軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

分岐点

世界には無数の道がある。

ひとつの命が生まれるたびに、ひとつの道が伸びる。

ひとつの選択が為されるたびに、無数の道が枝分かれする。

選ばれなかった道は消えるわけではなく、薄い影となって世界の底に沈み、選ばれた道だけが、今という現実の上へ積み重なっていく。

この世界もまた、そうして形作られてきた。

天を揺らす戦いがあり、数多の神が退き、五柱の上位神が残った。

その下に十柱の従属神が生き延び、さらにその下に、数えきれぬ命が根を張った。

人。エルフ。ドワーフ。獣人。

動物。魔物。悪魔。竜。精霊。

あらゆる命の、あらゆる可能性の果てに、今の世界がある。

魔境の大森林を巡る、今の状況もそのひとつだ。

東に、境界を噛み続ける蛇。

西に、繁栄を支え続ける樹。

北に、善悪を量り続ける竜。

そして南に、別世界から呼び込まれた異邦人。

様々な道の果てに、今の状況がある。

選択はひとつではなかっただろう。

西へ赴き、魔国の女王と最初に強い縁を結んでいた未来もあったかもしれない。

東へ向かい、星髪の少女と奇妙な友愛を育てていた道もあったかもしれない。

北の異変にもっと早く気づき、黒白の友情が生まれていた分岐も。

あるいは誰とも深く関わらず、ただ森の奥で孤独を完成させていた結末すら、確かにあったはずだ。

だが、彼がこの世界で、この世界線で選んだ先はただひとつ。

南部に留まり、陽だまりの王女と絆を深める道筋。

その道を選んだ。その道を進んだ。その先の断崖に、今彼は歩もうとしている。

細い細い道であり、救いのない道。到底、彼が生還できる道筋ではない。

きっと結末はひとつ。

世界にとっての、よりよい未来。世界にとってのハッピーエンド。

その道を進む。その道の果てに、彼自身の幸せはきっとない。

この世界で得た、唯一無二のお日様の笑顔を宝物のように抱いて、断崖の果てに消えるだろう。

――だが、この世界は、無数の選択肢の果てに成り立つ世界。

ゆえにここには『分岐』がある。

分岐点。分岐路。もしもあの時にこうしていれば。もしもあの場で動いていれば。

そんな、数多の可能性が存在する。

そして彼――世渡有羽も、そんな可能性を掴んでいた。

幾度も繰り返すように、彼がこの救いのない道を歩む事、それ自体は予定調和だ。

大切なもののためなら、自分を後回しにできる。

自分が壊れる可能性を知ってなお、なお前へ進もうとする。

だがこれは、当然の帰結なのだ。

何故なら、そういう人間だからこそ、森は彼を選んだ。

無慈悲に。ただただ合理性だけを求めて。

森は、当然の結論を前提に、彼をこの世界に引きずり込んだ。

だから変わらない。彼が、大切な何かの為に、断崖の先を歩く未来自体は変わらない。

彼は誰にも言わず、誰にも語らず、自分が消えるだけの道を歩いていく。

けれど――けれどもしも――。

もしも「彼の無意識の助けを受信する存在」が生まれていたとすれば――?

魔境の大森林の閉鎖すら通り越して、情報を「送受信」するような存在を生み出していたとすれば――?

それは僅かな可能性だ。

もしもの、万が一の、ありとあらゆる世界線で、極小の可能性でしか存在しない生命体。

奇跡よりなお細い糸。

地球より来た異邦人は、必ず断崖の先に進む。そんな人物だから選ばれた。

けれど、死にたいわけではない。

彼は願っている。

今も、心の一番奥で。

これから先も、お日様と共に生きたいと。

笑い合いたいと。

食卓を囲みたいと。

何でもない日々を、何でもない顔で過ごしたいと。

それはあまりにささやかな願いだった。

世界を救いたい、ではない。

誰かの上に立ちたい、でもない。

ただ、自分にとって大切なひとと、明日も同じように笑いたいというだけの、あまりに人間らしい願い。

その願いは、声にはならない。

彼自身ですら、自覚出来ていない。

無意識下での訴え。

けれど確かに、叫んでいた。

生きたい、と。

その切なる叫びを――。

――小さき若い緑の芽は、受け取っていた。

◇◇◇

そして――全てを受信したクロエから、レジーナは情報を得た。

第一王女の自室には、ひどく静かな空気が満ちている。

レジーナは長椅子に座ったまま、ぴくりとも動かなかった。

膝の上にはクロエがいる。子猫ほどの小さな体を丸め、じっとしている緑の芽姫。

その小さな存在を通して流れ込んできた膨大な情報が、今なおレジーナの内側を巡っていた。

森。

番人。

黒竜。

有羽。

後継機。

再起魔法。

救いの無い未来図。

その全てを、レジーナは一言も漏らさずに受け止めて。

同席しているラディウスもまた、同じ情報を共有している。

だが聖騎士の顔色は蒼白だった。指先にまで力が入り、膝の上で握った拳がわずかに震えている。

そばに控える侍女たちも、何か尋常でないことが起きたと察してはいるのだろう。けれど詳しい中身までは届かず、ただ不安げに主の横顔を見守ることしかできない。

レジーナは、部屋の中で最も静かだった。

言葉もない――のではなく。言葉を発する労力すら排除している。

浮かべる顔は、恐ろしいほどの無表情。感情の発露さえかき消して、自らが取るべき行動を模索する。

(――神聖国は潰す。もう、あいつらはいらない)

最初に浮かんだのは、ひどく明瞭なひとつの結論。

もういらない。あの国は、必要ない。

北に巣食う独善の宗教国家。

光だけを掲げて、善だけを叫び、他者の選択を焼き尽くす国。

存在しているだけで、世界を壊し続ける歪み。

残しておく理由が、ひとつもない。

だからレジーナが浮かべるのは、冷酷な王族の顔だけ。思考が目まぐるしく回転する。どうすれば最短で効率的に奴らを滅ぼせるのか――それだけを探している。

(――帝国に動いてもらう。戦争の好きな国だ。思う存分働いてもらおう)

帝国を使う。

帝国が王国との国境線でやらかした一連の報告は、すでにレジーナの耳にも届いている。

丁度いい。賠償だ何だと金貨を積ませる代わりに、帝国の連中には馬車馬のように働いて貰おう。北の愚物を根絶やしにするその時まで、大好きな戦争行為に励め、と。

(――メトゥスと、もう一度話し合う必要があるわね。共同戦線を張る)

魔国とも話す必要がある。

メトゥスなら理解する。あの女王は現実を見誤らない。

神聖国を削るための共同戦線。物流。山脈越えの補給線。亡命者の受け皿。魔国と王国で役割を分ければ、まだ間に合う。

時間はない。最長で半年だ。僅かな時も無駄にできない。あらゆる手段を講じて、最短で神聖国を潰さねばならない。

だが。

(――神聖国を潰しても、事態の解決にはならない。竜の内部に蓄積した膿は、今更原因が消えたところでどうにもならない)

冷静に。どこまでも冷静に、問題を整理していくレジーナ。

上位存在達の間で交わされた話。その全てが、レジーナの手に届かぬ規模の話だ。

――だが、手に負えぬ話でも、理解できないわけではない。

王女として、人間として、得られた情報から自分が取るべき手段を、冷静に組み上げていく。

それがレジーナの能力。解りやすい強さとしてのレベルではなく……思考回路が異常。

誰しもが絶望し狼狽する情報を前にしても、どこまでも冷たく俯瞰できる。

外交の刃――今レジーナの思考は、まさしく刃のように研ぎ澄まされていた。

(放置は駄目、世界が終わる。黒竜退治、賢者が後釜。治療法の捜索――自我の崩壊)

焦らない。焦る暇すら無い。焦っている暇があれば、解決策を探る。

レジーナは探す。自身の脳内で、自身が求めるハッピーエンドを探す。

世界のハッピーエンド? そんなもの、最初から興味はない。元々、国の発展と平穏を最優先に考える王家の人間だ。極論、大きな括りでの世界平和などに強い執着はない。

大切なのは自国だ。自国民の安寧と平和。王国の発展と栄華。

最初から、狭い範囲でのハッピーエンドを求めている。

世界ではなく……自分の大切な者たちが笑っていられる結末を。

(――森。天蛇。女帝。黒竜。隠者。役割。枷。神々。世界)

何処までも何処までも、深く潜るレジーナ。

有羽のように知識の海に潜れるわけではない。

探求神のように世界の記録を覗けるわけでもない。

レジーナにできることは、自分の内にこもる事だけ。

今まで見聞きした全て。

外交の場で培った判断。

王族として見てきた人心。

妹の顔。

賢者の顔。

自分の中にある知識、経験、記憶、全てを総動員して「可能性」を探るのみ。

そしてその果てに――。

(――細い糸を、太くできるかもしれない)

ほんの僅かな光を、彼女は見つけ出した。

小さい。

あまりにも小さい。

だが、ゼロではない光を。

すぐさまレジーナは立ち上がった。クロエを抱えたまま、隣に座るラディウスを見る。

「ラディウス。森へ行くわよ」

「……レジーナ?」

「早く準備して。私を籠に詰めて、賢者様のところに、すぐにでも行くわ」

息を呑むラディウス。

突然の言葉に、思わずレジーナの顔を凝視するラディウスであったが――すぐに黙る。

その強い眼差しに、圧倒された。

かつて、十年前に魔界の悪魔との戦いの際にも見た。

強く気高い王女の瞳。目的意識がはっきりしている、愛する妻の眼差し。

この目をした時のレジーナは、必ず臨んだ結果をもぎ取ってくる。

「直接、行く必要があるんだね? クロエくんを通して伝えるのではなく?」

「ええ。直接言わないと駄目。賢者様は、もう覚悟を決めている。遠くから言葉だけを飛ばしても、あの意志を折ることはできない」

文章では届かないことがある。

理屈だけでは動かない心がある。

それはレジーナが、外交の場で何度も思い知ってきた真理だった。

顔を見る。

声をぶつける。

熱を伝える。

そうしなければ、変えられない想いがある。

「わかった」

ラディウスの返事は短かった。

「精鋭を数人、すぐに護衛として手配をするよ」

「お願い。私は、その間に王都を離れる手続きを済ませておくわ」

言葉が終わる前に、二人はもう動き始めていた。

ラディウスは部屋を出る。

レジーナもまた、クロエを抱いたまま扉へ向かう。

侍女たちは慌てて道を開ける。

その主の背に、もう先ほどまでの静止はない。完全に動いている。政務室へ向かう脚。国王へ話を通すための顔。段取りを最短で整えるための頭。

歩きながら、レジーナの胸中には苛立ちが渦巻いていた。

(冗談じゃない)

相手は、あの森の賢者だ。

黒髪で、閉鎖的な、アウローラにだけは甘い、勝手に自分を投げ出す馬鹿な男。

(アウローラの心を奪っておいて)

そこだけでも十分面倒なのに。

(私の妹を泣かせておいて)

なおさら許し難い。

レジーナは知っている。

ああいう手合いは、遠くから理屈を投げても通じない。

顔を合わせて、真正面から叩き込まなければ、肝心なところを理解しないのだ。

彼がいなくなったら、妹は二度と笑えなくなるというのに。

だから行く。

何としてでも行く。

(待っていなさい)

レジーナの瞳に、鋭い光が宿る。

( 世界のハッピーエンド(くだらない結末) なんて、絶対に覆してやるから)

世界が求める結末など、知ったことではない。

自分が欲しいのは、そんな大仰な終幕ではない。

有羽とアウローラ。

あの二人が、ちゃんと笑って終われる物語。

王女として、姉として。

そして何より、自分の気に入った結末を押し通す一人の女として。

第一王女レジーナ・スィル・ステラ・アウストラリスが動き出す。

◇◇◇

「そう――それでいいんですよ、王女殿下」

その声は、王国の王城の、遥か上空で発せられた。

風が吹いている。

雲が流れている。

本来なら、人が立つことなどあり得ない高さ。

そこに、ただ当然のように一人の男が浮かんでいた。

遥か下の、レジーナの姿を眺めている。

彼女の姿は、ここからでは見えるわけがない。

声も届かない。

表情など分かるはずもない。

それなのに――その姿を視界に映し、愉快そうに見下ろしていた。

「決まった結末なんてつまらない。それがどんなに都合のいいハッピーエンドなのだとしても」

その男は、かつてニクスと共にいた、あの胡散臭い商人だった。

王都まで馬車に揺られ、軽口を叩き、底知れぬ笑みを浮かべていた、あの旅商人。

そんな彼が、平然と天空に浮遊している。

大地からも、空からも、何者にも干渉されないような――どこまでも自由な姿。

そんな彼が声を飛ばす。

遥か下。城の中で動き出したレジーナに向けて。

彼女の声も届かず、姿だって見えない筈なのに。

レジーナに向けて賛美の言葉を口にする。

「 世界のハッピーエンド(そんなもの) より、あなたの欲しがる結末の方が、何倍も求める価値がある」

彼の口元が、ゆるりと歪む。

それは優しさではない。慈愛でもない。

けれど悪意でもなかった。

――懸命に足掻く、人の生き様を楽しむ笑み。

「その方が――何倍も、見る価値がある」

人の生を、上から眺めている。

その有様は、どこか観客に似ていた。

舞台に立つ気はない。脚本を書く気もない。

ただ、舞台の上で役者たちが足掻き、転び、叫び、笑い、それでも自分の結末を掴みにいく様が好きなのだ。

予定通りに終わる芝居など、退屈でしかない。

「さて。ニクスさんを送り届ける仕事も終わりましたので、私も私で自由に動かせてもらいますか」

ぱちん、と。

指が鳴る。

乾いた音が、雲の上にも届くように小さく響いた次の瞬間――男の姿が揺らいだ。

行商人めいた衣装がほどけるように消えていく。

代わりに現れたのは、ひょろりと背の高い、どこか旅慣れた空気を纏う男の姿だった。

顔立ちはどこか哀愁を帯びている。

笑えば人好きのする顔にも見えるのに、目の奥にはどうしようもない気まぐれと、他人事めいた軽さが宿っていた。

旅装束は簡素だが馴染んでいる。まるでこの世のどこにでも現れ、どこへでも消えていけるような、根無し草の風体。

そう――彼は商人などではない。

商人ごときに、神聖国から抜け出すニクスの偽装などできるわけがない。

その身に宿すものが、そもそも違うのだ。

彼こそは、選択、逸脱、そして可能性の跳躍を司る者。

自由を好み、人の世を観察し、笑い、転がす漂泊の神。

上位神が一柱。

放浪神ノングラータ。

「私、決まりごとに縛られるのが大嫌いなものでして」

くつくつと笑いながら、ノングラータは世界を見る。

広がる世界。王国、魔国、帝国……様々な国が、様々な思惑で発展する、綾模様のような世界。

どの国も、どの命も、好き勝手に動いているようでいて、どこかで理に縛られ、役目に絡め取られている。

だからこそ、面白い。

だからこそ、退屈もする。

「一色で塗り潰された箱庭など、見ていても欠伸しか出ません」

その声に宿っているのは、神聖国への明確な侮蔑。

光だけで塗られた国。

善だけを掲げ、揺らぎも濁りも許さぬ国。

自由も、逸脱も、選択の余白すら削り取られた場所。

そんなものは、つまらない。

だからこそ――放浪の神は、ニクスに手を貸した。

「予定調和の盤面よりも、面白おかしい遊戯盤の方が好みなんですよ」

ノングラータは楽しげに目を細めた。

賢者の行く末も、まだまだ見足りない。

あの異邦の青年は、あまりにも面白い存在だ。

理不尽を押し付けられ、勝手に役目を背負わされ、それでも愚痴を吐きながら、誰かのために断崖へ進もうとする。

それでいて、死にたいわけではない。

生きたいと願いながら、壊れる未来へ手を伸ばす。

そんなもの、途中退場されては困るに決まっている。

「お互い頑張りましょう、王女殿下」

地上のどこかを見下ろしながら、ノングラータは囁く。

その声の向かう先にいるのは、きっと王城を駆けている金髪の第一王女だ。

「くだらぬ結末を覆すために」

その声音は、まるで共犯者へ送る挨拶のよう。

次の瞬間、彼の姿がふっと薄れる。

空の青へ溶け込むように。

誰にも縛られず。

どの陣営にも属さず。

既定路線を嗤いながら「予定された幸福」を壊しに行く愉快犯。

放浪の神もまた、動き出した。

世界のハッピーエンドのためではない。

もっと小さく、もっと身勝手で、もっと美しい何かのために。