軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第23話・まるで輝く朝日のような

朝。

窓の外から、小鳥の鳴き声と、遠くから話し声が微かに聞こえてきた。

有羽は、もぞ、と布団の中で寝返りを打ってから、天井をぼんやりと眺めた。

「……あー……」

昨夜の麻雀卓の光景が、まず脳裏をよぎる。

黒髪美人の三十路侍女――侍女長の、えげつないまでの読みと、容赦の無いあがり。

「読みがとんでもない精度なんだよな……それでいてチャンスがあれば、デカい手役作ってくるし……」

ぶつぶつ文句を言いながらも、心のどこかでは次の戦いに燃えている自分がいる。

三倍満を直撃させられた護衛の情けない顔を思い出して、くつくつと笑いが漏れた。

――が。

「……違う、そうじゃない」

有羽は、枕に顔を押し付けて一度深呼吸し、それから勢いよく上半身を起こした。

今、思い出すべきなのは麻雀の事ではない。雀ゴロの侍女長の事でもない。

アウローラだ。

昨晩のアウローラの顔が、鮮やかによみがえる。

赤い目元、ぷるぷる震える肩、子どものようにぽかぽか殴ってくる拳。

そして――

『明日の朝……見てろよ!』

あの必死な声。

軽口で済ませるには、少しだけ重たい何かが宿っていた。

(……何かを見ろって、相当懸命に言ってたよな)

無視するつもりはない。

というか、そもそも無視なんて出来ない。

気付いていないふりをしているだけで、有羽自身、薄々分かっているのだ。

アウローラ御一行とはもう二年の付き合いになる。

最初は、森の中で勝手に転がり込んできた、騒がしくて危なっかしい王女様とその一団――くらいの印象だった。

けれど。

何度も訪れて。

何度も飯を食って。

何度も笑いながらやってきて。

そのうちに、気付けば心のどこかが、柔らかくなっていた。

かつての地球を思い出して、何もかもがどうでもよくなっていた頃の有羽。

ひたすら料理と魔法の研究だけして、外界を遮断していた頃の有羽。

そういう自分は、いつの間にか輪郭を失っている。

「……だからどうって訳でも、ないけどさ」

ぽつりと呟いて、布団から這い出る。

洗面台で顔を洗い、冷たい水で意識をしゃっきりさせる。

魔法で創り出した傷一つ無い鏡に、ぼんやりと自分の顔が映った。

少しだけ、口元が緩んでいる。

「……何ニヤついてんの俺」

軽く頬を叩いて、着替えを済ませる。

普段通りのシャツとズボン。肩を軽く回してから、玄関へ向かった。

扉の向こうからは、既に賑やかな気配がしている。

侍女たちの喋り声、護衛の笑い声。

いつもの朝――のはずだった。

有羽は、油断しきった調子で扉に手を掛ける。

「んー、おはよ……う……」

言いかけた言葉が、喉の奥で途切れた。

視界に入ってきた「それ」が、あまりにも眩しすぎて。

玄関先――ログハウスの前の小さな広場。

朝の光が木々の合間から差し込むその場所に、ひとりの女性が立っていた。

金の髪はいつものポニーテールではない。

結い上げられていた髪は解かれ、柔らかな波を描きながら背中へ流れ落ちている。

朝日を受けて、淡く光っていた。まるで本当に光を溶かして垂らしたかのように。

身に纏っているのは、質素とさえ呼べるほど装飾の少ないワンピース。

だが、そのラインは絶妙だった。

王女としての気品を損なわず、それでいて一人の若い女性としての柔らかさを際立たせるシルエット。

胸元は上品に、しかし窮屈ではなく。

ウエストはきゅっと絞られ、裾は動きを妨げない程度の長さでふわりと広がっている。

色は、彼女の瞳とよく似た、澄んだ淡いブルー。

そこに、ところどころ銀糸の刺繍が静かに光り、森の朝霧のような印象を添えていた。

そして、その服の主――アウローラは。

まるで輝く朝日のようで。

いつものように仁王立ちしている訳ではなく。

胸の前で両手の指を絡め、ぎゅっと握りしめている。

頬は朱に染まり、瞳は不安と期待と、少しの照れくささで揺れていた。

有羽の家に我が物顔で訪れる、豪胆な第二王女の面影は、そこにはない。

いるのは――ただ一人、自分の感想を待つ、年頃の娘だった。

有羽は、完全に固まった。

(……あ)

脳内で言葉が、いくつもいくつも泡のように浮かんでは消えていく。

綺麗、とか。

可愛い、とか。

似合ってる、とか。

いつもの服も好きだけど、こっちもいいな、とか。

色々浮かぶのに、どれも、今目の前にいるアウローラに、しっくり来ない。

彼女の髪が揺れる。

長いまつ毛がぱちぱちと瞬きする。

胸の前で絡められた指先が、緊張のあまりぎゅっと強く握られ、関節が白くなっている。

その全てを、何か一言で掬いたくて。

口が、勝手に動いた。

「……可憐だ」

ぽろり、と。

何の抵抗もなく、そこにぴったりとはまり込んだ感想が、有羽の口から零れた。

次の瞬間。

「……っ!?」

自分で言っておきながら、有羽が一番驚いた。

「い、いや、ちがっ……ちがわないけど、ちがっ……! 今の無し! 忘れて!!」

慌てて両手をぶんぶん振る。

対するアウローラも、顔を真っ赤に染め上げた。

「か、かれん……!?」

耳まで真っ赤になっている。

「わ、わたしのこと……か……?」

こわごわと確認するその声は、森の魔物に向かう時の凛とした調子とはまるで違う、か細い音だった。

「いや、その……えっと……」

有羽は、しどろもどろになる。

言葉を選ぼうとすればするほど、自分の口が勝手なことを言い出しそうで怖い。

(何言ってんだ俺ぇええ!?)

内心で頭を抱えつつも、外側ではどうにか体裁を取り繕おうと口をパクパクさせる。

「ち、違わないよ? 違わないけどさ? えーと、その、ほら……いつもと雰囲気が違うっていうか……すごく、その……えっと……」

珍しく、有羽が言葉に詰まっていた。

アウローラは、何度も何度も瞬きをして――やがて、うつむく。

耳の先まで真っ赤になりながら。

両手をぎゅっと握りしめたまま。

「……そ、そうか」

小さく、小さく呟く。

「か、可憐……か」

口の中で、反芻するように言葉を転がす。

その表情は、嬉しさと、恥ずかしさと、信じられないという驚きが全部混ざり合っていて、なんとも言えず危うい。

見ているこっちの心臓に悪いレベルだ。

「い、いや、その、だな」

有羽も負けじと――何に対してかは知らないが――耳まで赤くなっていた。

「変じゃないよ。その、その服。似合ってる。うん。すごく」

言いながら、自分で言った言葉の熱さに耐えきれず、視線を少しだけ逸らす。

それでも、ふとした拍子にアウローラと目が合ってしまい――。

双方、同時に「うっ」と小さく息を呑んで、慌てて目線を泳がせた。

その様子を、少し離れた場所から侍女隊と護衛隊が見守っていた。

皆、ほどよい距離で「見えないふり」をしながら、ばっちり見ている。

「……あー」

侍女の一人が、頬に手を当てて、ため息とも感嘆ともつかない声を漏らした。

「空気が甘いですわね……」

別の侍女が頷く。

「いえ、甘酸っぱい、というべきでしょうか。なんと言いますか、その……」

「渋めの紅茶が欲しいですわね。砂糖抜きの、渋い奴がいいです」

「分かります。心の舌が糖分でべとべとになりますわ」

護衛の一人が、腕を組んで空を仰いだ。

「……朝から酒が欲しくなってくる」

「やめとけ。森の中で酒はほどほどにな」

「でもよぉ……あれは酒でも飲まないと見てられないぜ?」

別の護衛が、ニヤニヤしながら言う。

「にしても、殿下……あんな顔もするんだな」

「いつもの鎧みたいな服も似合ってますが、今日の殿下は……」

「うむ。あれを『可憐』と言わずして何と評すべきか」

「賢者殿、たまに口が滑るといい仕事しますわね」

好き放題言っている。

そんな周囲の囁きなど、当の二人には届いていない。

玄関前では、まだ小さな混乱が続いていた。

「と、とにかく!」

アウローラが、意を決したように顔を上げる。

「み、見ろと言ったからには……見たのだな、有羽!」

「見たよ!? さっきから見てるよ!? むしろ目が離せなくて困ってるよ!!」

「なっ……!」

自分で言っておいて、自爆していることに気付いていないのか、この賢者は。

侍女たちは、遠巻きに「うわぁ……」と顔を覆っている。

見てはいけないものを見ているような、でも見たいような、複雑な顔だ。

アウローラは、耳をぴくぴくさせながら、もう一度うつむいた。

「……そ、そうか」

今度は、先ほどよりも少しだけ、柔らかい声で。

「なら……よし」

小さくガッツポーズを作ってから、ふい、と顔を逸らす。

「と、とにかく! あとは……あとは、普通にしていればよいのだな!? 朝食はどうする、有羽!」

「話題を変えた!」

「変えた!!」

自分で認めた。

有羽は思わず吹き出し、それから肩を竦める。

「はいはい。朝飯な。ちゃんと考えてあるから。今日は……パンと、ベーコンと、良い卵あるからそれでスクランブルエッグ作って……スープに……あとサラダ」

「! 有羽の作るベーコンは好きだぞ!」

アウローラの瞳が、きらりと光る。

さっきまでの恥ずかしさと嬉しさが、食欲に若干押し流されていく。

その変わり身の早さに、侍女たちは内心大いに頷いた。

(ああ、殿下だ……)

(いつもの殿下で安心しますわ……)

生暖かい視線を送る中、有羽とアウローラの二人は、未だにお見合い状態。

赤い顔のまま、元に戻る様子は無かった。

「じゃ、とりあえず席座れよ。服、皺になっちゃ困るだろ?」

「っ……!」

有羽の何気ない一言に、アウローラの背筋がぴん、と伸びた。

「そ、そうだな! 皺になっては大変だ!」

慌ててスカートの裾を押さえながら、ぎこちない足取りでテーブルへ向かう。

その後ろ姿を見守りながら、侍女がぽつりと呟いた。

「……よかったですわね、殿下」

他の侍女がふふふと笑う。

侍女隊全員が、視線の先の可愛らしい王女殿下を見つめている。

「ええ。本日の殿下、とても……可憐でいらっしゃいますもの」

護衛は、仲間内で目配せしながら、にやりと笑う。

「さ、今日は一段と賑やかになりそうだな」

「だな。……ところで」

「ん?」

「さっきの賢者殿の『目が離せなくて困ってる』っていう発言、あれは後で酒の肴にしてもいいだろうか」

「慎め」

「はい」

そんな他愛もないやり取りが交わされる中。

森の奥の小さな居住空間で、いつもより少しだけ甘く、少しだけ眩しい朝が、静かに始まっていった。