作品タイトル不明
【15】
しかし、いい感じに力が抜けたので、もしかしてユーグなりの気遣いだったのでは、とグレースは思ったりもしたが、たぶん、ただの天然だと言うのが正しい。
「グレース、お兄様」
ひらひらと手を振り、レナエルが近づいてきた。夫のヴァンタール男爵子息が自分の妻の兄を見て少し驚いた表情になった。
「結婚相手が変更になったと聞いたときは驚いたが、なかなかお似合いじゃないか」
当然だが、そう言ったヴァンタール男爵子息はユーグとグレースの結婚式に参列している。
「そう見えているのならうれしい」
真顔で言うのでどこまで本気かわからないが、ユーグがうなずいてそう言った。男爵子息は面白そうで「君がそんなことを言うなんてねぇ」と笑っている。
一方のグレースはレナエルに話しかけられていた。
「なかなか似合ってるじゃない。見立ては正しかったようね」
「はい……お姉様もお元気そうで」
緊張から定型文しか出てこないが、グレースがレナエルと会ったのは、二日ほど前だ。全然久しぶりではない。こういう時、どんな話をすればいいのだろうとグレースは内心混乱しているが、レナエルがぐいぐいきた。
「ま、お母様の見立てなら当然よね。もっと自信ありげな顔をしなさいよ。大丈夫よ。似合ってるんだから、当然って顔で微笑んでれば、お兄様が何とかしてくれるわよ」
「俺か」
突然振られたユーグが反射的に言ったが、レナエルは「他に誰がいるのよ」とあきれ顔だ。レナエルの夫は「相変わらず仲がいいね」とおっとりと笑っている。優しそうだが、結構図太い人なのかもしれないと思った。
「……まあ、レナの言う通りだ。グレースは当たり前の顔をして俺の横にいろ」
「頑張ります……」
自分で何とかせずに丸投げ、と言うのが慣れないのだな、と気づいたのは、夜会が終了して屋敷に戻り、寝る直前のことなのでこの時点でグレースは気づいていない。
とにかく、顔を上げて前を見る。目が合ったユーグにやさしく微笑まれて目をそらしそうになったが、じっと見上げてみた。今度はユーグの方がたじろぐ。
「……グレースは可愛いけど、お兄様の照れる姿なんて何の面白みもないわ」
「お前は相変わらずの辛辣さだな」
レナエルの夫は相変わらず笑っている。「確かに女の子の照れる姿は可愛らしいよね」とレナエルに同意するのでユーグの顔が引きつっている。別に可愛いと言われたいわけではないから構わない、とユーグは主張している。
少し緊張がほぐれたところで国王陛下にあいさつに行った。国王は三十代半ばの精悍な男性だ。フォートレル男爵家の跡取りの婚約者が失踪したことを知っているのだろう。これが代わりの嫁か、と言わんばかりの目で見られたが、特に何も言われなかった。むしろ王妃の方が嫌悪感丸出しの表情だった。節操がなくてごめんなさい。
「大丈夫か?」
自分で鈍いことを自覚しているユーグも、王妃の視線に気づいたのだろう。気づかわし気にグレースに尋ねた。はい、とグレースはうなずく。
「私が姉の代わりにユーグ様に嫁いだのは、変えようのない事実ですから」
「そうなんだが……俺はお前と結婚できてよかったと思っているから、少し気になっただけだ」
「まあ」
人の感情の機微に疎いユーグだが、こういう時嘘は言わないので本音なのだろう。グレースもユーグに気遣ってもらっている自覚がある。ナタリーのようにはできないとわかっているし、ある種の劣等感は消せないが、そう言われてうれしくないわけではない。
「私も、ユーグ様が気遣ってくださってうれしいです」
頬が赤くなるのを自覚しながら言うと、ユーグが顔をそむけた。きょとんとして「ユーグ様?」と顔をのぞき込もうとするが、避けられた。なんなのだろう。
「ちょっと待ってくれ。不意打ちだ」
「……何がでしょうか」
「……グレースがいつにも増して魅力的だと言うことだ。俺から離れないように」
「はあ……もちろんです」
一人になるのは怖いので、グレースはユーグから離れるつもりはない。まあ、ずっと一緒と言うわけにもいかないだろうが。少なくとも、グレースの家族と遭遇するときには一緒にいたい。利用するようで申し訳ないが、ユーグが一緒なら家族も滅多なことは言わないだろう。おそらく。
再び合流したレナエルは、グレースに自分の友人を何人か紹介してくれた。おそらく、そう言う人を選んで紹介してくれたのだろうが、明るく優しそうな人が多かった。ユーグとレナエルの姉とも挨拶ができた。
「お姉様、知ってると思うけど、お兄様の妻のグレース。グレース、姉のジョゼットよ」
「もちろん知っているわよ。結婚式以来ね、グレース。お久しぶり」
その結婚式ではろくに挨拶もできていないのだが、ジョゼットは気さくに話しかけてくれた。グレースは内心ほっとする。ジョゼットはレナエルよりもユーグと似ているように見えた。
「お久しぶりです。ジョゼット様」
グレースも挨拶を返して微笑んだ。ジョゼットも緩く微笑む。
「グレースは素直で可愛いわね」
明らかに美人であるジョゼットに嫌味なく言われて、グレースは少し反応に困った。挙動不審だったからか、ジョゼットはくすくす笑い、レナエルは姉に反論している。
「その言い方じゃ、私が可愛くないみたいじゃない」
「可愛くないわけではないけど、生意気よ」
それが姉妹喧嘩だとわかる口論だったので、グレースは少し懐かしくなった。助け合って生きてきた、比較的仲の良い姉妹だと言う自覚はあったグレースとナタリーだが、全く喧嘩がないわけではなかった。言い争いをすることもあったし、口を利かなくなることもあった。
だが、すぐに仲直り……というか何事もなかったかのようにまた一緒にいた。レナエルとジョゼットも、似たようなものだろう。
「なあに。何が面白いの」
つんけんした声でレナエルが言う。ジョゼットは「レナ」とたしなめるが、グレースはくすくすと笑った。
「懐かしいなと思いまして。仲のいいご姉妹ですね」
「そうでもないわ」
「悪くはないけれど」
レナエルとジョゼットが、互いの発言を聞いて顔を見合わせている。グレースは微笑む。やはり、仲の良い姉妹だった。
ジョゼットとレナエルとは別れ、グレースはユーグについていく。エスコートされるのに、まだ慣れない。一応、嫁いできてから礼儀作法は叩き込まれているのだが。
「歩くのが速いか?」
気を使ってユーグが尋ねてくれた。グレースは首を左右に振る。
「いえ……すみません」
なれない質のいいドレスに、慣れない瀟洒な靴。普段からもう少し、いいものに慣れておくべきだった。歩きづらい。
「……今度から、君をエスコートする時間を作るか」
ドレスやハイヒールで歩く練習は一人でもできるが、エスコートやダンスの練習は相手がいないとできない。これも慣れが必要なのだと初めて知った。
「できればお願いします……」
実家ではそう言ったことをするはずがないから、グレースは正真正銘初めてのエスコートだった。消沈しているのがわかったのだろう。ユーグは「わかった」と苦笑し、グレースの手をなだめるようにたたいた。
ユーグと、途中でレイモンとアメリーとも合流してあいさつに回るが、ほとんどの人間が好奇心かいぶかしむような視線をグレースに向けた。これまで社交界に出なかった弊害だろうか。失踪したナタリーの評判がよかったせいもあると思う。