軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第33話・南王国王都での会議

アウローラ達が王都に戻ってから、まだ一日も経っていなかった。

長旅の埃を落とす暇もそこそこに、アウローラはそのまま王城の奥、限られた者しか通されない会議室へと向かった。石造りの厚い壁と、外の光を絞った高い窓。重厚な長机を囲む椅子には、すでに国の中枢が揃っている。

卓の奥、最も奥まった席には国王フォルトゥム。深い皺を刻んだ額を指先で押さえながら、娘の到着を静かに見つめている。右隣には第一王女レジーナ。その傍らには、彼女の夫であり、王国最優と謳われた聖騎士ラディウスが控えめに座っていた。左手側には、鷹のように鋭い目をした宰相。鋭さの中に、老練さが漂う。

そして、長机の手前側。旅装のまま姿勢を正して立つのは、第二王女アウローラ・ウィル・ミラ・アウストラリス。背筋を伸ばし、森から戻ったばかりとは思えないほど、凛とした空気を纏っていた。

「……以上が、今回の魔境大森林南部における調査、および、森の賢者・世渡有羽殿より預かった伝言のすべてです」

淡く焼けた肌に浮かぶ疲労の色を、その声音は微塵も感じさせない。アウローラは一礼し、静かに報告を締めた。

室内に、しん……とした空気が降りる。

誰も、すぐには口を開かなかった。

机の上に広げられた地図の上には、彼女が指でなぞった赤い線が残っている。魔境大森林の南側、そのど真ん中に、細く、それでいて確かな足跡のように。その先に小さく記された一つの印――「森の賢者」。

そこにいる男が、国にとってどれほどの意味を持つのか。部屋にいる全員が痛いほど理解していた。

国王はゆっくりと指を組み合わせ、顎の下でその手を組む。短く息を吐き出したあと、視線だけを娘に向ける。

「……アウローラ」

呼びかけに、アウローラは「はい」と、きびきびと返事をする。

だが、国王より先に口を開いたのは、王の右隣――第一王女レジーナだった。

普段は柔らかな微笑を絶やさぬ彼女が、今はその笑みをきっちりと引き締めている。琥珀色の瞳は、妹のわずかな表情の揺れも見逃すまいとするように真っ直ぐだった。

「アウローラ」

姉としてではなく、第一王女としての呼びかけ。声色がわずかに低くなる。

国王陛下の許可なく言葉を割り込ませるなど、レジーナにしては有り得ない程の不作法。けれど誰もそれを指摘しない。国王はちらりと視線だけ向けて――口を挟むのを止める。

緊迫したレジーナの顔を見れば解る。

かの第一王女ですら我を忘れる程……アウローラの報告は驚愕のもの故に。

「その言葉は、 真(まこと) のものと信じていいのですね?」

レジーナの確認を求める言葉。部屋の空気が、一段階さらに重くなる。

問いの意味は、誰にでも分かる。

森の賢者、有羽が――あの閉鎖的で、王国どころか他人との直接の接触を拒み続けてきた男が。

「第一王女の来訪」を、次の訪問に限るとはいえ、許可した。

その事実の重さを、この部屋にいる者で軽んじる者は一人もいない。

アウローラは、ちらりと姉を見た。その瞳の奥で、わずかに何かが揺れる。だがすぐに飲み込み、ゆっくりと頷いた。

「はい」

短く、それでいてよく通る声だった。

戦場で指揮を執る将の顔。その真剣さは、ここにいる誰にも見慣れたものだ。夫を失い、血の涙を流しながらも帝国と和平条約の確認書に署名した時と、同じ硬さ。

「賢者、有羽の言質は……確かに頂きました。次の訪問に限り、第一王女レジーナ殿下の同行を認めると」

その言葉を最後まで言い終えた瞬間、室内の空気がぴしりと張り詰めた。

宰相が静かに目を細める。その横顔の皺が、さらに深く刻まれた。

「……魔境の大森林の中央部に、たった一人で定住し。竜を落とす熱線を瞬時に放ち。王都の神官長ですら張れぬ結界を常時維持する男が、遂にですか」

宰相の声は低く、乾いていたが、そこに震えはない。長年この国の実を見てきた男が、久しく味わっていなかった種類の緊張と興奮を覚えているのが、わずかな声音の揺らぎからでも伝わってくる。

聖騎士ラディウスが、レジーナの隣で腕を組んだまま、静かに息を吐く。

「陛下。既に我が国で試験運用が行われている、あの『エアコン』。そして冷蔵・熟成・衛生の技術。化粧水に乳液、髪を洗う薬品……どれも、すでに王都の職人や神官たちを、一年、二年……いや、それ以上先に進めるだけの価値があります」

「なのに、その発明の元となる本人は、王都に姿を見せようとしない」

国王がその言葉を継ぐように言った。

「二年だ。二年もの間、アウローラが通い続けても、決して王城の門をくぐろうとせぬ男が……レジーナとの面会を、許した」

それはつまり、王国がずっと手を伸ばし、その指の先すら掴ませてもらえなかった存在が、ついに一歩、こちらに踏み出してきたということに近い。

いや――正確には、その逆だ。

こちらから送り込む者について、初めて「条件付きで」許可を出した。

レジーナは、緊張を帯びた沈黙の中で、ひとりだけ、別の意味での確信を得ていた。

妹の報告書に入っていた、あの一文。

――「工房見学の時、つい口が滑って『今度、姉上連れてきちゃうぞ!』と言ってしまったところ、『いつだよ。王女さんの姉さんが来るの?』と返答を頂いた」

そして、別の報告書に添えられた、侍女達の口頭報告。

――「あの時の殿下は、森の色に馴染んだ、普段とは違う衣装をお召しになっていて……」

そこまで思い出したところで、レジーナの口元が、ゆっくりと弧を描いた。

にやり。

さきほどまで完全に消えていた「姉」の顔が、わずかに顔を出す。

「なるほど、なるほどねぇ……」

思わず漏れた独り言に、アウローラがぴくりと肩を震わせる。

国王が怪訝そうに娘を見た時には、もう遅かった。

レジーナは椅子の背もたれから身体を少しだけ乗り出し、机越しにアウローラへ視線を伸ばした。

今度の顔は、完全に姉モード。小悪魔な笑みが全開だ。

「アウローラちゃーん……?」

語尾を少し伸ばし、甘えるような声音で妹の名を呼ぶ。

「敬愛する森の賢者様は、アウローラちゃんの素敵なおめかしに、メロメロになったのかしらねぇー?」

「……っ!?」

アウローラの肩が、びくっと跳ね上がった。

つい先ほどまで、戦場に立つ将のように凛としていた第二王女の顔が、一瞬で「年頃の娘」に戻る。

「な、な、なにを仰ってるんですか、姉上!? そ、そんな、めろ……めろめろだなんて、そのような……!」

「だってぇ?」

レジーナは楽しそうに、わざとらしく首をかしげる。

「今まで頑なに他者との接触を拒み続けてきた森の賢者様が、よ? 二年間、アウローラちゃんの勧誘すら首を縦に振らなかった御仁が、よ?」

「……っ」

「アウローラちゃんが、森に合わせて、おしゃれして。髪もいつもと違うふうに下ろして、綺麗に着飾った姿を見せた途端――第一王女の訪問許可が出たって、報告にあるわよねぇ?」

「そ、それは、その……!」

アウローラの耳まで真っ赤になっていく。

普段なら、戦場で魔獣を前にしても絶対に崩れない視線が、今は空中を右へ左へ行ったり来たりして落ち着かない。握りしめた拳が、わずかに震えている。

「おやおや」

聖騎士が、思わず口元を緩めた。戦場で数えきれないほどの死線をくぐってきた男が、義妹の恋模様に戸惑い半分、微笑ましさ半分で視線を向ける。

宰相はというと――

普段の冷徹な面持ちが、いつの間にか好々爺のそれに変わっていた。きゅっと細められた目には、どこか孫を見るような優しさが宿っている。

「いやはや……若いというのは、こうも国の行く末を動かすものでしたかな」

ぽつりと漏らした呟きに、誰も反論しなかった。

国王だけが、ひとり微妙な顔をしている。

眉間の皺は深く、口元はきゅっと結ばれている。怒っている……というほどではないが、とても「愉快だ」とは言えない表情だった。

父親として当然の反応だ。

たとえ、その森の賢者とやらが、二年前、アウローラが「死に場所」を求めて魔境に踏み込んだとき、死なずに戻ってこられるだけの環境を整えてくれた人物だとしても。

たとえ、その賢者が作るエアコン紛いの魔道具によって、魔国の大使との会談が終始穏やかに進められたとしても。

たとえ、アウローラが夫――幼馴染の公爵令息を戦で失い、絶望と嘆きの底に沈んでいた頃。森の中で少しずつ、顔に笑みを取り戻すきっかけをくれたのが、その男だったとしても、だ。

(……娘を笑わせてくれたのは、感謝しておる。しておるが……)

それとこれとは話が別だ、と心の中で唸る。

娘を奪った男を許せる父親などいない。それと同じで、娘の心を強く惹きつけている誰かを前に、素直に頷ける父親もそう多くはない。

ましてや、その相手が――国家のパワーバランスをいとも容易くひっくり返しかねない、規格外の賢者であればなおさらだ。

分かってはいた。アウローラが森の賢者に抱いている想いは、分かってはいたのだ。

その様子を微笑ましいとも思っていた。

けれど……目の前で見せつけられると、腹の虫が治まらない。

特に、賢者と娘が「イチャイチャ」していたらしい様子の報告を聞いた時、腹の虫の暴動は最高潮だった。

「な、なにか問題があるのでしょうか、父上……?」

アウローラが、おずおずと問いかける。

国王は、ごほん、と咳払いをひとつしてから、視線を宰相へと投げた。

「……問題があるとすれば、こちらの腹づもりの方だ。宰相」

「はっ」

呼びかけに、宰相は背筋を伸ばして応じる。

「賢者殿との面会の日程。二週間後の事だが……予定はどうだ?」

「問題はありませぬ。レジーナ王女殿下は魔国との外交を終えたばかり。現在、急ぎの政務は予定に入れておりません。直近の祭事にしましても一か月後。滞りなく進められるでしょう」

「なるほどな。では国事の段取りを崩すことなく、賢者の地に赴ける訳だな」

「はい」

宰相の頭の中では、すでに幾つもの図が組み上がっているのが見てとれた。

国王も小さく頷く。政治の話になると、父親としての感情をいったん横に置くことができるあたりが、彼が長く王座にある所以だ。

そんな中で、レジーナはまだ、妹をからかう余裕を失っていなかった。

「ところで、アウローラちゃん」

「……なんですか、姉上」

まだ頬を赤く染めたまま、アウローラが睨み上げる。その目に宿る光は、戦で敵を射抜くときとは違う、少し潤んだ光だ。

「その「おめかし」のお話、もう少し詳しく聞いてもいいかしら?」

「……っっ」

アウローラは、ぐっと唇を噛んだ。

森に合わせて仕立ててもらった、澄んだ淡い蒼のワンピース。過度な装飾を排した、動きやすさと上品さを両立した一着。金の髪を下ろし、侍女に少しだけ手間をかけてもらった朝。鏡の前で、何度も深呼吸をした。

それを思い出しただけで、顔が熱くなる。

「そ、それは……いつもより早く起きて。その……姉上と選んだあの服を着て……」

「ふむふむ?」

「で、出ていったら……その、丁度、有羽も起きてきて……家の外で目が合って……」

そこまで言って、自分で思い出し、さらに真っ赤になる。

「そこで『可憐だ』って、言われたのよね?」

レジーナが追撃を差し込む。

「な、なんで知ってるんですか!?」

「侍女ちゃんたちがねぇ? さっき目を潤ませながら語ってくれたのよ。『殿下の姿を見た有羽様がですね』とか『賢者様、あの時ばかりは本気で動揺しておられました』って」

「う、うううう……!」

アウローラは、言葉にならない悲鳴を喉の奥で上げた。

「……あ、あぶぶぶぶぶ……!」

意味を成さない音が零れ、彼女はついに俯いてしまう。耳まで真っ赤だ。旅の疲れも相まって、羞恥で倒れそうになっている。

部屋の空気が、ふっと和らいだ。

さきほどまで張り詰めていた糸が、少しだけ弛む。

聖騎士ラディウスは肩を震わせ、堪えきれずに笑いを漏らした。

「よいではないか。賢者殿がどれほどの大人物であろうと、こうして我が義妹を可憐だと評したのだ。むしろ……見る目があると判断できる」

「ラディウス卿まで……!」

アウローラが恨めしそうに義兄を睨むが、その目は甘えが混じっていて、本気の怒りには程遠い。

宰相はひとしきり頷いたのち、国王へと向き直った。

「陛下。これは、まことに僥倖にございましょう」

「……僥倖、か」

「はい」

宰相は穏やかに。そして国王にだけ聴こえる小声で続ける。

「三年前の戦で、第二王女殿下は夫君を亡くされました。あの時の殿下のご様子を、我々は皆、覚えております。帝国への憎悪で燃え尽き、戦場で死に場所を求めておられた」

国王の瞼が、重く閉じられる。

血の涙を流しながら、それでも王族として和平条約に署名した娘の姿が、脳裏に蘇った。

「その殿下が、今こうして、魔境から戻ってきて――森の賢者の話をするときに、こんな顔をなさる」

宰相はちらり、とアウローラの方を見やった。

真っ赤な顔で「あぶぶぶぶ」している、その不器用な様子を。

「娘御の心を取り戻してくださった存在と、国交を結ぶ機会が訪れたのです。これを僥倖と呼ばずして、何と呼びましょうや」

国王は、長く息を吐いた。

眉間の皺はまだ消えない。だが、その目の奥には、娘に対する父親としての感情と、王としての判断が、なんとか折り合いをつけようとしている色があった。

「……分かった」

重い声で言う。

「レジーナ。アウローラ。宰相。聖騎士」

名前を一人ひとり呼びながら、国王は全員の顔を見渡す。

「次の森への訪問。第一王女の同行を、正式に認める。準備を進めよ。ただし――」

そこで、アウローラの方を指先で示した。

「森の賢者殿の機嫌を損ねぬよう、最大限の注意を払え。くれぐれも、力ずくでどうこうしようなどとは考えるな。よいな?」

「はい、父上!」

アウローラは胸に手を当て、力強く頷いた。顔はまだ少し赤いが、その瞳には、戦場と同じ決意が宿っている。

「かしこまりました、陛下」

レジーナも、今度は第一王女として恭しく頭を下げる。その瞳の奥では、「さて、どんな服を持っていきましょうか」と別の意味での戦略が組み上がりつつあったが、それは今は口には出さない。

「承知いたしました」

聖騎士が短く答え、宰相もまた深く一礼した。

緊張感は、まだ消えてはいない。

魔境の大森林に住まう、規格外の賢者との正式な面会。それは、王国にとっても、この大陸全体の力関係にとっても、重大な一歩となるだろう。

けれど――会議はそれで終わらない。

次に浮かび上がってきたのは、ある意味ではもっと現実的で、もっと切実な問題だった。

「……で」

国王が、地図の上に広げた両手の指をとん、と軽く鳴らす。

長机いっぱいに広げられた羊皮紙には、緑のインクで塗りつぶされた巨大な塊が描かれている。南の王国の北側に広がる、果ての見えない大樹海――魔境大森林。

その南部ど真ん中に、小さく印された一点。「森の賢者」と書かれた小さな文字。

「どうやって、そこまでレジーナを連れて行く?」

王の問いに、部屋の空気がまた一段階重くなった。

魔境の森。

数多の魔物が蔓延り、幾多の未帰還者を飲み込んできた、文字通りの『魔境』。

平民も、貴族も、傭兵も、盗賊も、冒険者も――身分や肩書きを問わず、その奥に踏み込んだ者の多くが、そのまま帰らなかった森。

つい数年前まで、「あそこに入るのは人生を捨てるときだ」とまで言われていた領域。

実際、その評価は間違っていない。森の地図には、ところどころに小さな赤い×印が記されていた。どれも、過去の探索隊が消息を絶った地点であり、捜索隊が引き返すしかなかった境界線でもある。

その魔境を、今では「しんどい遠足」と言い切る集団がいるのがおかしいのだ。

それが、アウローラ御一行。

二年間にわたる無茶な探索と、幾度もの死線を潜り抜ける中で、侍女隊も護衛隊も、全員が将軍クラスの実力にまで育ってしまった。第二王女本人に至っては、英雄譚で歌われる英傑クラスの力量を手に入れ、森を往復すること自体は、もはや「体力的にしんどい遠足」でしかない。もちろん、それは賢者の住居までの往復という、極めて限定されたルートに限った話ではあるが。

しかし――森が恐ろしい魔境である事実は、なにひとつ変わっていない。

瘴気ゆらめき、木々は空を覆い隠し、夜とも昼ともつかぬ薄暗さが延々と続く世界。樹上からは見たこともない魔物が飛びかかり、地面の下からは触手のような根が伸びる。毒、病、古の呪い、理不尽なまでの環境変化。

そんな場所に、王国の第一王女を連れて行く。

それが、どれほど非常識なことか。

その場にいる全員が理解していた。

宰相が慎重な口調で切り出す。

「陛下。無論、アウローラ殿下と、あの護衛隊、侍女隊の実力があれば、森の賢者殿の結界領域までの往復そのものは……『不可能』とは申しません。ただし、今回の随行者に第一王女殿下を加えるとなると、話は別でございますな」

「そうだな」

国王は深く頷く。

第一王女は、外向きにはこの国の「顔」だ。社交界ではほぼ敵なしの立ち回りを見せ、外国使節団を前にしても決して言葉を詰まらせない稀代の外交官。そのレジーナを、危険度最凶の森に連れて行く――それは、王族としてのリスク管理の面から見れば、正気の沙汰ではない。

沈黙が、じわじわと会議室を侵食していく。

そのとき。

「……あ、あの」

遠慮がちな、しかしどこか弾んだ声が、その沈黙を破った。

アウローラである。

先ほどまで「あぶぶぶぶぶ」と言っていた本人とは思えないほど、今は目をきらきらと輝かせている。座っている椅子から、つい前のめりに身を乗り出す勢いだ。

「ひとつ、案があるのですが」

その顔が、あまりにも「良い顔」をしていたものだから。

レジーナは反射的に額に手を当てる。聖騎士は「お?」という顔で義妹を見る。宰相は内心で「いやな予感がする」とだけ思った。国王に至っては、長年の経験から「ロクでもないが妙に実務的な案が出てくるのでは」という確信に近い予感すら抱いている。

誰もが、言葉を飲み込んで、アウローラの次の言葉を待った。

アウローラは、旅先で見せる戦いの時の顔ではなく――もっと、好物を前にした子供のような笑顔を浮かべた。

「姉上を、背負い籠でお連れするというのは、いかがでしょう!」

ばん、と机の上に両手をつきながら。

ぱんぱかぱーん、と、どこからともなく陽気なラッパの音が鳴り響いたような気がしたのは、きっと誰も口に出さないだけだ。

「……はい?」

最初に声を出したのは、レジーナだった。

思わず間の抜けた声が漏れる。

頭の中に、ぱちん、と火花が散るように、一枚の光景が浮かんだ。

――深い森の中。重装の騎士が、巨大な背負い籠を背負って歩いている。その籠の中には、第一王女。その中から「揺れますわね……」などと弱々しい声が聞こえたりする。

想像だけで、頭がクラクラしてきた。

「詳しく聞こうか、アウローラ」

国王が、何とか平静を装いつつ問う。

アウローラは「はいっ」と元気よく返事をし、すらすらと語り始めた。

「姉上は、そのお立場上、森の地面を直接歩くような危険に晒す訳にはいきません。そこで、姉上には丈夫な背負い籠にお入りいただきます」

「うん」

国王は素直に相槌を打つ。

「その背負い籠を、姉上の旦那様であるラディウス卿に担いでいただくのです! 背中であれば、姉上のお体を最も近くでお護りできますし、両手も自由になりますので、戦闘になっても対処可能。周囲は私の護衛隊が固め、侍女隊が防御魔法で瘴気対策をしつつ随伴します!」

どやぁ、と自信満々の笑顔。

理屈だけ聞けば、たしかに筋が通っている。

聖騎士ラディウスは、今でこそアウローラには戦闘力の面で一歩譲るものの、その実力は「王国最優」と呼ばれる存在。重装備を身にまとい、巨大な盾を構えたまま、オークの群れを正面から押し返すことのできる筋力と技量を持っている。

そんな彼であれば、第一王女を背負ってなお、一定の戦闘能力を維持できるだろう。両手が自由なぶん、剣も盾も扱いやすい。第一王女の身体を最も近くで護れるポジションでもある。

そして、第一王女の身体に直接触れてよい男など、この王国に他に存在しない。夫である聖騎士以外が背負った場合、儀礼上も世論的にも大問題になる。背負う役に関しては実質一択だ。

宰相は、顎に手を当てて考え込んだ。

「……実務上は、たしかに、悪くはない案ですな」

ぽつりと漏らした言葉に、アウローラの顔がぱっと明るくなる。

「陛下。第一王女殿下に徒歩での行軍を強いる訳にはまいりませんし、馬や馬車は、あの森の地形ではほとんど役に立ちません。となれば、人力で安全圏まで運ぶという発想自体は、合理的かと」

「宰相まで何を……!」

レジーナが悲鳴じみた声を上げた。

彼女の視線はぐるぐると宙を彷徨い、最終的に自分の夫――聖騎士ラディウスに止まる。

「ね、ねえ……? 本当に、私、背負われて行くの?」

聖騎士は、すこしだけ困ったように笑って、肩を竦めた。

「……森へ向かう間、レジーナの身を僕が責任を持って護れるのなら。それが背負い籠であれ、ロバで引く荷車であれ、形はあまり問わないと思っているが」

「荷車はやめてくださる!?」

レジーナのツッコミが、会議室の空気をわずかに和ませた。

アウローラは、さらに畳み掛ける。

「姉上の羞恥心については、いったん棚上げします!」

「アウローラ!」

「大丈夫です、姉上!」

アウローラは、ぐっと胸に拳を当てた。

目がきらっきらしている。純真無垢、という言葉を見事に体現した瞳だ。

「森の中なら、誰も見ていません! 衆目に晒される可能性はゼロです!! 見ているのは、私と、護衛隊と、侍女隊と、森の魔物くらいです!」

「かなり見られてるのよ、それ……!」

レジーナが思わず机を叩く。頬がじわじわと赤く染まり始めていた。

「あのでも、せめて……もう少し見た目を、こう、優雅にというか……せめて籠じゃなくて、こう、ちゃんとした輿とか……」

「無理です!」

即答だった。

剣で唐竹割りするように、ばっさりだった。

「あの森の中で、見た目なんて気にしている余裕ありません! 輿なんて持ち込んだら、木の根っこに躓いてひっくり返ります! それに、背負い籠なら正面からの攻撃はまず当たりませんし、姉上が中で丸くなっていれば、かなり安全です!」

「丸くなるの……?」

「丸くなってください!」

アウローラの勢いに押され、レジーナはがくりと肩を落とした。

(私……賢者様のところまで、 運(・) 搬(・) されて行くのね……)

心の中で呟いた言葉は、あまりにも情緒がない。

自分の身分が第一王女であることを、一瞬だけ忘れそうになるほどのインパクトだった。森の賢者との初対面――その第一印象が、「背負い籠からこんにちは」になる未来が、頭の中でくっきりと浮かんでしまう。

森の奥深く。賢者の家の前。背負い籠の蓋がぎい、と開く音。

その隙間から、そろそろと顔を出す自分。

(…………)

想像しただけで、頭を抱えたくなった。

「レジーナ王女殿下」

そんな中、宰相が静かに声をかけた。

「ご不快であれば、もちろん別案を考えましょう。しかし、アウローラ殿下の案は、実務的には相当に優秀です。瘴気に直接晒される時間を減らし、万が一の際にも、聖騎士殿が素早く避難できる配置。森の中という特殊な環境を考えれば、これ以上安全な方法は、そう多くはございますまい」

「う……」

理屈で詰められると、レジーナは弱い。

王族として育てられた身として、合理性を無視したわがままを通すことには抵抗がある。国益のためなら、多少の恥は飲み込む覚悟もある。何より――自分自身が、森の賢者との面会を望んでいるのだ。

森の奥で、妹の心を救ってくれたという男に、礼を言いたい。

彼の生み出した技術が、この国の何年分もの発展を一気に早めている現実を、外交官として、評価し、交渉したい。

それなのに。

(よりによって「背負い籠」で行くことになるとは……)

心の中で頭を抱えつつも、完全には否定しきれない自分がいる。

その葛藤が、そのまま表情に出てしまったのだろう。国王が、ふうと長く息を吐き、肩をすくめた。

「……よかろう」

全員の視線が、一斉に国王へ向く。

「背負い籠案を、仮採用とする」

「陛下!?」

思わずレジーナが声を上げる。

「もちろん、そのまま市場にあるような籠を使う訳にはいかん。宮廷魔導師と職人に命じて、森の瘴気に耐え、衝撃を和らげ、内部の居心地も可能な限り良くした、専用の背負い籠を作らせよう。外見も、……そうだな、あまり第一王女の威厳を損なわぬよう、布で覆うなり工夫させる」

国王は、わざとらしく咳払いをした。

「レジーナ。これも国のためだ。少しだけ、恥を忍んでくれ」

「 少(・) し(・) だ(・) け(・) の範囲を軽く越えている気がしますけれども、陛下……!」

レジーナは涙目になりながら抗議したが、国王の視線は意外なほど優しかった。

「森の賢者殿に会うための道のりを、我らが用意する。その道を選ぶかどうかは、お前の意思次第だ。嫌ならば、断ってもよい」

そう言われてしまうと、なおさら断れない。

レジーナは、ぎゅっと唇を噛みしめた。

聖騎士ラディウスが、小さく囁く。

「無理はしなくていいよ、レジーナ。もし怖ければ、断ったっていいと思う」

「……あなた」

「急病になったということで、賢者殿には納得してもらおう。次の機会があるかどうかは分からないが……君の身こそ大事だ」

優しい声だった。彼が本気でそう思っているのは、レジーナには分かる。

でも。

「いいえ」

レジーナは、ゆっくりと首を振った。

「行きます。背負い籠でも、袋詰めでも、なんでも。……森の賢者様には、私自身の口でお礼を言いたいのですもの」

その言葉を聞いて、国王は静かに目を閉じた。

アウローラは、ぽん、と姉の肩を叩く。

「大丈夫です、姉上!」

きらきらの目で、全力の笑顔。

「姉上の身体は、私が必ず護りますから!! 背負い籠の中で転がろうとも、ちょっと酔おうとも、絶対に無事に賢者の家までお連れします!」

「酔う前提で話さないでくださる!?」

レジーナの叫びに、会議室のあちこちから笑いが漏れた。

重い話をしているはずなのに、どこか和やかだ。

森の魔境。背負い籠。第一王女。

どれも普通なら決して同じ一文に並ぶことはない言葉たちが、いま一つの計画として動き始めている。

アウローラのきらきらした目を見ながら、レジーナは心の底で、もう一度だけ深くため息をついた。

(森の賢者様。どうか、初対面の印象だけで私を判断なさらないでくださいね……)

そう祈らずにはいられなかった。