軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十二章「あなたの声が必要です」

実況が戻ってから、何かが変わった。

変わったのは実況ではなく——私自身だった。

三日間の沈黙を経て、頭の上の声を聞く耳が変わっていた。

うるさい、と思う気持ちが、薄れていた。

恥ずかしい、と思う気持ちも、以前ほどではなくなっていた。

なくなったわけではない。

ただ、受け入れ方が変わっていた。

これは私の一部だ、とクロード卿が言った。

なければあなたではない、と。

その言葉が、三日間の間、ずっと頭の中にあった。

実況が戻った翌日、フィン博士が経過を確認しに来た。

測定を終えた博士は、眼鏡をかけ直しながら言った。

「能力が安定しています。むしろ、一時停止の前より出力が上がっているかもしれない」

「上がっているとは」

「精度と範囲が広がった可能性があります。感情的に何かが整理されると、能力の制御に使われていたエネルギーが解放されることがある」

「整理、とは」

博士は眼鏡越しに私を見た。

「あなたが自分の能力を受け入れ始めた、ということです」

私は少し黙った。

「……そうかもしれません」

「結構。ではもう一つ聞きますが、制御系の一時停止の原因となった感情の負荷——それは解決しましたか」

「解決、とは」

「感情の問題は、整理されないとまた同じことが起きます。もちろん、今すぐでなくて構いませんが」

博士は淡々と言って、荷物をまとめ始めた。

立ち去り際に、廊下にいたクロード卿を一瞥して、それから私を見て、小さく「ふむ」と言った。

何かを察している顔だった。

学者というのは、余計なところで鋭い。

ラーゼン結社への対応が進む中、日常は続いた。

クロード卿との護衛の時間も、続いた。

ただ、実況が戻ってからの数日、クロード卿は少し違った。

違った、というのは——何かを言おうとして、言わない、という素振りが増えた。

言いかけて止まる。

こちらを見て、視線をそらす。

無表情なのに、何か考えていることが、なんとなく伝わってくる。

私の実況は、その点について、毎日何か言おうとしていた。

だが私は、実況が口を開くより先に、心の中で「今は待って」と念じた。

念じても実況は止まらないはずだった。

なのに、なぜか——実況は黙っていた。

能力が安定した、とフィン博士は言った。

精度と範囲が上がったと。

もしかして、今は私の気持ちが実況にも伝わっているのだろうか。

事態が動いたのは、週末の午後だった。

クロード卿が報告書を届けに屋敷に来て、父と話し終えた後、廊下で私と鉢合わせた。

父は書斎に戻っていた。

廊下には、二人だけだった。

「ローゼン嬢、少し時間がありますか」

珍しい始まり方だった。

いつもは業務の話から入る。

「はい、あります」

「庭でいいですか」

「構いません」

二人で庭に出た。

午後の光が、石畳に長い影を伸ばしていた。

東屋のそばの薔薇が、白い花を咲かせていた。

クロード卿は少し歩いてから、立ち止まった。

庭師はいなかった。

屋敷の窓は遠かった。

彼は前を向いたまま、少しの間黙っていた。

『おっと騎士団長、珍しく緊張しています! 普段は鉄壁の落ち着きを誇る人物が、今、深呼吸しました! これは何かが起きる前触れです!』

クロード卿が、深呼吸した。

「……聞こえていますか、実況」

「聞こえています」

「わかりました」

それだけ言って、彼はまた少し黙った。

緊張している、という実況の言葉が本当なのだと、その横顔から伝わってきた。

私も黙っていた。

何かを言う気になれなかった。

ただ、胸の中が、じわじわと騒がしかった。

しばらくして、クロード卿が口を開いた。

「任務を受けた当初、正直に言えば——あなたの能力を危険視していました」

「知っています」

「制御できない力は、扱いが難しい。そう思っていました」

「今も、そう思っていますか」

「今は、違います」

彼は静かに続けた。

「あなたの実況は、止まらない。何でも暴く。時に困らせる。胃が痛くなることも、一度や二度ではありませんでした」

「……重ねて申し訳ありません」

「謝らないでください。言いたいのはそこではないので」

彼が私を見た。

真っ直ぐに。

いつも真っ直ぐ見る人だが、今日の目は少し違った。

「あなたが笑いながら実況している時が、一番安心します」

静かな声だった。

庭に、風が吹いた。

薔薇の白い花びらが一枚、ふわりと落ちた。

私は返事ができなかった。

「最初は任務でした。今も任務です。でも——任務でここにいるだけではなくなっている、と以前も言いました。今日は、もう少し正確に言おうと思います」

クロード卿が、私の方へ向き直った。

「ミレイユ・ローゼン嬢。あなたの声が、必要です。実況も、あなた自身の声も。騎士として、ではなく——」

一瞬、間があった。

「一人の人間として」

庭が静まり返った。

鳥の声も、風の音も、遠くなった気がした。

私は薔薇を見ていた。

白い花びらが石畳の上にあった。

その先に、クロード卿の靴先があった。

胸の中が、ぎゅっとなった。

「……ヴァルナー卿」

「はい」

「わたくしの実況は、止まりません。これからも、何でも暴きます。きっとご迷惑をおかけします」

「わかっています」

「それでも、ですか」

「それでも、です」

迷いがなかった。

一秒も、迷わなかった。

私は顔を上げた。

クロード卿が私を見ていた。

その目が、いつも通り真っ直ぐで、でも今日だけはどこか、柔らかかった。

「……わたくしも」

声が少し震えた。

「あなたがそばにいてくださることが、怖くない理由は——任務だからだけではありませんでした。ずっと前から」

言い終わって、頬が燃えるように熱くなった。

クロード卿が、ゆっくりと息を吐いた。

それから——本当に久しぶりに、はっきりと笑った。

小さく、でも確かに、笑った。

その瞬間。

『おっとここで騎士団長、特大告白成功ーーー!! 相思相愛が正式に確認されました! 長かった! 実に長かった! 実況令嬢も騎士団長も不器用すぎましたが、ついにこの日がきましたー!!』

庭に、実況の声が響き渡った。

クロード卿の耳が、みるみるうちに赤くなった。

私の顔も、熱くなった。

「……声が大きいですわ」

「同意します」

「でも、止まりません」

「……わかっています」

二人で少し黙った。

それから、また二人で、小さく笑った。

『なお屋敷の二階の窓から、侍女のリナが観覧していたことをお伝えします! 泣いています!』

「リナーーー!」

二階の窓が、素早く閉まった。

庭に、昼下がりの光が満ちていた。

薔薇が風に揺れていた。

クロード卿がそっと、私の隣に並んだ。

肩が触れるか触れないかの距離だった。

それだけで、十分だった。

『本日の実況、最高の場面をお届けしました。以上です』

「以上じゃありませんわ、まだ続きがあります」

「……どんな続きですか」

クロード卿が、また耳を赤くしながら聞いた。

私は薔薇を見ながら、少し笑って答えた。

「これからの話ですわ」

庭に、静かな午後が続いていた。