軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第十章「黒幕登場」

穏やかな日々は、長くは続かなかった。

最初の予兆は、小さなことだった。

屋敷の周囲を、見知らぬ人物がうろつくようになった。

商人の格好をしていたが、荷物を持っていなかった。

物乞いの格好をしていたが、物を乞わなかった。

ただ、屋敷を遠巻きに眺めていた。

クロード卿がそれに気づいたのは、私より早かった。

「ローゼン嬢、しばらく外出を控えてください」

ある朝、護衛に来たクロード卿はそう言った。

いつもより声が低かった。

「何かありましたか」

「確認中です。ただ、念のため」

「念のため、とおっしゃるときは、念のためではない場合が多いですわね」

彼は少し間を置いてから、

「……鋭いですね」

と言った。

事態が動いたのは、三日後だった。

その日、私は屋敷の書庫で本を読んでいた。

クロード卿は一階の応接間で報告書を確認していた。

リナは買い出しに出かけていた。

父は王宮への用向きで外出中だった。

書庫は屋敷の二階にあり、窓からは庭が見渡せた。

本に集中していたその時、実況が流れた。

『おっと庭の東側、植え込みの奥に人影が二つ! 屋敷の壁を確認しています! あれは通常の訪問者の動きではありません! さらに西側の門扉付近にも一名! 三名が連携して動いています! これは侵入の準備では!?』

私は本を閉じた。

立ち上がると同時に、窓に近づいた。

実況が言う通り、植え込みの奥に人影があった。

「ヴァルナー卿——!」

声に出すより早く、一階から足音が聞こえた。

クロード卿がすでに動いていた。

二階への階段を駆け上がってきた彼は、書庫の扉を開けた瞬間、私の位置と窓の外を素早く確認した。

「実況が聞こえました。離れてください、窓から」

「はい」

私は壁際に下がった。

クロード卿が窓の端から外を覗いた。

「三名、確認します。……訓練を受けた動きです。民間人ではない」

「どういう方々でしょう」

「わかりません。ただ——」

その時、一階の扉が蹴破られる音がした。

実際の侵入は、あっという間だった。

三名が屋敷に入り込み、二名が一階で使用人たちを押さえた。

一名が、真っ直ぐ二階へ向かってきた。

クロード卿が書庫の扉の前に立った。

剣を抜いた。

侵入者が扉を開けた瞬間、二人の剣が交差した。

私は書庫の奥で、息を殺していた。

戦闘は静かだった。

金属が触れ合う音と、素早い足音だけが聞こえた。

クロード卿の動きは無駄がなく、迷いがなかった。

やがて、侵入者が後退した。

クロード卿が一歩前に出た。

「目的を言え」

低い声だった。

私が聞いたことのない、そういう声だった。

侵入者は黒い覆面をしていた。

答えなかった。

代わりに、懐から何かを取り出した。

煙幕だった。

白い煙が一瞬で書庫を満たした。

『おっと煙幕展開! 侵入者の目的はやはり主人公の確保! 煙の中、侵入者は主人公の位置を把握しています! 右後方から接近中! 危ない!』

実況が先に気づいた。

私は右側に咄嗟に動いた。

すぐ横を、何かが通り過ぎた。

腕を掴もうとした手が、空を切った音だった。

「ローゼン嬢!」

クロード卿の声が煙の中から聞こえた。

「こちらです!」

声で場所を知らせながら、私は本棚の間を移動した。

実況が続く。

『侵入者、位置を修正して再接近! 騎士団長は煙で視界が遮られています! 主人公、本棚の端まで移動して——左に!』

「左!」

自分で実況を聞きながら、自分で動いた。

初めてのことだった。

実況を、自分のために使った。

左に身体を倒した瞬間、再び手が空を切った。

今度は強い風が頬をかすめた。

煙の中でクロード卿の足音が近づいてきた。

それと、もう一つの足音が遠ざかった。

窓が開く音がした。

煙が薄れた頃、書庫には私とクロード卿だけが残っていた。

侵入者は逃げていた。

クロード卿が私のそばに来て、状態を確認した。

「怪我は」

「ありません。実況が教えてくれたので、避けられました」

彼の目が、わずかに細くなった。

怒りとは少し違う、もっと鋭い何かがそこにあった。

事件の後処理には、半日かかった。

騎士団の部下たちが呼ばれ、屋敷の周囲が封鎖された。

逃げた侵入者のうち一名が近くで取り押さえられ、尋問が行われた。

その結果を、クロード卿は夕方に私へ報告した。

「侵入者は、『ラーゼン結社』という組織の構成員です」

「ラーゼン結社、とは」

「古い組織です。表向きは古代遺物の研究団体ですが、実態は——古代の特殊能力を持つ人間を確保し、利用することを目的としています」

私は少し黙った。

「わたくしの実況を狙って、ということですか」

「古代の記録によれば、実況の力を持つ者は『神託使い』と呼ばれ、国家規模で争奪される存在だったそうです。戦の帰趨を変えられる、国家兵器として」

国家兵器。

その言葉が、胸の中に重く落ちた。

『おっと主人公、今ここで実況スキルの本当の重さを実感しています。笑えない話になってきました』

実況も、珍しく静かなトーンだった。

クロード卿が続けた。

「今回は未遂に終わりましたが、組織の規模は相当なものです。次は更に人数を集めてくる可能性があります」

「……はい」

「護衛を増員します。また、屋敷の警備も見直します」

「わかりました」

私は静かに答えた。

怖くないと言えば嘘だった。

でも、それより強く感じたのは——迷惑をかけているという気持ちだった。

クロード卿に。

父に。

屋敷の使用人たちに。

「ヴァルナー卿、今日は——怪我はありませんでしたか」

「かすり傷程度です」

「かすり傷でも——」

「問題ありません」

いつもの答えだった。

いつもの答えなのに、今日は少しだけ違って聞こえた。

「……わたくしのせいで、危険な目に遭わせてしまって。申し訳ありません」

クロード卿が私を見た。

長い沈黙の後、彼は静かに言った。

「謝らないでください」

「でも」

「これは任務です。ただ——」

また、少し間があった。

「任務だからここにいる、とだけではなくなっています」

部屋が静かになった。

窓の外では、騎士団の部下たちが警備を続けている音が聞こえた。

遠くで犬が吠えた。

私は何も言えなかった。

『おっと騎士団長、二度目の本音をこぼしました! 今回は一度目より明確です! 主人公、心拍数が上がっています! 実況令嬢、珍しく無言です!』

「……」

「……」

クロード卿が、静かに立ち上がった。

「今夜は私も屋敷に残ります。父上にも許可をいただいています」

「……はい」

「休んでください。今日は疲れたでしょう」

扉へ向かおうとした彼の背中に、私は小さく声をかけた。

「ヴァルナー卿」

「はい」

「……今日、助けてくれてありがとうございました」

彼は扉の前で少し止まった。

振り返らなかった。

ただ、

「どういたしまして」

とだけ言って、静かに扉を閉めた。

残された部屋で、私はしばらく動けなかった。

『本日の実況、以上となります。なお主人公、今夜はなかなか眠れない予感がします』

「……その予感は、当たりそうですわ」

呟いた声が、誰もいない部屋に静かに溶けた。