軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

使用人の会話 / 体操の話

ティエリー=ランドローは、ニコルソン伯爵家の使用人の一人である。

元は暗殺者で隠密活動に長けていた。

それ故に、今回は主人から声をかけられたのだろう。

「雑用で来てほしいんだよねぇ」

という言葉通り、事件が解決するまで、闇ギルドと主人の間を行き来して過ごした。

それもあまり多くはなかったため、ティエリーからするとちょっとした休暇のようなものであった。

まさか忘れられるとは思わなかったが、屋敷に戻ると、他の使用人達が待ち構えていた。

「奥様の件、どうでしたか?」

「無事解決したんですよね?」

普段は滅多に話さない者まで声をかけてくる。

この屋敷で働く使用人のほとんどは闇ギルドの斡旋でここに来た、訳ありや裏社会で生きてきた者達だ。

主人に対してはさほど興味がないようなのに、元王女の奥様のこととなると関心が高くなる。

奥様は不思議な人だ。

美しく、可愛らしく──だが容姿について褒めると主人が怖いので誰も言わないが──、穏やかで優しい性格だ。それでいて、他人にあまり踏み込まない。

その距離感が絶妙で接しやすいからか、基本的に他人と関わりを持とうとしない者達でも、こうして奥様のことは心配する。

主人である伯爵については、自分達よりも強いと分かっているのでさほど気にしてはいないが。

詰め寄るとまではいかないまでも、使用人達に囲まれ、静かな圧をかけられてティエリーは両手を上げた。

「落ち着けって。旦那様と奥様の疑いは晴れたし、奥様の名前と姿を騙っていたやつも捕らえた。だからこそ、二人とも帰って来たんだ」

使用人達が頷き合う。

今回の件は、家令のクウェンサー=スペラードから使用人達にも大まかに話が伝えられていた。

元より主人達の情報や事情も皆、知っている。

だが偽者が悪事を働いて、そのせいで奥様が疑われていると聞いて使用人達は全員、不愉快そうに眉根を寄せた。

誰もが主人達の戻りを待っていた。

「詳しい話はクウェンサーから聞いてくれよ。勝手に話して、旦那様に殺されたくないしな」

この屋敷の主人、ルフェーヴル=ニコルソンはある意味ではとても寛大な男だ。

実力がそれなりにあり、仕事に忠実で、自分達の邪魔をしなければ、他のことについては一切気にしない。

生まれも、育ちも、これまでの行いがどのようなものでも問わないし、金払いも悪くない。

普段は使用人として働きつつ、侵入者などが来た場合は速やかに処理をして、奥様の安全を確保する。

……今まで侵入者なんていなかったけどな。

ここで主人達が暮らしていると知っている者は少ないらしく、基本的に使用人はその役職通りの仕事をこなすだけだが、使用人達はここでの穏やかで静かな暮らしに満足していた。

常に命を狙われる心配もなく、手を汚すこともなく、理解のある主人達の下で安定して暮らす居心地の良さはティエリーもよく分かっている。

そして、何が主人達の怒りを買うかも知っている。

ルフェーヴル=ニコルソンは自身の情報を勝手に漏らされることを嫌うが、それよりも、妻に関するものは己のこと以上に神経質になる上に、とても執着心が強い。

必要以上に奥様に近づきすぎると殺気を向けられる。

特に男の使用人は家令のクウェンサー以外は、奥様から声をかけられない限りは言葉を交わさないようにというのが暗黙の了解である。

「その通り。勝手に話すと旦那様が怖いぞ。事の次第については私のほうから説明しよう」

そんな言葉と共に、階段からクウェンサー=スペラードが下りて来る。

そうして、使用人達に事件の結果を話す。

それに使用人達が耳を傾けていたが、その中に奥様についてここに来た騎士もちゃっかり交じって話を聞いていた。

話し終えるとクウェンサー=スペラードが手を叩く。

「──……というわけで、旦那様も奥様も、これからも変わらずここで過ごされる。皆も心配する必要はない。……さあ、仕事に戻るように!」

きちんと説明があったからか、使用人達は互いに会話をすることもなくあっさりと解散した。

クウェンサー=スペラードがティエリーを見る。

「ランドローも、今日はもう休んでいい。明日からは通常の仕事に戻ってくれ」

それにティエリーは頷いた。

使用人棟に戻ろうとした時、別の声がした。

「ティエリー、お疲れ様」

明るくて優しい声にティエリーは振り返った。

「メルティ!」

近づいて来たメルティに、ティエリーも歩み寄り、抱き寄せるとその愛嬌のあるそばかすに口付けた。

ティエリーより十は歳上のメルティだが、明るくて優しく、情の厚いその性格に惹かれたティエリーは告白し、色々とあったが今は恋人として付き合っている。

恋人の温もりにティエリーはホッと息を吐く。

闇ギルドのランキングに入るほどの実力はないものの、それでも、暗殺者として他者の血で手を染めてきた。

そんなティエリーをメルティは受け入れてくれた。

「もう、ティエリーは甘えたがりなんだから」

と言いながらメルティが優しく笑う。

誰かを心から愛し、抱き締め、笑い合えることがどれほど尊く、得難いものなのかティエリーは知った。

だからこそ、主人の気持ちも少しは理解出来る。

「ティエリーも今回は旦那様について行ったって聞いたわ。大変だったでしょ?」

「そうでもない。俺はただの使いっ走りだったけど、メルティのほうが疲れただろ?」

「疲れたというより、リュシエンヌ様がお一人で過ごしていらしたから、そっちのほうが心配だったわ。きっと、とても寂しかったと思うの」

メルティは奥様が小さな時から仕えているからか、自分のことよりも主人である奥様を優先してしまいがちだ。

使用人としては正しいのかもしれないが、ティエリーとしては、もっと自分のことやティエリーのことを気にしてほしいと思ってしまう。

「俺だって寂しかった。……もう、一人寝は出来そうにない」

メルティを抱き締めると、腕の中で柔らかな笑い声がする。

「仕方のない人ね」

回された手がティエリーの背中を撫でる。

その優しい声が何よりも好きだと思った。

* * * * *

主人達が帰って来た翌日の午後。

窓辺のソファーに二人並んで座り、互いに抱き寄せ合っている主人達を、ヴィエラ=ラジアータは気配を消して控えながら眺めていた。

……もう色々と慣れたわね。

当初は常に甘い雰囲気の主人達に少しげっそりしていたが、今は見慣れ、最近では二人が別々だと違和感を覚えるくらいには当たり前の光景になった。

「いい天気だね」

「そうだねぇ」

二人で日に当たる様子は、どことなく猫の日向ぼっこを彷彿とさせる。

「散歩でもしようかなあ」

「いいねぇ。……そういえばぁ、牢でリュシーがやってた『体操』ってやつ、オレもやってみたいなぁ」

「じゃあやりに行こう!」

ソファーの背もたれから奥様が体を起こせば、兄弟弟子が立ち上がり、奥様に手を貸した。

主人達は手を繋いで部屋を出て行くので、ヴィエラは黙ってそれに付き従う。

階下に行き、中庭に出る。

整えられた花を眺めながら散歩をしつつ、中庭の広い場所に着くと、奥様が兄弟弟子より数歩前に出る。

楽しそうに笑いながら、奥様は兄弟弟子の手を引いて広場の中央に移動した。

「体操は体の色々な筋肉を動かして解すことが目的なの。でも、無理はダメだよ? 出来る範囲でやっていけばいいから」

「りょ〜かぁい」

奥様の言葉に兄弟弟子が頷く。

それから、奥様が少し離れると両手を体の左右に広げた。

「ゆっくりやるから、ルルはわたしの動きを真似してね」

「はぁい」

奥様が、拍を取るように両手で自身の体の脇を軽く叩く。

「ちゃーん、ちゃーか、ちゃんちゃんちゃんちゃん、ちゃーん、ちゃか、ちゃんちゃんちゃんちゃん〜」

奥様が何やら楽しげに音楽らしきものを口ずさみ始めると、それに合わせて体が僅かに揺れる。

真似をしろと言われたからか、兄弟弟子も何となくといった様子で奥様の口ずさむ緩い音楽に合わせて体を揺らした。

「まずは背伸びの運動から。背筋を伸ばしたまま両手を上げて、横に下ろしながら胸を張って、元の位置まで下げる」

奥様が両手を上げて呼吸をすると、横に並んだ兄弟弟子もその動きを真似て呼吸をした。

「いっちにー、さんっしー、ごー、ろくっ、しち、はちっ」

「一、二、三、四、五、六、七、八」

二人で両手を上げて、下げてを繰り返す姿はどこか間抜けだ。

しかし奥様は楽しそうにやっているし、兄弟弟子もつまらなくはないらしく、素直に奥様の動きを追っている。

「腕と足の運動〜」

体の左右に肩まで広げた両手と、やや膝を曲げて外側へ広げた足を同時に動かす。

「いっちにー、さんっしー、ごー、ろくっ、しち、はちっ。いっちにー、さんっしー、ごー、ろくっ、しち、はちっ」

明るく、どこかのんびりとした奥様の声が響く。

「一、二、三、四、五、六、七、八」

奥様のゆったりした動きとは裏腹に、兄弟弟子は意外にもきっちりとした動きでメリハリよく体を動かしていた。

その様子をヴィエラは眺める。

……奥様って時々、不思議な言動をするのよね。

別にそれで問題があるわけではないが、こちらが想像もしなかったことをしたり、考えもつかないようなことを言ったりするので驚かされる。

良い意味で予測のつかない人物だった。

だが、非常識というわけでもない。

恐らく、思考や感性が少し他人と違うのだろう。

兄弟弟子はそういうところが気に入っているようで、周りが奥様に驚かされている中、兄弟弟子だけはいつも楽しそうにしている。

腕を振り回したり、足を曲げたり、奥様と兄弟弟子の謎の動きは続いていく。

「わ、ルル、体柔らかい〜!」

腰を曲げて前方の足元の地面に指先を向ける奥様の横で、兄弟弟子が同じように腰を曲げてべったりと両手を地面につけている。

本日の奥様は簡素なドレスとは言え、革製のコルセットをつけているのであまり体を曲げられないはずだ。

「ルルすごーい!」

なんて奥様に褒められて、兄弟弟子は満更でもなさそうな顔で「でしょ〜?」と返事をする。

動きは奇妙だが、体の色々な筋肉を動かしているのは分かった。

近づいて来る足音に振り向けば、クウェンサーがいた。

謎の動きをする二人にクウェンサーが首を傾げる。

「……新しい呪い系の魔法でも試してるのか?」

「違うわよ。単に体を動かしてるだけ。奥様が誰かを呪うなんてありえないわ」

「それもそうだな。殺したい相手がいるなら、旦那様に頼んだほうが確実だ」

ヴィエラの横でクウェンサーは数秒眺めていたものの、仕事が有るのかヴィエラを抱き寄せて頭に口付けるとすぐに屋敷の中へと戻って行った。

奥様達はまだ元気に体を動かしている。

天気も良いので、あれだけ動けば体も温まるだろう。

「最後に深呼吸〜。深く吸って……吐いて〜」

最初と同じ動きをしながら奥様がゆっくりと深く呼吸を繰り返す。

兄弟弟子が真似をすると、またゆったりとした声が先ほどとは違う音楽を口ずさんだ。

「ちゃーん、ちゃーちゃ、ちゃーんちゃーん、ちゃーちゃーちゃーん。ちゃーん、ちゃーちゃ、ちゃーんちゃーん、ちゃーん、ちゃーん、ちゃーん」

そして、奥様が動くのをやめて兄弟弟子に振り向く。

「どう? 結構気持ち良かったでしょ?」

そう言った奥様の表情はスッキリしていた。

兄弟弟子が手足を捻ったり、その場で軽く跳ねたりと体を動かす。

「うん、いい感じに体が解れたよぉ」

「血の巡りも良くなるから、肩凝りにもいいんじゃないかな。ルルは肩凝ったりする?」

「ん〜、どうだろうねぇ。あんまり気にしたことなかったしぃ、多分ないんじゃなぁい?」

そもそも兄弟弟子の暗殺術は『潜んで殺す』が多いので、長時間同じ体勢でいるのも当たり前で、体の固まり具合は『凝る』なんて可愛らしい感覚ではない。

「わたしは魔法の開発とかしてると凝るなあ」

「あ〜、リュシーって集中すると全然動かないか、すごい勢いで書いてるかだもんねぇ」

のほほんと返事をしながら、兄弟弟子が空間魔法から日傘を出して奥様に差しかける。

「でも、この『体操』ってヤツ気に入ったよぉ。短時間で筋肉を解せていいねぇ」

「また一緒にやろうね」

「そうだねぇ、リュシーと一緒ならやろうかなぁ」

話しながら、二人が身を寄せ合って歩き出す。

どうやら散歩を続けるらしい。

その後、中庭で謎の動きをする奥様と旦那様の姿を目撃した使用人達が面白がって真似をしてみた。

しかし思いの外、好評で、最終的に天気が良ければ朝の仕事始めに外で『体操』を行うというのが定着した。

発端となった奥様と兄弟弟子は、その時間はまだ寝ているので、使用人達が『体操』を行うようになったことを奥様が知ったのはしばらく後の話である。

ちなみに騎士達もいつの間にか取り入れていた。

それ以降、庭で奥様と兄弟弟子が『体操』をしていても、誰も気にしなくなった。

ただ、奥様が最初と最後に口ずさんでいた音楽については『気が抜けるから』という理由で定着しなかったのだが、そのことを 奥様(ほんにん) に伝える者はいなかった。

* * * * *