作品タイトル不明
『四州近衛家』という異物
主上は、庭に面した縁へ移られていた。
柔らかな朝日が、御簾越しに差し込んでいる。
『はるちゃん』は女房達の元へ戻り、今この場にいるのは。
主上と方仁親王。そして私(長慶)。
方仁親王が不意に口を開いた。
「昨日から気になっておったのだが」
「はい?」
「『四州近衛家』というものは、本来存在せぬのであろう?」
私(長慶)は思わず目を瞬かせた。
主上も静かにこちらを見ておられる。
私(長慶)は少し苦笑した。
「……はい。本来は存在しません」
方仁親王が静かに頷く。
「やはりか」
「私(長慶)の知る未来の歴史では、私――いえ、三好千熊丸は存在しますが、ここまで皇家と深く結びつきません」
むしろ… 史実における三好長慶は、畿内を制した大大名にはなった。一応は信長前の覇者として知られてはいたけれど… こんな風に『皇家を支える新たな公武の柱』にはならない。慣れっこない。
そう、『稀人』がいなければ、『阿州近衛家』も『四州近衛家』も本来存在しないのだ。
主上が静かに言われた。
「では、其方が現れたことで、歴史そのものが変わったか」
「……はい」
私(長慶)はゆっくり頷いた。
現在の領地改革をしている『阿波』を脳裏に浮かべる。
「かなり」
沈黙。
だが、不思議と重苦しさはなかった。
方仁親王は、どこか納得したように目を細めている。
「だからか」
「?」
「其方を見ていると、妙に“歪み”を感じる」
…………
「未来を知っておる者特有の視線だけではない」
方仁親王は続ける。
「まるで、本来なら存在しない橋を、無理やり架けておるような」
私(長慶)は返事ができなかった。図星だった。
元々は『稀人』を抱え込む『阿波三好』が戦国を生き延びる為のものだった。
しかし、『稀人』である息子、千熊丸を守るにはもっと大きな“芯”が必要だと実父、海雲が判断し、皇家に『保護』を願い出たことで、『稀人保護』という名目で皇家と結びついた。
その結果、元服後近衛稙家の猶子となり、近衛を名乗り、天領として四国全体を束ねる“公武一体”の家を作ることになった。
それが『四州近衛家』だ。
それは本来の歴史にはない。存在しないはずの異物だ。
主上は静かに言われた。
「されど、その歪みが必要だった」
私(長慶)は顔を上げた。主上は続ける。
「其方が現れねば、皇家はさらに弱っていたのであろうな」
私(長慶)は否定できなかった。
応仁の乱以後、朝廷は極限まで衰退する。
史実では、天皇の即位式すら満足に行えず、金銭不足で何十年も苦しむ時代が来る。
主上自身、まさにその渦中にいた。
だから… 現在の『四州近衛家(阿波三好家)』は、“歴史の異物”でありながらも、同時に、皇家を支えるための“補強材”的存在になりつつあった。
方仁親王が小さく息を吐く。
「……面白いものだな」
「え?」
「本来存在せぬ家が、皇家を支えるか」
その声には、どこか感慨があった。
「四州近衛家の女子が、皇家や宮家へ多く入ることになる…」
「はい」
「ならば」
方仁親王は少し笑った。
「余の子孫は、其方の血をかなり受け継ぐことになるのか」
その言葉に、私(長慶)は思わず遠い目になってしまった。
「…… おそらくそうなりますね」
主上、耐えきれず笑われた。
「ははは!方仁よ、未来の皇家は随分賑やかになりそうだ」
「父上、他人事のように申されますが、原因の半分は父上です」
「余か?」
「永寿を稀仁へ嫁がせたでしょう」
その言葉に私(長慶)はフリーズしてしまう。
主上はにやりと笑われた。
「当然であろう」
「当然?」
「『稀人』を他家へ流せるものか」
さらっと言った。
だが、その言葉には確かな重みがあった。
主上は知っているからだ。『稀人』という本当の存在の意味を。
未来の知識。異様な政治感覚。技術への理解。
『稀人』、時代の外から来た者。
その存在は危険だった。だからこそ、皇家の側へ置いた。
永寿内親王を正室に。伏見宮や公家の姫達を縁として。
その血ごと、未来へ組み込むために。
方仁親王は静かに言う。
「父上は最初から、稀仁を“一代の武家”として見ておられぬ」
「無論だ」
主上は即答された。
「この者は、国の形そのものを変える」
向けられた視線に思わずぞくり、とした。
十一歳の少年に向けられるものではない。
もっと長い時間を見る目。数百年先まで見据える、帝の目だった。
主上はふっと笑われる。
「もっとも」
「?」
「当人は未だに、自分を“ただの戦国武将”と思っておるようだがな」
方仁親王、完全に吹き出した。
「それは確かに」
「えっ、私そんな変ですか!?」
主上と親王、揃って頷いた。
「まず十一の童が、“五百年後の皇統維持”を真顔で語る時点でおかしい」
「うっ」
「さらに、未来の技術、兵站、経済、果ては“冷やした甘味”まで持ち込む」
「最後なんか混ざってません!?」
「重要であろう」
主上が真顔で返された。
う〜ん、主上、たまに食への優先順位がおかしい。
笑いながらも、方仁親王の視線は静かだった。
「…… だが、其方が現れたことで、確かに皇家の未来は変わった」
私(長慶)は口を閉ざす。方仁親王は続けた。
「本来なら、皇家はさらに衰えたのであろう」
「はい」
「伏見宮家も、『皇統断絶時の保険』として細々と残るのみ。しかもその『保険』も血の隔たりの遠さを理由に使われぬことが続いた」
私(長慶)は目を見開いた。
「そこまで読まれてますか」
「昨日、其方が“旧宮家”とやらの話をしたからな」
方仁親王はゆっくり言う。
「つまり未来では、伏見宮の流れが、皇統維持の鍵となる時代が来る」
「……はい」
実際、令和における旧宮家問題は、ほぼ伏見宮系統の話だ。
だが、この時代の伏見宮は、まだ“皇統の予備枝”として曖昧に存在している。
だからこそ、主上は、再定義しようとしていたのだ。
私は改めて思う。
主上は、やはり恐ろしく先を見ている。
未来を知る私ほどではない。けれど“何が必要か”を直感で掴む力を持っている。
主上は続ける。
「乱世では、何が起こるか分からぬ。一つ枝が折れれば終わる」
方仁親王が頷く。
「だから父上は、天皇家の皇子達に新たな宮家を作らせるおつもりなのですね」
「うむ」
主上は私を見た。
「未来の者として申せ」
「はい」
「皇家が長く続くために、最も必要なものは何だ?」
私(長慶)は思案する。
血統か。権威か。制度か。どれも必要だ。
だけど…
「……余裕、だと思います」
「余裕?」
「はい。“選べる余裕”です」
二人とも黙って聞いている。
「男子が一人しかいない。宮家がほぼない。そうなると、一つの問題が全部を揺らす」
令和の議論がまさにそうだった。
一人に負担が集中する。
制度変更が、即“皇統そのもの”へ直結する。
「もっとも」
「?」
「五百年後の者達が、“女系か男系か”で揉めておると聞くと、少し可笑しくもある」
そういわれて私(長慶)は苦笑した。
「まあ…… はい」
「余からすれば、“続いておるならまず男でも女でも良いではないか”と思うてしまう」
それは、戦国を生きる帝だからこその感覚だった。
今日、国が残るかも分からない。
明日、都が焼けるかもしれない。その血が続くことに意味がある。
それが男でも女でも良い。
そんな時代だ。
だからこそ“続いている”こと自体が奇跡なのだ。
主上は、ふと庭へ目を向けられた。
朝露を受けた松が静かに揺れている。
その横顔は穏やかだったが、どこか深く思案しているようにも見えた。
「皇家より遠い血が増えれば、やがて“何のための宮家か”が曖昧になる」
主上はゆっくり言われた。
「余はな」
「はい」
「“男系”そのものが重要なのではないと思うておる」