軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

ニコルソン子爵邸の人々

* * * * *

「ヴィエラ、旦那様と奥様は?」

夫であるクウェンサー=スペラードに声をかけられて、ヴィエラは立ち止まった。

「まだお休み中よ」

時刻は丁度、朝と昼の間ぐらいである。

だが驚くことではない。

この屋敷の主人達はいつも、朝というより昼に近い時間に起きて、遅めの食事を摂り、怠惰な生活を送っているからだ。

クウェンサーも特には驚かなかった。

「この間、奥様に帳簿について訊かれたから、分かりやすくしたものを作ったんだが……」

「今日は渡せないと思うわ。最近、旦那様はお人形遊びにハマってるから、奥様を離さないもの」

「人形遊び?」

クウェンサーが不思議そうな顔をする。

ヴィエラがそれに声を落として返す。

「言葉通りよ。奥様が全く何もしない代わりに、旦那様が奥様のお世話を全部して、愛でるっていう遊び。そのまま大体なだれ込むから、翌朝、奥様も旦那様も起きるのが遅いのよ」

クウェンサーの表情が無になった。

「なんだそれは、羨ましい」

ヴィエラは呆れた顔で夫を見た。

「そういうこと言ってると旦那様に殺されるわよ」

夫が女好きで女たらしであることを、ヴィエラもよく分かっている。

甘いマスクですぐに女性に粉をかけたがるのだ。

だが、さすがにこの屋敷の使用人には手を出していないようだ。

大半が同じ毛色の人間なので、手を出し難いというのも理由の一つなのだろうが……。

「それにしても奥様は凄いな」

夫の言葉にヴィエラは首を傾げた。

「何が?」

「だって、あのルフェーヴル=ニコルソンだぞ? あいつに身を任せられるなんて自殺行為に近い」

……まあ、言いたいことは分かるわ。

ルフェーヴル=ニコルソンは暗殺者だ。

しかも、かなり容赦がない。

冗談でも「自分を殺してみろ」なんて言った日には、本当になんの躊躇いもなく、あの兄弟弟子はその人間を殺すだろう。

妻が出来たからと言って、そう簡単にあの性格が変わるとは思えない。

「私達なら殺されるけど、奥様だからこそ、でしょ」

兄弟弟子は自分の妻を大事にしている。

結婚してから一年は経ったのに、変わらず新婚夫婦のように過ごしている。

「いいよなあ」

やや期待のこもった目で見つめられて、ヴィエラは小さく鼻を鳴らした。

「絶対に嫌よ」

この夫の好きなようにさせたら、それこそ、ヴィエラの嫌がることを喜んでしてくるだろう。

女好きで女たらしなくせに、ヴィエラに対しては意地の悪いことばかりするのだ。

好きだからこそと言われるが。

ヴィエラからしたら、好きならもっと大切にしろ、と感じるし、実際そう言っている。

時に平手打ちすることもあるのだけれど、この夫ときたら、それを笑って受け入れるのだ。

……なんでこんなのを好きになってしまったのかしら。

兄弟弟子も相当おかしいが、夫も負けず劣らず捻くれている。

「それより、しばらくは奥様達の寝室に使用人を近付けないでちょうだい。特に男はダメよ」

うっかりイチャイチャして、そのままなだれ込んだ兄弟弟子夫婦のあれこれを聞いてしまったら、その使用人は兄弟弟子に殺されるから。

これは冗談ではない。

ヴィエラ達侍女ですら、日が落ちたら必要以上に近寄らないようにしているし、うっかり聞いてしまっても『女だから』と許されているだけだ。

もしも男性使用人であったら許さないだろう。

事実、兄弟弟子はいつも言っている。

「リュシーのかわいい声を聞いていいのはオレだけだからぁ。……もし他の男が聞いたらソイツを殺す」

そう言った時の兄弟弟子の目は本気だった。

奥様は冗談だと思っているのか、それを聞いて「もう、ルルったら……」と照れていたが、兄弟弟子は有言実行なので絶対に 殺(や) る気だ。

そういうことで、基本的に夫婦の寝室の近くは男性使用人の立ち入りを禁止している。

立ち入る時は前もって伝えてからなのだ。

皆、分かっているだろうが注意するに越したことはない。

「と、なると数日は無理そうだな」

はあ、とクウェンサーが息を吐く。

「そうね、あの遊びが落ち着くまでは無理かもしれないわ。一応、様子を見て伝えてはおくけど、期待しないで」

「分かった」

夫は肩を竦めると離れていった。

それを見送り、ヴィエラは階段を上がる。

目的地はこの屋敷の主人達がいる部屋だ。

そろそろ起きる頃だろう。

いつも、大体この時間の頃に呼ばれる。

階段を上がり、廊下を進む。

そうして、ふと、魔力の揺れを感じ取った。

「……」

黙ってヴィエラは向かう方向を変えた。

揺れた魔力は兄弟弟子のものだった。

あのいつでも冷静な兄弟弟子の魔力が揺れることはそうなく、しかも、わざとらしいほどの揺れは、どちらかと言うと警告に近かった。

ヴィエラは夫婦の寝室から離れた場所にある控え室の扉を叩いた。

それから扉を開ける。

「奥様と旦那様はまだ起きそうにないわ」

開口一番にそう言ったヴィエラに、室内にいた、同僚のリニアとメルティが顔を見合わせた。

「あら、それならお茶でもしましょうか」

一番年嵩のリニアが立ち上がろうとして、メルティがそれを手で制した。

「あ、私がやる」

メルティが立ち上がり、お茶の用意を始めた。

ヴィエラは扉を閉めて空いている席に着く。

たった一言だけで全てを察したのだから、この二人もよく出来た使用人である。

「すぐには呼ばれないからお菓子も出すねー」

それどころかちゃっかり自分達用の菓子まで出してきたので、ヴィエラは小さく笑ってしまった。

「そうね、奥様も旦那様も昼過ぎくらいまで起きてこないと思うわ」

「だよね」

リニアの言葉にメルティが笑って頷く。

「奥様達はいつまでああなのかしらね。もう結婚して一年は経つと言うし、そろそろ落ち着いても不思議はないと思うけれど」

ヴィエラがそう言えば、二人が顔を見合わせた。

「落ち着くはない」

「ええ、そうね、あれはいつも通りよね」

メルティとリニアの言葉にヴィエラは驚いた。

「え? 新婚だからああではなくて?」

お茶を運んできたメルティが頷いた。

「うん、リュシエンヌ様達は最初からずっとあんな感じだったし、多分これからもそうだと思う」

リニアを見ると、同意の頷きを返される。

……あら、どうしようかしら。

クウェンサーに様子を見て話をすると言ったけれど、もしかしたら、なかなか機会は来ないかもしれない。

考えて、まあいいか、と結論を出した。

奥様は知りたいと感じれば尋ねてくるだろうし、クウェンサーの方も急ぎの用件ではないはずだ。

それよりも、奥様の方が心配になる。

兄弟弟子は体力あるし、暗殺者として、疲労を感じてもそれを無視することが出来る。

だが、一般人の奥様はそうではない。

体力差があると大変だろう。

それもあって、奥様は寝坊したり、起きても眠そうだったりしていることがある。

兄弟弟子がもう少し加減してやればいいのだが、多分、あれでもかなり加減しているはずだ。

出されたクッキーに礼を述べて一枚かじる。

……奥様、痩せられたのよね。

病気で痩せたわけではないが、ヴィエラから見ると、もう少し肉付きが良い方がいいのではと感じる。

あの細さで兄弟弟子の相手をしていると思うと心配になってしまうのだ。

「クウェンサーから奥様に渡すものがあるって言われたのだけど、無理よね?」

とりあえず訊いてみる。

「無理無理」

「無理ね」

メルティもリニアも即答だった。

「最近、夜が多いでしょう? 旦那様はそういうことをした翌日はリュシエンヌ様に男性を近付けさせないじゃない」

リニアの言葉にヴィエラもメルティも頷く。

だが、それは兄弟弟子の我が儘というだけの話ではない。

兄弟弟子の相手をした翌日の奥様はいつも気だるそうで、声が少し掠れていて、明らかにそういうことをした後だと感じさせるものがある。

だから男性使用人を近付けさせないのだ。

旅行先でも夜を過ごした次の日は、兄弟弟子が付きっ切りでずっと離れなかった。

「そうよね」

兄弟弟子の機嫌を損ねたくはない。

ヴィエラは頷き、ティーカップに口をつけた。

* * * * *

ニコルソン邸の使用人の一人。

ティエリー=ランドローは、一人の侍女と共に馬車に揺られていた。

前に座る侍女をチラと見やる。

見た目はどちらかと言えば可愛い方だろう。

そばかすがあり、雰囲気の明るい女性で、年齢はティエリーよりも十以上は上くらいである。

名前は確か、メルティ=ラスティネル。

「リュシエンヌ様へのお土産が買えて良かった」

よほど主人である王女が好きなのか、ニコニコした顔で土産が入った紙袋を抱えている。

歳上なのにあまりそうと感じないのは何故か。

ともすれば鼻歌でも歌い出しそうな様子である。

「ランドローさんも、護衛をしてくださってありがとうございます」

不意に見上げられて、ティエリーはなんとなく目を逸らした。

「いえ、別に、たまたま非番だったので……」

今日はティエリーは休みだった。

だが、特にすることもなく、一日どうやって過ごそうかと考えていた朝食の席で、この侍女が近くの町に行くという話が出た。

ティエリーも休日で、予定がなかったため、暇潰しも兼ねて護衛としてついて行くことにしたのだ。

この侍女は裏社会の人間ではない。

王女が共に連れて来た侍女の一人で、戦闘も出来ない、ごく普通の表社会の人間である。

だからなのか一緒にいると調子が狂う。

明るくて、穏やかで、柔らかな空気が少し落ち着かない。

「それでも、ランドローさんのおかげで沢山買い物が出来ましたし、お金も無事でしたし、本当に助かりました」

実は町に出た際に、この侍女、金をスラれそうになったのである。

ティエリーがすぐに犯人の子供を捕まえたので金は返ってきたが……。

「あの子供を見逃して良かったんですか」

そのスリの子供をこの侍女は見逃した。

おまけに、いくらか握らせて返したのだ。

「まあ、なんて言うか、私にも弟や妹がいまして、今はもう大きいんですけど、昔、弟達があれくらいの頃は貧しくて、それでファイエット邸……あ、リュシエンヌ様のご実家で、そこで使用人として働き始めたんです」

「そうなんですか」

「ええ、あの頃は弟達も下手したらあんな風になってしまっていたかもしれないくらい、本当にギリギリの生活で……。だから、ちょっとだけ同情してしまったんですよね」

侍女が困ったように苦笑する。

ティエリーはそんな侍女を、お人好しな女だ、と思った。

本人も自分がしたことが良いことではないと分かっていて、それでも、何もせずにはいられなくて。

自分に出来ることと言えば、少額の金を握らせて、叱って、返すだけ。

でも、叱られた子供の方も何か感じた様子だった。

多分まだスリに慣れていなかったのだろう。

もしかしたら、初めてスリをしたのかもしれない。

そんな様子の子供を侍女は優しく叱った。

「あなたに家族はいる? もし、あなたがスリで捕まったって聞いたら、家族はどう思うかな? 怒るよりも悲しい気持ちになると思わない? まだ子供のあなたにこんなことをさせてしまったって。……私ならそう思う」

子供の少し汚れた両手を握って諭していた。

「あなたのためにも、家族のためにも、こういうことはもうしないで」

子供は泣きながら頷いていた。

侍女はそんな子供の頭を「いい子ね」と撫でた。

その時の慈愛に満ちた表情が、ティエリーの頭から離れなかった。

屋敷の門に着き、門番の確認を受けて、中へ通される。

入ってすぐのところで馬車から降りた。

「荷物は俺が持ちます」

あれこれと買ったのでかなり大荷物だ。

馬車から荷物を出せば、侍女が微笑んだ。

「ありがとうございます。ランドローさん、実は力持ちなんですね」

裏社会の人間は大体、体を鍛えている。

服を着ると痩せて見えるから分かり難いが、ティエリーもまた、この屋敷で仕事を始めてもずっと体を鍛え続けている。

「それほどでもないです」

しかし褒められて悪い気はしない。

荷物を抱え、侍女と共に屋敷へ向かう。

「ところで、奥様への土産はそれで良かったのですか? 子供向けの菓子ですよね、それ」

侍女の抱えている紙袋の中身はティエリーが言った通り、子供向けのありふれた菓子である。

貴族などが食べるような高級なものではない。

けれども侍女が笑って頷いた。

「リュシエンヌ様はこういうものを口にしたことがありませんから。でもお忍びで街へ出た時にはよく屋台のものを好んで食べていたそうなので、もしかしたら、こういうものの方がお好きなのかもしれません」

「なるほど」

王女という立場上、確かに平民の子供が口にするような菓子を食べる機会はそうないだろう。

そんな話をしながら歩いていると、ふと、何かが視界の端でチカッと光った。

思わず立ち止まる。

侍女が不思議そうに振り返った。

「どうしましたか?」

「いえ、今何か光ったような……」

ティエリーが顔を上げ、侍女も釣られるように顔を動かしたが、侍女が「あ!」と声を上げると慌てて近付いてきて、ティエリーの顔に手を伸ばした。

とっさにティエリーは一歩下がった。

「ランドローさん、下見て下……!」

侍女の慌てた声にティエリーは従った。

それから侍女が声を少し張り上げた。

「リュシエンヌ様、こんな寒空にそんな格好で出たら風邪を引いてしまいますよ! 中へお戻りください!」

そう、一瞬だけ見えたが、三階のバルコニーにこの屋敷の主人夫婦の片方である王女がいた。

僅かとは言えど雪が降る中に薄着だった。

いつものドレス姿ではなく、恐らく、夜着か何かだ。

頭上から別の声がした。

「リュシー、そんな格好で外に出たら湯冷めしちゃうよぉ」

主人であるルフェーヴル=ニコルソンの声がした。

静かな声だが、ほとんど音のない中なので、その声は思いの外、はっきりと聞こえてきた。

「馬車の音がしたからメルティさんが帰ってきたのかなって思って、つい」

王女の澄んだ声が聞こえた。

「すぐに参りますから、暖かくして!」

侍女の声に「分かった」と王女の声がする。

一瞬、背筋がぞくりとした。

顔を上げなくても分かる。

多分、ルフェーヴル=ニコルソンが今、こちらを見下ろしているのだろう。

殺気ではないが、それに近いものを感じる。

それはすぐにふっと消えた。

ややあって侍女が小さく息を吐く。

「もう顔を上げても大丈夫ですよ」

侍女の手が労わるようにティエリーの肩に置かれる。

ティエリーも息を吐きながら顔を上げた。

三階のバルコニーを見上げたが、もう、そこには誰もいない。

「いいですか、今、何も見なかった。もし旦那様に訊かれてもそう答えてくださいね」

侍女の言葉に頷く。

「リュシエンヌ様ったら、もう。あんな無防備な格好で部屋の外に出られるなんて……」

あとで注意しないと、と侍女が少し怒った顔をする。

ティエリーからしたら、目の前の侍女も十分無防備に見えるのだが、それは言うべきことではないだろう。

侍女が苦笑しながら振り向いた。

「とりあえず、中へ入りましょうか」

頷き、侍女と共に屋敷の裏口へ向かう。

中へ入る際に、侍女の手が伸びてきて、肩や頭に薄っすら積もった雪を払われた。

……世話好きなんだな。

目が合うと、ニコ、と侍女が笑った。

それに不覚にもドキリとしてしまったのは黙っておこう。

「……また町に行く用事があれば、声をかけてください。その、護衛くらいはしますので」

そう言ったティエリーに侍女の雰囲気が明るくなる。

「では、また次もお願いしていいですか?」

「ええ、まあ、どうせ休日は暇ですから」

「ありがとうございます。その時は声をかけますね」

またニコリと侍女が笑う。

裏社会の人間とは違う、柔らかな日差しみたいな優しい笑みに、ティエリーは頷き返す。

「リュシエンヌ様のところへ行くから」とそこで別れて、歩いていった侍女の背をティエリーは見送った。

荷物は全部、応接室に運んでおくように言われた。

………………。

「なんだ、デートでもしてきたのか?」

「?!」

急に背後から声をかけられて肩が跳ねる。

振り返れば執事のクウェンサー=スペラードが立っていた。全く気付かなかった。

「そんなんじゃない」

……そう、そんな関係では……。

「そうか? まあ、頑張れよ」

「何がだよ」

クウェンサー=スペラードは、ははは、と笑いながら離れていった。

ティエリーが以前、想いを寄せていたヴィエラ=ラジアータの夫であるあの男は、色々な意味であまり好きにはなれない人物だった。

荷物を運ぶためにティエリーは歩き出す。

……くそ、余計なことを言いやがって。

熱くなり始めた顔に気付かないふりをする。

頭の片隅には、いつまでも侍女の姿が残っていた。

* * * * *