作品タイトル不明
第三十一話 冬鈴令の名前
特別委員会の初日は、名称を決めるだけで半日かかった。
王立医務局は『冬季療養児標準管理規則』を提案した。
医師会は『小児低温障害予防および療養環境基準』を推した。
貴族院の一部は『王立冬季児童保護令』と呼びたがった。
どれも、紙の上では立派だ。
けれど、子どもが聞いて自分のことだと分かる名前ではなかった。
委員会の隅で、リュシーの木札を預かったミレーヌが小さく言った。
「冬鈴令ではいけないのですか」
会議室が静かになった。
冬鈴令。
冬鈴館の名前から取った短い言葉。寒い時にも咲く花。小さくても折れにくい花。
エルミーヌ公爵夫人が眉を上げた。
「私的施設の名を法令に入れるのは、前例がありませんわ」
マリア第一王女が言った。
「前例がないから検討する価値があります」
カミーユ補佐は職務停止中のため不在だ。医務局からは代理のルイーズが出席している。かつて木札を外した彼女は、今では安全管理案の責任者になっていた。
「名称が短い方が、現場では使いやすいです」
ルイーズはそう言った。
「ただ、正式名称には内容を示す補足が必要です」
ミレーヌが紙に書いた。
『冬鈴令――冬季療養児の部屋・記録・同意・面会に関する保護規則』
長い。
だが、正式文書なら仕方ない。
私は提案した。
「子ども向けの説明では、冬鈴令だけでよいと思います」
エルミーヌ公爵夫人が私を見た。
「子ども向けの説明書まで作るの?」
「作ります。子どもの部屋についての規則ですから」
「六歳の子が読むと?」
「読めない子には、大人が読みます」
公爵夫人は少し考え、持参した黒い箱からルシアンの木札を出した。
委員会の机の上に、古い札が置かれる。
「息子なら、長い名称は覚えなかったでしょうね」
その声に、会議室の空気が変わった。
彼女は続けた。
「冬鈴令でよろしいのではなくて? 子どもが覚えられる名前でなければ、子どものための規則とは言いにくいもの」
その発言で、名称は決まった。
次に中身だ。
一、子どもの療養室を移す時は、保護者同意と本人への年齢相応の説明を必要とする。
二、本人が嫌だと言った場合、その理由を記録し、代替案を検討する。
三、面会を罰や褒美として使ってはならない。
四、寝台位置での温度、足元の冷え、毛布の重さ、換気、湿度を記録する。
五、安心物と名前札を原則として認める。安全上の問題がある場合は、取り上げる前に代替方法を検討する。
六、付き添いの大人の休息を記録する。
七、標準品は地域差と体格差に応じて調整可能とする。
八、子どもの意見を聞く会議または面談の仕組みを置く。
文章にすると、当たり前のことばかりだ。
だが、その当たり前を紙にするために、どれだけの部屋が冷えたのか。
議論は何度も止まった。
医務局の代理官は、人員不足を訴えた。
医師会は、記録項目が増えすぎることを心配した。
貴族院の代表は、平民の子と貴族の子を同じ基準で扱うことに不満を示した。
そのたびに、誰かが証拠を出した。
凍った靴。
重い毛布。
エマの人形。
ニコの木札。
ユーリの「大丈夫と言わない」紙。
リュシーの「いらっしゃいは、きく」札。
紙だけではなく、物がある。
物には逃げ道が少ない。
夕方、最初の草案がまとまった。
まだ荒い。
穴も多い。
でも、王立移管令とは違い、最初の頁に子どもの名前を書く欄があった。
その欄を見た時、私は少しだけ目を閉じた。
名前がある。
ここから始められる。
冬鈴館へ戻ると、リュシーが待っていた。
「なまえ、きまった?」
「冬鈴令になりそうよ」
「リュシー、しってる」
「そうね。あなたの花だもの」
「みんなの花?」
「ええ。みんなの花」
リュシーは嬉しそうに笑った。
「じゃあ、へや、なくならない?」
「なくならないようにする規則が、一歩進んだわ」
「一歩?」
「まだ続くの」
娘は少し考え、真面目な顔で言った。
「じゃあ、おやつ、たべて、つぎ」
その順番は正しい。
規則を作る大人にも、おやつと休息が必要だ。
名称が決まった後、条文の端に置く印も議論になった。
王立印だけでは硬すぎる。冬鈴館の紋章では私的すぎる。医務局印では、子どもたちが怖がるかもしれない。
最後に、子どもたちが描いた冬鈴草を元に、簡単な花印を作ることになった。
リュシーの絵は丸すぎた。ニコの絵は星に近かった。ユーリの絵は花より靴に似ていた。
それらを合わせ、ルイーズが不器用に清書した。
「私は絵が苦手です」
「ギルベルト様の兎よりは花です」
私が言うと、会議室の端でギルベルトが顔を上げた。
「比較対象にしないでくれ」
小さな笑いが起きた。
法律の会議で笑い声が出る。
それは不真面目ではなく、子どもの部屋の話に人間の息が戻った証拠だった。
冬鈴令という名に決まった日の夜、リュシーは自分の冬鈴草の鉢に向かって報告した。
「おなまえ、いっしょ」
花は返事をしない。
それでも娘は満足そうだった。
「リュシーのじゃない。みんなの」
私はその言葉を聞いて、少し安心した。
冬鈴令は娘の痛みから始まった。けれど、娘一人を象徴として背負わせてはいけない。
みんなの花。
リュシー自身がそう言えたことが、何より大事だった。