作品タイトル不明
最終話 娘の部屋は世界の中心
二年後の冬、冬鈴館は以前より少し大きくなっていた。
温室の隣に子ども用の小部屋が三つ増え、保温布の工房も別棟になった。医師会から常駐の看護師が派遣され、王都だけでなく北境からも療養児が来るようになった。
リュシーは六歳になった。
相変わらず冷えには注意が必要だが、以前より体力がつき、庭を走ることもできる。走りすぎるとハンナに叱られ、自分で保温布を首に巻いて戻ってくる。
「むり、しない」
そう言いながら、少し得意そうにする。
ギルベルトとの面会は、今も月に一度続いている。
彼は絵が少し上達した。鳥はまだ不格好だが、リュシーはそれを楽しみにしている。父と娘の距離は近すぎず、遠すぎず、ゆっくりと形を変えていた。
リリアからは、修道療養院での奉仕記録が年に一度届く。私は短い返事だけを書く。リュシーにはまだ会わせていない。それでいいと思っている。
アルノルトとは、翌春に結婚した。
式は小さかった。冬鈴館の庭で、リュシーが冬鈴草を持って立ち、兄セドリックが珍しく泣きそうな顔をした。
リュシーはしばらくアルノルトを「アルさま」と呼んでいたが、ある日突然、「アル父さま」と呼んだ。
アルノルトは、その場で固まった。
「いや?」
リュシーが不安そうに聞く。
「いいえ」
彼は膝をつき、娘と目を合わせた。
「とても嬉しいです。ただ、少し驚きました」
「じゃあ、アル父さま」
「はい」
その返事を聞いて、リュシーは満足そうに笑った。
私はその光景を見ながら、前世で読んだ物語を思い出していた。
娘が死んでから始まる溺愛。
妻の痛みを失ってから知る夫。
涙で飾られた和解。
あの物語の結末を、私はもう憎んでいない。
ただ、選ばなかっただけだ。
私たちは別の物語を選んだ。
娘が生きている物語。
母が戻らない物語。
父が遅れて学ぶ物語。
幼馴染が自分の責任を負う物語。
そして、温かい部屋が誰か一人の犠牲ではなく、みんなで整える場所になる物語。
冬のある夜、リュシーが自分の部屋で眠る前に言った。
「おかあさま」
「なあに」
「リュシーのおへや、なくならない?」
六歳になっても、その問いは時々出る。
私は寝台のそばに座り、娘の手を握った。
「なくならないわ」
「ずっと?」
「ずっと。たとえ場所が変わっても、あなたが安心して眠れる場所を、私たちは作る」
「アル父さまも?」
「ええ。アル父さまも」
「おとうさまも?」
ギルベルトのことだ。
私は少し考え、頷いた。
「お父様も、今はそれを学んでいるところよ」
リュシーは安心したように目を閉じた。
「じゃあ、だいじょうぶ」
「ええ。大丈夫」
暖炉の火は静かに燃えていた。
窓の外には雪が降っている。けれど部屋の中は温かい。リュシーの寝息が、ゆっくりと規則正しくなる。
私はその寝息を聞きながら、自分の手を見た。
かつて娘を抱いて屋敷を出た手。
書類を書き、保温布を縫い、火事の熱を逃がし、誰かの小さな手を包んできた手。
この手で守れるものは、世界のすべてではない。
それでも、私の世界の中心は守れた。
娘の部屋。
温かい寝床。
好きなものを好きと言える食卓。
嫌なことを嫌と言える場所。
それは、誰かの恋を成就させるために差し出される小道具ではない。
一人の子どもが生きるための、当然の場所だ。
私は立ち上がり、部屋の温度を確かめた。
ちょうどいい。
リュシーが眠っている。
それだけで、今日も物語は勝っている。
第一章完