作品タイトル不明
36.わが家へ
裁判を終え、フレデリカたちは〝シュナーゼ〟ではなくヴェルチェ子爵邸へと戻った。
フレデリカがセルシオに婚約破棄されてから、ひと月と少し。長く感じたけれど、振り返ってみればあっという間の出来事だった。
「子爵家を継ぐには夫や婚約者が必要だと聞いたので、名乗りをあげようと思ったんですよ」
子爵邸で軽食をとりながら、リーランドは苦笑した。
「知ってのとおり、ぼくは特殊な立場にありますから……アッシュベリ家当主である父上のほかに、国王陛下にも許可をとる必要がありました。姉はその手紙を見たようですね」
しかしその返事が来る前に、バゼルの能力についてフレデリカと話したリーランドは、ゴードンの捜索を思いついた。
「もとから、フレデリカさんのお父上が戻っていらっしゃれば必要のない跡目争いだったわけです。遺体は見つからなかったというのも気になりました」
「実はわしは、隣国にいたのだよ」
温かな紅茶に息をつきつつ、ゴードンは言った。
「サラの息のかかった使用人たちに追われ、傷を負ったわしを、隣国からきた商人たちが助けてくれてな……自分たちの国へ連れて帰ってくれたのだ。そこで、傷が治るのに一年以上、日常生活が送れるようになるにもさらに一年を要した」
そのうえ、どこにサラの追っ手がいるかわからない恐怖に、ゴードンはさらされていた。
自分が生きているとわかればふたたび命を狙われる。そう考えたゴードンはメルクス王国の子爵であると名乗ることもできず、商人たちにまぎれ、一般人としてメルクスに再入国した。
金もなく、弱った体でどうにか王都へ戻ろうと四苦八苦していたところに、リーランドとバゼルが現れたのだった。
「フレデリカが苦境に陥っていると聞いて、後悔でどうにかなりそうだった。本当にすまなかった」
「いいのよ、お父様」
またはらはらと涙を流すゴードンに、フレデリカは首を振った。
「お父様がサラと再婚したのは、私の魔力のことを知ったからだったんでしょう」
社交界デビューを不安がるフレデリカのために、やさしい母親と歳の近い妹を家族に迎え入れたのだとフレデリカは思っていた。
けれどエイベルにも魔力があることを知って、フレデリカは父のもう一つの目的に気づいたのだった。
「そうだ。サラは社交界でデビュー前のお前の噂を聞きつけたらしい。エイベルにも同じ力がある、自分たちならフレデリカの不安を解消できる、と言われたのだ」
――ただ、魔法や魔力のことは衝撃が大きいですから、もうしばらく本人には伏せておきましょう。
サラはそう言い、ゴードンに口止めをした。
当時、本性を隠していたサラやエイベルのおかげでフレデリカは明るくなっていたから、ゴードンはすっかりそれを信じてしまった。
「たくさん傷ついただろう、すまなかった。だが無事でいてくれて嬉しい……リーランド殿も、本当にありがとうございました」
何度も頭をさげるゴードンに、リーランドは「いいえ」と照れくさそうに笑った。
「私からも、ありがとうございました。なんとお礼を言ったらいいのか……」
「お礼なんていりませんよ。ぼくは好きな人のために……結婚したいと思う相手のために、行動しただけなんですから」
それだけに、事あるごとに「子爵家を取り戻したら、少しでもお支払いを」と言ってくるフレデリカにはヘコまされたが……。
遠い目になるリーランドに、フレデリカは首をかしげたものの、
(ああ、でも、リーランド様がやさしくしてくださったのは、同情でも正義感でもなくて……私のことが、す、好きだったから、なんだわ)
茹でたように顔を赤くするフレデリカを見て、リーランドは表情を笑顔に戻した。
自分の想いが十二分にフレデリカに伝わったとわかったからだ。
一方のフレデリカは、今さらながらに話の大きさを実感し、焦ってもいた。
(リーランド様と結婚……は嬉しいけれど、わが家へ婿入り? ホレスベル王国の、アッシュベリ公爵家の方が?)
許可は取れているというが、リーランドはそれこそ国王の許可が必要になるほどの重要人物だ。
貴族としては位も格式もそこそこな子爵家に、婿入りさせていいのだろうか。
フレデリカの悩みを見透かしたかのように、リーランドが手をとった。
甲に落ちるのはやわらかな唇の感触。
金髪の合間から、アクアブルーの瞳が上目遣いにフレデリカを覗いた。
ますます頬を赤らめるフレデリカに、体を起こしたリーランドがほほえむ。
「これからもいっしょにいさせてくださいね、フレデリカさん」
はにかんだような笑顔は、彼のまっすぐな想いを示していた。
そんな目で見つめられたら、
「はい……!」
それ以外の答えを、返せるわけがないのだ。
――それからしばらくたって。
〝魔性の悪女〟と〝放蕩令息〟の婚約がメルクスのみならず世界中の社交界を騒がせるのだが、本人たちはそんな二つ名など返上する勢いで仲睦まじく暮らしたとか。
もう一つ、二人は休日のたびに、地味な眼鏡姿に身をやつしてデートを楽しんでいる……なんて噂もあったけれど、「眼鏡くらいで変装にはならないだろう」としばらくは誰も信じなかった。
ただ、とあるカフェの店員だけは、思い当たることがあったそうで。
それでも店員の矜持にかけて、態度には出さなかったとか。