軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

貧血と魔力回復薬とあれこれ

悪阻が始まってからは食事を摂れたり、摂れなかったりと食生活が乱れている。

そのせいか最近、めまいや体の異様なだるさ、眠気、体の表面は暑いのに内側の血が下がって冷えるような嫌な感覚に見舞われる時があった。

いつもルルがそばにいて支えてくれたが、そういう時は立っていられない。

妊娠による影響なのは確かだが、主治医の話では貧血だという。

それで数日の間、貧血に良いとされる食べ物を積極的に取り入れてみたけれど改善しなかった。

もう一度主治医に診てもらってようやく、原因が判明した。

「これは魔力欠乏症による貧血かもしれません」

魔力欠乏症とは、魔法の行使などで体内の魔力量が極端に少なくなると起こるものである。

「あの、わたしは魔力がないのに、それでも魔力欠乏症になるんですか?」

「このような事例は私も初めてですが……そもそも、魔力とはこの世界のどこにでも存在するものであり、食べ物などにも含まれています。恐らく、お腹の子が魔力を欲しているのでしょう。しかし、奥様の体には魔力がなく、食事で摂った魔力だけでは足りない。……それが貧血のような症状を引き起こしているのではないかというのが私の考えです」

……なるほど。

本来、この世界の人間は魔力を持っている。魔力のない人間というのは非常に珍しく、その魔力のない人間が魔力を持つ子供を宿すとどうなるかという事例がなかったのも理解出来る。

普通は母親の体から魔力を得られるはずなのに、その魔力がわたしの体になくて、でも子供は何とか魔力が欲しい。その結果、貧血のような症状が起きて、わたしに少しでも多くの食事を摂らせようとする。

「それってぇ、魔力があればいいんだよねぇ?」

ルルの問いに主治医が頷く。

「はい。稀に母親よりも魔力量の多い子を宿すという事例があります。恐らく、それと同じようなものですので、対処法も同様ではないかと」

「その対処法はぁ?」

「まず魔力回復薬を飲み、体内の魔力量を増やします。奥様の場合は魔力回復薬を摂取することで、魔力の馴染みを良くしておき、それから旦那様が奥様に少量ずつ魔力を注ぐのですが……」

一瞬、主治医が思案顔になり、少し声を抑えて言う。

「少し夜の夫婦生活に近いお話となりますが、大丈夫でしょうか?」

「え?」

どうしてそこで夜の話に繋がるのか分からず、思わず訊き返してしまった。

主治医は何故か深呼吸をしてから、わたしとルルを見た。

「奥様、お腹の子がどこにいるか考えてみてください。魔力回復薬を飲んだとしても、単に魔力を体に注いだだけでは奥様の体はその魔力を弾いたり受け流したりしてしまうため、体の内部にいる子まで魔力が届きにくい可能性が高いです」

確かに、わたしの体は治癒魔法や魅了などの直接作用する魔法は効かない。

魔法で生み出した現象の炎や水は影響を及ぼすが、直接作用する魔法を使おうとしても、魔法自体を弾いてしまう。魔力を注ごうとしても、そもそも入らないかもしれない。

魔力回復薬は『薬草の効果によって魔力生成能力を一時的に高め、失った魔力を補う』効果があり、逆を言えば『魔力生成能力のないわたしが飲んでも効果はない』わけだ。あくまでこの薬は魔力を体に馴染ませるための手助けになるだけ。

魔力生成能力を高めるのは体に負担がかかるため、魔力回復薬には一日の使用制限があった。

「奥様の場合、お腹の子に直接魔力を与える必要があります」

「なるほど、ちょくせ…………直接?」

……いやいや、直接って無理じゃない? だってお腹の奥だよ?

訊き返したわたしに主治医が真剣な顔で頷いた。

「普通は魔力回復薬を飲むか、夫が母体に魔力を注げば済む話ですが、先ほども申し上げたように奥様の場合はそうはいきません。ですので、言葉通り『直接魔力を与える』ことになります」

主治医がもう一度わたしとルルを見て、そして立ち上がった。

「この方法は旦那様にお伝えいたしましょう。私の口から奥様にお伝えして、変に気が昂ってしまうとお腹の子に良くありませんので、方法は後ほど旦那様よりお聞きください。……では、旦那様、少しお時間をいただけますか?」

「いいよぉ。リュシー、ちょ〜っと待っててねぇ?」

「……うん」

ルルがわたしの額に口付け、座っていたソファーから立ち上がる。

主治医はヴィエラさんにも声をかけ、ルルとヴィエラさん、主治医が隣室に移動する。

代わりにリニアお母様がそばに来て、レモン水の入ったグラスを渡してくれた。

ちびちびとそれを飲みながら待つ。

「方法はよく分からないけど、それで解決したらいいなあ……」

この貧血みたいな症状は本当につらい。

ただでさえ悪阻で気持ち悪いのに、これが合わさると吐き気が酷くなり、必ず食べたものと再会してしまうのだ。

しかし、だからといって食べないわけにもいかないので、この貧血症状がいつくるかと思うと不安と心配で余計にストレスが溜まり、悪阻も悪化する。

「きっと大丈夫ですよ、リュシエンヌ様」

そう励ましてくれるリニアお母様に、うん、と頷き返す。

ややあって、ルルとヴィエラさんだけが戻ってきた。

ヴィエラさんがリニアお母様を手招きして、何かを耳打ちすると、二人は一礼して下がっていく。

寝室にルルとわたしだけが残された。ルルがわたしの横に腰掛ける。

「方法聞いてきたから説明するけどぉ、リュシーにとっては恥ずかしいかもしれないから侍女達には下がってもらったよぉ」

「恥ずかしいの?」

「オレは恥ずかしくないけど、恥ずかしがり屋のリュシーはそうかもって感じ〜」

首を傾げていれば、ルルに抱き上げられて、膝の上に下ろされる。

後ろからわたしのお腹にそっと触れたルルの手が、優しく円を描くようにそこを撫でた。

その体勢のまま、ルルがわたしに『方法』を耳打ちした。

……………。

「ええええっ!?」

思わず叫んだわたしの体が膝から落ちないように、腹部を避けて、ルルの手がわたしの体を押さえた。

「リュシー、大声を出すのはお腹に良くないよぉ」

なんてルルは何でもないことのような顔で言うが、確かにその方法はわたしにとってはかなり恥ずかしいものだった。

子供がいるのはお腹の中で、そこに直接魔力を与えなければいけない。

だからその近くまで物理的に近づく必要がある。

つまり直接的な表現をするなら『ルルの指を入れて魔力を注いでもらう』わけである。

……あああああっ、そうだよね!? それはすごく言いにくい!!

恥ずかしさのあまり顔を両手で覆って悶えてしまう。

主治医がわたしに伝えるのを躊躇った理由が分かった。

もし主治医に面と向かって言われたら、恥ずかしくて今以上に叫んだだろうし、多分、今以上に気が昂ってしまっただろう。

……直接って言えば、当然そうなるよね……!!

お腹の中にいる子供に外から唯一近づく方法はそこしかない。

ルルの手がへその辺りから下に移動して、宥めるように優しくわたしの下腹部を撫でた。

「いっぱい注いであげるね?」

ルルの言葉に、ブワッと一瞬で体が熱くなる。

「そ、な……か、考えないようにしてたのに……っ!」

「これから何度もするんだから、慣れてもらわないとねぇ」

子供のためにも、わたしの体のためにも必要なことなのだ。

……そう、医療行為! 医療行為だから!!

「オレも頑張るねぇ?」

恐らくニコニコしながら言っているであろうルルの顔を、しばらく見れなかった。

* * * * *

アサド=ヴァルグセインは部屋の扉が叩かれる音に顔を上げた。

そうして、執務机の端に置かれたベルを鳴らす。

数秒後、扉が開き、見慣れた人物が中に入ってきた。

「やっほぉ、ちょ〜っといーぃ?」

休暇中のルフェーヴル=ニコルソンが来たことに、アサドは驚いた。

特に今は彼の妻が妊娠中で、最低でも安定期に入るまでは休むと言っていたはずだが。

「構いませんが……どうかしたのですか?」

アサドはペンを置き、話を聞く姿勢になる。

ルフェーヴルが近づいてきて、執務机の端に腰掛け、書類の山に肘を置く。

「魔力回復薬を多めに欲しいんだよねぇ」

「在庫はありますよ。でも、あなたもそこそこ持っていると思いましたが……?」

ルフェーヴルは定期的に魔力回復薬を購入している。

だから、彼の持っている薬がなくなったというわけではないだろうが。

アサドの言葉にルフェーヴルが小さく横に手を振った。

「あ〜、違う違う。使うのはオレじゃなくてリュシーだよぉ」

「夫人が? しかし、夫人は魔力を持っていないのですよね?」

「うん、リュシーはないよぉ。でも腹の子は魔力持ちでさぁ、そのせいでリュシーが魔力欠乏症になってて、飲む必要があってさぁ。多分出産するまで必要になると思うんだよねぇ」

それに、なるほど、とアサドは小さく頷いた。

何かの折にそのような話を耳にしたことがある。

「オレも魔力を分けなきゃいけないんだけどぉ、その魔力を馴染ませるために魔力回復薬を飲むのがいいんだってぇ」

「魔力欠乏症の症状はつらいでしょう。悪阻もあるなら尚更、夫人に負担がかかってしまいますからね」

「そぉそぉ、少しでも負担を減らしてあげたいしぃ、魔力が足りないと子供の成長に影響が出るかもしれないからさぁ。今はとりあえず様子見で五日に一本くらいあればいいと思うけどぉ、子供が育ってきたら必要な魔力量も増えるだろうしぃ? 魔力回復薬は切らしたくないんだよぉ」

ルフェーヴルが結婚すると言った時も、本当に結婚した時も驚いたが、夫人が妊娠したと聞いた時は空から槍が降ってくるのではとすら思った。それくらい驚いたのだ。

このルフェーヴルという男は子供っぽいところがあって──それは本人が意図してそう振る舞っているのも大きいだろうが──、そんな男が『父親になる』と言っても信じられなかった。

だが、妊娠中の妻のために休暇を取り、こうして必要な薬を購入しに来る姿を見ていると感慨深い気持ちになる。

「とりあえず、二箱であればすぐにお渡し出来ますよ」

魔力回復薬は十二本で一箱なので、二箱あれば一月と少しは保つだろう。

「じゃあ二箱ちょ〜だぁい。また終わりそうになったら買うから、用意しておいてくれるぅ?」

「分かりました。……ですが、夫人も大変ですね。あれを定期的に飲まないといけないなんて」

魔力回復薬は不味い。薬効の高い薬草を何種類も混ぜて作られたもので、使ったものの味がそのまま出ているので、青臭くて、えぐみがあって、苦くて、どこか渋くて、でもほのかに甘みがある。

アサドも何度か口にしたことはあるけれど、苦手な味だった。

しかし、ルフェーヴルがそれに小さく笑った。

「それがさぁ、妊娠すると味覚が変わるみたいで、魔力回復薬を飲ませたら『野菜ジュースみたいで今なら全然いける!』って言って普通に飲んでたよぉ」

夫人の声真似をしながら言うルフェーヴルに、そういうこともあるのか、と不思議さを感じた。

「妊娠すると体に必要なものを受け入れるために味覚が変わるのかもしれませんね」

「どうなんだろうねぇ。あと酸っぱいものが食べたくなるみたいでぇ、レモンジャムもよく食べてるよぉ。すっごく酸っぱくて、余ったジャムを食べた使用人がこんな顔してたぁ」

ルフェーヴルが眉根を寄せ、両目をギュッと瞑り『酸っぱい!』という表情をする。

相当酸味が強いのだろう。アサドはつい、噴き出した。

「それは消費が大変そうですね」

妻の妊娠と聞いて、アサドはルフェーヴルがきちんと対応出来るのか気になっていたのだが、どうやらそれは杞憂だったらしい。彼なりに妻を支え、楽しく過ごしているようだ。

「まあ、毎日忙しいけど面白いよぉ」

「そうですか。あなたと夫人が楽しくやれているなら何よりですよ」

妊娠中の女性は心身共に不安定になりやすい。

激しく気落ちしたり、不安や心配で押し潰されてしまったりすることもあるだろう。

だが、ルフェーヴル達ならばそういった面は問題なさそうだ。

「他に何か必要なものがあれば声をかけてください。優先してご用意いたしますよ」

アサドの言葉にルフェーヴルがニッと口角を引き上げて笑った。

「その時はヨロシク〜」

いつも通りの緩い笑みを浮かべ、ルフェーヴルが手を上げる。

それにアサドは軽く手を上げて返せば、机から立ち上がったルフェーヴルが扉に向かう。

本当にルフェーヴルは父親になろうとしている。

身勝手で、気紛れで、自分のことすらどうでも良さそうだった男が。

「いつでも、お待ちしていますよ」

そう思うと、付き合いの長いアサドとしても出来ることはしてやりたい。

ルフェーヴルが我が子を抱いた時、何を感じ、どのような父親となるのか。

そして、その子が優秀なら是非、成長後はギルドに所属してもらいたいものである。

扉の向こうに消えていくルフェーヴルの背中を、アサドは静かに見送った。

「……あの二人の子供なら、きっと優秀でしょうね」

* * * * *