軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第74話・しばしの別れ

朝の庭は、先程までの騒がしさが嘘みたいに澄んでいた。

空気は冷たく、草葉の先に残った露が陽に光る。森の匂いが濃い。木々のざわめきも、鳥の声も、すべてが「平穏」の形をしている――森の中だけは。

結界の外側には、まだ女帝が生やした簡易の足場と芽の残滓がわずかに見える。

創造術式の名残。けれど今はもう、魔力の波も落ち着いている。

宝玉の輝きは淡い。女帝は、結界の向こうで東を見続けていた。

『……東の結界は解けた。蛇は、寝ておる。静かにな。帝国の兵も帰還の途についた。少なくとも森の中で、これ以上の異変は起きぬ』

女帝の声は苛立ちと困惑を含んでいる。

寝ている。静か。平穏。今回の件に関しては、それが異常なのだと誰もがもう分かっていた。

森の中は平穏を取り戻した。

だが、厄介事は森の外へ持ち出される。

蛇の分身。

それが帝国に「ついて行った」という事実が、世界の地盤を揺らす。

王国は動かないわけにはいかない。

だから帰る。

帰って、国を動かす。

国境を固め、魔国との協力線を整え、帝国の内側に生まれた「災厄」を見据える。

そしてその帰還準備の最中で、問題は一つだけ。

……正確には一つどころではないが、目立つ問題が一つ。

クロエが、アウローラの頭部にしがみついたままなのである。

ポニーテールの根元に両腕でぎゅっと抱きつき、頬を髪に擦りつけている。たまに、ふんす、と鼻息だけで意思表示する。子猫サイズの二頭身ぬいぐるみが、王女の頭を「我が城」にしていた。

「……この子、本当に離れないわね」

「離さないという意志を感じますわ」

「というか、髪を城壁にしてる気がします」

侍女隊がひそひそ話している間も、アウローラは真顔で頷いた。

「大丈夫。可愛いから問題ない」

問題の定義が変わっている。だが女性陣は頷くばかり。もう駄目だ。

そんな駄目な女性陣はさて置いて――レジーナが王国を代表して、有羽に恭しく一礼を。

王女の礼は丁寧で隙がない。だがその眼差しは、礼だけではない。名残惜しさと、確かな決意が混ざっている。

「それでは賢者様。色々とお騒がせしましたが、私たちは国に戻ろうと思います」

「うん。気を付けて。……本当なら三日は居る予定だったけど、残念だったりする?」

レジーナは一瞬、目を細めた。

王女の顔が、ほんのわずかだけ「女性」になる。作法で隠しきれない本音が、口元に出た。

「それは勿論! まだまだ賢者様の作る料理を堪能しきっていませんし、シャンプーやリンスから離れるのも苦しい。それに化粧品についての詳細も、結局聞けずじまいなので」

「あー……そういや、蛇の騒ぎでバッタバタだったからねぇ。ま、もし次来るとしたら、どうにか丸く収めて落ち着いてからかな?」

「ふふふふ……一体いつになることか」

遠い目で黄昏るレジーナ。

しかし、その「もし次に来るとしたら」という言葉を彼女は逃さない。

賢者は拒んでいない。

この森の縁に、王国の糸はまだ結べる。

それだけで王女としては成果だ。政治とは、勝利よりも「繋がり」を確保する方が難しい時がある。

ラディウスも、有羽に一礼する。

礼は軽く、しかし誠実だ。海神の剣を扱う聖騎士として、そして侯爵家の当主としての重みが、自然に滲む。

「今回はありがとう。賢者殿には世話になった。また会える日を楽しみにしているよ」

「こちらこそラディウス卿。今度は気楽に、麻雀卓でも囲める日であることを願ってますよ」

「ははは。同意見だ。厄介事なんて捨て去って気楽に遊べる日を、僕も願ってるよ」

男同士の握手が交わされる。

短く、強く、余計な言葉はいらない握手。

ラディウスは思っていた。

この森の中――賢者の居住空間は、正直「居心地が良すぎる」。

飯は美味い。寝具は快適。礼儀作法の檻がない。遊戯がある。余計な陰口がない。宮廷で浴びる、目に見えない刃がここには届かない。

だからこそ、帰る。

気に入ったからこそ、守るために帰る。

帝国が「巨大な未知」を抱えたのなら、王国は放置できない。

最後にアウローラが、有羽に向けて笑う。

頭にはクロエ。クロエは頭部にしがみ付いたまま、どや顔。

「それじゃ有羽。行ってくる――帝国との国境沿いまで行かなきゃいけないし、次来るのはいつになるか解らない。でも絶対に……また、来るから」

「……ん。了解。美味い料理考えて待っておくよ」

有羽は素っ気なく返したが、その声はちゃんと温度がある。

そして有羽は、視線を少しだけ上へ。

アウローラの頭に貼りつくぬいぐるみに。

「それからクロエ。お前さん、俺や女帝さんに連絡入れる以外にも、いざとなったら「蛇の分身」と戦う役目あるんだから気合入れろよ?」

【~~!】

クロエが、ふんす、と鼻息荒く頷いた。

その顔は完全に「任せろ」と言っている。子猫サイズでも、頼もしさを演出している。

だが、その一言で。

女性陣の空気が凍った。

「た、戦う!? クロエに戦わせるのか!? だ、駄目だぞ! こんな可愛いのに! 危ないじゃないか!!」

叫んだのはアウローラ。

侍女隊が即座に同調し、いつの間にか隊列を組んで「遺憾の意」を表明し始める。

「そうです! クロエちゃんは守られる側です!」

「戦闘は護衛の役目です!」

「いざとなったら、私達が!」

「そうよそうよ!」

レジーナまで侍女隊と肩を組んでいる。

いつの間にか「クロエちゃんを守り隊」が結成されていた。結束が異様に固い。国防より固い。

有羽は、目を細める。

呆れというより、諦めの目。こういう時の女性陣の統率力は、軍より強い。

「いや、あの……その子、俺と女帝さんが創り上げたゴーレムに変わりないから実際凄い強い……筈だよ? うん。感じ取れる力も、その辺のドラゴンにだって負けてない……筈だし」

「なんでそんな自信無さげなんだ有羽」

「だって、そんな見た目になるなんて思ってなかったし……あのークロエ? お前、強いよね? 誤作動起きたのは見た目だけだよね? 能力は問題無いよね?」

有羽の問いかけは、ものすごく切実だった。

創造主なのに、創造物を信じきれていない。信じきれない理由が「ぬいぐるみだから」という一点に集約されている。

【~~!】

クロエが、これ以上ないドヤ顔をした。

そして、短い手を地面へ向けて伸ばす。

アウローラの頭にしがみ付いたまま片手を伸ばしたので、身体がぐらりと傾く。落ちそう。

「あっ――!」

レジーナが咄嗟に手を添え、クロエの背中を支えた。

完全に母親の動きだった。護衛隊より早い。母性は反応速度が違う。

だが次の瞬間。

地面から、石の杭が伸びた。

ごりっ、と土が割れて岩が盛り上がり、円錐型の杭が一瞬で形成される。

角度。速度。威力の調整が凄まじい。

しかも無詠唱。

余計な溜めもなく。

ただ、意志ひとつで。

確かな殺傷力のある石の杭が伸びていた。

護衛隊の顔が引き攣る。

侍女隊も固まる。

戦闘経験のある者なら直感で理解した。

クロエの伸ばした手の先に、もしも魔物が居たのなら――今頃串刺しにされている。

明らかに人間の枠を超えた、魔術の構築速度。

その場の空気が変わった。

可愛いで緩んだ空気が、戦場の緊張へ一気に変わる――はずだった。

「こらクロエ! 危ないじゃないか! こんなのイキナリ出して! 駄目だぞ!」

【~~!?】

アウローラが怒った。

頑張ったのに怒られた、という顔をするクロエ。

しょんぼりと肩が落ちる。

アウローラはクロエの頭を撫で、優しく言い聞かせた。

「クロエが強いのは分かったけど、イキナリは駄目だ。力は振り回すものじゃない。的確に使うものなんだ」

【~~……】

「クロエは良い子だから、ちゃんと力を「使える」だろう?」

【~~! ~~!!】

クロエが、ぱたぱたと手を振って必死に肯定する。

言葉はない。だが意思は、表情と動きで丸見えだった。

「うん。解ってくれればいいんだ。私の傍に居て、無暗にこういう危ないものは出さないように。わかった?」

【~~♪】

「そっかそっか! クロエは良い子だな~!」

アウローラが抱きしめる。

クロエが嬉しそうにぎゅっと抱き返す。小さな腕で、全力で。

有羽は、クロエを眺めながら微妙な表情になる。

確かに強い。確かに制御もできそうだ。狙いを外していない。威力調整もできている。

そして何より――「止められる」相手がそばにいる。

アウローラだ。

彼女は、クロエの「扱い方」を直感で掴んでいる。

可愛いに浮かれているのに、叱るべきところは叱る。褒めるべきところは褒める。言葉を選んで、怖がらせない。

思わぬ才能だった。

それはきっと、アウローラが「守る者」として生まれついたからなのだろう。

レジーナも、それを見て小さく息を吐く。

姉として、王女として、今のやり取りが「正しい」と判断する。

「まあ、そうよね。あの子も王族の一人。どう教え、どう導くか――直感で分かってる」

「上に立つ者の素質は、実際の所かなりのものだと思うよ」

隣に立つラディウスが補足する。

彼も戦場に立つ騎士にして侯爵。故に、戦場で部下を導くという点においては、レジーナより深くアウローラの動きを見定められた。

「天性の将器。君とは違う方向性で、他者を導ける才がある」

「……その分、王都の夜会なんかは不得意だけどねあの子」

「そうかい? 充分こなしていると思うけど」

「そりゃ王女ですもの。最低限はこなせます。というか、こなさせます。手本になるべき立場で、恥ずかしい動きは許しません」

「うわぁ」

レジーナの鋭い目を見て、ラディウスが思わず呻く。

妹に甘い姉ではあるが……同時に、厳しい王女でもある。模範となる者に求められる「最低限」。それをアウローラに教えたのがレジーナなのだろう。

アウローラが、いつもレジーナに押し負ける理由が垣間見えた。

そんなやり取りをしながら……別れの時が近づく。

荷はまとめられ、護衛隊は隊列を整え、侍女隊はクロエを囲う形で配置を決める。完璧に「守り隊」の陣形だ。護衛対象が一人――否、一体増えている。

そしてレジーナは――背負い籠だ。

忘れていた悪夢と対面する第一王女。豪華な籠の中に、渋々入っていく。

「あなた……なるべく揺らさないよう、お願いね」

「努力はするよ。それ以上は……うん、頑張ってとしか言えない」

「解っているわ……」

黄昏つつすっぽり入り、蓋が閉まる。

覗き穴から僅かな眼光が。誰も覗き込まない。だって怖いから。

アウローラは頭にクロエを乗せたまま、改めて有羽と向き合う。

王都に戻ってから、アウローラが多忙になるのは確定事項。国境に赴けば、気軽に戻っては来れない。そして森にも行けない。有羽の家の扉を、叩くことが出来ない。

間違いなく、月単位で会う事が出来ない。

有羽と語り合い、有羽の料理を食す事が、出来ない。

その事実が、アウローラの胸を締め上げる。

(――それでも、行かないと)

けれど彼女が弱気に負ける事はない。何故なら彼女が王族だから。

民の上に立つ者の責務。それを理解している血筋だから。

国と民を護る為にも――アウローラは選ぶ。しばしの別れを。

「それじゃ有羽――行ってくるから」

「ああ。行ってらっしゃい」

自然な挨拶。まるで家族にするような。

どちらも意識して出た言葉ではない。無意識の発露。

お互いに――傍に居るのが当たり前になっている。

誰も茶化さない。今だけは、静かに見守る。

そして、一行が歩き出す。

有羽の結界から外へ。王都へ向けて、帰路に着く。

その光景を見守りながら――有羽は、内心で溜息を吐いた。

(のんびり生活……しばらくは出来なさそうだなぁ)

森は平穏。

だが世界は平穏ではない。

蛇の分身が帝国に入り、王国は国境へ向かい、魔国は協力体制を整える。

そして王国の先頭で、アウローラの頭にしがみついたままクロエが揺れている。

小さなマスコットの顔は、誇らしげだった。

守るべき相手を見つけた子供の顔。

その可愛さの裏側に、森の主に迫る力を秘めたまま。

世界は動く。動き続ける。

賢者の憂鬱な溜息など、置き去りにして。