軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第128話・日常の灯

――遠く、樹々の葉音が聴こえる。風のそよぎが耳に届く。

そんなざわめきを背景に……有羽は見慣れた自室の天井を見つめて、ある種の放心状態だった。

ベッドの上に横たわる。眠いわけでも、不調があるわけでもない。ただただ気力が沸かない。単純に……生きるという希望が消えている。

体の奥、根の深い場所からすっぽり抜けたものがある。

(……何なんだろうな……本当に……)

心の中で呟いて、今までの時間を思い返す。

この異世界にやって来てからのこと。そして、この異世界で築き上げてきたもの。

森に居た。怯えながら生きた。魔法を使った。様々な理不尽を乗り越えた。

けどそれ以前の記憶は……「記録」でしかないのだと解った。本物の複製品。複写された思い出。いや、思い出と言うことすら憚られる贋作。

日本で生きていた記憶。実家の匂い。街の明るさ。アスファルトと高層ビル。学校に教室に、友人同士のくだらない語り合いさえも……全てが偽物。

それが今の有羽。作り物のゴーレムである、今の有羽。

いうなれば、他人の人生を複写しただけの紛い物。

「……はぁ」

溜息を吐いて、身体を起こす。

本当に、どこにも異常はない。手は動き、頭は働き、視界は良好、聴覚も問題無し。

実際の人間と、何か差異がある訳ではない。身体機能だけで判別するのなら、同一といっていい。

変わらないのだ、何も。見た目も機能も感情すらも。そこにある一個の命に変わりはない。

ただ――森の外に出たら死ぬ。そんな不安定な命なだけ。

(……女神さんがいなきゃ、本当に死んでたよな、俺)

有羽は今更ながらに思う。

探求神スキエンティア。かの女神の必死の救命がなければ、今の有羽はいない。

実際どうなったのか知る由も無いが……おそらく「三人目」の有羽が生まれていた。

今の有羽を材料にして、今の有羽の記憶と精神を複写して、何ら変わらぬ「世渡有羽」が創り上げられていただろうと有羽は推測する。

(多分、違和感すらない。細かい調整が入れられて、より最適化されていた筈)

冷静に判断する。

かつての有羽――本物の世渡有羽。

昔の有羽のレベルは低かった。魔物相手に苦戦していた。強い魔法は使えていたけれど、その扱いは未熟で常に恐怖に怯えながら戦っていた。

夜の闇に潜む獣の鳴き声。揺れる草木の音すら恐怖心を呼び。精神が摩耗していったかつての有羽。

だからこそ再起魔法を使った。あの魔法は記憶を呼び起こすだけではなく、精神を安定させる意味でも使用した。日本の記憶を思い出せば、心が落ち着くだろうと信じて。

(……そうだよな。そこが本物と俺の違いだ……俺は再起魔法を労せず使える)

思い出す。思い出したくないけれど思い出す。

偽物の自分ではなく、本物の有羽の行動を記憶の中から拾い上げていく。

かつての有羽は、再起魔法を 苦(・) 労(・) し(・) な(・) が(・) ら(・) 使用した。

執念じみた思いで組み上げた。地面に線を引き、消し、頭の中で構成を反復しながら創り上げた。

けれど違うのだ。それは本物の有羽の行動で、今の有羽は――あれを苦労として認識していない。

(記憶違い? あるいは改竄? ……違うな。今の俺は、本当に――片手間で構築できる魔法だと認識している)

構築に時間がかかった覚えがない。あの何日にも渡る研究の日々を、取るに足らない事だと思っている。

それが差異。こんな状況にでも陥らなければ、おそらく永久に気付かなかった齟齬。

(……あそこで「俺の性能」が格段に伸びた。世渡有羽の最適化。最初に与えられた魔法の才だけでは不足だったから、俺はあそこで作り替えられた……?)

片手を額に当てて、思考は更に進んでいく。

この世界にやってきた経緯も理由も、未だ不明のまま。しかし何らかの目的があって転移した事だけはほぼ確実だといっていい。そうでなければ有羽の死体を再利用してまで作り変えたりしないだろう。尊厳への考慮など、人の心を慮る色は一切見えないが――合理性だけは見え隠れしている。

この森は、世渡有羽の死体すら使って、「何かの役目」を担わせている。

上位神級の力を与えてまで為さねばならぬような役目を。

(……上位神……女神さん……)

そこで、有羽はスキエンティアの感触を思い出す。

心が砕けそうだった自分を、優しく温かく抱き締めてくれた女神様。

命に寄り添った、女神の抱擁。あの優しさと温もりを思い出す。

(……こっ恥っずかしぃ)

思わず、顔が熱くなる。

まるで、幼子の迷子のように途方に暮れていた自分を、突き放さず抱きとめてくれた女神。

有羽自身、よく解る。あれは救いだった。探求の女神が、自身の欲求ではなく「誰か」のために寄り添ってくれた、優しい救いだった。

あの時あの瞬間、もしもスキエンティアが有羽を突き放していたのなら。

もしもあの時、神ではなく優しい誰かとして抱き締めていなかったのなら。

――もしも、神としての好奇心だけで見下ろしていたのなら。

たぶん有羽は、立ち直れず砕けていただろう。

冷静に、そう判断している。

そう判断できてしまうほど、あの時の温もりは、有羽の心を癒していてくれた。

(なんだろう……なんかすごく駄目な事をした気分)

不思議な負い目を感じて、手で顔を覆う有羽。

何か悪いことをした訳ではないのに、妙に後ろめたい。

有羽は独身で、恋人もいない。そしてここは人里離れた森の中。誰にも迷惑はかけていない。公序良俗に反した訳でもない。むしろあれは救命行為。治療行為。ハグはリラックスやストレス解消に効果があり、安心感をもたらす行動。国によっては挨拶にも用いられるくらいだ。

そう。何も疚しい事はしていない。何も恥ずべき事はしていない。

有羽の心が「恥ずかしがっている」だけで、恥じる行為では決してないのだ。

だというのに――さっきから、あの美しい女神の姿が脳裏に浮かぶ。

晴れ渡る空のような御髪。爛漫と咲き誇るような笑顔。起伏に富んだその曲線までもが浮かんでしまって。

(ええい! やめやめ! あれはボケ女神! 文明オタクの残念女神!!)

ぶんぶんと顔を振って、どうにか平静を取り戻す有羽。

確かにスキエンティアは美人だ。そしてその美人に助けられた。彼女がいなかったら有羽は今ここにいない。そこは間違えない。ちゃんと感謝している。

だが、それはそれ。これはこれである。あのサモエド亜種のような大型犬じみた女神に、惚れた腫れただのの感情があるかと言われれば、そんなことはない。

有羽の中にいるのは、ただひとつのお日様。

金色の髪を、まるでわんこの尻尾のように振り回して笑いかけてくる、王国の王女様だけ。

(……そういや、あれからどうなったんだろう)

落ち着いたからこそ、有羽は思い返す。

帝国と王国との国境線に飛び、アウローラとクロエの窮地を救い、アギトを制圧した。

そして立ち去る帝国軍を見つめて……倒れた自分。

その後、すぐに力を失い倒れ込みかけて……ろくに説明しないまま、森まで空間跳躍で帰還した。

きっと、アウローラは大慌てになったことだろう。

ちゃんと説明しろとか騒いでいたかもしれない。

――実際は、騒ぐどころか、かつてのトラウマを刺激して恐慌状態になったのだが。

そんなことまで有羽が知る由もない。なのでいつものアウローラの姿から想像して、ぷんぷん怒っている様子を思い浮かべてしまう。

そして、そんなことを思い浮かべていると。

ぐぅ、と突如腹の音が鳴る。

あまりに自然に。あまりに違和感なく。

ごくごく普通の生理現象を、有羽の身体は示した。

「……現金な身体ですこと」

困ったものを見る瞳で、自身の腹を見下ろす。

変わらない。ゴーレムであるその真実が明らかになっても……「人」は腹が空く。

少なくとも有羽の身体はまだ、生きたがっているということだ。

生きる為に。動く為に。歩き出す為に。

人は食べ物を求めてお腹が鳴る。あまりに当然な、生への鼓動。

そんなものがまだ体に残ってることが不思議で……少しだけ肩の力が抜けていた。

「さて、と……じゃあ起き抜けに、何か作るか」

ベッドから降り、背筋を伸ばす。

ずっと寝ていた所為か、身体の節々からバキバキと音がする。

その音に、思わず苦笑してしまった。

腹の音もそうだが――何も変わらぬ身体すぎて。

こんな当たり前が、まだ有羽の中には残っている。

小さく息を吐き、部屋の外へ一歩を踏み出す。

それは、ほんの少しだけ、いつもの自分を取り戻した足取りであった。

◇◇◇

ドアノブに手をかけて、ゆっくりと押し開くと……広がる光景に有羽はふと、不思議な懐かしさに胸を打たれた。

自分で建てたはずのログハウス。自分で刻んだ柱、自分で選んだ木材、自分で組み上げた空間。見慣れているはずなのに、まるで何年ぶりかに帰ってきた場所のように感じられる。

力を失い倒れ込んで昏睡状態になり……それから数日間寝ていただけなのに。

時間で表せばたったの数日。けれどその数日で、有羽の意識が大きく変わった。

――変わってしまった。

(……ある意味、この家だけか。『俺』が築き上げたって言えるものは)

ログハウスの居間を見渡しながら、そんなことを考える。

懐かしい思い出。再起魔法を使用して、簡単に創り上げた家だけれど……長く住んだ自分の住居。家具も、台所用品も、地下にある数多の食材も。

全部全部、「今の有羽」が作り上げた、「今の有羽」だけの成果。

有羽は、少しだけ救われる気になった。何も状況は変わっていないけれど、何もかもが偽物というわけではない。彼自身が積み上げたものが此処にはある。

「――有羽君」

そこに、柔らかな声が届く。

視線を向けると、そこにはスキエンティアが。

らしくないほど控えめに。心配そうな瞳で、有羽を見つめている。

いつもの勢いがない。こちらの呼吸を窺うように、少し距離を置いて立っていた。

「もう……大丈夫なの? 起きて大丈夫? 寝ててもいいんだよ?」

探るような問いかけ。声の端には緊張が残っている。

有羽は軽く肩を竦めて答えた。

「――大丈夫だよ。痛みとか一切無いし……それに」

「それに?」

「……腹減ったんだよ」

少し恥ずかし気に有羽が呟く。思わず声が小さくなるほど。

その声と態度を見たスキエンティアは、一瞬きょとんと眼を丸くして――すぐにふわりと破顔した。

「あははは! そっかそっか! お腹空いちゃしょうがないよね! うんうん、そりゃ起きなきゃ駄目だ!」

くすくすと笑うその顔は、心の底から安堵した穏やかさを宿しており――彼女自身の美しさも相なって、少しだけ目を奪われた。

思わず目を逸らす有羽。基本、残念女神を主軸で動き回るスキエンティアだが……やはり根底の容姿は人の領域外な美貌。何も知らぬ者が目にすれば、一目で恋に落ちそうなほど極まっている。

有羽が多少照れるだけで済むのは、普段の行動を目にしているからにすぎない。

ようするにサモエド亜種な大型犬ムーブ。気を抜くとあの女神は理性の鎖を放り捨てて、全力で突貫してくる危険ブツだと解っているから、目を逸らす程度で済む。

「……んな笑うなよ。そういう訳だから、飯作るの俺は。……女神さんはなんか食いたいもんあるか?」

誤魔化すように言うと、スキエンティアはぱっと顔を輝かせた。

「え? わたし? ――うわぁ、有羽君がわたしの希望に応えてくれるんだ!?」

「そりゃあんた……色々世話になったから、お礼ぐらいするよ」

「うへへへへ、それはありがたいねぇ」

によによと幸せそうに顔を緩める女神様。頬に両手を当てて、くねくね身体を捩らせている。

事情を知らなければ、ただの怪しい不審者眼鏡だ。美人だけど。

「じゃあじゃあ……カレー! カレーがいい!」

むん、と胸張って宣言する女神様。

「この家に来てから色々御馳走になったけど、あの暴力的なスパイスの香りは外せないよ!!」

「なるほど……」

有羽も、ふむと顎に手を当てて考える。

確かに――今の鬱屈とした気分を晴らす為にも、あの味と香りの破壊力に身を任せるのは一考かもしれない。むしろそれくらい乱暴な方が、ちょうどいい気がした。

「中々好い案だな……よし、それじゃ色々試してみるか。地下には牛や鳥や猪豚や……はたまた魚介類まで沢山有るから、色んなカレー作れるぞ」

「……相変わらずとんでもないよね、有羽君の貯蔵庫。食材冷やす為だけに高次元の魔法式展開してるし」

「何を言う。むしろ一番平和的かつ実用的な使い方だと思うんだが?」

「うーん……世の魔導研究者が見たら全員卒倒しそうな使い方だけど……」

「え? じゃあ女神さんは食べないのね?」

「食べるよ!? 食べるに決まってるよ!? というか、わたしへのお礼の筈でしょ!? なにサラっとハブろうとしてるのさ!?」

「いやだって、卒倒するとかなんとか言うから」

「それは普通の研究者の場合! 神様は違うの!! 美人探求神ティアちゃんは違うんです!!」

ぎゃあぎゃあ。

むきーっと抗議する女神様を、煩そうに有羽が見つめる。

ログハウスの中で、有羽の作った住居の中で、以前と変わらぬ喧騒が展開する。

騒がしくてくだらない……なんてことのないやり取り。

「あーもー、うるさいなぁ……とにかく俺は地下行って食材取ってくるから、女神さんは良い子にそこで待ってなさい。じっとしてるんだよ?」

「わたしは子供じゃないやい! こら有羽君! 待ちなさい!!」

有羽が貯蔵庫への扉を開け地下に潜り、ドタバタとスキエンティアがその後を追っていく。

二人は笑っていた。有羽も、スキエンティアも、自然にとは――流石に遠いけれど。

それに事態は何も解決していない。

有羽がこの世界に転移した意味。この森の役目。神聖国の不穏。

何一つ解決していない。何も片付いてなどいない。

有羽自身の命ですら――未だ、危うい均衡の上にある。

それでも確かに、そこに笑顔はあった。

ほんの少し無理は混じっているけれど、それでも確かに、笑えている。

日常を楽しむだけの情緒は、まだ失われてなどいない。

日常を失いきらないための、小さな火が、確かにここに残っていた。