軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

【番外編】アンナのショコラ

エルヴィラがゾマー帝国で、最初の冬を迎えていた頃。

「ショコラーデン?」

トゥルク王国では、新たな飲み物が流行していた。

「これが?」

パトリックは、婚約者のアンナとのお茶会で、聞きなれない名前の飲み物を差し出されて首を捻る。

アンナは目を輝かせて頷いた。

「そうですわ、パトリック様」

金髪碧眼のパトリックと、茶色い巻き毛が愛らしいアンナは、行儀よく、一対の人形のように向かい合って座っている。

椅子が高過ぎて足がぶらぶらしていても、彼らは子どもではない。

王とその婚約者だ。

「奇妙な色をしてるよ?」

わずか十歳で王になったパトリックの唯一の息抜きが、アンナとの定期的なお茶会だった。

王妃教育の一環として、茶葉はいつもアンナが選ぶ。いつもは香り高い紅茶なのだが、今日はいささか趣向が違った。

「見かけはともかく、味は保証しますわ!」

アンナは自信たっぷりに言う。

「ずいぶんと気に入ったようだね?」

「それはもう!」

パトリックは、もう一度カップの中を覗き込んだ。

湯気が立っていかにも温かそうだが、どろりとして不透明だ。

アンナはハキハキと続ける。

「ゾマー帝国で流行しているそうで、向こうでは庶民にも馴染み深い飲み物だとか。美味しいだけじゃなく体にもいいんですって」

ゾマー帝国という単語に、パトリックは誰にもわからないくらい微かに、身を固くした。

アンナはそれには気付かない様子で続ける。

「エルヴィラお姉様が帝国の皇太子妃殿下になったことで、向こうの食べ物がこちらに入りやすくなったでしょう? これもそのひとつで、うちの父が大絶賛しておりました。陛下にもぜひとのことで、持って参りましたの」

「シルヴェン伯爵が」

「はい」

——試されている。

パトリックは、直感でそう思った。

シルヴェン伯爵は、今のトゥルク王国でかなりの力を持っている人物のひとりだ。

娘のアンナが王の婚約者である上に、嫡男エサイアスは、宮廷で手腕を発揮している。

今やシルヴェン家は、聖女エルヴィラの生家、ルストロ公爵家に並ぶ家門だった。

シルヴェン伯爵家とルストロ公爵家があれば、この国は安泰だ。

そう言われていることをパトリックは知っている。

――シルヴェン伯爵も笑いが止まらないでしょうな。

――お飾りの少年が自立などしないよう手綱を取っているのでは。

聞こえるようで聞こえないそんな噂話は、パトリックの脳内で常に響いていた。

自分が一番よくわかっているからだ。

お飾りであることを。

パトリックの内省をよそに、アンナの説明は続く。

「チョコラダってあったでしょう?」

「ああ、あの苦くて飲みにくい」

チョコラダは、数年前にトゥルク王国で流行した、カカオを砕いてシナモンやジンジャーを入れた温かい飲み物だ。酸っぱくてクセがある。

体にいいと言われているが、パトリックはあまり好きではなかった。

アンナはそんなパトリックの偏食を見抜いたように笑う。

「これはそのチョコラダの改良版だそうです。飲みやすくて甘いんですよ」

「飲みやすくて甘い」

「はい。試してみてください」

何気なく言ったアンナの言葉を、パトリックは深読みした。

「それ以外は?」

「え?」

「それ以外は変わらないのか?」

「変わりませんけど……チョコラダも体にはいいと言われていましたし」

どちらも体にいい。

でもチョコラダより飲みやすいショコラーデン。ゾマー帝国から伝わる。

それをシルヴェン伯爵がパトリックに勧める。

なぜ?

パトリックはそこに必要以上の意味を読む。

——つまりこれは、パトリックの覚悟を問うているのではないか?

このまま、居心地がいいからと帝国の領邦に甘んじているのか、という。

——王としての気概を見せなくてはいけない。

膝の上で、手を握りしめたパトリックは、アンナに聞いた。

「チョコラダはある?」

アンナは瞬きを少し繰り返してから、頷いた。

「え、あ、はい。これはチョコラダを元に作っているようなものですから」

「じゃあ、私はそっちにしよう。これは君がふたつ飲むといい」

「え? ショコラーデンは飲まずにチョコラダをお飲みになるんですか?」

「うん。悪いけど、作ってくれる?」

「かしこまりました」

命じられた侍女は一礼するとすぐに厨房へと下がった。

「冷める前に、アンナはそれを飲むといい」

「あ……では」

アンナは言われるがまま、自分のショコラーデンに手を伸ばす。

甘い。

でも、なぜか美味しくない。

「チョコラダでございます」

「うん」

程なくして運ばれてきたチョコラダに、パトリックは満足そうに口をつけた。

——きっとこういうことだろう。

試験をクリアしたような気持ちで、パトリックは酸っぱくて苦くて飲みにくいチョコラダを飲み干した。

目の前のアンナがどんな顔をしているかも見ずに。

「いや、なんなのあれ?」

お茶会を終えて屋敷の自室に戻ったアンナは、ソファに腰掛けてクッションを抱きしめて、独り言を漏らした。

「どうして、わざわざ美味しくない方を飲むのよ?」

ちょっと、いや、かなり腹が立つ。

でも。

——やっぱり最近のパトリック様はどこかおかしいわ。

それよりも心配が先に立つ。

アンナはため息をついた。

実際、おかしくなっても仕方ないとは思う。

衝撃的な婚約破棄からすぐ、アレキサンデルが廃位し、パトリックが王になった。

責任の重い日々を過ごすうちに、パトリックは十一歳になり、アンナも王妃教育を毎日詰め込まれているうちに十三歳だ。

兄エサイアスからは、国政も大分落ち着いてきたと聞いているが、それにしては最近のパトリックはやけにぴりぴりしている。

昔はもっとのんびりした顔も見せてくれていたのに。

アンナはどうしていいかわからない。

——甘いものでも飲めば、気持ちも落ち着くかと思ったのに。

どうやら逆効果だったらしい。

帰り際のパトリックはさらに暗い目をしていた。

「どうすればいいのよ?」

今までも、アンナはパトリックの気持ちをほぐそうと思いつく限りのことをした。

散歩に誘ったり、歌を歌ったり、本を読んだり……とにかくいろいろ。

だけど、アンナとてまだ十三歳。

思い付くことに限りはある。

「エルヴィラお姉様ならどうしていたかしら……」

王妃教育のお手本であるエルヴィラを思い出そうとしたが、

「ダメだわ……真似をしたら婚約破棄になっちゃう」

こればかりはやめた方がいいと考え直した。

「アレキサンデル様だから、あんなことになったのよね? 帝国の皇太子殿下とエルヴィラお姉様は、今頃どんなお話をしているのかしら」

考えてみるがわからない。

——誰か年上の女の人の意見が聞きたいわ。

クッションを抱きしめて、アンナは解決の糸口を探す。

いつもならいろいろと助言してくれる母も、今は父と一緒に領地にいた。

「お兄様、早く結婚してくださらないかしら。そうしたら、私にもお姉様が出来るのに」

派手な見た目とは裏腹に、恋愛や結婚に興味がない兄を恨みながら、アンナはふと思い出す。

そういえば。

——最近結婚して、夫婦仲も睦まじいと評判の……。

「いたわ! 年上の女の人で、相談出来そうな人!」

アンナは、エルヴィラの兄リシャルドの妻、オルガに相談してみようと思い立った。

「だいたいはわかったわ」

「本当に?」

アンナの訪問を快く受け入れてくれたオルガは、自宅のサロンにアンナを通した。

予想外であろう相談の内容をすぐに把握したオルガに、アンナは素直に驚く。

姿絵が売られるほどの美しいオルガは、その長い睫毛を伏せて何度か頷いた。

「陛下がぴりぴりしているのが問題じゃないのよ。アンナさんの悩みは、婚約者として自分が何をしていいのかわからないことじゃない?」

「そう! その通りです」

オルガは、どこか懐かしそうに目を細めて笑う。

「いろいろな手段はあるけれど、今のパトリック様に必要なのは」

——必要なものは?

安らぎ?

気分転換?

アンナは、王妃教育で聞いたそれらを思い出しながら続きを待った。

だが、オルガが口にしたのはそのどれでもなかった。

「カッコつけさせてあげなさい」

ショコラーデンのお茶会から数日後。

「パトリック様、失礼しますわ」

「アンナ?」

アンナは、再び宮殿のパトリックの元を訪れた。

やっぱりショコラーデンを持参して。

パトリックの執務室で、それを温めて差し出す。

「私、説明が足りませんでした」

アンナの珍しく強引な立ち居振る舞いに目を丸くしているパトリックに、アンナは問答無用の勢いで言う。

「ショコラーデンは、王としてのパトリック様に必要な飲み物なんです」

なんとしてでも、伝えたかったから。

「王としての……?」

パトリックは瞬きを繰り返して、机の上のショコラーデンとアンナを交互に見た。

アンナは頷く。

「ショコラーデンには、滋養強壮だけでなく、この甘さが執務への集中力を高める効果があるんです」

「そうなのか?」

「だから……飲んでいただけますか?」

「あ、ああ」

パトリックは、そういうことなら、と言わんばかりにショコラーデンに手を伸ばした。

よかった、とアンナは思った。

——ただし、嘘はついちゃだめ。

あのときオルガはそう言った。

——励ますと無理をさせすぎるかもしれない。

——安らぎを与えたくても向こうは意地を張る。

——そんなときはお望み通り、カッコつけてもらいましょう。

カッコつけてもらう、がよくわからないアンナだが、今のパトリックは王として頑張っていることはわかる。

だから、邪魔しない。

休んでほしいと思うのはアンナの希望であって、パトリックのそれではない。

「お仕事がんばってください」

今は、この一杯のショコラーデンがアンナの差し出せる最善だ。

「……ありがとう」

ショコラーデンを飲み干したパトリックの頬は、いつもより赤みが差していた。

一方。

トゥルク王国の港町、リブニークでもショコラーデンは流行っていた。

「まあいいから一回飲んでみろよ」

いつもの酒場で颯爽と注文したユリウスは、気味悪がるユゼフに勧める。

「チョコラダじゃないのか? 俺、チョコラダは苦手なんだ。苦くて、くどくて」

ユゼフは首を振るが、ユリウスは笑った。

「と、思うだろ? これは帝国でも流行中のショコラーデン。同じだけどちょっと違うんだ。港の男なら飲んでみろ」

そこまで言われては後に引けない。ユゼフは仕方なく一口飲み——

「甘い?」

「だろ?」

甘くて、とろけるような舌触りがちょっといいなと思った。

ユリウスは自分が発明したかのように説明する。

「チョコラダのままだと苦いのを、ミルクと砂糖を加えるのが帝国流だ」

「へえ。港に戻ってきたときにいいかもな」

ユゼフが満足そうに飲み干したのを見て、ユリウスも自分の分を口にする。

「酒よりも俺はこれがいい」

下戸のユリウスは、ショコラーデンがいたく気に入ったようだ。それを見ていたユゼフはそうだ、と思い付いたように言う。

「ここに香りのいい酒を入れたら合いそうだ。いや? 逆か? あっためた強い酒にこれを混ぜたら」

「酒飲みの発想はすぐそうなる」

ユリウスが顔をしかめた。

そして帝国でももちろん。

「美味しい」

「本当に」

「帝国の冬は寒いですけれど、ルードルフ様と温かいショコラーデンが飲めるなら寒くないです」

「私もだよ」

雪景色を眺めながら、若い夫婦がショコラーデンを飲んでいた。