軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【10】

屋敷を出て、歩いて中心街に向かった。馬車でもよかったが、グレースは歩いていく方が好きだろうと思った。ナタリーがそうだったし、実家であるデュノア伯爵家の財政状況を考えても、馬車に乗り慣れないはずだからだ。

だが、歩き出してしばらくして、ユーグはグレースと距離ができていることに気づいた。振り返ると、グレースが小走りにかけてくる。

「す、すみません」

せっかくにこにこしていた顔が、恐縮したようにこわばった。ユーグはいや、と首を左右に振った。

「歩くのが速かったな。すまん」

「い、いえ……」

手を差し出すと、きょとんとされた。しかし、このやり取りはすでに何度か行っている。すぐにはっとなったグレースは、ユーグの手に自分の手を重ねた。ほっそりした手をぎゅっと握る。

「速かったら、遠慮なく引っ張ってくれ」

「ふふっ。わかりました」

そうはいっても、グレースが実際にユーグを引き留めるようなことはないだろうから、ユーグが気にしなければならない。手をつないでゆっくりと歩きながら、ユーグはいきたいところはあるかと尋ねた。

「……わかりません」

想定の範囲内だが、もう少し突っ込んでみる。

「ナタリーとはどこに行っていたんだ?」

ナタリーからもグレースからも、姉妹で出かけた話を聞いたことがある。グレースは「そうですね」と首を傾げた。

「大抵はマーケットですね。雑貨屋やブティックに行くこともありましたが、大抵は冷やかしでした」

「そうか」

伯爵家の経済状況を考えれば、妥当な話だ。マーケットには普通に食材を買いに行ったのだろうし、雑貨屋はペンや紙が必要になることもあっただろう。ブティックだって、既製品の小物をそろえに行くこともある。ドレスなどは手が出なかっただろうが、小物をそろえたりしていたのかもしれない。

本当に仲の良い姉妹だったのだろう。話を聞くと、微笑ましくなってくる。ユーグも兄妹と仲が悪いわけではないが、この二人ほどではない。

「ひとまず、俺の用事に付き合ってもらっていいか。商会の店の一つなんだが」

「はい。むしろ、行ってみたいです」

最近、母がグレースに商会の仕事を仕込み始めたようなので、興味があるようだ。グレースは数字の流れを読むのがうまい。もっと簡単に言うと、経済を読むのがうまい。面白がった父があれこれ教えたため、母が後を引き取って仕込んでいるようだ。本人曰く、やむを得ない事情で勉強したそうだが。

「こちらだ」

話をしながら歩いているうちに到着した。大きくはないがきれいで装飾の凝った店構えに、グレースが引いているのがわかった。

「入るぞ」

「……はい」

意を決したようにグレースがうなずくので、ユーグは思わず笑った。そんな気合十分な状態で身構えなくても大丈夫なのに。

「いらっしゃいませ……若君」

少し驚いたように店長を任されている支配人が挨拶をした。ユーグは少しぶぜんとした表情でグレースを押し出す。

「妻だ」

「グレースです」

気おくれした様子ではあるが、しっかりした口調でグレースは名乗った。名乗ったのに、「若奥様ですね。初めまして」と微笑まれて戸惑っている。ユーグもさんざん「若様はやめろ」と言っているのに改められないので、もはやあきらめている。

「グレース、店の中は自由に見ていい。気に入ったものがあったら言ってくれ」

「はい」

最初の衝撃からの気おくれから立ち直ったグレースは、興味深そうに店に並んだ商品を眺める。ユーグは一度奥に行って在庫や売れ行き、商品の品質などを確認するとまた店の方へ戻る。そこでは、グレースがトルソーに着せてあるドレスの縫製を気にしていた。きれいにできているので、教えてほしいらしい。店員は店員であって、針子ではないので戸惑っている。

「面白い方ですね、若奥様は」

店員がたじたじになっている様子を見て、この店の支配人が言った。ユーグは「否定はしない」と肩をすくめる。変わった娘だが、悪い子ではない。

今日のグレースの髪型はハーフアップだ。黒いリボンで束ねていて、似合ってはいるが、栗毛の彼女には少々暗いような気がする。

「女性用の髪飾りはあるか? できればバレッタがいいな。明るめの色で……」

ユーグが支配人に話しかけると、初老の支配人は「若奥様に似合いそうなものを見繕ってきます」と心得たように言った。そう言われると、気恥ずかしいのだが。

支配人が五つほどの髪飾りを見繕い、箱に入れて持ってきた。ユーグはそれを手に取って眺め、銀色のものを手に取ると今度は造花の仕組みを観察しているグレースの髪に充てた。手が頭に触れ、さすがのグレースもびくっとしてこちらを見た。

「な、なんでしょうか」

「ああ、こちらは勝手にやるので気にしないでくれ」

「気になります……」

唇を尖らせてグレースが訴えた。その唇をつついてやりたい心地になりつつ、ユーグは言った。

「そうか。それで、俺はリボンよりこちらの方がいいと思うんだが」

「はあ……」

よくわからない、というようにグレースは首をかしげる。後ろを向くように指示すると、彼女はすんなりと背を向けた。髪型を崩さないようにリボンをほどき、バレッタに着け替える。今日の装いでは、こちらの方が合っている。

グレースはどうなっているのか気になるようで、手でバレッタを触っている。気を利かせた支配人が手鏡を持ってきて、グレースに持たせる。彼女を大きな姿見の前に背を向けて立たせ、頭の後ろを見せた。

「いかがでしょう?」

「……なんだかおしゃれなことはわかります」

嫁いできたころに比べればいくらかマシな回答だった。無理強いするつもりはないが、服飾を扱う商会を営んでいるフォートレル男爵家に嫁いだのだから、もう少しわかるようになってくれると助かる。

「よく似合っておられますよ」

フォローするように支配人が言った。別の店員に、ユーグは小突かれる。何か言え、と言うことらしい。

「似合っている」

ユーグがそう言うと、グレースが少しはにかんだ笑みを見せた。その笑みに、ユーグも少し照れた。自分が選んだものを身に着けてくれて、それが似合っているということにわずかながら満足感を覚えた。

「他にもいかがですか。帽子とか」

と、女性店員が今はやっている女性用のつばの広い帽子を差し出す。グレースは驚いて首を左右に振った。

「いっ、いいえ!」

「そうですか?」

お似合いだと思いますが、と女性店員は首をかしげている。グレースはふるふると首を左右に振る。力いっぱい拒否されて困惑した女性店員がユーグを見た。ユーグは肩をすくめた。

「今日のところはいい。グレース、次に行こう」

「あ、はい」

手を差し出すと、今度は素直に手をつないできた。店員たちにニヤニヤされながら店を出た。

「どうだった?」

「縫製が興味深かったのですが、教えてもらえませんでした」

違う、そうじゃない。と言うような回答が返ってきたが、まあいいだろう。

「裁縫が好きなのか?」

「好きと言うか、服を繕うことが多かったので」

ああ、と思った。デュノア伯爵家で、グレースはナタリーのお下がりを着ていたという話だから、服を詰める必要があっただろう。

「あ、あの」

グレースが緊張気味にユーグを見上げる。次は公園にでも行こうかと考えていたユーグはグレースを見下ろした。

「ありがとうございます。髪飾り……」

改めて礼を言われ、ユーグは思わず目を細めた。

「いや、俺の自己満足でもある。喜んでくれたならよかった」

「うれしいです」

はにかんだ笑みが可愛い。初々しいカップルの雰囲気を醸し出したまま、公園を散歩することにした。時期的に、紅葉が見事なのである。

「きれいですねぇ」

赤や黄色の葉がはらはらと舞い落ちるのを見て、グレースがつぶやくように言った。ユーグは「そうだな」とうなずく。

「寒くなる前に、ピクニックに来るのもいいかもしれないな」

広い芝生の上でシートを広げ、休んでいるカップルや家族連れを見てユーグはふと言った。深い意味があったわけではないが、案外お転婆なところがあるグレースが好きそうだと思ったのだ。

つないでいた手が引っ張られ、ユーグは驚いて立ち止まった。隣を歩いてたグレースが立ち止まったので、引っ張られたのだ。

「どうした?」

振り返ってぎょっとした。グレースは泣きそうに瞳を潤ませていた。

「ど、どうした……?」

「お、お姉様が」

ナタリーがどうしたと言うのか。

「お姉様が、今度、お弁当を持って紅葉を見に来ようねって……結婚した後になるだろうけど、一緒に来ようねって約束したんです……なのに……」

お姉様ぁ、といつもより幼げな声を出して泣きじゃくるグレースに、ユーグは焦った。ここは公園の遊歩道のど真ん中で、紅葉を見に来ている人がたくさんいる。周囲の視線が痛い。

「グレース……」

戸惑いながらもひとまず道を開けるべく、グレースの肩を抱いて遊歩道の脇に移動する。ベンチに座っていた老夫婦が場所を譲ってくれたので、礼を言ってグレースを座らせた。隣に座ってそっと抱きしめる。昔、母がやってくれたことを思い出したのだ。

「大丈夫だ。大丈夫……」

言い聞かせるようにつぶやきながら、抱きしめたグレースの背をたたく。縋りつくようにぎゅっと服の背を握られる。

抱きしめるからだは華奢だ。いくら大人びたしっかり者だとしても、彼女はまだ十六歳の少女なのだ、と思い知らされた。

これまで、泣いたところを見たことがなかった。そんな余裕はなかったのだろう。だが、ナタリーとグレースは仲のいい姉妹だったし、お互いを支えあって生きてきた仲でもある。そんな相手がいなくなって、悲しくないはずがない。

ナタリーはこの妹を愛しんで生きてきたのだろう。そうでなければ、多少卑屈であるとはいえ、こんなにまっすぐ成長するはずがない。その姉がいなくなった。ならば、代わりにユーグがグレースを愛しもう。