作品タイトル不明
【11】
「……落ち着いたか?」
嗚咽が小さくなったのを確認し、顔をのぞき込むと、グレースは小さな声で「すみません」と謝った。目と鼻が赤く、まだ涙の幕が張っている。ぱちぱちと瞬くと涙のしずくがこぼれて落ちた。手でこすろうとするので、手を押さえてハンカチで目元をぬぐってやる。
「別にいい。俺も配慮が足りなかった。我慢していたんだろう」
「がまん……」
よくわからない、と言うようにグレースは視線をさまよわせた。ユーグは肩をすくめる。とりあえず、泣き止んだようだ。
「君が大丈夫ならいいんだ。そうだな、何か飲むか?」
「……そう言えば、喉が渇いた気がします」
けろりとしてグレースが言うので、ユーグは思わず笑ってしまった。泣いたせいだろう。どうやら本当に大丈夫そうだ。
「何か飲むものを買って来よう」
そう言って立ち上がろうとしたのだが、中腰になったところではっとした。急に動きを止めたユーグを、グレースがきょとんと見上げている。その目は赤く、明らかに泣いていたことがわかる。こんな少女を一人、ここに残していけないことはユーグにもわかった。
「……グレース、一緒に行こう」
「はい」
あまり理解していなさそうだが、グレースはすんなりとうなずいて、ユーグに引っ張られて立ち上がった。
一人で座らせておくのも不安だが、歩いている間も周囲からの視線が痛い。明らかに泣いたことがわかる女性を連れた男だから当然と言えば当然なのだが。だが、グレース本人は気にしていないようで、むしろ少し楽しそうだ。
ユーグが彼女を連れて入ったのはカフェだった。テイクアウトもできる菓子が売られており、幾度かナタリーに渡したことがある。ナタリーのことだから、絶対に妹と分けていたし、それを承知でユーグも少し多めに渡していた。
明らかに泣いた女性を連れてきたことで、ユーグは怪訝に店員に見られたが、グレースがもう泣き止んでいること、彼女が興味深そうに店内を見渡していることから、店員たちはユーグが泣いた彼女のご機嫌取りに店を訪れたことを察したようだった。
「甘いものもお持ちしましょうか」
紅茶を頼んだユーグとグレースに、ウェイターが微笑んで提案してきた。ユーグは最初からそのつもりだったので、「頼む」とうなずいたが、グレースは「そんな贅沢な」と首を左右に振っている。
「せっかくだから、店内でしか食べられないものがいいだろう」
「……えっと」
グレースの言葉が聞こえなかったふりをしてユーグが言うと、ウェイターは「本日はフリュイのタルトがおすすめですよ」と教えてくれた。グレースの唇が「タルト」と動く。ユーグは思わず笑った。
「では、彼女にそれを頼む」
「かしこまりました」
ウェイターが注文を受けて下がるのを見て、グレースが困惑している。彼女は別に、ねだる気はなかったのだろう。ユーグは肩をすくめた。
「ここのガトーはおいしいぞ。今回はタルトだが。タルトは食べたことがあるか?」
「一度……いえ、そうではなくて」
「好意は受け取ってくれると嬉しい。ただ俺が見栄を張りたいだけだからな」
前にも似たようなことを言ったことがある。それを思い出したのか、グレースも破顔した。
「……はい」
はにかむ笑顔が可愛い。そう言えば、ナタリーのことは美人だと思っていたが、可愛いと思ったことはなかったな、と漠然と思った。
「お待たせいたしました」
二人の前に紅茶と、グレースの前には果物のたっぷり乗ったタルトが出される。赤らんだ目元のまま、グレースは目を輝かせた。機嫌が直って何よりだ。いや、機嫌を損ねたときは甘いものを出しておけばいいとか、そんなことを考えていることは断じてない。
「食べていいんだぞ」
キラキラしてる、と見つめてばかりいるので、ユーグが促すと、グレースは「ありがとうございます」と少し頬を赤らめてフォークを手に取った。フォークでタルトを小さく切り、口に入れる。
「おいしいです」
目を細めて微笑んで言う彼女に、様子をうかがっていたウェイターも安心したように息を吐いたのがわかった。これだけ喜んでもらえるならうれしいだろう。
「そうか。ガトーやタルトの類は、持ち帰るのが難しいから店内で食べるしかないからな」
正確には持ち帰ることもできるが、ユーグはナタリーに渡したことはない。もらってから帰宅するまでに時間がかかるため、生ものは向かないのだ。そのほかの焼き菓子なら、日持ちがするので、それをナタリーに渡していた。
「……ユーグ様には申し訳ないのですが、姉がいただいたお菓子を何度か分けてもらったことがあります。ここの物だったのですね」
それはナタリーだけではなく、グレースの口にも入るように用意したものだ、とは言わずに「別にかまわない」とユーグは答えた。
「捨てられたわけではなく、おいしく食べられたのなら本望だ」
滅多に甘いものが食べられなかっただろう姉妹に、おいしくいただかれたのならユーグにとっても作ったものにとっても本望だ。
「ふふっ。はい」
一度楽しそうに笑い、グレースはタルトを崩さないように小さく切り分ける。もう一口食べた後、フォークにとったタルトをユーグの方へ差し出した。
「ユーグ様もいかがですか」
といっても、ユーグ様が買ってくださったのですが、とグレース。それもそうだが、そうじゃない。いわゆるあーん、の状態だがグレースは気にしないのだろうか。
小首をかしげるグレースを見ていると、自分だけが意識しているようで逆に恥ずかしくなってきた。意を決してフォークを口に含む。
「……うまいな」
ですよね、とグレース。果物の酸味と甘いクリームが互いを引き立てている。甘いものが苦手でも食べられそうだ。ユーグは比較的、好きな方だと思うが。
グレースが機嫌よくタルトをほおばるので、店内の雰囲気も少し和んだ。店に入った時は、明らかに泣いた痕のある女性が入ってきたので、店員たちがぴりっとしていたのだ。
それにしても、グレースはユーグにタルトを手ずから食べさせたことも、同じフォークを共有していることにも頓着していないように見える。意識しているのがユーグだけだと思うとさすがに少々気落ちするし、全く男として見られていないのだな、とわかった。一応、夫婦なのだが。
だが、ユーグ自身もグレースはナタリーの妹、と言う意識が強い。グレースもそうなのだろう。二人の間には、ナタリーが挟まっている。ナタリーを通してお互いを見ていたので、夫婦となってもその感覚が抜けないのだ。
店を出るときに、グレースが好きだと言う菓子をいくつか購入し、持ち帰ることにした。髪飾りの時よりも嬉しそうなグレースに、ユーグは提案する。
「明日にでも、今買った菓子でお茶を飲もう。二人で」
「はい」
あまりわかっていなさそうだが、グレースが快く了承したのでよしとする。しっかりしていても、彼女は十六歳の少女だ。年上のユーグがリードしてやればいい。……できるかどうかは別にして。