作品タイトル不明
第十二話 辺境伯の提案
アルノルトの提案は、性急なものではなかった。
彼はまず、王都法院と医師会に確認を取り、旧温室館を一時的な療養施設として登録できるかを調べた。次に、ヴァイス伯爵家の所有権、維持費、使用人の人数、薬草の仕入れ先、冬季の燃料費を書き出した。
それらの書類は、私が見ても整っていた。
「軍人の書類とは思えませんね」
私がそう言うと、アルノルトは少しだけ肩をすくめた。
「書類を軽んじる軍は、冬を越せません」
「辺境らしい答えです」
「北では、薪一本の不足が死因になります」
その言葉は重かった。
彼は大げさに語らない。だからこそ、事実の冷たさが伝わる。
提案の内容は明確だった。
旧温室館を、冬季だけの小児療養所として使う。対象は、冷えによる発熱や呼吸不調を起こしやすい子ども。費用を払える家からは適正な療養費を受け取り、払えない家には寄付枠を設ける。ヴァイス家は場所を提供し、私が保温環境の管理と保温布の制作を担う。医師会から巡回医を派遣し、ランキエール辺境伯家は保温布の軍用試験費として資金を出す。
「まるで、最初から準備していたようです」
「準備はしていません。ただ、必要なものを並べただけです」
「それを準備と言うのでは?」
アルノルトは少し考えた。
「そうかもしれません」
その真面目な返事に、私は笑ってしまった。
リュシーは隣の部屋で、ハンナと一緒に小さな布袋へ綿を詰めている。針はまだ危ないので、糸を選ぶ係だ。赤、青、黄色の糸を並べては、布兎に相談している。
「ノエリア様」
アルノルトの声が少し低くなった。
「この提案には、あなたの離縁調停にも意味があります」
「私に収入と活動実績ができる、ということですね」
「はい。相手方が、母親一人では娘を養えないと主張する可能性があります。ヴァイス家の支援だけでは、実家に依存していると言われる。あなた自身の仕事がある方が強い」
私は書類へ目を落とした。
娘を守るには、愛情だけでは足りない。
寝床が必要だ。食事が必要だ。薬が必要だ。燃料も、衣服も、医師への支払いもいる。
それから、お金と情報。
前世でも今世でも、それは変わらない。
「私は、侯爵家から慰謝料を取るつもりです」
「当然です」
「ですが、それだけで生きるつもりはありません」
「その方がいい」
アルノルトは迷いなく頷いた。
「あなたは、自分で稼げる」
その言葉に、胸の奥が静かに熱くなった。
ギルベルトは私の魔法を便利なものとして扱った。リリアを看病するため、屋敷を整えるため、娘の世話をするため。必要な時だけ当然のように求め、普段は地味だと笑った。
アルノルトは違う。
彼は、私の魔法を仕事として見ている。
対価を払うべきものとして。
「では、条件があります」
「聞きます」
「療養所の名前に、レーヴェルト家の名を使わないこと。ここは娘を守るために出た場所です。夫の家名で飾りたくありません」
「承知しました」
「それから、リュシーを見世物にしないこと。療養所の象徴にもしません」
「当然です」
「最後に、私が無理をしていると判断したら、ハンナとマーサに止める権限を与えます」
アルノルトはそこで少しだけ意外そうな顔をした。
「ご自分でそれを条件に入れるのですか」
「私は無理をしがちだそうなので」
「その自覚があるなら、よいことです」
彼は書類の末尾に条件を書き加えた。
その文字は端正だった。
ふと、リュシーの声がした。
「おかあさま、いと、きめた!」
「何色?」
「きいろ。おひさまのいろ」
「いい色ね」
私は隣室へ返事をした。
冬の温室館に、娘の声が響く。
この声を守るために、私は仕事を始める。
その日、旧温室館の療養所計画に、仮の名前がついた。
冬鈴館。
小さくて、寒い季節にも咲く花の名前だった。