軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【17】

書斎で領地の地図とにらみ合っていたユーグは、小さなノックの音に顔を上げた。

「どうぞ」

許可を出すと、失礼します、と入ってきたのはポットを手にしたグレースだった。

「少し、休憩にしませんか?」

にこりと微笑んだグレースに、ユーグも微笑み返してうなずいた。グレースが扉を大きく開けて、ワゴンにポットを置くと、それをからからと押して入ってくる。王都の屋敷では見られなかった姿だ。

二人は今、フォートレル男爵家の領地に来ていた。牧歌的な景色の広がる領地なのだが、今は白銀の世界だ。冬の初めに領地へやってきて、そのまま年を越した形だ。

ここに来てから、グレースはのびのびしているように見える。よく笑うようになったし、話すようになった。単純に王都ではユーグとの時間が取れていなかった、ともいえるがもっと別の問題もあると思う。この領地の屋敷にはナタリーを知る者がいない。

もちろん、知識としてユーグの婚約者だったナタリーのことと、その妹のグレースのことは知っているだろう。だが、さすがのユーグもナタリーを領地に連れてきたことはない。だがら、ここの使用人たちは、ナタリーのことを知らない。それが、グレースにとってはよい方に働いたようだ。

ナタリーのことを知らないのであれば、その妹だと比べられることもない。王都にいると、どうしても比べられるのだ。相手にその意識がなかったとしても、言葉の端々にそう言う表現が出る。これをグレースは気にしていたのではないだろうか。

そのことに気づいてから、ユーグ自身もグレースとナタリーを比べるようなことを言わないように気を付けている。それだけでだいぶ打ち解けられたような気がして、なついてくれるグレースにユーグは大いに心を乱されている。

「手作りか」

目の前に出されたドライフルーツのたっぷり入ったケーキを見て、ユーグは尋ねた。領地に来てから、グレースは時々こうして自分でお菓子を作るようになった。そして、その完成度は日々高まっている。

「はい。まあまあの出来だと思います」

そう言いながらどや顔だ。おそらく、グレースは本来、こうしたことが好きなのだろう。料理やお菓子を作ったり、編み物をしたり、庭の世話をしたり。どれも、彼女がデュノア伯爵家でしていたことだ。生活水準が上がったフォートレル男爵家の王都の屋敷では手が出せない部分でもある。だが、この領地の屋敷ならグレースものびのびと過ごせる。それがわかっただけでも来てよかったと思う。

経済事情で実家にいたときはお菓子などほとんど作ったことがなかったそうだが、グレースはなかなかうまい方だと思う。料理を作り慣れているせいかもしれないが、初挑戦でもほとんど失敗することがない。今回のケーキも、少し焦げて硬くなっているところはあるものの、おいしい。

「うまいな」

「よかったです」

嬉しそうに笑うグレースを見ていると癒される。ちょうど煮詰まっていたので、彼女に相談してみることにした。

「グレース、領地のことなんだが」

「はい」

初めは「聞いてもいいのですか」と不安げだったグレースも、何度かユーグが相談を持ち掛けるので普通に聞いてくれるようになった。領地経営に関しては、ユーグよりもグレースの方が優れているほどだ。

「領地の西の方の村の羊毛の状態がよくないんだ」

「よくない、とは? よくないという状態にもいろいろありますけれど……」

質が良くないのか、量がよくないのか、そう言ったことを聞きたいのだろう。デュノア伯爵領は牧畜よりも農業が盛んな領地だが、グレースに言わせれば、「必要な基礎知識はそんなに変わらない」のだそうだ。多分、彼女は頭がいい。

「質だな。なんというか……絡まりやすい」

「こういうのは大体、食べるものとか、運動不足とか、そう言うのが問題なんですけど……」

「だよな……一度現地に行ってみるしかないか」

グレースもユーグと同じ意見だったので、視察に出かけることにする。グレースも一緒に行かないかと誘ったら嬉しそうにうなずいた。これも王都では知らなかったのだが、グレースは馬に乗れるのだ。どうやら、デュノア伯爵家の領地を管理していた関係で、姉妹で馬で領内をめぐっていたらしい。

つまり、デュノア伯爵領はナタリーとグレースの姉妹で管理していたのだ。三年……もう四年になるだろうか。前伯爵である彼女らの祖父が亡くなってから、そうやって管理してきたそうだ。

「今頃、父は困っているでしょうね」

少し前なら実家を気にしていただろうが、今となってはグレースもそう言って苦笑するだけだ。伯爵夫人である母と、跡取りである弟には領地の管理などできないだろう。この秋の納税にだって困っているはずだ。春ごろには伯爵家の中の家政も財政も回らなくなっているはずだ、と言うのが彼女の見立てだ。

「多分、父はやればできるんですよ。人並程度には」

それを母と弟が余計なことをして邪魔をするのだ。父は母に弱いから、絶対に回らなくなっている、という。

「お前たちはどうしていたんだ?」

「私たちが管理していた時は、完全に両親を排除していましたから。面倒くさいことをしなくていいなら、娘に押し付ける人達ですから」

なるほど。そうしてこのたくましい姉妹が出来上がっていったのか、とユーグはむしろ感心した。グレースの頭がユーグの肩にこてんと乗せられる。

最近は、たまにだが、こうして甘えられることがある。姉のナタリーには甘えていたようだから、彼女と同じくらいの立ち位置には来られただろうか、とユーグはひそかに感動している。

「だから、思うんです。お姉様は計算ができる人でした。そんな人が、妹を放って駆け落ちなんてするでしょうか」

「……」

やはり、グレースもそこに行きあたるんだな、と思った。その通りだ。ナタリーが駆け落ちする、というのは、とても違和感があるのだ。ユーグが気づいたぐらいだから、より付き合いの長いグレースが気づくのも当然だ。ナタリーの失踪当時は動揺していただろうが、状況が落ち着いてくれば気づくに決まっている。

「これはお姉様の策略の一つなのではないか、と言う気がします。かといって、何を狙っているのかよくわかりませんけれど……」

実家の没落でしょうか? とユーグの肩に頭を預けたまま大真面目に言う。ユーグも真面目過ぎてつまらない、と言われるタイプだが、グレースも真面目過ぎてちょっとずれている気がする。

ユーグにはすでに、ナタリーの計略の一部が見えている。ナタリーは成金のおっさんに嫁ぐ、ならまだしも、売られそうになっていた妹をユーグに娶らせるために失踪したのだ。少なくとも、それが作戦の一部だったと思う。それ以上のことは、ユーグにもわからないが。

「今のままだと、確実に没落すると思うのです。離縁となった際には、どこかに紹介状を書いていただけると嬉しいです」

こうして甘えた仕草を見せるのに、グレースの中では夫婦のままでいる、と言う選択肢がないのだ。わずかにいらだち、ユーグはグレースの肩をつかんで顔をのぞき込む。彼女はきょとんとしていた。

「ユーグ様?」

「このまま、夫婦でいると言う選択肢もあるだろう」

「ええっと……」

グレースは多分、周囲の目を気にしている。没落した貴族の娘など妻にしていては、ユーグに、ひいてはフォートレル男爵家の名に傷がつくと思っているのだろう。商売で成り上がった成金と言われているフォートレル男爵家に、名が傷つくようなことはない。

「……離婚の話をされて面白くないと思う程度には、俺はグレースのことが好きなんだが」

ここまではっきりと言うと、グレースもさすがに理解したらしい。驚きに目を見開いて、すぐにカッと頬を赤くした。なんとなく察してはいたが、悪くない反応だ。

「で、でも、ユーグ様はもともと、ナタリーの婚約者で」

「だが、結婚したのはグレースだ」

「そうですけど……うぅっ」

赤い頬を両手で押さえるしぐさがかわいらしい。誰だ、彼女を可愛くないなどと言ったのは。頬を押さえる彼女の顎に指をかけて上向かせた。彼女の両手が胸元に降りる。

「こういう時は目を閉じるものだと思うんだが……」

何分、ユーグにも経験がないことなのでよくわからないが、たぶん。グレースははっとした様子でぎゅっと目を閉じた。少し笑って、顔を近づける。

と、ノックがあった。

ユーグは気にしなかったがグレースはびくっと体をはねさせて目を開けた。少し残念に思いながら体を離す。それからユーグは外に声をかけた。

「入れ」

入ってきたのは執事だった。

「ユーグ様。近くの村から使者だと言うものが来ております」

「わかった」

たいていこの時期になると、このあたりでは風邪がはやる。まあ、冬にははやるものだと言ったらそれまでだが、時には死者が出るので領主一家の一員としては対策を取らねばならない。

「ではグレース。夕食は共に取ろう」

そう言ってユーグは彼女の頬に口づけ、グレースが何か言う前に立ち上がった。書斎の扉を閉めたところで、執事が指摘する。

「ユーグ様、顔が赤いですよ」

「うるさい」

大いに自覚があった。