軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第95話 陽は影を浮かべる

花人族は魔族の国から離れたとき二つの集団に別れた。

遥か北にある、別の魔族の国を目指す集団と

かつての故郷があった南を目指す集団。

選択肢は二つあった。だけど、花人族の一人一人がどちらかを選んで集団が作られたかといえばそうではない。魔族の国に来る前からあった村の長たちがどちらを選ぶかによって、村に所属している村人たちの選択は自動的に決まっていた。

おだやかな川に身をまかせるように、いつの間にか自分の方針が決まっている。これでいいのかと思わなくもなかったが、だからといって周囲のすべてを放り出すほど強い何かがあるわけでもない。それどころか顔見知りばかりの状況に、漠然と「なんとかなるだろう」と妙な安心感があった。

『元の場所に戻る……戻ってどうするんだ。もう故郷はなくなった。ないものは、ない。どうあがいても。たとえ新しく作ったところで、やはりそれは故郷とは全くの別ものだというのに。場所だけ戻ったところでいったい何になるというんだ』

そんなふうに強い自らの意思で別の方針の集団に移った人もいた。そういう人は南へ行く集団から北へ行く集団に移る場合が多かった。去っていく彼らは決まって最後に似たようなセリフを吐いたいたが、後悔するのはお前かもしれないんだぞと、どこか強気に思っていた。何も根拠なんてありはしないのに。

そのときはそれが羨望の裏返しに過ぎないことなんて考えなかった。

逆に北へ行く集団から、南へ行く集団に移った人は『やむを得ない理由』がある人が多かった。恋人関係の二人が別々の集団に属していて、一緒にいるためにどちらかが別の集団に移らなきゃいけない場合なんかがそうだ。テレストなんかはまさにこれに当てはまる。恋人のマアナの人間関係を断ち切らないために、自分の人間関係を捨てて集団を移ってきた。

南へ行くのは、楽な道のりだ。

たどり着く先にあるのは、険しい樹海に飲まれたかつての故郷。ついても日々暮らしていくのは楽じゃ無いだろう。

北へ行くのは、困難な道のりだ。

互いに嫌悪し合う魔族と人間の国が入り乱れた中央大陸を越えて、その先にある勇者の本拠地『ベリエット』がある北大陸すらも超えなければならない。並大抵の道のりじゃない。

だがその先で辿り着くのは、魔族の楽園と謳われる魔族が作った世界最古の国。

花人族の全員がおそらく何度も自身に問いかけ続けたはずだ。

果たしてどちらが正しい選択だったのだろう、と。

『あなたたちを救った人は間違いを犯しました』

少なくとも、南へ行く集団の選択は間違っていたのかもしれない。

『一体の強い魔獣と契約をさせる。これはとてもお手軽な人助けです。あなた達花人族の樹海での生活をとても楽にしてくれますが、同時にたった一体の魔獣に生活のすべてを依存させることにもなる』

ある日突然、テレストがとても強い神獣様と契約し帰ってきた。

生活は一気に楽になり、浮きがちだったテレストも、村のみんなと談笑している姿を多く見かけるようになった。テレストの伴侶であるマアナも子供を宿して、すべてがいい方向に流れていた。

何もかもがテレストを中心に回っているように見えた。それを少し遠くから眺め続けるのは、自分だけが置いていかれているように思えた。だけどいい方向に行っているのならこれでいいのかもしれない。

そう思っていた折に、白い羽を携えた美麗な笑みを浮かべた彼は言った。

『魔獣が死ぬ日はいつか必ず訪れます。そうなったときに残されているのは、依存先を失って何もできなくなったあなた方花人族なのです。そんな状態で、この危険な樹海をどう生きていくのか、考えているのでしょうか。考えたところで、答えがあるのかどうかは、フフフ……疑問ですが……』

現状のいい方向にいっている花人族を、真っ向から否定する言葉。

その言葉を聞いて俺は──『嬉しい』と。

心のどこかで確かに、そう感じていたのだった。

「うっ…………」

意識が覚醒して、目を開けると強烈な光に目が眩んだ。既に高い位置まで陽がのぼっている時間のようだった。

……なぜこんなところにいるんだ。

真っ先にそう考えた。酒を飲んだ次の日のように、思考がぼんやりとしている。周囲は樹海の真っ只中で、木漏れ日がたまたま顔に差し込んでいたがあたりは薄暗い。

何なんだ、こんなところにいたら死んじまうっていうのに。

皮肉なことに恐怖が急激に思考を動かしていく。そして周りを見回しているうちに、だんだんと思い出してきたのだ。自分が、なぜ、ここにいるのかを。

「……そうだ……俺は……」

途端に胸の内に広がる、喪失感。

「くそ……これからどうすれば……」

『手に入れた力』はほぼ一瞬しか発揮できずに、消え去った。

その喪失があまりにもショックで、場所も考えずこんな時間まで寝込んでしまったのだ。あれだけ苦労して、死にかけてまで手に入れたというのに、今はもう、何も残っちゃいない。やったことのすべてが無駄だった。

「何が『どうすれば』、なんですかっ?

──『セルカル』さんっ」

「え……? うわっ!!」

すぐ側から声をかけられ、驚く。

「あ、あんた……い、いたのか……」

「ええっ、いましたっ!」

にこりと、笑みを浮かべながら現れたのは、日暮と一緒にいた千と呼ばれていた方だった。いることが当然のようにすぐそばにいた。

「そ、そうなんですか……。

えっと……どうして、ここに……?

俺に何か……その……用事でも……?」

慌てるように尋ねてしまった。

だが当然だ。この人の桁外れた強さを目の当たりにすればいやでもそうなる。

「(その相手に俺は…………)」

目の前の人物は、牙を自分に向ける正当な理由がある。

それがわかっているから滲み出る恐怖を押し殺すように答えた。

ただ救いなのは自分が何をしたのかを、相手はわからないはずだ。

そう言い聞かせることで、ようやく心を鎮めることができた。

どこかで祈るように会話を続けた。

「どうしてって、探しにきたんですよっ。

そもそもどうしても、何もっ、丸一日帰ってこなかったのはあなたの方ですよねっ。

テリさんを心配させちゃ、ダメですよっ」

「え? ……あ、あぁ、そうだよな。

悪い。わざわざ探しにきてもらって……」

「気をつけてくださいねっ。では戻りましょうっ」

「……戻るって、あ、あんたも行くのか……?」

「……? 当たり前じゃないですかっ。

セルカルさん一人じゃ帰れないじゃないですかっ。弱すぎてっ」

「えっ、あっ、そ、そうだよな……はは……」

そういって背を向けて進んでいく千を見てほっとした。

本当に、何も気がついていないかもしれない。会話からも何かを気にしている様子もなかった。ならばこのまま互いに気にせずいればいい、そう思った。

千に続いて、歩き出す。

だが先に進んでいたはずの千が止まっていることに気づいてすぐ足を止めた。なんかあったのだろうか。そう疑問に思ってから気づく。そういえば最初の一歩を動いてから、そもそも千は一歩も動かずそこに立ち止まって居続けていた。

「ところで、訊ねたいことがあるのですがっ」

そう言って、千はゆっくりと振り返る。

「セルカルさんって──千の『敵』だったりしますかっ?」

直前までの可愛らしい顔つきが昆虫の瞳が増えて恐ろしく感じる顔つきに変わり、すべての視線が、蜘蛛の巣にかかった『獲物』を見るようにして向けられていた。ずっと同じように浮かべ続けている笑みも、意味合いがまるで変わったかのようで見ていられなかった。

「ひっ……」

無意識に声をもらしながら一歩後ろに下がっていた。

ふと、薄暗くなっていくことに気がついて顔を上げると、大きくて太い『蜘蛛の足』が高く伸びて木漏れ日のもれる穴を塞ぐように光を遮っていた。足の先端は全部こちらへ向けられている。ごくりとつばを飲み込んだ。

「て、敵……敵って……な、ななんで俺が

あんたを攻撃する理由があるんだ……!?

別にそんなの、なんにもないだろ!」

そういうと、千はクスクスと可笑しそうに、笑う。

「千が、何も知らないと思ってるんですかっ、セルカルさんっ。

全部……知ってるんですよっ?」

「知ってるって……何を……」

「『樹新婦』……でしたかっ?

どうせなら連れてきてはどうです、セルカルさんっ。

せっかく帰るのに、置いて帰ったら可哀想ですよっ!」

「っ……。なんで……それを……」

肌の表面から、温度が失われていく。

滲み出てくる冷たい汗が、体温を盗みながらぽたりとこぼれ落ちた。

「なんで、ですかっ? セルカルさんっ、千に何かしらの『感知手段』がなければそもそも昨晩あの場所に千はいませんでしたよっ。あそこにいた時点で千には何かしらの『感知手段』があるんですっ。そんな少し考えて分かる初歩的なことを簡単に尋ねちゃだめですよっ!

だから私は知っているんですっ。あなた方が洞窟を抜け出して、必死になって樹新婦を従えようとしていたことも。殺しちゃいましたけどっ、……殺したくはなかったんですよ? でも攻撃をしてきたなら、千の『敵』ですから、殺さないわけにはいきませんっ! そうですよねっ?」

伏せた顔を、覗き込むように言われる。

「………………」

「ところで何故従わされたはずの魔物が、千に攻撃をしてきたのでしょうかっ。セルカルさん、分かりますかっ? あなたの言うことを聞くところまでは千も知っているのですけどっ……」

「………………」

逃げ道をふさぐように、問いただす言葉に最早じっと目を瞑って黙ることしかできない。

「だんまり、ですかっ。黙る必要なんてあるんですかっ? 大切な情報でも守っているつもりみたいですけどっ、洞窟に引きこもって繋がりなんて何も無いはずの花人族のあなたが、情報を守ったところで何をどうするんですかっ? おかしな話ですね〜」

クスクスと、千が笑う

「………………」

「『ファウ様』、という方のために黙っているんですかっ?」

驚き、目を見開く。

「どうして……それを……」

「それは、既に言いましたよねっ。『全部知っている』んですよっ!

何せ、直接話をお伺いになりましたからっ」

「何だって……?

あの人に会ったことがあるのか……?」

くすくす。

尋ねても、千は不気味に笑みを浮かべて。

「どうでしょうかっ?」

とはぐらかすように答えるだけだった。

そんな千の周りで、白い蝶が一匹、まとわりつくようにふわふわと飛んでいた。

まるで白い羽が浮いているかのようだった。

ふと思い出す。彼との出会いも白い羽が浮いていたと。

──彼との、最初の出会いは一年ほど前だった。

竜木に構えた村を気まぐれに抜け出して樹海に出ていると、魔物に襲われて死にかけたところを彼に助けられた。

「大丈夫でしたか?

私は『ファウツァ=ラァレレリ』と申します」

白い翼を携えた、天使族の美麗な男は、そう名乗った。

白い羽がふわふわと舞う中で、魔物を劇的に倒して現れる姿は、自分が男ではなく女だったらすぐにでも心を奪われただろうほど神秘的な光景だった。

それから村を抜け出して少しずつ会うようになった。

魔王好きという共通点があるためか、すぐに馬があった。

ある日、同じように彼に会いにいくと、『鳥人族』という樹海に住んでいるという亜人がいた。

この亜人と一緒に聞いてほしいことがあると改まって言われた。

「私は、魔王を目指したいと思っています」

驚きながら、話に耳を傾け続ける。

テレストの連れてきた神獣と花人族に対する辛辣な言葉は嬉しく感じた。だが続けて聞かされた『魔王になる計画』の話は、正直、恐ろいと思った。少なからず犠牲者がでるものだったからだ。

だが彼はその計画に「協力してもらえませんか」と言った。

「少し……考えさせてくれ……」

すぐには返事ができなかった。

「……いいでしょう。ですがこれだけは覚えていてほしいのですが、花人族は長い目で見ればこうする他にありませんよ。そしてこの計画は、あなた無しには為し得ない計画です。もし成し遂げられたならば、あなたもまた花人族に『救世主』に成り得ますよ」

去り際に言われた言葉は、燻る火種のように、村に帰ってからも頭の中に残り続けていた。

あまりにも思考に居座り続けるものだから、悩み疲れて村をフラフラ歩いていると目の前から知ってる顔の二人が仲睦まじそうに歩いてやってくる。子供の頃から付き合いのあるマアナと、その恋人のテレストだった。こちらに気づいて、声をかけてきた。

「セルカ、また勝手に村の外にいって怒られてたね。全くもう、いつまでたってもセルカは子供の時から変わらないんだから……。え? お腹? うん。だいぶ目立つくらいに大きくなってきたかな。うん、そう。大体それくらいかな。あはは、セルカもこの子と会うの、楽しみにしてくれてるんだ、よかった。……キャッ!」

話している途中で突如、壁に立てかけて置いてあった武器が、マアナ目掛けて倒れていく。

ガシャン、と大きな音が鳴った。

マアナはテレストに手を引かれていたおかげで武器の倒れた場所から一歩離れていて、ギリギリ当たらずにすんでいた。

「大丈夫かい、マアナ。言っても仕方ないのかもしれないけど、気をつけるんだよ。最近良くないことが多い気がするからね」

「ありがとう……テレス。気をつけるわ。今が一番大事な時期だものね。それじゃあ、セルカもまたね」

そういって寄り添って歩いていく二人を、笑顔で見送る。

その笑顔は自分でも分かるほど、引き攣って気持ち悪い、取り繕った笑みであることが自分でも分かった。いつからこんな笑みを浮かべるようになったのだろう。なぜ浮かべなきゃいけなくなったのだろう。考えていると、体が急に沸騰したように熱くなった。

「…………クソッ!!」

気がつけば走って村を飛び出していた。樹海の中を駆け抜ける。今までで一番速く、長く。自覚はなかったが、それは魔物に追われても振り切るほどだった。彼の元に辿り着いたときには食肉植物が腕に噛み付いていたがどうでもよかった。腕の肉ごと引き離して、投げ捨てながら、唐突に現れて驚いている彼に告げた。

「あんたの計画、俺も乗る……。乗らせてくれ!!」

彼は目を見開いた驚きの表情から、包み込むような笑みに変えて、歓迎してくれた──。

「ファウ様のお話を聞いて、正直どうでもよかったんですが、不思議に思ったことが少しあったんですっ!」

千は弾むような口調で言った。

「ファウサマはどうやって『風残花の種』を手に入れたんでしょうかっ? それに花人族さんのことを少し詳しすぎた気がするんですっ。洞窟の中で引き篭っている人たちがどれだけ疲弊してるかなんて、鳥人族すら洞窟の中に入らなければ分かりようがないはずなのに、とてもよく知っていたんですよね〜っ。内部の状況を誰かが伝えているみたいだって、思ったんですっ!」

まるでパズルを解いてるかのように、楽しそうだった。

同じような口調のまま「セルカルさんっ」と声をかけてきた。答える気はなかった。

「そもそも私たちと初めて会った人間に捕まっていたあの日っ。『一番最初に出会ったとき』──あなたはなぜあそこにいたんですかっ? どこに行ってたんですかっ?」

「………………」

──「これが厄災の種だ」

自分で育てて増やした『種』を、彼に渡す。それが『計画』の『始まり』だった

植物に対しての力や造詣が豊富な花人族にとって、その種を手に入れて増やすのは、簡単だった。

種を渡したあとも、彼のところへいって、花人族のことも報告をする日々が続いた。正直なところ本当にやるのか、半信半疑なところがあったが、神獣が死んだのを見たときにようやく色々なことに実感が伴うようになった。怖かったがその頃にはもう、後戻りできなくなっていた。

その日も彼に、花人族の様子を報告しにいっていた。

帰り道で人に攫われて動けなかったところを、二人に救われた。

そしてその時に目の当たりにしたのは、圧倒的『強者』の姿だった。

辿り至りし者──辿魔族の本当の姿。それを人間の盾になりながら覗いた。

恐ろしいと同時に鮮烈な光景だった。『強さ』という力が状況に与える影響力に、恐怖を感じながらも心は高揚した。わくわくした。終焉の大陸が恐怖と同時に信仰されている理由がわかったような気がする。

だから俺は、日暮に提案をした。

鳥人族と彼の会話で、樹海で神獣になりえる蜘蛛の魔物の存在を知っていた。それを手に入れれば種族が救われると嘯いて、日暮を動かした。私利私欲だったが、自分が強くなれば結局花人族全体のためにもなるからと、間違ったことは言っていないつもりだった。まさかあんなに弱いとは思わなかったが。

そして死闘の果てに手に入れた樹新婦は、あっという間に死骸に成り果てた。

馬鹿なことをした。だけど双子月の元で戦う、辿り至りし者の姿をみて思ってしまったんだ。

──『この人は彼の計画の邪魔』になるって。

もしこの人を排除するならば、強そうな人間二人と交戦している今しかないと思った。

その判断はきっと間違っていなかったと思う。戦うことをもし選ぶならば、それが一番可能性が高かった。

ただ一つだけ間違ったのは、その場にいる全員が同時に襲いかかったところで可能性なんて最初から無かったということだけ。

はぁ、と千は呆れるようにため息をついた。

「ず〜〜っとだんまりなんですね、セルカルさんっ。まっ、別にいいですけどっ、千は。良く考えたら関係も、関わりもありませんですしっ。すでに千を実際に襲ってきた『敵』は殺してますからっ。……それに確証がないまま殺しちゃうのは、テリさんを悲しませる理由には少し弱いですからねっ」

そういって辿魔族の本来の姿から人の姿に戻っていく。

自分に向けられた殺気が消えていくのがわかって、ほっとした。

そんな自分に、背を向けて千は言った。

「それに千が手を下すか、下さないかなんて、そんなのはどうでもいい話ですっ。誰が何を淘汰するかなんてっ……。自分のした行いが強ければ生き残って、弱ければ淘汰されますっ。それだけですっ。その事実から逃れられないなら、脆弱なものなんて、勝手に消えてなくなりますよっ。セルカルさん、あなたは果たしてどちらに転ぶんでしょうねっ?」

どこかでその言葉を『正しい』と、心のどこかで認めていた。

言葉の意味を、文字通り『体感』している最中にそのことに気がついた。

強烈な力で、足を引っ張られる。

開いたままの扉から、新しい村の光景が見える様子はまるで額縁に飾られた絵だった。小さな四角に無理やり切り取られ、限られた範囲しか見えない、押し込められた日常。そこには驚愕を浮かべて顔色を青ざめさせているテリが映っていた。

自分の一瞬先の未来を悟って、気がつけば求めるように手を伸ばしていた。

テリに……ではなく、その奥にいるマアナに向けて伸ばした手。

「こんな……つまりじゃ……なかったんだ……

──マアナ」

ただ俺がお前を、幸せに……。

それが……なぜこんな……。

…………。

そうだ……。あのときだ。

あのときからなにかがおかしくなった。

村であの日……マアナの『子供』を見てから……。

あの後、少しして、村中である噂が流れていた。

聞きたくなくて、話題を避けていても嫌でも耳に入ってきた。

それはマアナの子が『厄災の子』であるという噂だった。

そのせいだ。きっとこうなったのも。

すべては『厄災』の影響だったんだ。そうに違いない。そのはずだ。

…………そうなのだろうか。解らない。

自分自身の血液と体の一部分が視界の端に飛び散る。

大量の咀嚼音が、同時に聞こえた。

もうすべてが終わる。

そう思ったとき不思議なことに、最後に考えていたのは意外な人物のことだった。

──坂棟日暮。

あんたも、俺たちと『同じ』なんだ。

だけど俺たちは『諦めた』。そうすることが楽だったから。

でもあんたはまだ、戦っているんだ。俺たちがとっくに諦めた場所で。

だからそんなにも弱くて、見ているとイラついて、目を背けたくなるほどみっともない。

でも……本当はそれで良かったんだ……。

あんたがきっと正しいんだ。

この世界で逃げられないものは意外とない。

逃げ続けた俺たちだからこそ分かる。たくさんのものから逃げようと思えば逃げられる。生きることすらも。

だけど逃げ続けた先で、どうしても逃げられないものと向き合うことになる。

『自分自身の脆弱さ』だ。それだけは唯一、逃れられないものだった。

なのに俺は逃げ続けた。

樹新婦を手に入れて力が手に入った。

そうして真っ先に考えたのは、『彼の計画を失敗させないこと』だった。それは力がないときと同じ思考、同じ結論、同じ方法……。すべて同じなら何のために力を得たのかわからない。結局俺は力をもったところで何も変わっていなかったんだ。

違うんだ……。そうじゃなかった……。

俺自身がその力を使ってどうするのかを考えるべきだった。

他人の計画がどうとか、そういうことじゃない……。

結局俺は、他人を当てにして生きているだけの生き物だった。

思考や体に染みつくくらい、ずっと誰かから助けられたくて仕方なかった。

だけど自分じゃなんのリスクも責任もおいたくない。だから俺は真っ先に彼の計画のことを考えた。結局それが俺が縋っていたものだったから。力を与えられてようやく俺は、弱いのは種族のせいでもなんでもなく、どうしようもないほどに自分自身のせいでしかないことに気づいた。

こんな、死に際に気づいたところで仕方がないっていうのに……。

坂棟日暮……。

勝手なことかもしれないが、あんたは逃げないままでいてくれ……。

今のまま諦めないでいて欲しいんだ。

向き合う『自分の弱さ』がたとえ──醜くて、愚かで、甘えていて。

そして──『幸福』からかけ離れたものだったとしても。

巻き込んでしまって……悪かったな……。

◇◆◇

「ここが花人族の村……」

『ラウンジ』に作られた『ドア』を通って、花人族の村へきた。

あの日……秋の【部屋】に村が作られ、そこで『花人族』の一団が住み着くようになってからすでに数日が経っていた。

その数日の間で秋と一緒に私たちは樹海を抜けて、人間の街にたどり着いた。生活の基盤も簡単に出来上がり、それぞれが落ち着く時間をとれるようになったタイミングで、秋は『ラウンジ』に『花人族の村』へつながるドアを作ったと言った。

時間が空いていた私は、花人族がどうしているか気になっていたので、様子を訪れた。

入って周囲を見回す。相変わらず秋の部屋は開くたびに別の世界に広がってるみたいだ。この場所もこれまでとは違う景色と雰囲気がある。

「……きれいな村だ……」

それが【部屋】に入ってまず感じた、素直な感想だ。

素朴な村で家くらいしかないと聞いていたけど、少し様子が変わっている。

家が綺麗な花の生垣に囲まれていたり、簡単な道や広場もできたり、建っている家はかなり簡素だけど歩いているとお洒落な庭園風の街を歩いているような気分になった。

花人族がたった数日で、村をここまで綺麗にしたのだろうか。

セルカルが『花人族は綺麗に庭を飾るのが得意』と言っていたけど、これは確かにすごい特技だと見て歩きながら思う。

「(──だけど、なんか……)」

綺麗な見た目の村の一方で、すれ違う人や村全体に漂っている空気は重たい。

怪我人や、思い詰めた様子の村人があちこちにいる。理由は想像しなくてもわかる。ここがどこと繋がる場所なのかを考えたら、生半可じゃない日々を送っているなんて察する必要すらもないんだから。

歩いているうちに、一軒の家の前に立つ。たぶんここが目的の家だ。

村の人に聞いて、ここに住んでいると言っていた。

呼び鈴がないので、ドアをノックする。

「テリ」

返事がない。

家の中の明かりも灯っていない。

だけど家の中からは人の気配がした。

「……あの、坂棟日暮です。

様子を見にきたんだけど……テリ……。

いるなら入っていいかな……」

声をかけても返事はなかった。何度繰り返しても同じだった。

ドアを開けて中に入る。鍵がついてないため簡単にあいた。玄関で立ち止まって、さらにもう一度声をかけたけど、それでも返事がなかったからそのまま家の奥へ入り込んだ。

昼なのに、明かりが灯っていないため、家の中は薄暗い。薄暗い家の中を進む。

部屋は家具や生活用品がまだ全然揃っていなくて、生活感があまり感じられなかった。

一番奥の部屋に、テリはいた。

「……ぐす……ぐす……」

まるで暗闇の中で沈むように、泣いてうずくまっている。

「テ、リ……」

その様子に言い淀みながら名前を呼んだ。

「せめてあかりはつけた方がいいよ……」

声をかけると、たった数日でやつれた顔をテリはこちらに向けた。

泣き腫らした目を見てると私まで辛くなりそうだった。

「……勝手に……家の中に入ってこないでもらえますか……」

「……ごめん。様子が気になって……。

それにテリのお姉さんにたまたま場所を聞いたら、塞ぎ込んでるから声をかけてあげてほしいって言われたから……」

「…………。

……それで何しにきたんですか。

私を……笑いにでも来たんですか?」

「そんなこと……。

私はただ、無事かどうか様子を見に……」

「……そうですか」

そうしてテリは、ぽつぽつとこの村に移り住んでからのことを少しだけ話してくれた。

『外』で会うゴブリンを含めた『住民』たちとは、未だに挨拶すら返してもらえないほど距離が空いているそうだ。

このことは意外だった。あの陽気で好奇心旺盛なゴブリンたちが寄ってこない様子が想像できない。私のときとは対応が全然違う。一緒に戦って生きるとなるとまた考えが違うのだろうか。私はゴブリンと一緒に『外』で戦ったことはまだ一度もないからわからなかった……。

そんな中、花人族の人たちは命懸けで魔物の死骸や木材といった自然の素材を引っ張って村の中に運び入れているようだ。それを分け合って、今のところは日々生活して暮らしているらしい。

「だけど……こんなこといつまで続けてられるかってみんな思ってる……。怪我人はとめどなく増えて……死者すらもうすでに出てるのに……」

テリの話を聞いて、ラウンジと繋がるまでのたった数日が、花人族たちにとってどれだけ長いものだったのかを知った。花人族にとってリビングへのドアは、待ち焦がれて『ようやく』与えられたものに近いのかもしれない。

「そう……なんだ……。

セルカルの様子はどう?」

「セルカルは死にました」

「……え?」

その言葉に驚いていると、ゆっくりとテリはこちらへ顔を向けて言葉を繰り返した。

「セルカルはこの場所にきて、外に出て、魔獣に食べられて、真っ先に死にました」

繰り返される言葉に、ようやくそれが事実であることを実感する。言いようもない後悔にも似た感情が、視線を重くさせて、気付けば地面が視界全体に広がっている。

少しだけだったけど、一緒に戦った光景が思い浮かんだ。そのことを考えていると、心が沈む。

「そう、か……残念だ……」

「…………それだけですか?」

カタリ、と物音がした。

視線を向けるとテリが立って、こちらを見ている。

「あなたとセルカルは一緒に戦って、一緒に協力して神獣を手に入れたんですよね。

千さんからそう聞きました。共闘した仲間が死んで、あなたが言うことは、それだけですか?」

薄暗いテリの瞳が、掴んで離さないように私を捉えていた。

私はその目から逃げられず、不安を感じながら見つめ返していた。

「……他にどうすれば……」

狼狽えながら、言い訳じみたことを言ってしまうとテリはそばにまで近づいてきて、じっと目を覗き込まれた。

「……あなたは理想的なことを言って、命を投げ出してでも無謀なことに果敢に身を乗り出しているのに、その結果に対しての反応がすごく『薄い』ですよね……。まるで物語の英雄みたいなのに、そこがすごい歪で、気持ちが悪いんです……。あなたって助けたかった人が助けられなかったときに、何か強い感情を抱いたりするものなんですか?」

そう尋ねられる。

テリの言葉に押されて喉の奥が締め付けられているような錯覚を抱くが、無視して答えた。

「……後悔とか……自分の力の足りなさを……」

テリが言うような状況を思い出して、無意識に手を強く握っていた。

真っ直ぐにテリの目を見つめ返して、私なりの強い意思で答えた。

「責める……気持ちとかは……ある……」

テリは目を細めて「やっぱり……」と

「あなたって自分のことばっかりなんですね」

「……え?」

「助けられなかったその人自身のことやその人を大切に思ってた残された人のことなんて、考えたこと無い。だから……案外他人が死んだってどうでもいいんでしょ? 自己中心的だから」

「……そんなこと」

「でも緑竜王様が人間を殺したとき、助ける行動を寸前まで取りながらも死んだことが分かると表情も変えずに平然と受け入れてましたよね。これまでのことを思い返して、本当にそう言い切れるんですか?」

気付けば無意識に一つ一つの出来事が記憶から掘り返されていた。

奴隷の少女を助けるために貴族を斬ったとき。

魔族の襲撃で壊滅的な被害を負っていた街の救援に出たとき。

終焉の大陸でどこからか助けを求めてる声が聞こえて飛び出したとき。

私は自分がどうにかしようとした人のこと。

どうにかしようとして出来なかった人のことを考えたことがあっただろうか?

出来事を振り返っているうちに、数時間走った後のように呼吸が荒く乱れていた。流れ出る汗が止まらない。自分の中の何かが崩れそうだった。あるいは全く別の形をした歯車が、無理やり噛み合わされようとしているような感覚が吐きそうなほど気持ちが悪い。

「はぁ……はぁ……」

体温が急速に引いていく。

寒気がして体の震えが止まらなかった。

「行動した時点であなたの中の目的は達している。だから、『結果』なんて心のどこかでどうでもいい。あなたの本当の目的は、何なんですか? 気持ち悪いんですよ! 物語の英雄みたいな行動をしといて、その根本にあるものが英雄なんてものじゃないから!! もっとおぞましくて、みにくくて、どす黒い──」

……耐えられなかった。

気がつけば私は走り出していた。

テリの家を飛び出して、花人族の村からも、ラウンジからも出て。

秋から与えられた自分自身の部屋の中にかけこんで、吐いていた。

私は……逃げ出していたのだった。