軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話

魔王が消えたという報は、数日のうちに世界中へと駆け巡った。

正確な原因は、誰にも分からなかった。

突如として魔王城が崩壊し、瘴気の濃度が急激に薄れ、大地を蝕んでいた闇が一気に退いた。

各地に散らばっていた魔族の軍勢も、まるで操り糸を断たれた人形のように動きを止め、やがて霧散していった。

王都では混乱と安堵が入り混じり、魔王軍に備えていた騎士団や各国の使節が情報収集に奔走した。

魔王との戦いが終わったという確証は得られないまま、しかしそれでも、誰もが薄々察していた。

――何か、異常な事態が起きたのだ、と。

だが、その真実を知る者は、ほんの一握りしかいなかった。

目の前でユフィが魔王を倒すのを目撃したライルが一応、国王に報告したようだが、内容が荒唐無稽過ぎて公開には至らなかった。

いや、世界を混乱させないためにも今後公開されることはないだろう。

たった一人の少女が魔王を打ち倒したなどという事実は、歴史の裏に埋もれることになった。

けれど、裏で動いた者もいる。

ザインはユフィとの約束を果たすかのように、王バレンシア教の枢機卿を失脚へと追い込んだ。

幾重にも重ねられた権力の網を切り裂くように、彼は教会の腐敗の証拠を次々と突き付けていった。

かつてユフィを抹殺しようとした男は、祭壇の階段から引きずり下ろされるようにして、その座を追われたのだった。

◇◇◇

「……ただいま」

一週間の時を経て。

春の風が残る学園に、ユフィの姿があった。

いつもと変わらぬ門構え、見慣れた制服の生徒たちの声。

けれど、ユフィの瞳には、どこか別の色が宿っていた。

いつもの学園に登校する心持ちは、どこか変わっていた。

それは、ユフィの身体に起きたある変化に起因する。

――攻撃魔法が、使えなくなっているのだ。

魔王を倒したあの日を境に、ユフィの体から魔力が抜け落ちたように、どれだけ集中しても魔力の奔流が形を結ばなくなっていた。

炎の矢も、氷の槍も、雷の鎖も、何ひとつとして現れてくれない。

しかしそれも考えてみれば当然の話だった。

ユフィの攻撃魔法は、シンユーを宿していたから使えていたもの。

シンユーがいなくなった今、攻撃魔法を使うことはできない。

それは、ユフィがただ、弱々しい回復魔法しか使えない、普通の女の子になっていたことを意味していた。

「……でもまあ、ここからが本当のスタート、って感じかな?」

ユフィは弾んだ声で呟く。

その笑みには、寂しさも迷いもなかった。

不思議と、心は澄んでいた。

たとえ攻撃魔法がなくなっても、誰かを守りたいという気持ちは、ここにある。

だからもう一度、始めよう。

何度失敗しても、ダメダメと笑われても。

「私は、もう一度……聖女を目指す!」

拳を高らかに上げて、ユフィは叫んだ。

その誓いは、春風に乗って空へと解けていった。

まるで、それを見守る誰かが、遠くでそっと頷いたかのように。

◇◇◇

温かな陽気が差し込む午後の生徒会室。

春の光がレースのカーテンを透かし、風に揺れてはサラサラと心地よい音を立てている。

そんな静かな空気を破ったのは、爆発のような勢いのドアの開閉だった。

「ゴボウを取りに来ましたわーーーっ!!!」

バーンッ!

と生徒会室の扉を蹴破らんばかりの勢いで現れたのはキャサリン。

金色の縦巻きロールが午後の光を反射しながら跳ね、堂々とした足取りでユフィに詰め寄る。

「お、お待ちしておりました!」

ユフィは立ち上がり、引き出しから包みを取り出して差し出した。

布に丁寧に包まれたそれを、キャサリンは目を輝かせて受け取る。

「まぁ……この香り、この硬さ、この筋張り具合……紛れもなく最高級のゴボウですわ! わたくし、これがないともう……生きていけませんの!」

「先日ミリル村でキャサリンさんが掘ってくださった分、すぐに食べきってしまったと聞きまして……」

「ええ、早々に尽きましたわ。だって、わたくし――」

キャサリンは胸に手を当て、鼻高々に言い放った。

「今やゴボウが主食ですもの!!」

「主食!?」

キャサリンは椅子に腰かけながら、まくし立てるように語り始めた。

「ゴボウのグラタンに、ゴボウのムースに、ゴボウとチーズのミルフィーユ! もちろん定番のゴボウチップスや、甘辛く炒めたきんぴらも欠かせませんわ! あとゴボウクッキーにゴボウブレッド、ゴボウカレー、ゴボウティー……もう、毎日がパラダイスですの!」

「レパートリー凄すぎません!?」

ユフィが驚きの声を上げると、キャサリンは得意げに鼻を鳴らした。

「ユフィさんのゴボウで、私の学園生活が彩に彩っていますわ。なのでこれからも定期供給をお願いしたく……」

「はい! 全力でゴボウ支援させていただきますっ」

「ありがとうですわ! では、さっそくこの子たちを連れて帰って、今夜のゴボウ鍋に取りかかりますわよ!」

勢いよく立ち上がり、まるで風のように出て行こうとするキャサリン。

その背中に、ユフィが慌てて声をかけた。

「あの、キャサリンさん! せっかくですし、お茶とか……」

「無用ですわ! ゴボウが冷めてしまいますもの!」

おおっほっほっほー!

と、キャサリンの高笑いが残響する中、バタン! と扉が豪快に閉まった。

「……あんな騒々しいやつが公爵令嬢とはな」

静寂を取り戻した室内に、低く呆れたような声が響く。

棚の陰から現れたのは、エドワードだった。

「ミリル村のゴボウに、おかしなものが入ってないか心配になってきました……」

「まったくだ」

ため息をつく彼の手には、小ぶりな木製トレイ。

その上に載っていたのは、艶やかな果実が並ぶタルトと、湯気の立つ紅茶だった。

「試作品だ。食べてみてくれ」

エドワードが紅茶とともに、自家製のラズベリータルトを盆に乗せて持ってきた。

サクサクの生地の上には艶やかな果実が並び、その見た目だけでも心が浮き立つようだ。

「わあ……! いい匂い!」

ユフィは目を輝かせ、ぱくりとひと口。

「美味しい〜〜!!」

幸せそうにユフィはタルトを頬張った。

「すっごく香りも良くて、果物の酸味がちょうどいいわね」

隣にいたエリーナも絶賛している。

「ふん、当然だ。粉の配合と焼き時間には特に気を配ったからな」

照れを感じさせぬ硬い声で言いながらも、エドワードはどこか得意げだ。

「なーなー、ユフィ!」

元気な声が響き、ジャックがユフィの背後から身を乗り出してくる。

「そろそろ一緒に体力トレーニングしようぜ! 今度は学園のはずれにある崖登りとかいいかもな」

「いえ、丁重にお断りします」

「なんでだよ!」

「ジャックさんのトレーニング、本当にきついんですって!」

「きつくないと鍛錬にならないだろうが……」

直後、ジャックの後頭部にバシンッと軽い衝撃。

「いってぇ!? なにすんだよ、エリーナ!」

手に丸めた紙束を持つエリーナに、ジャックは抗議の声を上げる。

「ユフィちゃんに構う前に、自分の心配をした方がいいんじゃない?」

そう言ってエリーナが突き出したのは、『週刊魔春』の最新号。

国中のゴシップネタを扱い雑誌の特集ページには――『軍務大臣の令息ジャック・ガリーニ、再び薔薇の園へ!』 というタイトル。

誌面には、ジャックの写真がばっちり激写されていた。

しかも、BLコーナーの棚の前で本棚を真剣に見つめている姿。

「いやだから違うんだって! あそこ、少女漫画コーナーの隣だから……」

「いいのよジャック。人それぞれ趣向は自由だと思うの」

「なんだその生暖かい目は! 冤罪だって!」

ジャックが頭を抱えてのたうち回る隣で、ユフィは小さく笑った。

こんなふうに、変わらぬ日常がここにある。

それはとっても尊いもので、これからもずっと続いて欲しいものだ。

そんな実感をユフィは抱いた。

「あ、そうだ」

ふと手に持っていたタルトのお皿を静かに持ち上げ、エドワードへと差し出した。

「エドワードさん、ご馳走様でした。ありがとうございます。すごく、元気出ました」

「であれば、よかった」

そう言った後、ぽつりとエドワードは言う。

「あまり、気を落とすなよ」

「え?」

エドワードは目を細め、真っ直ぐな声で言った。

「お前は今、攻撃魔法という強大な力を失った。それは事実だが、それだけのことだ」

言葉のひとつひとつが重い。それでいて、心に届く。

「攻撃魔法が使えようが使えまいが、お前がユフィ・アビシャスであることに変わりはない。聖女を目指しているなら、回復魔法の強化に邁進しろ。立ち止まらず、頑張れ」

ユフィは思わず息を呑んだ。

エドワードからのエールに、胸の奥が、ぎゅっと熱くなる。

そしてきっとこのタルトも、攻撃魔法が使えなくなったユフィを気遣って、元気づけようと作ったものなのだろう。

いい友達に恵まれた、とユフィは思った。

「はいっ! ありがとうございます! 頑張ります!」

力強く明るい声が、生徒会室に響き渡った。

そこには、かつてずっとネガティブだった少女の姿は、もういなかった。

魔法学園に来てから過ごす日々の中で、ユフィはほんの少しだけ自信をつけたようだった。

回復魔法がゴミッカスでも、きっと、なんとかなる。

そんな前向きな気持ちが、ユフィの心の中を満たしていた。

「ふふふ〜ん♪」

なんだか気分が良くて、ユフィは生徒会室をスキップしてしまう。

しかし次の瞬間。

「きゃっ!?」

ユフィがつるんっと足を滑らせ、バランスを崩した。

そのまま突っ込んだ先には、エリーナがいて──。

ユフィはエリーナに倒れかかるようにして、ぎゅむっと抱きついてしまった。

顔はエリーナの胸にうずまる形となり、二人の距離はゼロになる。

「わわわっ、ごめんなさ……すぐどきますので……!」

慌てた様子で言うユフィ。

一方で、エリーナの頬が真っ赤に染まる。

目はうるみ、口元はわなわなと震え、まるで夢見心地のような、うっとりとした微笑を浮かべて言った。

「……ユフィちゃん、私」

その表情は、天にも昇るかのような陶酔と心からの幸福に満ちていた。

「死んでも、いいわ……」

「エリーナさん!? しっかりしてくださいっ!?」

ユフィは慌てて身体を起こし、エリーナの肩をゆさゆさと揺さぶる。

けれど当の本人はうっとりとしたままピクリとも動かず、意識がどこかへ飛んでしまっているようだった。

そんな騒がしくも賑やかな光景を、生徒会室の一角、窓際の椅子に腰掛けたライルが静かに見守っていた。

窓から差し込む春の陽光が、ユフィの髪と頬をやわらかく照らしている。

笑い声が響き、ふざけあう仲間たちの姿に、彼の表情も自然と緩んだ。

しかしその穏やかな目元が、ふと影を帯びる。

笑顔の奥に、何か決意を灯すように。

◇◇◇

風が気持ちよく吹き抜ける午後だった。

学園の屋上に、ユフィはぽつりと佇んでいた。

制服の裾が揺れ、淡い春の陽光が瓦屋根に反射してまぶしく光る。

背後では扉の軋む音がして、誰かがそっと足を踏み入れた気配がした。

「……来てくれて、ありがとう」

ライルだった。

爽やかな金髪が風に揺れ、頬にかかるそれを指で払いながら、彼は少し照れたように笑っていた。

ユフィは首を傾げる。

「どうしたのですか? 突然、こんな場所に呼び出して」

「いや……その……」

言葉を選ぶように、ライルは口元に手を当てた。

「君に、ちゃんと話しておきたいことがあって」

心なしか頬が赤く見える。

ふだんは飄々としていて、軽口を叩く彼が、こうして真剣な表情をしているのは珍しかった。

「ユフィ」

春風が二人のあいだを通り抜け、制服の裾がひるがえった。

ライルは一歩近づき、真剣な眼差しでユフィを見つめる。

「君と一緒に過ごすうちに、気づいたんだ。……俺、君のことが――」

言葉が詰まる。

けれど、目はまっすぐにユフィを捉えていた。

「君は、いつだって明るくて、みんなを笑顔にしてくれる。面白いことを言って場を和ませたり、誰かが落ち込んでいる時には、そっと寄り添って……」

ライルはふっと笑みを浮かべた。けれどその奥には、熱があった。

「でも、ただ優しいだけじゃない。辛いときでも、自分を奮い立たせて、何度だって立ち上がる。……俺は、そんな君の強さに、どうしようもなく――」

その瞬間だった。

空気が震えた。

まるで大気そのものが悲鳴を上げたように、唐突な爆音とともに屋上の床が振動した。

風向きが変わる。耳鳴りのような魔力のうねり。

すぐ傍の欄干が破裂するように吹き飛び、鋭い石片が宙に舞った。

「っ、伏せて!」

ライルがとっさにユフィをかばい、その身に覆いかぶさる。

彼の背中越しに、爆風が唸りを上げて通り過ぎた。

そして、屋上の端に、ひとりの男が姿を現した。

法衣に身を包んだその男。

かつての威厳は消え去り、代わりに狂気を宿した瞳がぎらついている。

「ヘルベルト……!?」

ユフィの声が響き渡る。

男は、バレンシア教の枢機卿、ヘルベルトだった。

本来ならばザインの手で失脚し、投獄されていたはずの男が、なぜここに?

そんな疑問が脳裏をよぎるよりも早く、男は絶叫した。

「ユフィいいいいいぃぃぃ……アビシャスうううううう!!!」

顔を引きつらせ、喉の奥から獣のような嗚咽が漏れる。

「貴様のせいでえええ!! すべて、すべて失ったんだあああああッ!!」

その声は怨嗟に満ち、怨念そのものが実体化したようだった。

ヘルベルトは歪んだ笑みを浮かべ、懐からひとつの魔導具を掲げた。

赤黒い魔力が膨れ上がり、異様な圧力となって屋上全体を包み込む。

「ライルさん、逃げて……!」

咄嗟にユフィが叫んだ。

そして反射的に掌をヘルベルトに向けて、魔力を込める感覚を集めた。

ユフィの手には、もう攻撃魔法は残されていないはずだった。

シンユーが消えたあの日から、いくら願っても攻撃魔法は応えてくれなかった。

なのに──きらり、と空間が光を孕んだ。

ユフィの掌から、紅蓮の輝きが飛び出したのだ。

「なっ……!?」

目を見開くヘルベルトの目前に、灼熱の火矢が唸りを上げて放たれた。

それは、絶望を貫く光。

罪を焼き払う裁きの炎。

「ぐああああああ!! 熱いいいいいい!!!」

轟音とともに爆風が炸裂し、空気が一瞬で焼け焦げた。

ヘルベルトの身体は炎の渦に呑まれ、屋上の床を跳ね飛ばされるようにして転がっていった。

「えっ……あれ、今……私……?」

『……ったく。もう少し寝かせてくれると思ってたのにさ』

呆然と呟くユフィの前に、どこからともなく、ひょいと黒猫が姿を現した。

『あんまりうるさいから、目が覚めちゃったじゃないか』

以前と変わらぬ、気だるげで│飄々《ひょうひょう》とした物言い。

「し、シンユー……!?」

ユフィはギョッとした。

「どうして!? シンユー、あなた消えたはずじゃ……」

『んー、まあ一回は消えたっちゃ消えたけど? でも、ユフィに呼ばれたから。だから戻ってきた。って、あんまり難しく考えなくていい。要は……』

そう言って、シンユーはユフィの肩にちょこんと乗った。

『これからもよろしくね、ユフィ』

……風が、あたたかい。

どこか懐かしい匂いがして、ユフィはようやく実感する。

確かに、ユフィが戻って来たのだと。

「ユフィ!」

ライルが駆け寄る。

灰まみれの制服のまま、彼は安堵と困惑をないまぜにした表情で立ち尽くしていた。

「君、攻撃魔法が……!」

「はい、なんだか……戻ってきた、みたいです」

ユフィは照れたように笑う。

その横で、シンユーがあきれたようにため息をついた。

『まったく、騒がしい告白の邪魔して悪かったね』

「こ、こ、告白!?」

ユフィがギョッとする。

「い、いや! さっきのはその!」

顔を真っ赤にしたライルが、ぶんぶんと首を振る。

いつもの彼らしくない動揺具合に、シンユーがひとつ大きなあくびをした。

『はーあ。やれやれ、また騒がしくなりそうだね』

そしてまた、日常が始まる。

いつものちょっぴり普通じゃない、それでも、かけがえのない毎日が。

聖女様を目指すユフィ・アビシャスの学園生活は、まだまだ終わらない。