軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

夫と息子

ルドヴィクが生まれて一週間半が経った。

今、目の前ではルルが我が子と遊んでいる。

低いベビーベッドに前屈みに寄りかかって手を伸ばし、ルルが指先でルドヴィクの額に触れてその薄い眉毛を辿ったり頬をつついたりすると、ベビーベッドの中からばたつく音が聞こえる。

ルドヴィクの機嫌も良さそうだ。

……面白いなあ。

ルドヴィクが生まれた時は恐る恐るといった様子で触れていたのに、この一週間半ほどのうちに触り方を覚えたらしく、ルルはこまめに構っている。

ルルは子供好きかと訊かれれば、確実に『好きではないタイプ』だ。

だが、不思議と孤児院でも小さな子達に懐かれていた。

わたしと子供の命に危険があればわたしを優先すると言っていたのに、ルルは生まれてきた子に対してそれなりに関心を持って接し、一般的に見れば『可愛がっている』ように見える。

……でも、あれって多分観察してるんだよね。

ルルが我が子を観察しているのは明らかだった。

どういう時にどんな反応をするのか、それにどう対応するのが一番いいか、そういったところを観察して上手く接してくれている。

他にも何か考えて見ているのかもしれないが、ルルの考えはわたしには分からない。

ただ、ルルがルドヴィクに対して『興味深い』と感じているのは分かる。

初めて出会った時、わたしに興味を持ったように、ルルは我が子に接している。

それが嬉しかった。ルルはルドヴィクを我が子だと認識してくれた。

「赤ん坊っていっつも泣いてると思ってたけどぉ、そうでもないんだねぇ」

ルルの言葉にメルティさんが答える。

「大変なのはこれからですよ。もうすぐ『魔の三週間』が来ますからね」

「なぁに〜? その『魔の三週間』ってぇ」

「生まれて一月前後くらいから始まる恐ろしい時期のことで、とにかく泣きます。しかもこれまでの泣き方とは変わってきますよ。中には心労で倒れてしまう母親や乳母もいるくらいです」

それについては、わたしはまだ良いほうだろう。

侍女が三人いて、ルルがいて、わたしの手がかかるのは授乳くらいのものだ。

おしめを替えるのも、入浴させるのも、リニアお母様達やルルが率先してやってくれる。

一番抱いている時間が長いのはわたしだけれど、周りの手があるおかげでストレスもない。

「そこで、私達や旦那様の出番です。坊っちゃまが泣いたらすぐにあやす。これが大事です」

「ふぅん?」

とルルが小首を傾げてルドヴィクを見下ろし、そうしてわたしに視線を向けた。

「ところでリュシーは何で体操してるのぉ?」

先ほどから、わたしは椅子に座った状態で軽く体操を行なっている。

まだ主治医から運動は禁止されているものの、座った状態での軽い体操は許可が出たので、ルドヴィクの授乳を三回したら一回体操するという習慣をつけようと思っていたところだ。

「妊娠中に姿勢も悪くなって筋肉も落ちたから、少しずつ取り戻そうと思って」

ルドヴィクを産んだからといって、すぐにお腹が引っ込むわけではない。

お腹は半年から一年ほどかけて徐々に戻っていくらしいが、放っておいたら戻らないかもしれない。

何より、ルルには綺麗なわたしを見てほしいから頑張るのだ。

産後半年はまだ行為禁止だそうなので、それまでにお腹を戻したいところである。

「あ〜、どうしても動かない時間が長かったからねぇ。でも産後すぐにそんなに動いて大丈夫なのぉ?」

「体調と相談しながらやってるから大丈夫」

「無理はダメだからね〜?」

体操を終えるとルルがベビーベッドから離れてこちらに来る。

差し出された手を借りて立ち上がり、ソファーに移動する。

妊娠発覚からルルと夜の夫婦生活で繋がることがないままだが、それに対してルルが不満な様子を見せたのは最初だけで、その後はわたしの体の状態を理解して我慢してくれている。

……わたしのほうが盛り上がっちゃうこともあるけど。

ルルは触れることはあっても妊娠に繋がるようなことは絶対にしなかった。

メルティさんが代わりにベビーベッドに近づき、オモチャを振ってルドヴィクと遊ぶ。カラン、コロン、と木製の筒のオモチャの中で、木製の玉が転がり、ぶつかる、優しい音がした。

ルドヴィクはオルゴールと木製のオモチャが好きで、特に木製のオモチャから鳴る優しい音がお気に入りらしい。メルティさんがカラコロとオモチャを鳴らす度にルドヴィクが手足をばたつかせているようだ。

ヴィエラさんもベビーベッドを覗き込んでいて、メルティさんと二人でニコニコ顔だ。

生まれたばかりなので今は部屋から出さないほうがいいらしい。

一、二ヶ月ほどすれば出していいそうだが、赤ん坊もわたしも体が弱いので外出はほどほどにして、とにかく体力を消耗しないように気を付ける必要がある。

使用人にルドヴィクを会わせられるのはもう少し先になりそうだ。

ルルの話ではお世話役や遊び相手、護衛なども決まったという。

屋敷の使用人はみんな知っているので誰がルドヴィクの使用人になっても嬉しい。

そして、性別当てゲームで予想を外した使用人達は罰ゲームのレモンジャムを食べたのだとか。クリームなしでつらそうだった、と後で参加しなかったリニアお母様とヴィエラさんがこっそり教えてくれた。

「はぁ〜、やぁっとリュシーを独占出来るねぇ」

ルルにギュッと抱き締められる。

ルドヴィクに授乳したり、わたしが何かしていたりするとルルは待ってくれる。

わたしも腕を回してルルに抱き着いた。

「子供を産んだらルルと過ごす時間がないかもって心配したけど、こうして一緒にいられる時間があって嬉しい。……こういう時、貴族で良かったなあって思うよ。子育ても全部わたしとルルだけだったら余裕もなかったし」

「確かにねぇ。二、三時間おきの授乳におしめ替えて入浴させてって、それだけで一日が終わるよねぇ」

「手伝ってくれる人がいなかったらって想像すると怖いなあ」

カランコロンと響く木製の柔らかな音にルドヴィクが反応している。

わたしもルルも、何となくベビーベッドに目を向けていた。

柵の隙間から見えるルドヴィクの服が動いていて、しばらくは寝付かないかもしれない。

ふと、思い出したことがあり、顔を上げた。

「ルル」

名前を呼ぶとルルが「ん?」とわたしを見る。

少し背伸びをして、ルルの首に腕を回し、引き寄せてキスをする。

目を丸くしたルルに笑いかける。

「チューはしてもいいんだって──……」

すぐにルルからキスを返される。

そのまま顔中にキスされて、くすぐったくて笑ってしまったが、ルルに抱き上げられた。

「もっとしよ〜?」

と、ルルがわたしを抱いたまま寝室に向かう。

メルティさんとヴィエラさんが見てくれているので、次の授乳までは時間があるだろう。

……旦那様も甘やかさないとね。

「わたしも、今日はルルと触れ合いたいな」

* * * * *

夜、ふと目を覚ますと隣にルルがいなかった。

眠いけれど、ルルがいないことが気になり、横になったまま視線を動かした。

窓辺に人影が見える。ルルだ。

カーテンを少し開けて、外から差し込む月明かりに照らされている。

低い、落ち着いた声が静かに鼻歌を歌っていた。

それに合わせてルルの体がゆっくりと揺れているのが見えた。

両腕で何かを抱えるようにしていて、そこにルドヴィクがいるのだと分かった。

先ほどの授乳からまだ一時間も経っていないようだが、寝てしまったらしい。

授乳して、ルルがルドヴィクを引き取ってくれたので胸元を綺麗にしたところまでは覚えているものの、その後の記憶が曖昧なので眠気に負けてわたしだけ寝てしまったのだ。

まだ眠気が強く、意識はあるものの、体は動かない。

どこかぼんやりとルルの背中を眺める。

低い鼻歌は女神様の讃美歌だった。

わたしがよく歌うから覚えた、と以前ルルが言っていた。

どうしてか分からないけれど涙がこぼれた。

今、目の前にある光景に心が震える。

ジッと見つめていたからか、不意にルルが振り返り、わたしを見て目を丸くした。

「リュシー、どうしたの? どこか痛い?」

こちらに歩いてくるルルの腕にはやっぱりルドヴィクが抱かれていた。

ベッドの縁に座り、片腕でルドヴィクを抱き直したルルがわたしに空いたほうの手を伸ばした。

その指先がわたしの顔に触れて涙を拭う。

「……ううん、痛くない」

……わたしが眠っている間もルルはルドヴィクを見てくれる。

それについては知っていたが、こうして実際に見ると色々な感情が込み上げてきた。

今更だが、無事に出産を終えられて良かったと思う。

死ぬほど痛い思いをしたし、妊娠中も大変だったし、出産後の数時間おきの授乳でいつも寝不足だ。

それでも息子を抱いてあやすルルを見て、涙があふれる。

主治医が妊娠中や産後はまだ精神的に不安定だと言っていたので、そのせいもあるのかもしれないが、感動と安堵と嬉しさとで胸がいっぱいだった。

いつの間にか眠気はなくなっていて、ルルを見れば、心配そうに見つめられる。

「ルルがルドヴィクを抱っこしてくれてるのが、嬉しくて……」

「うん? 生まれた時から結構、抱えてるよねぇ?」

ルルが不思議そうに首を傾げた。

「そうだよね。でも、なんだか、色々な感情が込み上げてきて……」

言葉に詰まるわたしの頭をルルが撫でる。

「出産中もその後も忙しかったから、気が抜けちゃったんじゃなぁい?」

「……そうかも」

ルルが若干前屈みになったけれど、何かに気付いた様子で姿勢を戻した。

頭を撫でていた手がわたしの唇を指先でなぞるように触れ、その指をルルは自分の唇にそっと当てた。

キスの代わりだと気付いて、微笑むルルがかっこよくて、ドキドキする。

その腕の中でルドヴィクが両手を伸ばしたのでルルが両腕で抱え直した。

「オレの腕の中で笑うなんて、さすがリュシーの子だねぇ」

腕の中のルドヴィクを見下ろし、ルルが口角を引き上げる。

わたしからルドヴィクの表情は見えないが、伸ばされた小さな手がルルの胸元をぺちぺちと叩く。

「はいはぁい、そろそろ寝ようねぇ」

ルルの手が、とん、とん、とルドヴィクの背中を一定のリズムで叩く。

それを繰り返していくうちにルドヴィクの手が下りて、動かなくなり、とても小さな寝息が聞こえてくる。ベッドから立ち上がったルルがぐるりと回って反対側にあるベビーベッドに向かった。

そうして、ルルはルドヴィクをそっとベビーベッドに寝かせた。

慣れた様子でするりと手を引き抜き、ルドヴィクに薄掛けをかけてやる。

ルドヴィクが起きないことを確認してからルルが戻ってきた。

「ありがとう、ルル」

声量を抑えて言えば、靴を脱いでベッドに上がったルルが寝転がり、抱き締められる。

「どういたしましてぇ」

ちゅ、と目元にキスされた。

自分の唇を舐めたルルが「ちょっとしょっぱい」と笑った。

その唇に吸い寄せられるようにわたしはキスをした。

唇が離れるとキョトンとした顔のルルと目が合う。

「奪っちゃった」

と笑えば、ルルがおかしそうに小さく笑って目を細めた。

「リュシー、今日は積極的だねぇ?」

「ルルとくっついていたい気分なの」

「オレも大歓迎だよぉ」

ギュッとルルの胸元に抱き寄せられて、わたしもルルに腕を回す。

温かな体温を感じると眠くなってしまうが、今はもう少しルルとイチャイチャしたい。

ルルの手を取り、その掌にキスをする。

手を預けてくれるのはルルの信頼の証だ。

「リュシーってオレの手、好きだよねぇ」

なんてルルが言うので頷いた。

「うん、好き。大きくてしっかりしていて男の人の手だなあって思うし、ルルの一部だし」

「オレ、この手で数えきれないくらい人間を殺してるんだよぉ?」

ルルの手にもう一度キスをする。

「それでもいいの」

そのまま、ルルの手をわたしの首に押し当てる。

「わたしを助けてくれたのも、大切にしてくれるのも、愛してくれるのも、全部この手だから」

ルルの手がするりとわたしの首を覆う。

当たり前のように触れるその手の温もりが心地好い。

「あの時の気持ちも、結婚式の時の気持ちも、ずっと変わってないよ」

ルルの手の上にわたしも手を重ねる。

「死ぬならルルに殺されたい。……わたしの全部はルルのものだよ」

ルルの顔が近づいてきて、唇が重なる。

何度繰り返しても、ルルとのキスは幸せだった。

「……オレの全部もリュシーのものだよぉ」

わたし達があとどれだけ生きられるのかは分からないけれど、この一瞬が幸せならそれでいい。

互いに顔を見合わせ、どちらからともなくもう一度キスをした。

しかし、ふゃ……とルドヴィクの声がするとルルがピタリと固まる。

ただの寝言だったのか、ルドヴィクが泣くことはなく、数秒後にルルが小さく息を吐いた。

「……オレを緊張させるなんて、将来は大物だねぇ」

ルルのその言葉に思わず噴き出した。

そして、慰めるためにキスをした。