作品タイトル不明
第三十二話 リュシーの発表
冬鈴令の子ども向け説明書を作ることになった時、最初の問題は言葉だった。
保護者同意。
療養環境。
面会権。
個別記録。
どれも大切だが、子どもが聞いて眠れる言葉ではない。
そこで、子ども会議をもう一度開いた。
今回は、マリア第一王女の書記官、医務局代理のルイーズ、医師会の若い医師も見学に来た。エルミーヌ公爵夫人も、少し離れた席に座っている。
リュシーは緊張していた。
発表したいと言ったのは本人だが、大人が多い。私は中止してもよいと伝えた。
「やめてもいいのよ」
「やめない。でも、ちょっと、おなか、きゅう」
「緊張ね」
「きんちょう」
リュシーは新しい言葉を口の中で確かめた。
発表の紙には、私が手伝って大きな字を書いた。
『冬鈴令は、なんのため?』
リュシーは木札を握り、前に立った。
「えっと」
声が小さい。
けれど、誰も急かさなかった。
「冬鈴令は、へやを、かってに、とらないためです」
書記官がすぐに書いた。
「へやは、ねるところです。なまえがあるところです。いやですっていっても、きいてくれるところです」
ニコが横から小さく言った。
「札があるところ」
リュシーは頷いた。
「札があるところ」
ミーナが言った。
「毛布が重くないところ」
「毛布が重くないところ」
ユーリが言った。
「大丈夫じゃない時に、大丈夫と言わなくていいところ」
リュシーは少しつまずきながら繰り返した。
「大丈夫じゃない時に、大丈夫って、いわなくていいところ」
その言葉で、大人たちの顔が変わった。
これは法律の説明ではない。
子どもの生活の説明だ。
リュシーは最後に、自分の紙を見た。
「あと、いらっしゃいは、きく。リュシーのへやに、クララがきたとき、リュシー、きめた。でも、おかあさまが、安全、した。こどもだけで、がんばらない」
私は胸の奥を押さえた。
娘は理解していた。
自分で選ぶことと、大人が責任を持つこと。
その両方が必要なのだと。
発表が終わると、エルミーヌ公爵夫人が静かに拍手した。
その拍手に続いて、他の大人も拍手する。
リュシーは驚いて、私の方を見た。
「おわり?」
「ええ。よくできました」
「おやつ?」
「もちろん」
会議の後、子ども向け説明書の草案が変わった。
難しい言葉の横に、短い文を入れる。
『部屋を変える時は、あなたに説明します』
『嫌だと言ってもいいです』
『嫌だと言ったら、理由を聞きます』
『お母さん、お父さん、付き添いの人に会うことを、罰に使ってはいけません』
『あなたの安心する物を、勝手に捨てません』
『大人も休みます。大人が休むと、あなたを大事にしやすくなります』
最後の文は、リュシーの寝台札から生まれた。
マリア第一王女の書記官は言った。
「これは、王都だけでなく地方にも配れます」
ルイーズは頷いた。
「現場職員向けの短縮版も作れます。木札の安全基準、安心物の洗浄方法、寝台位置の温度測定」
エルミーヌ公爵夫人は、説明書の余白を見ていた。
「ここに、子どもの印を描く欄を作りましょう」
「印?」
「名前が読めない子も、自分の印なら分かります。ルシアンは小鳥でした」
彼女が息子の名を人前で出したのは、これが初めてだった。
私は頷いた。
「入れましょう」
夕方、リュシーは疲れて私の膝に座った。
六歳にしてはもう重いが、今日はその重さが嬉しかった。
「おかあさま、リュシー、いえた?」
「言えたわ」
「おとな、きいた?」
「聞いた」
「じゃあ、リュシー、ねる」
娘は本当にそのまま眠りそうになった。
私は抱き上げ、部屋へ連れていく。
子どもの発表は、大人の法律を少し変えた。
その疲れを、今日の夜はゆっくり眠らせたい。
発表後、エルミーヌ公爵夫人はリュシーに近づきすぎない距離で言った。
「あなたの言葉を、冊子に使ってもよろしいかしら」
リュシーは私を見た。
「使うって?」
「他の子が読む紙に、リュシーの言ったことを少し入れるという意味よ。ただし、名前を出すかどうかはあなたが決めていい」
リュシーは考えた。
「リュシーのなまえ、ちょっと、こわい」
公爵夫人は頷いた。
「では、名前は出さないで、言葉だけ借りるわ」
「ことば、かえってくる?」
「ええ。冊子になって戻ってくる」
その返事に、リュシーは少し笑った。
子どもの言葉を使う時、大人はつい感動して急ぐ。
だが、その言葉にも持ち主がいる。
借りるなら、返す約束が必要だ。
その夜、リュシーは発表の紙を自分の棚に置いた。
「しまう?」
「うん。きょう、がんばった」
「見返したくない時は、閉じていいからね」
「うん。でも、ちょっと、みる」
娘は紙を撫でた。
発表は人前で終わったわけではない。子どもにとっては、その後で自分の言葉をどう扱われるかも大事だ。
私は棚に小さな布を掛けられるようにした。
見たい時は開く。見たくない時は隠す。
自分の言葉にも、休む部屋が必要だった。
大人たちはその最後の文で、また少し黙った。
子どもの部屋を守るには、大人を倒れるまで働かせてはいけない。疲れきった手は、毛布の重さにも気づけなくなる。
リュシーは難しい理屈を知らない。ただ、私が食べていない時に怒る。眠っていない時に札を置く。
その小さな怒りも、冬鈴令の中に入れるべきものだった。