軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

散々な始まり。

明日の出発までに、アインには片付けておきたい仕事がいくつかあった。

その仕事をこなすためにも、ララルアとの会話の後、アインは執務室で黙々と机に向かっている。

夕食も執務室でとりながらも、慣れた手つきでその仕事を片付けていった。

——コンコン。

「はい。どうぞ」

「失礼致します……ご所望の、診断書をお持ちしたのですが……」

やってきたのはバーラ。彼女の場合は、白衣が正装のため、アインの執務室であろうともその服装でやってくる。

「あぁ、ありがとう。こっちに持ってきてもらっていい?」

畏まりました。と返事をして、アインの側に進むバーラ。その手には、大きめの封筒に詰められた書類が握られていた。

「それではこちらが、クローネ様の分です。そしてこちらの封筒がクリス様ので……」

「うん、後で中を確認させてもらうよ。……基本的には、症状は同じなの?」

「そうなります。高熱と腹痛、人によっては頭痛も併発しますが、お二人にはそうした症状はございませんので」

「じゃあ、バーラが言ってたように、一週間もすれば元気になれるのかな」

「経過にもよりますが、一週間もあれば快調に向かわれるかと」

その返事を聞いて安心した。

ふぅ、と一息ため息をつき、途中だった書類から目を離す。

「はー……こっちも一息ついたよ」

「お疲れ様です。今は確か……ハイムとの件でしたっけ」

「そうそう。面倒なことだらけだけどね」

「……お察しします」

二人して苦笑いを浮かべ、アインは少しばかりの世間話を口にしはじめる。

「あの人も、弟とか王子を 抑(おさ) えてくれたらいいんだけど……」

「……あの人というのは、一体誰の事でしょうか?」

面倒そうな顔で、アインが口にした言葉。バーラはその人が誰なのか気になった。

「元・父だよ。まぁ他国の話だから、そんなに口出しする気はないけどね」

「あ、あぁ……なるほど、そういうことでしたか。——そういえば、私も父には苦労させられてました……」

「ん?バーラのお父さんってこと?」

「はい。私もメイも……それに母も、父には苦労させられましたから」

そう語ったバーラの顔は、苦笑いを浮かべながらも、複雑そうな表情をしていた。

「聞いてもいい?そういえば、バーラのお父さんについては聞いたことなかったからさ」

「勿論です。ただ、聞いても面白くないとは思いますが……。では僭越ながら、お話致しますね」

正直に言えば興味があった。

彼女の母については、過去に何度か聞いた事がある。だが今思えば、父については聞いた事が無い。

失礼ながら、ただ死んだものと考えていたからだ。

「といっても、幼いころに何処かにいってしまったので、あまり覚えてないのですが」

「どこかに行った……?」

「『興が醒めた』といって、急に私たちの許を去っていったんです。母も意味が分からず、しばらく父の事を探したんですが……見つからなくて」

苦笑いを浮かべて口にするが、その内容はなかなか重苦しい。

「……それから、スラム街に住むように?」

「い、いえいえ!元からスラムに居たので、生活はほとんど変わらなかったんですが……振り回されっぱなしでしたので」

アインは思った。

むしろ自分の父なんかより、よっぽどひどいじゃないかと。

ローガスは思うことがあったにせよ、少なくとも、アインに十分な食事と住む場所は確保していた。

そうした面を比べれば、バーラの父よりは、ましなのかもしれない。

「お互いに大変だったね、それは」

「ですがその後、殿下に連れてきて頂けました。それだけで、私もメイも十分幸せなんです」

「……不便はない?」

「あ、当たり前じゃないですか!」

アインの言葉を聞いて、アインの近くで大きな声を上げたバーラ。

「っ……も、申し訳ありませんっ!つい興奮してしまって……」

「大丈夫だよ、ちょっとびっくりしたけど」

急な態度には驚いたが、バーラの必死な思いは伝わった。

「……私たちは、これ以上は望みません。ただこうして、此処で暮らせて幸せなので」

「——うん、それならよかった」

「って、急に申し訳ありません。こんなつまらない話をして……では、私はそろそろ仕事に戻りますね」

思い出したかのように謝罪をし、バーラはアインの近くから離れ、入り口に向かって行く。

「では殿下。何かありましたら、またいつでもお呼びください」

「うん、ありがと。それじゃこの診断書も、後で読ませてもらうよ。……それと、二人にはこの手紙を渡してもらえる?」

「……確かに受け取りました。では後ほど、経過を確認しに行く際にお渡しいたしますね」

本当なら、彼女たちが休む部屋に行きお見舞いがしたい。

だが、今はそれが許されない為、アインは心配している旨を書いた手紙を用意した。

——失礼します。

手紙を受け取ったバーラがそう口にして、アインの執務室から立ち去る。

「いろんな"父"がいるんだなあ……」

人の数だけ家族の形がある。アインはバーラの話を聞いて、皆が何かしらの苦労をしているのだろう……そう実感する。

「さてと。それじゃ、二人の体調について確認しておこうかな……っと、その前に」

アインは立ち上がり、窓に近づきそれを開ける。

すると夜の涼しい風が入り込み、部屋の空気が入れ替わっていく。空には満天の星空が広がり、雲一つない美しい夜空が、アインの視界一杯に広がった。

「マグナで先に待ってるからね。二人とも」

アインが目にしたように、イシュタリカ周辺では満天の星空が見られた。

それから数時間後の大陸の近海では、嵐のように天候が悪化していた。

バードランドを出発した船は、悪天候の中を必死になって進んでいるのだった。

「こ、こんなに揺れるのね……」

「今日は天候が悪いようです。どうかお気を付けください」

——何を気を付ければいいのよ……。

エレナがそうした不満を考える程、イシュタリカへの道のりは険しかった。

窓一つない木造の船内。

そこに用意されたエレナの部屋は、不快な湿度と籠った空気で居心地が悪い。

だがそれでも、商人が乗る船はこれでも造りがいい方だった。

冒険者たちがのる船ともなれば、これ以上に劣悪な環境だ。

雑魚寝でトイレも無い、船に使われる素材も安物のため、揺れや軋む音が厳しいのだ。

「あと、どのぐらいかかるのかしら……」

「そうですね……。おそらくは、半日程度かと」

半日もすれば、地上に出られる。その言葉を聞いて、エレナは希望を取り戻した。

……はっきり言って、イシュタリカへの道のりを舐めていた、ここまで厳しい旅になるとは思ってなかったので、そうした無知な自分を恥じる。

「わかったわ。それなら耐えられそう」

「それはなによりです。では私は、自分の部屋に戻りますので」

「えぇ。何かあったら呼ぶから、わざわざありがとう」

そうして彼はエレナの下を離れて、部屋というには、納得しにくい部屋へと戻っていく。

「……本当に意味が分からない。こんなに長い時間かけてるのに、イシュタリカの船はこの半分……いえ、四分の一程度の時間で到着するだなんて」

どんな技術で、そんな船を作ったのだろう?

技術的な事を説明されてもわからないが、それでもどのような造りなのか興味が沸く。

——ギイィィ……。

「っ……も、もうっ!急に揺れるんだから……」

軋む音を上げて、エレナが乗る船が大きく傾く。

荒波を進むことで、船体にも多くの波が押し寄せている。

「どうやったら海で揺れないのよ。どうやったらそんなに早いのよっ……!」

環境の悪さに、何故かイシュタリカの技術力を責めたくなった。

意味のない言葉ではあるのだが、こうした声でも出さねばやってられない。

「っエレナ様?何か大声が聞こえたのですが……」

先程去っていた文官が、エレナの声を聞いてやってきた。

「ご、ごめんなさい。揺れに驚いてつい」

イライラして声を出したなんて言えるはずもなく、先ほどの大きな波に責任転嫁する。

「あぁ、なるほど。確かに大きな波でしたね……」

「そうよね?……それにしても、イシュタリカの船は、こうした波も気にならないと聞くけど。本当に意味が分からない技術力だわ……」

「……確かに、私もイシュタリカが"羨ましく"て、"まるで楽園"のように感じてしまいますよ……」

付き添いの文官がそう考えてしまう程、イシュタリカの技術力というのは魅力的だった。

「私も、もう寝ることにします。エレナ様、貴方様もお休みする方が、きっと楽かもしれませんよ」

「……そうね。そうするわ、そのほうがいいみたい」

寝て起きて、少しすればイシュタリカだ。

そう思えば少しは気が楽になり、この苛立ちも納まる気がした。

「では。おやすみなさいませ、エレナ様」

「えぇ。おやすみなさい……」

文官が再度立ち去ったのを見て、エレナは苛立つ気持ちを抑えながら、肌触りの悪い寝具に身を包んだ。

——早く寝つけて、起きたらすぐにイシュタリカでありますように、と。

次に目を覚ました時は、気分が最悪だった。

——ドンドンドン!

ドアの外からは、自分の部屋を叩く音が響く。

寝起きにその音が不快でたまらなく、寝心地の悪い寝具のせいか、身体の調子もよろしくない。

「なによ、もう……」

むくっ、と体を起こし、ドアに近づくエレナ。

「——誰?」

「エレナ様。ようやくイシュタリカに到着致しました!ついに到着したんですよ!」

——っ!?

「ほ、本当にっ……!?」

ドアを勢い良く開けて、外で待つ文官の顔を見た。

彼はエレナの様子に驚いていた様子だったが、それでもすぐに表情を戻し、喜ばしい顔に変わっていく。

「はい!荷物を持って、外に出ましょう……っ!数日ぶりの朝日が待ってます!」

「え、えぇ……そうね!」

もう早くこんなところから外に出たい。

エレナはそう思って、自分の荷物を手に取って、急いで甲板に向かって足を運ぶのだった。

エレナが長い時間寝ていたため、二人は船から出るのが遅れている。

そのため、すでにほかの乗客たちは下船しているらしく、通路には他の乗客の姿はない。

「エ、エレナ様っ!お待ちくださいっ……!」

「ほら、貴方も早く!久しぶりに陽の光を浴びたいの!」

寝る前までの元気のなさや、寝起きの身体の強張りが消え去って、上機嫌で進み続けるエレナ。

通路を進み終え、角度が急な階段を上り始める。

「もうっ……じれったいわね!」

自分の考えが甘かった。そうした自覚はあったのだが、今は素直に到着したことを喜びたい。

そして早く陽の光を浴びて、外の景色を目にしたい。その一心だった。

「……さぁ、開けるわよ」

階段を上り終え、目の前に見える木の扉。

そのドアノブに手をかけて、エレナは意を決してその扉を開く。

「っ眩しい……」

久しぶりの朝日が目に染みて、あまり目を大きく開けられなかった。

「エ、エレナ様っ……急ぎすぎですよ!」

追い付いた文官がそう口にするが、エレナはただ笑って流す。

「あぁ外の空気が美味しい。外って、こんなにいいところだったなんて……」

まだ開き切ってない目を労わりながら、彼女は外の新鮮な空気を体内に運ぶ。

港町という事もあって、潮風の香りが強いが、それも決して悪くない。

そうしてマグナの空気を吸っていると、ようやく目が慣れてきた。ついにエレナの目が開き始める。

「さぁ、どんな町なのかしら。マグナは……」

念のためにと、目の上に手を当てて影を作る。

そして開かれた目には、広大に広がる港町マグナの姿だった。

最初は近場の風景から、そう思って目を開けると、どこまでも続く広い街並みが目に映る。

「——此処が、マグナ……」

コバルトブルーの海が広がり、赤い屋根に白い壁の美しい街並み。

だが一番強く感じたのは、その規模の大きさにある。

バードランドを出るときは、港町ラウンドハートにも自信があった。しかし今はどうだろうか。

「……比べていい場所じゃ、なかったのね」

二倍?三倍?いや……十倍なんて軽く超えている。それほどの広大な敷地に並び立つ、広い広いマグナという都市。

多くの人々がその町を歩き、数多くの店が立ち並んでいる。

「すごい町ですね……これは」

「……えぇ」

付き添いの文官もそう漏らし、エレナは黙って頷いた。

「その、エレナ様。あちらの方をご覧ください……」

少しの間そうしていたら、隣の文官が話しかける。

エレナはどうしたのかと思い、彼が指示した方角に目をやった。

「な、なによ……あれ」

「恐らくは、イシュタリカの艦隊かと思われます。奥の方には、もっと大きな戦艦があるようですが、ここからは見えないですね……」

確かに、奥の方にも上部がはみ出ている戦艦が見える。

それほどの大きさならば、噂に聞く王族専用の戦艦なのだろう。だがそれを差し引いても、立ち並ぶ多くの戦艦が、ただそれだけでエレナの視線を奪い去る。

「ハイムで会談を行う。そんなことをすれば、ハイムの港町なんて……数時間も持ちません」

「……本当にそうね。イシュタリカが突っ撥ねてくれて、おかげで助かったってことだわ」

勝負になってない。

相手になってない。

そんな考えが、呆然とするエレナに襲い掛かる。

実際に目にするまでは、まだ納得しきれていない部分があった。

ただ自分の想像が追い付かず、こうした現実を目の当たりにするまで理解できなかったのだ。

「あ、すみません少しよろしいですか?」

「はいはい。なんですかお客さん」

すると文官の彼が、歩いていた船員に声を掛ける。

「失礼ですが、あの奥に見える大きな船は……」

「ん?あぁー!あの船ね、あれはね」

先程の巨大な船。それがなんなのかを尋ねるが、船員の答えは、エレナの予想とは全く違っていた。

「ありゃ、騎士団の戦艦でさぁ」

「き、騎士団の……ですか?」

空いた口が塞がらなくなるほど、意外な情報を口にした船員。

「……というと、王族の方のではない……そういうことなのかしら?」

船員の返事を聞いて、たまらずエレナも口を開く。

「勿論!イシュタリカ王家の船ともなれば、あの数倍はでっかいんで、比べ物なりませんて!」

——それじゃ私はこれで!

そうして船員は去っていくが、余計にエレナたちは困惑してしまった様子。

「あ、あの船よりも巨大……?そんなのが数隻あるっていうの?」

「……言葉にできませんね」

もはや一つの町だ。

そう思わせる程の、巨大な船。それがいくつもあると思えば、もはや笑うことしかできない。

「はぁ……とりあえず降りましょうか。ここに居ても、なにも始まらないもの」

「そう、ですね……。では参りましょうか」

旅人が羽織るような布のローブを着て、二人は船を降りる支度をする。

「そういえば、護衛の冒険者たちは何処に?」

「確かにそうですね。……あ、すみません。お尋ねしても?一緒に冒険者たちの船が来たと思うのですが、その船はどちらに……」

先程とは別の船員。

丁度すれ違ったのをいいことに、文官がその船員を止めて尋ねる。

「冒険者の船?あーそういえばもう一隻来てましたね。そういや隣に泊まってねえな……どうしたんだろ」

「……お?どうしたんだお前?」

どうしたもんかと悩む船員の下に、新たな船員がやってくる。

「もう一隻あっただろ。冒険者達乗せたやつが」

「……あぁ、あったな。でもあの船は到着しねえよ、なんでも波にやられたらしい」

「おいおい……マジか」

その会話を聞いていた二人は、少しばかり顔色を悪くする。

まさか護衛予定の冒険者が乗った船。それが転覆していたとは思いもしなかった。

「お客さん。運よく海の魔物と遭遇しなくても、波にやられることもあるんでさぁ。近頃イシュタリカとの間の海では、海の魔物が激減してます。ですが波の事故ってのは、どうしても無くせないもんでして……」

商人の乗る船と比べて、造りが粗雑な冒険者の船だからこそ、こうした事故は起こりやすい。

イシュタリカでも活躍する冒険者ならば、商人の船よりいい船に乗れるだろうが、バードランドから……となれば、その船は難しかった。

「……わかりました。教えてくれてありがとう」

エレナが静かに、その船員へと礼をする。

「いえ。ではお二人とも、いい旅を」

仕事に戻っていく船員を見てから、エレナは文官に向かって口を開く。

「護衛が居ないけど、どうしましょうか?」

「ここまで来てしまったのです。なので、降りてこの町ぐらいは見て帰るべきかと……」

護衛が消えたのは心細いが、それでも彼の言うことには概ね同意する。

なにせハイムとしても、決して安くない費用を払ってここまで来ているのだ。

それをただ船の上で過ごすだなんて、到底許されることではない。

「そうね。それじゃ……気を引き締めていきましょうか」

こうしてエレナは、初めてのイシュタリカ上陸を果たした。

桟橋を歩くと、いくつもの漁船が並んでいる。だが一見すると、貴族の船かと思う程に、その造りは頑強で立派。

そんな船がただの漁船だというのだから、ハイムの民としては意味が分からない。

「ほーらほら!見てって、見てって!」

「さっき水揚げしたばかりだよ!」

数歩進めば別の出店。

それが延々と続く通りに出たエレナは、何かの祭りかと錯覚してしまう。

「これって、何かのお祭りとかじゃないのよね……」

夫のハーレイからも話は聞いている。

賑わいは勿論だが、その規模にも驚くことだろう……と。

ハーレイの言葉を信じてないわけじゃないが、それでもやはり、こんなに大きな町があるとは考えたことが無かった。

「あ、お姉さんお姉さん!このお魚いいでしょ!一本どう?」

「あら、ごめんなさい。実はまだ宿も決まってないの」

「んん?……あーお姉さんもあれねっ!ならしょうがないか!」

話しかけられた店主は、如何にも港産まれな日焼けした肌に、腕っぷしの逞しい男。

「あれ……?」

「わかってるって!お姉さんも今日のために、わざわざマグナまで来たんだろ!なーら急いだほうがいい、今日は宿を取るにも一苦労だぞ!……あーお客さん!それね、毎度っ!」

一体彼は何を言ってるのだろう。"アレ"の内容は分からないが、素直に何があるのかと聞くのも不審に思われるかもしれない。

「ね、ねぇ店主さん?今日はやっぱり、いつもより人が多いの?」

「はい毎度っー!……あー確かに多いな」

店主は話しながらも客をさばき、もう一度視点を変えてエレナを見た。

「でもここら辺はいつもと変わらねえかな。ただもうちょっと進むと、歩くの大変なぐらいだと思うぜ!なにせ、王都からあの"お二人"がやってくるってんだから、そりゃ賑わって当たり前だ!だから、迷わないように気を付けてな!」

「えぇ……ありがとう」

此処以上の人混みと聞けば、エレナも尻込みしてしまう。

今回の目的は、半分以上が試しにイシュタリカへ……とのことだったので、特に成果は求められてない。

なのでエレナとしても、イシュタリカを見ることだけに意識を向けられた。

「それじゃ行きましょうか。まずは宿を……って、あれ?」

付き添いの文官に声を掛けたつもりが、そこには誰も居なかった。

この通りに入るまでは、すぐ隣を歩いていたはずだ。……だというのに、どうして今は一人になっているのだろう。

「もしかして、はぐれたのかしら」

冷静に口にしてみるものの、内心は相当焦っている。

こんなに広い町ではぐれたとなれば、合流するのも一苦労。どちらから離れていったのかは分からないが、そんなことを考えるよりも、今は合流することを考えなければならない。

「はぁ……。前途多難ね」

二人の格好は、はっきり言って地味で目立たない姿。そうなれば、はぐれてしまうと尚更に合流が厳しくなってしまう。

——さて、どうしたものか。

「とりあえず、大通りに出ましょう。進めば大通りがあるみたいだし……」

多くの道が重なる部分なら、すれ違える可能性も高くなる……かもしれない。

そうした淡い期待を抱き、ゆっくりを足を動かし始める。

「地面も綺麗なのね」

斜めになっている場所や、凸凹になっている部分が見当たらない。

言い方を変えれば歩きやすく、歩いていても足が疲れにくいのに気が付いた。

時折、色を変えて並べられたタイルが、シンプルな模様を浮かべており、見ているだけでも気分がいい。

「こうした部分で違いがあると、やっぱり虚しくなっちゃうのよね……」

そう呟いて、ため息をつきながら大通りへの道を進んだのだった。

マグナについての土地勘はなかったが、歩きながら、頭の中で地図を作り上げていく。

狭い路地を通っては、合流しにくいかもしれない。そう思って、なるべく大きめの道を歩くように心がける。

だが本当に、この地面が歩きやすくて助かった。

こうした時に足まで疲れてしまっては、精神的にも疲れを感じてしまうだろう。

——数時間も歩き続け、なんとか合流できるようにと努力を続けた。

黙って何処かで待っていた方が良かったかもしれないが、エレナは自分から探すことを選ぶ。

マグナに着いたときの桟橋にも戻ったが、彼の姿は見当たらない。

乗ってきた船に戻ってみても、姿は見てないとの返事だった。

徐々に陽が傾きはじめ、エレナもそろそろ宿を決めなければならない。そのことを思い出す。

今日の自分は落ち着きがない。……どちらかといえば、先に宿を決めてから合流を目指すほうが良かった。

そのことも考えてしまい、自分がこうした状況に弱いと自覚させられる。

「……やっぱり私って。机の上の仕事以外、するべきじゃなかったのね」

自分から志願したというのに、この体たらくでは情けない。

それでも後悔は後にして、今はこの状況を、なんとかして打破しなければならなかった。

「よしっ……と。さぁ気を取り直して、まずは宿を探しましょうか」

頬をパンッ!と叩き、気合を入れ直すエレナ。

これまでに確認していた宿をあたって、部屋を用意するために、また足を動かして進み始めた。

「うちも昼過ぎには埋まっちゃってね、もう部屋の用意できないんだよ」

これで何件目だろうか。宿を探し始めてから、すでに一時間は過ぎて、もう陽が完全に沈む頃。

今回の宿も埋まっているとのことで、別の宿に向かわねばならなくなった。

「わかりました、それでは」

——ガチャ。

扉を開けて、宿を出るエレナ。

時間を考えても、そろそろ本当に宿を決めておきたいところだが……。

「落ち着きを失ったこと。それが原因ね」

思えば、日中に会話をした出店の店主。彼の言葉を聞いてから、すぐに宿を決めに行くべきだった。

合流を重要視するのも当然だが、それ以上に、宿の事ももう少し考えるべきだったと後悔する。

「少し、休憩していこうかしら」

相変わらず、人通りの多い道を歩いていたエレナは、脇に置かれているベンチに目をやった。

丁度座っていた者が立ち去ったので、そこに向かって行き腰を下ろす。

隣にはまだ一人、灰色のローブを被った者が座っているが、エレナはそれを気にすることなく腰かけた。

「……さすがに、少し足が疲れてきたわ」

脹脛(ふくらはぎ) をさすって、張ってきた表面をほぐしていく。

「さすがに野宿は……」

恐らく、この町はたとえ夜だろうとも人通りが多い。それでも女性として、野宿は避けたい部分があった。

「本当に、早めに宿を取っておくべきだったのね……」

優先順位を間違えたことを後悔し、出来ることなら今日の朝に戻りたい。

こうした独り言を漏らしながら、疲れた足をもう一度さすりはじめる。

「——……あの」

エレナが足を癒していると、隣に腰かける灰色のローブから声が聞こえた。

「……?」

動きを止めて、隣に目を移すエレナ。

「失礼ですが。もしかして今夜の宿が用意できてない……とかでしょうか?」

深く被ったフードのせいで、顔までは確認できなかった。

しかしながら、声から察するに、男性という事は理解できる。そして年のころは……まだ若いように思えた。

「え、えぇ……。実は、こんなに混み合うとは知らなくて」

イシュタリカの冒険者なのだろうか?エレナは会話しながらも、そんなことを考えていた。

「ははっ、なるほど。確かにすごい人混みですよね」

その外見とは裏腹に、柔らかい笑い方をする人だ。エレナはそうした印象を抱き、少しばかり警戒心を沈めていく。

「本当に……。マグナって、こんなに賑やかな所だったんですね」

「そうですね。俺も何度か来てますけど、いつも驚きますよ」

「あら、そうなんですか。……お近くに御住みなのかしら」

警戒しなさすぎだったかもしれない。だがそれでも、彼の話し方には好感が持てて、いつものエレナのように語り掛けてしまう。

「うーん……。実は王都に住んでるんです。それに、普段は、簡単に遠出させてもらえないので」

「ふふ。冒険者の方なのかしら……って思ってたけど、実は貴族の方なのね?」

「貴族、貴族かー……。貴族ではないんですけど、色々と面倒な立場といいますか」

腕を組みながら、頭を左右に 傾(かし) げて迷う姿。

貴族でなければ大商人の子?少なくとも、ただの平民とは思えなかった。

——きっと高い教養も備わっている。

彼と話していると、エレナはそう実感した。

「なら詳しくは聞きません。その方が、貴方にとってもいいのでしょう?」

「はは……。いやはや、申し訳ないです」

恐らくこの男には、相手を不快に思わせる語り方がないのだ。

声色一つ取ってしても、相手を心地よく感じさせる力があるように感じる。

「では、深く追求しないでくれたお礼でもいかがでしょう?」

「……あら。私みたいな旅人と会話をしてくれた。それで私が礼をするべきでは?」

「たかが会話をしたぐらいで礼が必要なら、商人は死んでしまいますよ」

冗談のように終わらせて、すっと立ち上がる男の姿。

身長が高く、エレナは、立ち上がった彼の姿を見上げる形になる。チラッと見えた茶色の髪の毛が、男性にしては長いように感じられる。

「こういう時でも、部屋を残している宿を知っています。前に聞いた事があるので、そこに案内しますね」

「……宿?」

「えぇ、宿が無いんですよね?……俺も自分で確かめた訳じゃないですが、伯母から聞いた事があるんです。まぁその伯母も、全部が信用できるわけじゃないんですが……」

なんともはっきりしない言葉だが、宿を紹介してくれるならありがたい。

細い路地に入りそうにでもなったら、逃げればいいだろう。

「"無理"言って抜け出してきてるんで、急いで向かいましょうか。それじゃ、こちらにどうぞ」

そして灰色のローブの男が歩き出した。エレナはその後姿を見て、黙ってその後ろをついていくのだった。