作品タイトル不明
【27】
それはミリアンが提案したのではないだろうか。そして、楽しみだと言うのならミリアン自身がその人に嫁げばいいのだ。そう言い返して反対の頬も殴られ、倉庫に閉じ込められて今に至る。
「痛い……」
血は出ていないが、頬に触れると腫れて熱を持っているのがわかった。ため息をついて張られたのとは逆の頬を膝に押し付ける。極度におなかがすいて気持ちが悪い。こんな気分も久しぶりだ。
母はセヴランが伯爵を継ぐことをあきらめていないようだが、父はグレースが継ぐことも視野に入れている気がする。ただ、どちらも共通しているのはグレースを離婚させたいと言うことだ。グレースが独り身である必要があるのではなく、彼女が嫁いだのがフォートレル男爵家だからだ。
相続した爵位はグレースに帰属するため、グレースが婚姻していれば爵位はその夫の元に行く可能性が高い。相手が平民の男であればその限りではないが、いまだ女性が爵位を有するにはいろいろと条件の厳しい時代なのだ。
グレースの夫はユーグだ。彼は男爵家の子息であるが、貴族であるので伯爵を名乗るのに何の問題もない。彼の手に爵位が渡れば、もう自分たちの元へ返ってこないと父も母も理解しているのだ。
なら、グレースを離婚させてユーグの元へ爵位が行かないようにすればいい。その上で、父は操りやすい夫をあてがおうと、母はセヴランに爵位を与えようとしている。母がグレースに身売り同然の婚姻を迫るのは、金とグレースをいたぶるためだが、父は娘が爵位を相続するには夫が必要だと知っているから、だと思う。
うまくこの認識の違いを突くことができればいいのだが、二人を分裂させたところでグレースにはこの状況をどうしようもない。第三者の介入が必要だ。
どう転んだとて、グレースが離婚して別の金払いのいい相手と婚姻を結びなおすのは彼らの中では決定事項なのだ。処女であればもっと高い値が付いた、と言われたが、彼らはグレースがまだ乙女だと知ったらどうするのだろう。言わないけど。
こんなことになるのなら無理やりにでもユーグと関係を持ってしまえばよかった。夫婦なのだから。と、かなり思考が危険な方に向かっている。
まだ夜は長い。さすがにフォートレル男爵家の人たちも、グレースの不在に気付いただろうか。気づいたとして、探してくれるだろうか。恐怖が八割とあきらめが二割、胸にあふれる。気づいて、探しに来てほしいと言う思いと、このまま気づかれずにグレースがフェードアウトすれば、事態は収拾するのではないか。
グレースが両親の言うように離婚し、再婚するのが多分、一番簡単な方法なのだと思う。こうなってしまっては、もともとフォートレル男爵家に薄かったこの婚姻の利がほとんどなくなってしまう。それでも、グレースは自分を探してほしいと思った。見つけてほしいと思った。半年前の自分なら、自分が我慢すれば済む話だと、両親に抵抗もしなかっただろう。自分に興味がなかった、とも言う。
でも今は。せめて、もう一度ユーグに会いたいと思う。
「ユーグさま……」
自分でも情けない声だ、と思う声が出た。震える声に泣きそうになる。さみしい、会いたい、助けてほしい。そんな思いが渦巻き、グレースは膝を抱えたままぎゅっと目を閉じた。
コト、と音がした気がした。物置のドアの方だ。顔をあげて薄い月赤ありの中、ドアのある方を見る。錆びた蝶番がきしむ音を立て、ゆっくりとドアが開いた。グレースは体をこわばらせつつも立ち上がる。警戒したが、入ってきた足音は小さく軽く、女性のものと思われた。
「グレース」
その声にはっとする。聞いたことのある声。懐かしい声。驚いて顔を上げ、明かりの弱いカンテラを持った女性と目が合った。影になってわかりにくいが、彼女の瞳の色がアメシストで、髪が淡い亜麻色であることをグレースは知っていた。
「ナタリー……?」
「グレース、ごめんね。大丈夫?」
痛かったわね、と腫れた頬に触れようとして、慌てて手を引っ込めた。近くで見ると、どこからどう見ても失踪した姉のナタリーだった。
「ど、どういう……?」
「詳しい話は後よ。時間がないわ。さすがに今、あなたをここから出すわけにはいかないのよ」
そう言いながら彼女は携帯食と水を差しだした。思わず受け取る。
「少しくらい何か食べておかないとね。明日、絶対に助けるからもう少し待ってね」
「助けるって……どうやって」
両親の計画は穴がある。その間隙を突くことはグレースも考えたが、それは仲たがいをさせて終わるだけで、それ以上何もない。グレースだけの力ではどうしようもない、と結論が出たところなのに。
「もちろん、私一人ではないわ。大丈夫よ。ぶん殴ってでも協力させるから」
どうやら外部に助けを求めることはわかったが、可愛い顔で破天荒なことを言うナタリーに、そう言えば顔に似合わずこういうところがあったな、と懐かしく思う。なんだか一周回って冷静になってきた。
「絶対に大丈夫よ。だから、水だけでも飲んでね」
怪しまれないように、朝になるまで倉庫は閉めておかねばならない、とナタリーは言った。ここでグレースが脱出しても、たぶん逃げきれない。やはり、誰かの助けがいる。
「お姉様は、どうして戻ってきたの?」
屋敷は広いが人は少ない。勝手知ったるナタリーなら、侵入することはたやすかっただろう。それでも、危険がないわけではない。グレースの質問に、ナタリーはさくっと答えた。
「決まってるでしょ。あの両親にぎゃふんと言わせるためよ」
本当にできたらすごいという思いと、ナタリーなら本当にやりそうだな、と言う思いで、グレースは苦笑を浮かべた。
その後、ナタリーは本当に物置を出て、元のように鍵をかけた。鍵と言っても、大したものではないが少なくともグレースの力では破れない。
上の方にある採光用の窓から日が差したことで、グレースは目を覚ました。日が差したと言っても太陽はこちらを向いているわけではないので、多少明るくなった、くらいだ。しかし、目が覚めたと言うことは自分は寝ていたということで、なかなか図太いな、と思った。もしかしたら、ナタリーが来たことで少し安心したのかもしれない。
そう。ナタリーがいた。結婚式の直前に姿をくらましたナタリーが。
今までどこにいたのだろう。帰ってきたのか。どうやって暮らしていたのか。どうして姿をくらましたのか。駆け落ちする、となっていたが、戻ってきたところを見ると真偽は怪しい。以前ユーグとも話したが、すべてを妹に投げつけて、妹を置いて逃げるような人ではないのだ。
それはともかく、後で説明する、助けに来る、と言っていたが、信じていいのかよくわからなかった。というか、ナタリーはどこで夜を過ごしたのだろう。一度屋敷を出てから再侵入する気なのだろうか。
ふと、外が騒がしくなっていることに気が付いた。屋敷の規模の割には人の少ないデュノア伯爵邸で、人が移動する気配がする。珍しい。
物置のドアががたっと音を立てた。グレースはさっと立ち上がる。ドアから距離を取り、グレースは身構える。がたり、と建付けの悪い音を立て、ドアが開いた。