軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

最終話

『月待ち食堂』の長い一日が終わった。

帰国祝いのお祭り騒ぎも落ち着き、ピカピカに磨き上げられた厨房には、静寂と満足感が漂っている。

私は最後のお皿を棚に戻し、エプロンを外そうとした。

その時。

「……シェリル」

背後から、低く、真剣な声が名を呼んだ。

振り返ると、ライオネル・バーンズ団長が立っていた。

いつもならラフな格好でエールを飲んでいる時間だが、今の彼は騎士団の制服を崩さずに着込み、どこか緊張した面持ちだ。

「ライオネル様? どうしたんですか、そんなに改まって」

「……約束だ」

彼は一歩、私に近づいた。

コツン、と軍靴の音が響く。

「船の上で言っただろう。国に帰ったら、正式に伝えると」

私の心臓が、早鐘を打った。

彼は私の目の前で足を止めると、スッと片膝を床についた。

騎士が、主君に忠誠を誓う時の最敬礼。

彼は私の手を取り、その甲に熱い口づけを落としてから、真っ直ぐに私を見上げた。

「シェリル・ウォルター。……俺は、お前という女性に惚れている」

飾らない、直球の言葉。

「初めてこの店に来た時、俺はただ腹を満たしたかっただけだった。だが、お前の料理は俺の心を満たし、冷え切っていた人生に色を与えてくれた」

彼の瞳が、照明の光を反射して揺れる。

「ヤマトへの旅で確信した。俺はもう、お前がいない未来など考えられない。……俺の剣は、一生お前を守るためにある」

彼は懐から、小さな箱を取り出した。

パカッ、と開くと、そこには淡いブルーの宝石――聖獣シロの瞳のような、あるいは二人が旅した海のような色の指輪が輝いていた。

「俺と結婚してくれ。……俺の残りの人生を、すべてお前に捧げる」

涙が溢れた。

かつて婚約破棄され、誰からも必要とされていないと思っていた私。

そんな私を、この人は全部受け入れて、必要としてくれた。

「……はい」

私は涙声で頷いた。

「私でよければ……いいえ、私がいいんです。ライオネル様じゃなきゃ、嫌です」

「シェリル……!」

彼は立ち上がり、私を力強く抱きしめた。

厨房の匂いと、彼の匂い。

世界で一番安心できる場所。

「約束する。毎日、美味しいご飯を作ります。お婆ちゃんになっても、ずっと」

「ああ。俺も約束する。毎日、世界一美味そうに食べてやる。爺さんになってもな」

私たちは笑い合い、そして長く、甘い口づけを交わした。

窓の外では、空気を読んだシロが、結界で二人のシルエットを隠してくれていたとか、いないとか。

◇ ◇ ◇

それから数ヶ月後。

『月待ち食堂』は、かつてないほど華やかに飾り付けられていた。

本日は貸切。

シェリルとライオネルの結婚披露宴だ。

「おめでとう! 団長、シェリルさん!」

「末長くお幸せにー!」

店内には、溢れんばかりのゲストたち。

騎士団の筋肉集団、魔術師団のインテリ集団、ご近所の常連さんたち。

最前列のテーブルでは、父・ガラルド公爵が「うっ、うう……娘が……」と男泣きし、セバスチャンがハンカチを差し出している。

その隣では、魔術師ルーカス様が「祝い酒だ!」と昼間から堂々と酒を煽り、東方商人ザオが祝儀袋を配って回っている。

そして、驚くべきゲストもいた。

「シェリル様! おめでとうございますわー!」

元気な声と共に飛び込んできたのは、泥のついた作業着……ではなく、小綺麗なドレスを着た元聖女リナだ。

その隣には、少し日焼けして精悍になった元王太子ジュリアンの姿もある。

「リナさん! ジュリアン殿下!」

「ふふん! 北の農場から、お祝いに駆けつけましたのよ! 見てください、私たちが育てた最高の野菜を!」

彼女たちが差し出したカゴには、宝石のように輝くトマトや、みずみずしいキュウリが詰まっている。

「おめでとう、シェリル。……幸せになれよ」

ジュリアン様が、憑き物が落ちたような笑顔で手を差し出した。

「ありがとう。貴方たちもね」

過去のわだかまりは、美味しい野菜と共に消化されたようだ。

さて。

披露宴といえばケーキ入刀だが、ここは『月待ち食堂』。

普通のケーキなど用意するはずがない。

「さあ、本日のメインイベントです!」

司会のギュスターヴ料理長が声を張り上げる。

厨房から運ばれてきたのは、巨大なワゴンに乗った、山のような物体。

「こ、これは……!?」

「でけぇぇぇぇッ!」

会場がどよめく。

そこに鎮座していたのは、十人前……いや、五十人前はあるだろうか。

巨大な、黄金色の『オムライス』だった。

ふんわりと焼き上げられた卵の布団。

その大きさは、ドラゴンの卵ほどもある。

周りには、特製のデミグラスソースの海が広がっている。

「これが私たちの『ウエディング・オムライス』です!」

私が宣言すると、歓声が上がった。

私とライオネル様は、特注の長いナイフを二人で握った。

「いきますよ、ライオネル様」

「ああ。……俺たちの未来を切り開くぞ」

せーの、でナイフを入れる。

――スッ。

卵の真ん中に切れ目が入った瞬間。

重力に従って、半熟の卵が左右にトロ〜リと流れ落ちた。

中から現れたのは、真っ赤なケチャップライス。

黄金の卵と、赤いライスのコントラスト。そして立ち上るバターとデミグラスの芳醇な香り。

「おおおおぉぉぉッ!!」

「うまそおおおおおッ!」

ゲストたちの喉がゴクリと鳴る。

これぞ、最強の飯テロ入刀式。

「さあ、みんなで食べましょう!」

取り分けられたオムライスが、次々と客席へ運ばれていく。

一口食べた瞬間、会場中に笑顔の花が咲いた。

「ふわとろだ!」

「卵の甘みとソースの苦味が最高!」

「幸せの味がするぞ!」

父も、リナも、騎士たちも。

みんなが同じ料理を食べて、同じように笑っている。

私が夢見ていた光景が、ここにあった。

「……美味いな」

隣でライオネル様が、私に一口食べさせてくれながら言った。

「世界で一番、美味い料理だ」

「ふふ。……隠し味、わかりますか?」

「ん? ……まさか」

「はい。『愛』をたっぷり込めましたから」

私が悪戯っぽく言うと、彼は顔を赤くして、それから吹き出した。

「参ったな。……一生、お前には勝てそうにない」

カウンターの特等席では、聖獣シロが特製オムライス(猫用サイズ)を食べながら、満足げに尻尾を振っている。

『みゃう(良き伴侶、良き飯、良き宴だ。……この国は、当分安泰だな)』

◇ ◇ ◇

宴が終わり、夜。

二人きりになった店内で、私たちは並んで洗い物をしていた。

ガチャガチャと食器がぶつかる音さえ、心地よい音楽に聞こえる。

「……明日からも、忙しくなるな」

「ええ。リナさんの野菜を使った新メニューも考えなきゃいけませんし、サクラ皇女からは『ヤマトにも支店を出してくれ』なんて手紙も来てますし」

やることは山積みだ。

でも、ちっとも嫌じゃない。

「まあ、焦ることはない。俺たちはこれから、ずっと一緒なんだからな」

ライオネル様が泡だらけの手で、私の鼻先をちょんとつついた。

私は笑って、彼に寄り添った。

悪役令嬢は断罪されたかった。

けれど、その願いは叶わなかった。

代わりに彼女は、世界一美味しい食卓と、最高のパートナーを手に入れた。

路地裏の『月待ち食堂』。

そこは、美味しいご飯と、ちょっとした幸せ。

そして――とびきりの愛を提供するお店。

明日の朝も、良い匂いと共に一日が始まるだろう。

「さあ、明日も早いですよ。……ライオネルさん」

「ああ。……おやすみ、シェリル」

私たちは手を繋ぎ、愛の巣へと上がっていく。

美味しい人生は、まだまだこれから。

お腹を空かせた誰かがいる限り、私達の食堂は、いつだって満員御礼なのだから!