墟みたいになっている。そんな家がいくつも建っているものだから街並みは結構、独特だ。

中には大きな一本の木に、噛んだガムを何個もへばりつけたみたいにして、家をいくつもくっつけて建っているのもあった。この街風のマンションだろうか。ただ遠目に見ると結構汚くて、あんまいい場所ではなさそうだった。

「流石にすごいな……。日暮が召喚されたときもこんな感じだったのか?」

隣で歩いている日暮に尋ねると、少し考えていった。

「召喚されたとき……? 確かに驚くことは一杯あったけれど、こことは結構、違うと思う。それに国外に出たこともなかったから……私から見てもすごく珍しい……かな」

「へぇ、そうなんだな」

「旦那。話していた通り、今日はこのまま『宿』を取る感じでいいんだよな?」

「あぁ、頼むよ。サイセ」

「あいよ」

既に軽く話し合っていた通りに予定が進む──というかただサイセにくっついてるうちに、宿選びも、宿との手続きも、全部済んでいた。とんとん拍子だった。

宿も入ってみて、結構気に入った。

全体的に木造で作られているから居心地がいい。それにここにも一本の木が建物のど真ん中から天井を突き抜くように生えており、意外とそれが、室内に自然を感じられるいいアクセントになっている。暗めの明かりに間接照明がところどころに置かれて雰囲気のある宿だった。

そんな宿の食堂みたいな場所で今、座っている。

日暮と千夏の三人で並びながら。

時間が中途半端だからか、食事も提供されておらず、周囲に客はいない。

座って、買った飲み物をそれぞれ飲んでいた。驃が露店を物欲しそうにみていたので試しに、全員分買ってみたものだ。口にいれた瞬間濃い甘味を強く感じるのに、段々と柑橘めいた味になって後味は爽やかという、異世界の謎飲み物だった。正直俺はあまり得意じゃない味だ。

驃は、借りた宿の部屋においた『ドア』から、『部屋』に戻って報告にいっている。

サイセも宿の人とまだ何か、手続き的な話をしていた。助かるな。

とても頼りになる男だ。サイセ。いてくれて本当に助かった。

俺たちだけなら今日中に宿を見つけられたかどうかも、怪しかっただろう。

いけばなんとかなる……とどこかで舐めていた気がする。だがそれは甘い算段だったみたいだ。

そもそもここまでサイセに頼りきりになる理由は明確だ。

その大きな理由の一つが──

「『文字』か……」

この世界は話す言葉がなぜか統一されているし、書く文字はなぜか統一されていない。どっちか統一できるなら、両方統一できても良さそうなのに不思議だ。

日本語も使われているみたいだが、ここに住む人間たちは見たこともない文字を使っていて全く読めなかった。看板の字すらも分からない。

「勉強しないと、だな……」

そう呟くと、千夏が反応を示したのに気づく。

「……文字」

「千夏は文字はわかるか?」

首を振った。

文字の意味からそもそもわかっていないようだ。

ちょうど正面にある窓から看板が見えたので、そこに書いてある文字を使って説明をした。

「文字は、本にも使われてる。千夏は本の絵をずっと見ていたけど、その周りに書かれてる文字もわかるようになったら、絵も本も、もっと楽しく感じれるかもしれないな」

そういうと、ゆっくりと千夏はこちらをむいた。

あまり態度には出ていないが、雰囲気から今の千夏の感情が、なんとなくわかった。

「千夏も一緒に文字を学ぶか?」

「……うんっ」

そういって、何度も小さく頷いた。

もともとある程度勉強は必要だと思っていたが、本人にやる気があるならば、それに越したことはない。

「それじゃあ一緒にやろうか」

とりあえず一つ、やることは決まった。

だけど逆にいえばそれだけだ。それ以外のことはきまってない。

世界を見て回るとはいったけど、それもすごく曖昧なものだ。

何を目指すべきなのか。そのためにどうしたらいいか。明確に表現できることが何もない。

今の状態を端的に言えば、どうすればいいかまるで何もわかってない状態だ。

「(誰か参考にできたり、相談できそうな人がいればいいけど……)」

部屋の中には、あまりいなさそうだ。

よくよく考えると真っ当でまともな人があまりにも少ない。

なんとかあげられるとしたらサイセ、テレスト、花人族の長くらいだろうか。

でも花人族は今は大変な状況だからなぁ。

そうだ……あとで花人族の村を『ラウンジ』と繋げないと。

忘れていた。

「いやぁ、悪いな。待たせて」

席を外していたサイセが現れる。

「なんていうかアレだな。金銭的に、あまり長居はできなさそうだ。騎士サマ達も、案外渋い予算でやりくりしてたんだな……っと」

そう言いながら椅子に座った。

「お金か……。廃墟で見つけたのなら、いくらかあるけど」

そういって【アイテムボックス】に入ってる貨幣を取り出してみせるとサイセは「んー……」と難しそうに頭をかいていた。

「確かに結構あるなぁ。だがこれでも二、三日伸ばせるかどうかだな。やはり収入がないとどうもな……」

「収入かぁ……」

「『こっち』で過ごすとなると、どうしても『カネ』の話にはなっちまうわな、やっぱり……。世知辛いけどな……」

話を聞いていた千夏が不思議そうな顔をしてサイセをみていた。

その視線に気づいたサイセが、ニコリと笑って千夏に尋ねた。

「お嬢は『お金』っつーのが何か、わかるかい?」

千夏は、ブンブンと横に振る。

サイセはそんな千夏をみて笑った。

「なら、お勉強の時間だな。ほら、もう少しこっちに来な。そっちのほうが見やすいだろ」

千夏が椅子を持って、サイセの方へ移動して座る。

……ちょうどいいな。

俺も椅子を持って、千夏の隣に移動して、椅子を置く。

実は文字と同時に、『お金』が分からなかった。意外だけどこれが結構きつい。

サイセが今教えてくれるなら、一緒に教わってしまおう。

サイセがこちらをみて目を丸くしていた。

その後意味がわかったのか声をあげて笑う。

「さて、じゃあ見てな」

サイセは一枚のコインを取り出した。

それは知っている。『銅貨』だ。

前の世界の十円よりもやや大きいくらいが、よく似ている。

廃墟で見つけた硬貨の中ではダントツに多かった。

銅貨を軽く千夏と俺に見せたあと、サイセは両手で挟むように、銅貨を覆った。黙って挟まれた硬貨をじっと見つめる。なんだかよくわからない時間だった。

だけど閉じた両手をサイセがもう一度開いたとき、驚いた。ジャラジャラと、手から銅貨が何枚も溢れおちてきたからだ。一枚しか挟んでなかったはずなのに。

というかマジックだな、これ。

「わっ」

驚いたように千夏が声をあげる。

少し体が前のめりになっているのを見ると、今ので興味を引いたのかもしれない。

やるなぁ、サイセ。

「さて……まず、これが『小銅貨』だ」

机にジャラジャラと落ちた銅貨を、1枚ずつ渡して見せてきた。

千夏と一緒にそれを手にとってみる。そして一つ、気づくことがあった。

「最初のより、小さくなってるな」

銅貨が服のボタンみたいな大きさになっている。結構小さい。

「あぁ、結構変わってるだろ? ちなみにこの小銅貨が『1』で、最小の硬貨なんだよ。実際に使うことはほとんどないが、たまに子供の駄賃なんかで渡す時があるな」

「『1』って……それだけ?

なんか単位とかはないのか?」

「単位? 無いなぁ。不思議なことをいうな、旦那は」

カラカラと笑う。

この街の露店では、値段表示に数字が書いてある。それが原因で、買い物ができなかった。硬貨に対しての数字がわからなかったからだ。そもそも銅貨とか銀貨に数字が割り当てられてるとは思ってもみなかった。

だがとりあえずこれで、最小の数は把握できた。

しかし単位が無いのか……。

わかりにくくなったりはしないのだろうか?

「ちなみにさっき見せたこれより大きな銅貨は『中銅貨』だ。数字は『10』で小銅貨十枚分にあたるな。ちなみに今机にある小銅貨の数も実はちょうど十枚なんだよ」

机に転がっていた小銅貨を、サイセは集めていく。

集め終わった小銅貨を数えてみると、確かに枚数は十枚だった。

「さて、じゃあここで質問だ。さっき俺が持っていた『中銅貨』は、どこへいったと思う?」

マジックに使う前の銅貨のことだろうか。

千夏と一緒に首を傾げる。

「ま、そうだろうな。見てな」

そう言って、サイセは十枚集めた小銅貨の上に片手を置いた。

十枚の銅貨は片手に覆われて見えなくなる。

そして再び片手があげられたとき、そこにあったのは、『一枚の中銅貨』だった。

「おぉ〜。すごいな」

軽く拍手をする。

千夏もこちらに視線を向けたあと、真似をしてパチ……パチ……と控えめに手を叩いていた。

サイセが少し照れている。

「……いや、俺がすごいんじゃなくて、この硬貨がそういう『性質』って話なんだけどな。同じ硬貨をこうして十枚集めると、同じ価値の次の硬貨一枚に変えられるんだよ。やり方は今みたいに集めて、手で握ったり押し込んだりすれば大体できる。力はそんないらないが、皮膚を全体にちゃんと当てないとダメとはよく言われてるな。たくさんお金を変える必要のある仕事のやつはアゴを使ったりなんかもしてるぜ。ちなみに『中銅貨』でも同じことができる。とりあえず……ほら、『中銅貨』がこれで十枚になったから、お嬢もやってみたらどうだ?」

ポケットからとりだした中銅貨を足して、サイセが銅貨を千夏の前におく。

千夏は最初、サイセを真似して片手を中銅貨の上に置いていた。だが手が小さく、すべての銅貨を覆いきれていない。丸々はみ出している硬貨がある。

「お嬢は手がちっこいな。別に両手でやってもいいんだぜ、これは。腕でも、膝でもな。どこだっていいんだ。だがひとまず両手で硬貨を集めて、粘土をこねるみたいに集めた硬貨を押し込んでみるんだ。そうだ、そんな感じだ。おっ、できたじゃねーか! やるな、お嬢」

出来上がった一枚の銅貨を、千夏はまじまじと眺めていた。

それは中銅貨よりも一回り大きな銅貨だった。五百円玉くらいか?

「これが『 大銅貨(だいどうか) 』だ。中銅貨十枚、小銅貨百枚と同じ。数字は『100』だな。このくらいになると、日常生活で使うようになる。食材とか、生活品とか、さっきの露店で買った飲み物も一人分でこれくらいだったっけか。ちなみにこれも同じように十枚集めて一枚にすることができる。見てな」

同じ硬貨をまた十枚重ねて、次にサイセは『銀貨』を見せてくれた。

それを何度か繰り返して『 大銀貨(おおぎんか) 』、『金貨』と硬貨は変わっていく。

銀貨はほぼ中銅貨を銀に置き換えたもので、大銀貨は大銅貨を銀に置き換えたものだった。金貨も銀貨を金にかえたものという感じだが、それぞれ重さと、煌びやかさが多少異なっているようだ。それと銀貨から『小』の単位が無くなっていた。

「銀貨は『1000』で、大銀貨は『10000』。日常生活で使うのは大体このくらいまでだな。金貨の『100000』は結構な大金だ。でも依頼の報酬とか、大きな買い物とか、高給な労働者なら個人でもまだまだ使う範疇だ。その上にある『大金貨』とかになると金持ちとか、組織の予算とかの範囲になってくるな。ちなみに『大金貨』は残念ながら今は見せてやれない……」

つまり現状の俺たちの持っているお金は、大金貨には届いていないみたいだ。

話から推測するに『大金貨』は『1000000』だろう。

なかなかすごい額だ。届かなくても仕方がないと思う。

ふと千夏を見てみると、話がよく分からなくなっていたのか、こっそりと金貨をつついてちょっかいを出していた。だが見られているのに気づいたのか、そっと手を引いてじっとした体勢に戻った。

「お嬢、その硬貨を持って半分に折ってみな」

そう言われた千夏は、俺やサイセの顔色を何度か伺って、そっと硬貨を手に持って言われた通りに折り曲げた。およそ千夏の力でどうこうできる硬さとは、思えなかったが、そんな予想とは反対にパキリと音を立てて硬貨は割れた。それと同時にジャラジャラと硬貨が現れる。『大銀貨』だ。どうやら一枚にまとめる前の、『十枚の硬貨』に戻っているようだった。

「それが硬貨の『戻し方』だ。また十枚集めれば、一枚にすることもできるからな。少しそれで練習してみたらどうだ?」

それから少しの間、ジャラジャラ音がよく耳に届いていた。

「ちなみに大金貨より上はあるのか?」

「あぁ、あるぜ旦那。『 虹銀貨(こうぎんか) 』と『 虹金貨(こうきんか) 』ってやつだな。銀貨や金貨に薄〜く虹色がかった光沢が特徴として加わってるんだよ。ここらへんは正直一度もみたことないやつもザラにいるだろーな。国家とか大規模な組織とかそういうあたりの規模になってくんだが、ここまでくると価値が一極集中しすぎるからか、盗みとかの『リスク』を恐れて、意図的に硬貨にしないところもある。硬貨は『大金貨』までって決めてる商会とかも中には少なくないぜ」

「へぇ、そうなんだ。ありがとう、サイセ。教えるの上手いんだな」

「……まぁ、冒険者ギルドでも教官とか依頼でやったことあるしな」

少し照れながら言い訳のようにサイセは言った。

「ちなみにここの宿はどれくらいの値段だったの?」

「この宿は、四人部屋で一泊大銀貨5枚……『5万』とかその辺りだったな」

「それって高いのか?」

「んー。探せばここより安いところも結構、あるとは思うぜ。値段だけなら少し高いかもな。だがあんま安すぎると、荷物をかっぱられたりして安心して部屋にいられないんだよなぁ〜。そういう意味だと『高めに構えてるにしては安い』って感じか? 流れの稼げる冒険者や商人を狙ってんだろーな。もうちっと費用抑えた方がよかったか?」

「いや、もう少しお金の価値の感覚が知りたかったんだ。でもなるほどね。今ので大分お金のことは分かってきたと思う。ちなみにこの宿は十分気に入ってるよ、サイセ。千夏がいるからあんま物騒なところは嫌だし」

「そうか……。そりゃよかったわ。俺も役に立っていかなきゃいけないからな。それで、これからどうする、旦那。まだ陽は高いし、時間も結構あるぞ」

「んー……これからかぁー……」

今日これからどうするか、か……。

…………どうしようか。

今日どころか、明日からどうするかも決まっていない。

とりあえず今、はっきりしているのは『部屋』をどうにかして置きたいということ。

客室に置いた『ドア』は一時的なものだ。出るときには撤去することになるだろう。

そうではない、気兼ねなく使える環境で、この街のどこかに『ドア』を設置できればいいんだけど。

多少無茶なやり方をすれば、今すぐにでえも設置自体はできる。

だけどあまりそれはやりたくない。

なぜならその『ドア』は千夏のためのものになるだろうからだ。

千夏がいなければ、そもそも街の中にドアを作る必要も、入る必要すらもない。

俺たちだけなら樹海にでも作って必要があるときだけ来ればいいのだから。

だからコソコソ隠れて使うような設置の仕方だったり、樹海に作るというのは、最悪の手段にしておきたかった。

「んー……」

「まぁあれだ、このままじっと悩んで午後を過ごすくらいだったら、ちょっと市場にでも顔を出してみたらどうだ? この街なら結構、活気があって面白いと思うんだよな」

「……市場か」

異世界の市場は、確かにみてみたいな。

「そうだな、そうしてみるのもいいかもしれない。

千夏も行ってみるか?」

硬貨で遊んでいた千夏は、顔を上げてうなずく。

「僕もご一緒していいかい、秋様」

「驃か。向こうは大丈夫そうだった?」

「問題なさそうでした。いつも通りだったね。

ところでさ、ほら。見てごらん、僕も『お金』を手に入れてきたよ」

「お金……?」

部屋にいたはずの驃がなぜお金を?

「向こうでそんなの持ってる人いたか?」

「なんかラウンジで『ゴブリン』たちが、戦果を手に入れたってはしゃいでいてね。見てみたらたくさんの戦利品の中にお金があるのを見つけたんで拝借してきました。ちゃっかり土産の約束をさせられたけどね。でもこれでいろんな食べ物が手に入るらしいから、すごい楽しみだよ」

「あぁ……」

そういえばゴブリントリオがいっぱい持って帰ってたな……。

「日暮は?」

「……私も、行く」

「そうか。それじゃあ全員で繰り出してみようか。

サイセ、案内を頼めるか?」

「あぁ、旦那。仰せのままに、ってな」

少しだけ慣れてきたのか、今度は照れることなくサイセは言った。

訪れた市場は活気がすごく、これまでで一番人が多かった。

遠目からみて「あそこが市場だな」とわかるくらいには、人や物がたくさん行き交っていた。この街でも有数の市場だそうだ。『冒険者ギルド』がそばにあるらしく、そういった場所は人や物が行き交うために、自然と大きな市場ができてしまうらしい。

確かにすれ違う人は、冒険者や狩人らしき人も多い。当たり前のように魔物の死体を手に持ってり、担いだり、荷車で運んだりしている。なのに周囲は誰もそんなこと気にしておらず、それどころか露店に魔物が丸々と売っていたりしている。異世界だなぁ。

手を繋いで歩いている千夏もキョロキョロ落ち着かない様子で周りを見ながら歩いている。俺も色々なものに目移りしてしまう。日暮も驃もそうだから、これじゃあおのぼりさん集団だな。生暖かい目でみているサイセが印象的だった。

食材売り場、木材売り場、素材売り場を通り過ぎる。

魔石屋も普通にあった。ゴブリンの骨が粉状になって売っている。一体何に使うんだろう。キノコがびっしり生えた木材が建材として並ぶ横を通り過ぎる。

このままだと、臆したまま全部通り過ぎそうだったので、ためしに『武器屋』をみてみる。

おじさんの店長と話し込み、そこで『魔剣』の話になった。この世界には色々不思議な武具があるらしく、『使い手と一緒に成長する魔剣』といった武器もあるそうだ。ここで店長が意気揚々と魔剣を持ってきてくれたのだが、『剣に擬態した生きた魔物』だった。確かに《ステータス》はあるから敵を倒せばレベルが上がるけど……。思っていたのと、なんか違う。

そんなかんじで、結局に何も買わず、武器屋を出てしまった。

買わなかったけど、意外と話とか体験自体は、興味深くて面白かった。

そんな俺たちをよそに、驃は食料売り場や料理屋に意識が惹かれていて、サイセは時計屋に気が向いていた。日暮はずっと後ろからついてきている。

ふと、片手が重くなる。

繋がった手の方をみると、千夏が首をほぼ後ろに向けながら歩いていた。

危ないので足を止めると千夏も足を止める。数秒そのままでいると、フラフラと引き寄せられるように視線の先の方へ近づき始めた。ほとんど無意識で動いているようだった。

千夏に手を引かれて、やってきた先は雑貨屋だった。

雑多な物が棚に敷き詰められるように並んでいる。

「おや、いらっしゃい!」

千夏は店主の声も耳に入っていない様子で、没頭するように、棚に置かれた物にじっと目を向けていた。視線の先にあるものは像だった。フィギュアみたいな、卓上の置物なのだろう。見ていて、ぼんやりと何かに見覚えがあるような気がした。

「(あぁ、そうだ。思い出した)」

千夏が持っていた絵本に書かれてた『勇者』の像か。

「それねぇ……ひどいもんだろう?」

店主の男が、勇者の像を見ていた俺たちにそう声をかけてきた。

「……ひどい? 何がだ?」

何かおかしなところがあるように感じず、そう返した。

「え? お客さん、このシリーズのこと知らないで見てたの?

マズったなぁ……。まぁいいか、うちは誠実さを売りにしてるからね。ほらみてごらんよ、この勇者の像。『灰色』に上から塗りたくられちゃってるんだ」

店主の言う通り、その『勇者の像』は全体的に灰色だった。

だが像ならよくある色合いだ。あまり変だとは感じない。

そのことを店主に伝えると、眉間をひそめた。

「えぇ、元のやつに比べたらひどいもんだよ、これ。ってあぁ、売ってる側がこんなの言っちゃダメ……まぁいいか。うちは誠実さを売りにしてるからね。いいかいお客さん。このね、元のやつは、もっといろんな色で塗られてキラキラしている、すごい人気シリーズなんだ。なのにこんな地味な『灰色』に塗りたくられて……作者への冒涜だよ。そもそも『灰色の勇者』なんて勇者っぽくないし……お客さんもそう思わないかい?」

答えにくい質問だった。

一瞬わざと言ってるのかと勘ぐったけど、そういうわけでもなさそうだ。

「そこまで言うなら、なんで仕入れたんだ?」

はぐらかすように、尋ねた。

そういうと店主は態度を一転して、照れ臭そうにいった。

「いやぁ〜、それが、当時は逆にその地味さが格好いいと思っちゃったんだよね。酒も飲んでたし、そのせいでもあるかな……ハハ……。酔いながら商談しちゃダメだって妻に怒られたよ。だけど言い訳すると、それを売ってくれた人の他の商品は全部よかったんだ。だから流れで一緒に仕入れてみちゃったんだけど……はぁ。やっぱり灰色だから人気でないし、さらに落書きも書いてあることに気づいて、ずっーーと売れ残っててそこに置いてあるんだよ、全く。…………あ、これもうちが誠実でやってるからこその話だからね?」

落書きまであるのか……。

そんなことまで話したら、もう売れない気がする。

そんな思考が顔に出ていたのか、付け加えるように店主が言ったのが、最後のそれだった。

「ちょっと見てみてもいいか?」

「あぁ、どうぞ? ひどいものだけど、乱暴には扱わないでね?」

像を手に取って、見てみる。

ふと、視界の端で千夏の視線が像と連動して動いていることに気づいた。

今の話を聞いていても、千夏の中で魅力は衰えてはいないみたいだ。

落書きとやらは像の背中部分にあった。

書いてあった文言を見て、思わず眉間にシワをよるのがわかる。

「あ、お客さん。もしかして『帝国語』を読める口かい? 帝国語使える人はみんなそんな感じの表情になって買わずに帰っていくよ。……何が書いてあるかは言わなくていいからね。なんか段々怖くなってきたから」

「……誰から買ったんだ? これは」

「んー? 新進気鋭って感じだった、若くて勢いのある商人だよ。危ない戦地みたいな場所を通って物を運んでるみたいで、ヤバい話とかたくさんしてくれて、あの日の晩酌は楽しかったね〜。話もうまくてさ。もう数年前の話だけどね」

「掴まされたのに、随分陽気に話すんだね」

「実は売られたことに対してはそんな怒ってないんだ。ただ元の形から逸脱されすぎるのが、個人的には、ちょっと、ね」

かなり言葉の表現を抑えて店主が言ったのに違和感を感じていると、千夏がじっと像を持つ俺の方を見ていることに気づいた。千夏のために表現を抑えてくれたのだとしたら……確かに誠実が売りの店のようだ。もう遅いような気がしないでもないが。

「それで、どうするんだいお客さん。お子様は、とても欲しがっていそうだけど……」

「……いくらなんだ?」

「うーん……そうだなぁ。

『45』……いや、『44』で売ろう! ……破格だよ?」

「…………」

『44』で……ね……。

…………。

中銅貨五枚……『50』を取り出して、千夏に渡す。

「千夏。これでぴったりのお金をおじさんに渡して、買い物できたら、買ってあげる。やってみるか?」

「お? おぉ! がんばれ、お嬢ちゃん。頑張れー!」

千夏はおぼつかない手つきでお金を受け取って、うんうんと小さく唸り声をあげながら、お金を数え、中銅貨の一枚を半分に割っていた。店主が勝手にヒントを出し、なぜか圧倒的に千夏の有利でチャレンジが進む。

だが千夏が最終的に払った金額は『45』だった。

小銅貨が一枚多いから、間違いでチャレンジは失敗。そのはずなのに店主が「チャンスが1回とは言ってないはずだよね!?」とルールを覆して、結局その次の挑戦で千夏は店主に『44』をぴったりの数で支払うことができた。勇者の像を手に入れたのだった。

文字だけじゃなくて、計算もやらないとな……。

「はい、これおまけだよ。怪鳥ゲモシアからとれた『灰色の羽』と、ユクシアの花だ。花はこの辺じゃ『秋の風物詩』でね。ル・コクアになって、また咲いてきたみたいだから、妻が今朝摘んできたんだ。かわいいお嬢ちゃんにお裾分けだよ。あ、羽は魔除けになるそうだから像の近くに置いてね。またきてねー」

ちょっと買い物しただけなのに、そうして店を離れた頃には千夏に色々追加されていた。

両手には像を持って、帽子には花がついて、胸ポケットからは大きな鳥の羽が一枚ささってはみ出している。

「千夏、像を少し貸してくれないか」

買ったばかりの像を千夏から受け取る。

「千夏。この背中にかかれた落書きだけは、消しておこう。今日中にやっておいて明日には返すから、それまでは俺が預かってる。それでいいか?」

千夏はこちらを見上げて、頷いた。

ちらりと、像に書いてある『文字』に再び目を向ける。

帝国語……この世界ではそう言われる、日本語でかかれた文章。

──『私は、あなたを知っている』。

「(何度みても、嫌な文面だな……)」

『灰色』に塗られた『勇者』の像。

『44』という値段。

おまけにもらえた『灰色の羽』と──『秋』に咲く花。

全く……。誰がやったのかは知らないが……。

さっさと宿に戻って、早く消そう。

──結局、その日一日街を巡ってみてわかったことがある。

「やっぱり、『お金』がいるな」

宿に戻り、部屋に入って一息つくと自然と口に出していた。まだ夕食までには微妙に時間がある。

驃は『部屋』に買った荷物を置きに行っており、日暮と千夏はベッドに並んで座って二人とも船をこいでいる。

なので残ったサイセが、自然と俺の言葉に頷いた。

「『ドア』を安全に置く場所も考えてみたけど、結局『家』を手に入れるのが一番いいかな」

世界をみて回る──それを焦って、急いでやる理由はない。

千夏を連れて、闇雲にただ先へ進むというのは非現実的だ。

勉強をする必要があることも分かったし。

それに俺には【部屋創造】という能力があるのだから、それを生かした方が効率がいいだろう。

ならば今優先すべきことは、先に進むことではなく、留まってしっかり足場を作るべきだ。

「あと『獣車の資格』がほしいな」

この街にきて、獣車を焦って使おうとした理由。

今思うと、それは結局『ドアをさっさと置きたいから』な気がした。

「獣車の資格つーと、色々と関門があるだろーな。俺も取ったが試験を受けたり、スキルの提示をしたり、魔物を見せたり……ありゃ結構、時間がかかるな。何より個人の証明が必要になる」

戸籍みたいなやつかと尋ねると、サイセはそんな感じだと言って頷いた。

うーん。

俺みたいにどこからやってきたもわからない、ぽっと出が、そう簡単に手に入れられるだろうか。終焉の大陸からやってきたといって、素直に信じてくれるなら、言っても構わないが。

何かいい方法はないだろうかと、サイセに尋ねた。

するとすぐにサイセは「ある」と答えた。まるで待ち構えていたみたいな、早さだった。

「ついでにうまく利用すれば『金』も稼げるだろうな」

……すごいな、それは。

それなら現状の問題が結構解決できる。

だけどそんな都合がいい方法なんて、あるのだろうか?

「あぁ……あるんだよこれが。俺はずっとそれで生きてきたからな……。そうさ、俺が知ってる方法なんて、『たった一つ』だけなんだぜ旦那。それ以外は知らない、俺が教えられる、たった一つの方法……それは──『冒険者ギルド』に加入することだ」

それからいくつかの言葉をサイセと交わし……。

最終的に、翌日、俺は一度『冒険者ギルド』へ足を運ぶことを決めた。

◇◆◇◇◆◇

朝になった。

準備をして、家を出る。

──俺たち冒険者の朝は早い。

日の出と共に外へ出るなんてざら。

その前の薄暗い時間に出る日もしょっちゅうある。

自堕落で金遣いの荒かった冒険者をみて楽な職業だと思っていたころもあったが、所詮は『仕事』だ。時間をどれだけ効率的に金に変えるかの勝負でしかない。他のやつと同じ。そのことに気づいたときにはもう、陽が出る前には起きる癖がついていた。

なんにせよ、遅い時間に出られる冒険者はそう多くない。訓練してる見習いか、護衛依頼をうけた『トウゲキ』の奴らか、近場の良質な狩場を独占してる大手の『カリトリ』連中ぐらいなもんだ。『サクサ』は……常に自分を追い込んでないとダメな連中なのかもしれない。

もちろんそんな常識なんて意にも返さない傍若無人、自由気ままな天才、化け物といった連中は確かにいる。実力ですべての障害を乗り越えるやつらが。あるいはどこまでも堕落してるやつ……なんていうのも。

しかしそんなのすべてどうでもいい。自分はそうじゃない。その事実さえ分かっていれば、あとは朝からあくせく働きにでるだけだ。結局のところ真面目に、普通にやるべきことを普通にやる。それが一番手っ取り早くて楽だ。

そこそこのキャリアとそこそこの実力で辿り着いた結論だった。

「ま、それでも今日はゆっくりな方だよな。な? ビョン・エー」

陽はすでに姿を完全に現している。

まだ完全に朝と言える時間帯だとしても、冒険者が依頼に出るには遅い。

早朝だとひと気が少ない街も、この時間になると既に動き出していて、少なからず喧騒が起きている。すれ違う人の数も多く、今日も街は賑やかだ。

「ビョ……?」

ビョン・エーと名前を呼ばれた、魔鳥は首を傾げる。

「冒険者ギルド連中から『呼び出し』がかかったから今日は依頼じゃなくて会議だ。なんか異常でもあったか……な? あんまないもんな、こういうこと。またヤバい案件かって不安になっちまうよ。でも、だとしたら、この間依頼から帰ってきていた『ヨクン』が怪しいよなー。あの人、ヤバイ案件を持って帰ってくる率が高すぎるよ。そういうやつは、あんま縁起がよくない。だよな、ビョン・エー。お前もそう思うよな?」

「ビョエェ〜」

鳥が肯定するように、羽をはためかせる。

冒険者の男は、餌を取り出して魔物に渡した。途端に鳥は大人しくなる。

餌に夢中になっている鳥を冒険者の男は可愛らしげに、頭を何度も撫でた。

「今日もかわいいな。ビョン・エーは」

子供の頃に拾った卵を、遊び半分で孵したときから人生が変わった。

生まれた雛に愛着が湧いて、ここまで大きく育てた。苦難はなかった。よく魔物に情がわくようになるのはよくないだとか、進化して手に負えなくなるとか、言う事をいずれ聞かなくなるとか。おせっかいな言葉もそよ風みたいなものだ。もはやいつからか育つ様子をみることが生きがいになっていたからだ。

だが振り返ってみると男自身も、そんな雛と一緒に育っていた。

だから一羽と一人が相棒になるのはごくごく自然な流れだった。

冒険者になってからもずっと一緒に戦ってきた。相棒は空から索敵して敵を見つけることも、危機を察知して鳴き声で教えてくれることも、空中から攻撃して援護することもできる。ちっこかった雛が、今となってはどんな仲間よりも頼もしい。

だから冒険者ランクが上がってから聞こえるようになった『魔物頼み』や『鳥ありき』なんて蔑称や評判も気にならない。ランクに相棒の力が加味されてるのは事実だし、相棒の実力がちゃんと認められてることの裏返しでもあると思ったからだ。

唯一の欠点として、よく『鳴き声がうるさい』とは文句を言われるが……。

慣れればそれを含めて、かわいらしい相棒だ。

「ビョ、ビョ、ビョ……」

「…………?」

ビョン・エーが、体を何度も跳ねさせながら、細かく短い鳴き声を繰り返す。

その鳴き声は、『警告音』だ。敵や、強い相手に危機感を感じると、その方向を向いて警告をしてくれる。

だが……。

「どうしたんだよ、ビョン・エー? その先は『冒険者ギルド』だぞ? いつも一緒に行ってるじゃないか。もしかして誰か強い人がきているのか? だったら心配しなくていい、落ち着けよ、ビョン・エー」

「ビョ、ビョ、ビョ……」

様子がおかしい。いつもなら街中で警戒音を発したときも、言い宥めれば、落ち着いて警戒を解いてくれる。なのに今は一向に警戒を解く気配がない。それどころか、ギルドの建物に近づくほど警戒が高まっている。

「ビョン・エー、大丈夫だよ。あの建物に敵はいない。いつものことだ。お前もそれを知ってるだろ?」

「スゥ〜〜〜…………」

「え……えっ!?」

息を深く吸い込み始めたビョン・エーに驚く。

かつて依頼に出かけていたとき、ビョン・エーが警告音をなにもないところであげる出来事があった。何もないために警告を無視していると、尋常じゃない声で鳴き叫んだ。いくらいっても声を止めず、そのときは探索を中止するはめになった。不満をもつ同行者に謝りながらその場を離れると、ほどなくしてその場所には新しく『ダンジョン』が発生した。あれだけ怒っていた同行者が、巻き込まれずにすんだと、一転して感謝されたおしたが……。

確かそのときもこんな風に、深く息を吸い込んでいた。

そのことを今鮮明に思い出す。

だけど──

「(そこまでのことが!? でも、ただのいつもきてる『冒険者ギルド』だぞ!?)」

「ビョエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエェェェェェエ〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!!!!!!!」

凄まじい声で、なりふり構わずビョン・エーは警告音を発した。