軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

3、忍び寄る悪意

「ガブリエル。今日の予定を教えてもらえるかしら」

「はい。午前中はシャルレーヌ様と懇意にされていた夫人と会う約束があり、昼食は国王夫妻と取り、午後は特に予定は入っておりません」

「ありがとう。午後は、何をして過ごそうかしら」

「姫様。ガブリエルに図書室を案内してもらってはいかがですか。姫様のお好きな恋愛小説がたくさん置いてあるはずですから、きっと有意義な時間が過ごせるでしょう」

「あら、ポーレット。わたくしはもう子どもではなくてよ。それに、ガブリエルも図書室でじっと過ごすのは退屈でしょう?」

「まぁ、姫様はそんなことを気になさらないでいいのですよ。それにガブリエルも読書は好きなはずですよ。お父上のアンリ殿もそうでしたもの。ね、ガブリエル。そうでしょう?」

どこか有無を言わせぬ雰囲気を放ちながらポーレットが問えば、ガブリエルは笑みを浮かべて返す。

「はい。退屈ではございませんので、姫のしたいことをなさってください」

「そう? じゃあ、そうしようかしら。もしよかったら、ガブリエルの好きな本を教えてちょうだい」

「はい」

ガブリエルの答えに、ナディアは笑みを深めた。

(……姫様。明るくなったな)

三人のやり取りを、他の侍女たちにまじってセシルは見守っていた。

最初はガブリエルに対してどこか遠慮を見せていたナディアだが、二週間も経つと次第に慣れて、取り繕ったような笑みではない本当の笑顔を見せるようになった。

ガブリエルも優しい笑みを浮かべて彼女に接している。

(シャルレーヌ様とラガルド卿も、こんなふうに仲睦まじい様子だったのかな)

そう思ってセシルが思い浮かべたのは、ガブリエルの母親であるラウラの、寂しそうに笑う表情だった。彼女は声を荒らげたりすることのない優しい性格で、子どもたちのことをいつも気にかけていた。それは赤の他人であるセシルにも同じだった。

『ね、セシル。よかったらしばらくの間、うちで礼儀作法を学んでみない?』

セシルが実家である伯爵家に居辛いのを察してか、年頃になると行儀見習いとして侯爵家で過ごすことを提案してくれたのだ。ちょうどセシルの母親の癇癪がひどくなっていた時期であった。セシルは母親のことが気がかりで断ろうとしたが、ラウラやガブリエルの強い説得もあり、結局厄介になることが決まった。

『あなたのお母様には、きちんとしたお医者さまを紹介するから大丈夫。心配になったら、様子を見に帰っていいから、あなたは自分のことを大切にして。ね?』

本来ならば庇護するべきセシルの父親が役立たずだったため、代わりにラウラがまだ子どもであったセシルのことを気にかけて、家族のような温もりを分け与えてくれた。ガブリエルの兄妹も、そんなセシルを当たり前のように受け入れて、笑顔をくれた。

彼らには本当に感謝している。だから、セシルも自分にできることを精いっぱいやってきた。ラウラの役に立ちたかった。もっと、恩返ししてあげたかったのに……。

『セシル。ありがとう……あなたがこの家に来てくれてから、あの人のいない我が家はとても明るくなったわ……あの子も、あんなに明るくなった……本当に、ありがとう……あの子のこと、これからもどうか支えてあげて……ずっとそばに、いてあげて。お願い……』

当時隣国でも広がっていた流行病に罹ったラウラは、ガブリエルたちに看取られながら息を引き取った。夫であるラガルド侯爵はその場におらず、彼は隣国で同じ病に罹っていたシャルレーヌのもとにいた。

ラウラのいなくなった屋敷は、火が消えてしまったように暗く、寂しい雰囲気に満ちていた。

(夫人。あなたではないと、意味がなかったんです)

ラガルド家の子どもたちの母親はラウラだけだ。誰にもその代わりは務まらない。

「セシル。ぼうっとしているけれど、どこか体調でも悪いの?」

ナディアの心配した顔にセシルは笑みを返す。

「いいえ。大丈夫です。申し訳ありません。本をお読みに行くというお話をしていらしたので、確か今庶民に人気の小説があったなと考えておりました」

「そうなの? 気になるわね。ぜひ読んでみたいわ。図書室に置いてあるかしら」

「姫様。庶民が読むような本はここには置いていませんわ」

まだ確かめてもいないのにポーレットは知った口調で述べる。

だが、恐らくその通りだろう。

「もし、興味があるようでしたら、お取り寄せします」

「そこまでしてもらうのは何だか申し訳ないわ……」

「あら、いいじゃありませんか。セシルがわざわざ取り寄せると言っているんですから。そうだ。どうせなら、姫様が図書室で本を読んでいる間に、街へ行って貸本屋で借りてきてもらうのではどうでしょう」

「でも、そんなのセシルに悪いわ」

「構いませんよ。セシル。いいでしょう?」

ポーレットのこうしたとっさの機転――ナディアとガブリエルを二人きりにさせようとする企みは実に巧い。

(さすが長年王宮で王族に仕えてきただけはある。わたしも見習おう)

「もちろんです。ですが人気の作品ですので、もしかすると手に入らないかもしれません。その時はどうかご容赦ください」

「セシル。本当にいいの?」

「はい。わたしも、興味がありますので。姫様の後で読ませてもらえると嬉しいです」

後で貸してほしいという遠回しな頼みにポーレットが顔を顰めたが、ナディアは笑ってくれた。

「ええ。いいわ。……あなたも、そういった類の本は読むのね」

「そんなにたくさんではありませんが、知り合いに勧められると読んで感想を共有したくなります」

男装を始めた頃や理想の騎士を目指す際にも、参考にしたりした。

「そう……そういえば、そういうことを彼女たちもしていたわね」

彼女たちとは故国の人間を指しているのか、ナディアは遠い目をした。ポーレットが慌てた様子で「姫様」と呼びかける。

「そろそろお支度なさってください。陛下も王妃殿下も、いつも姫様にお会いできるのを楽しみにして約束の時間より早めにいらっしゃいますから」

「そうね。ではセシル。面倒をかけるけれど、本のことお願いね。ガブリエルも、また後で」

退出を促す言葉にセシルたちは頭を下げる。着替えはポーレットと他の侍女に任されており、セシルはなぜか外されていた。……ガブリエルの恋人であるがゆえに何か仕込まれると危惧されているためか。

理由はわからないが、とにかく手伝うことは望まれていないので大人しく下がろうとする。その時、ナディアが何か思い出したように「あ」と呟いてガブリエルの方を見た。しかし小さな声だったのでガブリエルには聞こえなかったようで、代わりにセシルが「どうされました」と訊く。

ガブリエルに何か言いたいことがあったのか、反応したセシルにナディアは戸惑いを露わにする。誤魔化すかと思ったが、「手紙が」と掠れた声で言った。

「わたくしに、手紙が届いてはいませんか?」

「ヴェイユ国からのお手紙ですか? 今のところ届いておりませんが……確認してまいりましょうか」

「いえ、いいのです。……きっと、届いていないでしょうから」

「そうですよ、姫様。陛下はお忙しく、冷たい方ですから」

ポーレットが決めつけたように言う。彼女の言う陛下とは、ナディアの父親のことだ。あまり良い印象は持っておらず、敬っていないのが表情からも感じられた。

「あなたも余計なことはせず、命じられたことだけをこなしなさい」

「はい。失礼いたしました」

セシルは従順に頭を下げて今度こそ部屋を退出した。衣装部屋へ行くナディアの背中はどこか寂しそうに見えた。

「――本当に本を借りに行くつもりか」

先に部屋の外に出て待機していたガブリエルが愛想のない顔で話しかけてくる。

ナディアたちがいないとはいえ気を抜くなと釘を刺すようにセシルは丁寧な口調で答えた。

「ええ。そのつもりですわ。わたしが留守の間、姫様の警護は頼みましたよ、ガブリエル卿」

「言葉は丁寧だが、目が挑発的だな」

なるほど。こういう時、視線にも気を配らないといけないのか。

「ガブリエル卿が相手だとついぼろが出てしまいますわね。今後は気をつけますから、卿もレディに接するような紳士的な言動を心がけてください。こういった人の目がない時でも」

「……」

「お返事は?」

「……善処する」

(そこははっきりはいと言えよ)

不満に思ったものの、このあたりで勘弁してあげることにした。セシルもこのままガブリエルと話していると、ついいつもの自分が出てしまいそうで怖かった。

黙ったままナディアの支度を待っていると、ガブリエルが沈黙に耐え切れなくなったのか、横目でこちらを見たままぼそりと問いかける。

「その格好で行くのか」

その格好、とはお仕着せ姿である。フリルやレースがたっぷり使用された、可愛らしい女性の格好。

「そうですね……上に何か羽織って出かけるつもりです」

「出かける時だけでも、隊服にした方がいいんじゃないか」

「確かにそちらの方が動きやすいですけれど……一々着替えるのが面倒ですし、何よりわたしが騎士であることは、ナディア様たちには一応内緒にしてありますので」

もし姿を見られてセシル・フレイだとばれたら色々面倒なことになるだろう。なのでやはりこの格好のままで行くことにした。

「それに、少し確かめたいこともありますし」

「……」

「何でしょう? 何か言いたいことがおありで?」

ガブリエルは一瞬黙り込んだ後、なぜかセシルのすぐ目の前に移動する。思わず身構えれば、にこりともしない真面目な顔で告げられた。

「普段とは違う格好のお前は可愛い」

「え?」

「いつもより異性の目を惹くだろうから、危ないことに巻き込まれないよう、どうか気をつけてほしい」

「え、あ、うん……えっ、ガブリエル?」

(可愛いって言った? あのガブリエルが???)

たとえどんなに着飾っても、容姿に関して今まで鈍感すぎるくらい触れなかったあのガブリエルが? カッコイイと言われたことはあるが、可愛いと褒めた?

(あっ、でも、待って。わたし、今まで女性らしい格好ってほとんどしてこなかったし!)

だからガブリエルも言う機会がほとんどなくて……いや、その理屈だと、普段から着飾っていたらもっと言われていたことになる。

内心焦りまくるセシルをじーっと瞬きせず見つめていたガブリエルが、ふっと微笑んだ。その笑みに今度は顔がかっと熱くなる。

「ず、ずるいぞ、ガブリエル!」

「言葉が乱れておりますぞ、セシル嬢」

「うるさい! きみのせいだ! 今のはきみが悪い!!」

「ああ、それは悪いことをした。つい本音が抑えきれなくなった。しかしレディがそんなに驚くとは。おや、耳まで赤い。……可愛い」

身を屈めて耳元で囁かれると、セシルはびくりと身体を震わせてしまった。

とっさに耳を押さえてずささっとガブリエルから距離を取る。動揺を晒して威嚇するようなセシルの表情にくっ……とガブリエルが笑いを漏らす。

ひどい敗北を味わわされたような気持ちとくすぐったい感情が胸の内で暴れまくり、爆発するようにセシルは叫んでいた。

「赤くなっていないし、お前はもう口を開くな!」

「まぁ、セシル。そんな大きな声を出してどうしたの?」

ちょうど扉を開けて出てきたナディアが驚いた顔でセシルを見る。

「あ、えっと、ごめんなさい、姫様。その、何でもないのです。ちょっと……」

「ちょっと?」

「背中についていた虫を取って見せてあげたら、悲鳴を上げられたのです」

笑いを何とか収めたガブリエルは優しい微笑を浮かべた顔に戻り、セシルの失態をフォローする。

「そう、虫が……それなら仕方がないわね。わたくしも苦手だもの」

「ええ。虫が背中にいて……ガブリエル卿が、わざわざ見せつけてくるので驚いてしまって……」

(ごめんなさい。姫様! 本当は虫くらい平気です! むしろ余裕で触れます! 何なら昔、ガブリエルに引かれるほど、グロテスクな虫さんを素手で掴んでいました!)

そしてずっと見ていれば慣れて可愛く思えるよ! と嫌がるガブリエルの目の前に付き出していた思い出がある。……もしや今のはその時の仕返しだろうか。

「虫ごときであんなふうに喚くなんて、みっともない。姫様の侍女として、もっと相応しくありなさい」

「はい。ポーレット様のおっしゃる通りです。これからは気をつけますわ」

セシルはしおしおと謝りながら、ガブリエルを恨みがましい目で睨んだ。

しかし華麗に無視されて、ガブリエルは姫のエスコートを始めるのだった。

その後セシルは午後から街へ出かけて、目当ての本を入手した。

最初に立ち寄った貸本屋では貸出中だったので、他の店を数件巡り、そこにも置いてなかったので、もう諦めて別の面白そうな本を借りて帰ろうかと悩んだものの、やはりポーレットに文句を言われそうだと、少し遠くの貸本屋まで足を運んで、ようやくそこで手に入れて王宮へ帰った時には、すでに日が暮れていた。

「姫様。無事に手に入れて来ましたわ」

ポーレットは別室にいるのか、珍しくナディア一人だけであった。

ガブリエルも他の騎士と護衛を交代しており、その騎士が室内にいることは許されなかった。

なのでセシルは今、ナディアと二人だけで対面している。

「まぁ、セシル。あなた、こんな時間まで探しに行ってくれたの?」

顔に疲れは見られないものの、ローブやお仕着せはどこかくたびれて見えたのだろう。実際人混みに紛れたり埃っぽい店内を行き来して、汚れてしまった。身なりを綺麗にして会うべきだったと後悔するが、早く渡したかったという気持ちも強かった。

「姫様にどうしても読んでもらいたくて、わたしがあちこち見て回っただけですから。どうかお気になさらず!」

「でも、疲れたでしょう?」

「いいえ、まったく! 日頃の鍛錬、あー……侍女の仕事の方が大変ですから! それにわたし、体力だけが取り柄なので」

本当に疲れていないし、何より目当ての品を無事に手に入れることができて達成感に満ち溢れていた。

「そんなに無理しなくてもよかったのに……どうしても、読みたいわけではなかったのだから」

思わず言ってしまったのか、すぐにナディアははっとした表情でごめんなさいと謝罪した。

「もとを正せば、ポーレットがあなたに行くよう頼んだことなのに」

「構いませんよ。わたしも読みたい気持ちがありましたから。邪な気持ちから、ポーレット様のお願いに乗ったんですわ。むしろあそこでああ言ってくれて、ナイス夫人! って思いました」

軽くウインクして茶化すように言えば、ナディアは目をぱちくりさせた後、くすりと笑みを零す。そしてどこか寂しそうな表情で膝の上に視線を落とした。

「あなたって、優しくて愉快な人ね。だからガブリエルも……」

その先は途切れた。ガブリエルの名前を出すつもりもなかったのだろう。

セシルも少し困って、何て言おうか悩んでいると、テーブルに置いてある本に目が留まった。

「図書室から本を借りられたのですね」

「ええ。そうよ。ガブリエルに何かお勧めの本を教えてとねだったのに、彼、ありきたりの恋愛小説しか勧めてこないから、少しがっかりしたわ」

「……騎士はあまり本を読みませんから。彼なりに、精いっぱい考えたのでしょう」

あまり深い意味は込めずそう言えば、ナディアの視線を感じた。今までより、強い眼差しだった。可憐で守るべき相手なのに、セシルはなぜかひやりとする。まるで恐れなくてはいけない相手のように見えた。

「セシルが探してきてくれた本、殿方が一途に女性を想い続け、最後結ばれる話でしょう?」

「ええっと……まぁ、要約するとそんな話ですね」

「ふふ。やっぱり。好きよね、そういう話。みんな」

「……姫は、あまりお好きではありませんか」

「ええ。大嫌い」

ナディアが嫌悪をはっきり込めて切り捨てるように言ったので、セシルは言葉を失う。

「なんて。どう? 驚いたかしら?」

固まるセシルの顔を覗き込んで、ナディアはからかうように言った。

「あなたの真似をして、驚かせてみたの」

セシルはふ、と息を吐いて、身体の力を抜いた。

「……ええ。すごく、驚きました」

「ふふ。成功ね。あっ。今のは冗談だから。一途な恋愛もの、障害があっても、最後には必ず結ばれる男女の物語は、わたくしも大好きよ」

ナディアはそう言ってにっこり笑ったが、セシルは素直に受け取っていいか迷った。

「ありがとう。すぐに読んで、あなたにも読ませてあげるわね。それとも、先に読む?」

「あっ、いえ。姫がお先に。どうぞゆっくり読んでください。わたしは読むの遅いですし、楽しみはいくらでも待てますから!」

セシルが慌ててそう言えば、ナディアは目を細める。

「いくらでも待てるなんて、セシルはいい子ね。待っている間に、誰かに盗られてしまうとか、怖くならないの?」

(……姫様ってなんだか王太子殿下に似ていらっしゃる)

従兄妹だからだろうか。それとも自分が相手だからだろうか。

「わたしはあまり……そういう感情にはなりません」

「そうなの? どうしてかしら……わたくしだったら、怖いわ。ようやく見つけた宝物だったら、絶対に誰にも盗られないよう、自分だけのものにしてしまいたい。……物でも、人でも」

最後の言葉は上目遣いで言われた。挑発的な態度にも思える仕草だ。

しかしセシルには仔猫が精いっぱい威嚇しているように見えて、何だか可愛らしく思えた。

「なるほど。姫様はそんなふうに考えるのですね」

「みんなそうじゃないかしら。セシルは違うの?」

「そうですね。わたしは……もしかすると、怖いのかもしれません」

「怖い?」

「はい。手を伸ばしても、ずっと自分のそばにいてくれないと突き付けられることが。……自分では、どうあがいても、その人を繋ぎとめられる存在になれないことが、とても怖い」

だから最初から手に入らないのならば、遠くから大事に見守っている方がいい。

そんな気持ちがセシルにはあった。

ナディアはセシルの言葉になぜかとても驚いたようで、同時に傷ついた表情を晒した。セシルが何か気に障るようなことを言ってしまったかと焦れば、恥じるように顔を背けて、もう遅いことを告げる。

「今日はありがとう。また明日も、よろしくね」

「あ、はい。……就寝なさるのならば、ポーレットをお呼びしましょうか」

彼女は首を振って、大丈夫と断った。

「呼ばずとも、来るわ。眠る前にわたくしがよく眠れるよう、飲み物を持ってきてくれるもの」

「飲み物……よく眠れる効果がある薬草のお茶とかですか?」

「そうよ。だからこの時間はいつも薬を煎じているの」

なるほど。では自分が手伝う必要はなさそうだとセシルは退出することにした。

「お休みなさいませ、姫様」

「ええ。お休み。……セシル」

どこか縋るように名前を呟かれて、セシルは振り返る。

しかしナディアは微笑んだままで何も言わなかったので、セシルもそれ以上彼女の心に踏み入ることは躊躇われた。

◇ ◇ ◇

「ガブリエル。ナディアとはうまくやれているか?」

数日後。ナディアがシャルレーヌの友人であった夫人たちとお茶をしている間、ガブリエルとセシルは国王に呼ばれた。

「はい。殿下は護衛として不慣れな私にも、気遣ってくださいます」

「そうか。そなたとナディアが並ぶ姿は、互いを支え合っているようで、実に絵になる」

国王はガブリエルにばかり質問や言葉をかけて、セシルには目もくれない。

(わたしをこの場に呼んだのは、身を引けということを遠回しに伝えるためかな)

国王は決してセシルのことを嫌っているわけではない。女でありながら騎士になった際は、努力家で強い者だと労いの言葉をかけてくださった。

だが、好きというわけでもない。自分が望む未来を邪魔する存在とあれば、疎ましく思い、躊躇いなく排除する性格だ。

そのことに対して、反発する心は生まれない。

それが権力者であり、この国で最も尊い人の在り方だと思ったから。

どんな君主であれ、支えるのが下に仕える者の定めだ。

「ナディアもガブリエルのことを気に入っているようだ。セシル。そなたの目にも、そう見えるだろう?」

「はい。お優しい方ですわ」

「実に似合いの二人だと、思ってくれるか?」

セシルは黙って微笑んで、どう答えようかなと頭の中で必死に考える。

「陛下。回りくどい質問はおやめになって、本題に入ってください」

セシルを助けるようにガブリエルが言ったが、その言い方にひやりとする。

案の定、国王は感情を刺激されたのか口角を上げた。怒ると逆に微笑む人なのだ。

「回りくどい、か。ではそなたは私が言おうとしていることを理解して、叶えてくれるのか?」

「姫の護衛をもっと増やすべき、という要望でしたら、望み通りに手配します」

国王はゆっくり目を瞬かせた。

「一体何の話だ」

「昨夜、見慣れない者を城内で見かけたと情報が入りました」

「なに? それは本当か」

ガブリエルは国王の顔をじっと見つめながらはいと答えた。

「そうか……もしかすると、ヴェイユ国の者かもしれないな」

「それは、ナディア様のお父上が関係しているということですか?」

セシルが尋ねると、国王はこちらを見てそうだと心痛な顔をして言った。

「ガブリエルにはすでに話してあるが、ナディアはあちらであまり大事にされていなかった。そもそも母親のシャルレーヌも、夫であるヴェイユ王に冷たくされていた。シャルレーヌが存命の間から愛妾を作って……妻に生き写しであるナディアを愛しているとは、とても思えない」

セシルはヴェイユ王がどういう人間か、彼の人となりについてほとんど知らない。温厚で公明正大な性格だと噂では聞くが、近しい者からすると違ったように見えるのかもしれない。

「ナディアをこちらに寄越し、二度と故国に戻らぬよう、策を練っている可能性もなくはない。ナディアの護衛を増やしたい。……が、本人にばれれば傷つけるだろうから、あまり大事にはしたくない」

確かに実の父親が関係していると知れば、深く傷つくだろう。

「だからガブリエル。今まで以上にそなたにはナディアに寄り添ってほしい」

「陛下のお気持ちはよくわかります。しかし、警備を厳重にするのは姫の御身を守るためにも必要なことです。姫に気づかれぬよう護衛の数を増やした方がよろしいでしょう」

「そなたが一番信頼できる。ナディアも私と同じ意見だろう」

「信頼されているのはとてもありがたいです。ですが一度、殿下の許可を取るべきです」

国王の気分をなるべく害さないようにガブリエルが都度意見する。

セシルも彼と同じ意見であった。

国王がナディアを心配する気持ちもわかるが、いささか強引さが垣間見える。

「ふむ……そうだな。ナディアの意見も大事だ。ではまた改めて、このことについては対策を練ろう」

その次の日であった。

「姫様が就寝なされて、私も自分の部屋へ戻ろうとした時、物音が聞こえたんです。部屋に行くと、部屋が荒らされておりました」

ナディアの部屋と隣接しているポーレット用にあてがわれた部屋は、彼女の言う通り、本棚が荒らされて、机の抽斗は開けられて中の物が乱雑に床に散らばっていた。

「外の見張りは倒れていたそうだ」

「へぇ……すごく手慣れた人間なんだね」

ポーレットをちらりと見ると、がくぶると震えていた。確かにそれが普通の反応だろう。

(部屋は姫様の部屋と比べると狭い。窓に格子はない……わたしだったら、窓から逃げるかな)

三階ではあるが、カーテンに毛布を繋ぎ合わせて、飛び降りても怪我しない高さまで下りればいい。外の見張りまで片付けていると、途中で見つかるか人を呼ばれる危険がある。

(見張りを任されていた騎士は、とりわけ国王に信頼されている者たちだ)

腕も確かで、彼らを倒したとあれば、相当の手練れだと思われる。

「部屋が荒らされているとわかって、窓の外を見たりはしませんでしたか」

「そんな余裕なかったわ! 外はもう真っ暗だったし、見てもわからなかったわ!」

確かにと相槌を打ちながら、窓際へ寄る。カーテンを開けると、ポーレットの言う通り下に誰か人がいてもわからない。

セシルはカーテンを閉めて、窓の近くにある机に視線を向けた。

(薬はここで調合しているのか)

乳鉢や天秤、その他液体の入った瓶が置かれているのをセシルが見ていると、ポーレットが手を引っ張った。

「もしかすると今度は姫様に直接危害を加えるつもりかもしれないわ。きっとそうよ!」

「夫人。どうか落ち着いてください」

「これが落ち着いていられるわけないじゃない!」

「お気持ちはわかりますけれど、あまり大きな声を出されると、姫が――」

「これは何の騒ぎ?」

ショールを羽織った寝間着姿のナディアが不安を隠せない様子で現れた。

「ああ、姫様! 私が不甲斐ないばかりに!」

興奮したポーレットが事の顛末を語ってしまい、ナディアの顔を強張らせてしまう。

「姫様! 見張りの者も、役に立ちませんわ。ここはガブリエル卿に姫様が寝ている間も護衛をしてもらいましょう!」

「ポーレット様。ガブリエル卿は護衛とはいえ、一日中そばについてお守りするのは難しいかと思います」

ほぼ寝ないで護衛しろと言っているようなものだ。いくら体力のあるガブリエルでも無理がある。

「ではなんですか。あなたは姫様が恐ろしい男に襲われてもいいとおっしゃるの?」

「そんなことは全く思っておりません。ただ、もしガブリエルに夜の間の護衛を頼むのならば、昼間は別の人間に任せた方が安全です。睡眠時間が削られれば、その分集中力が落ち、危機に襲われた姫様を守るのに遅れが生じますから」

「セシルの言う通りです。私も全力で姫様をお守りいたしますが、絶対とは言い切れない。万全を期すのであるならば、信頼できる人間に任せた方がよろしいかと思います」

セシルとガブリエルが交互に理由を述べて考え直すよう言えば、ポーレットは腹立たしそうに眉根を寄せた。別に彼女を怒らせたいわけではないので、すぐに代替案を告げる。

「男性の護衛を増やすといっても、結局は外で待機することになります。いくら信頼できる者たちとはいえ、姫も落ち着かれないでしょう。ですから、女性騎士を配置してはいかがでしょうか。そして室内には、ポーレット様以外の侍女を待機させておきましょう。よろしければ、わたしがその役を担いますわ」

「女性の騎士なんて、信用ならないわ! あなただって、そんな細い手脚で、何の役に立つというの!?」

「もしもの時は、わたしが姫様を身を挺して庇います。相手が剣を向けたのならば、この身で受け止めます」

まるでそうするのが当然だと言うように、以前から決まっていたことだと言うようにセシルが即答すれば、ポーレットだけでなくナディアも驚いた顔をする。

「そ、そんなのだめよ!」

「もしもの時ですわ。それにわたしたちにとって何よりも恐ろしいことは、仕えているナディア様の身に何か起きてしまうことです。それだけは絶対に避けたい。だから、そのためなら多少の傷は傷になりません」

そのことを姫が気にする必要もない。

セシルが微笑んでそう言えば、ナディアは困惑した様子を見せる。

「どうして……そこまでできるの?」

「それは、この身がき、むぐっ――」

ガブリエルの手の甲が口に押し付けられて、セシルは慌てて言いかけた言葉を飲み込む。

(危ない! 騎士って言おうとした!)

今の自分は騎士ではなく、ただの非力な侍女でなければならない。とっさに止めてくれたガブリエルに感謝である。

ガブリエルはセシルの口から手を離すと、セシルの前に出てナディアに問いかけた。

「殿下はどうなされたいですか。あなた自身の考えを教えてください。私たちはそれに従いますから」

「わたくしは……」

「姫様」

じっと視線を注ぎ続けていたポーレットの方をちらりと見て、ナディアは縋るようにガブリエルを見つめた。

「わたくしは、あなたにそばにいてほしいです。昼間は、別の騎士で構いません。ですから夜は……わたくしをどうか守ってください」

「……承知いたしました。では、姫のおっしゃる通りに」

「よかったですわね、姫様! ガブリエル卿がいてくださるのならば、私もとても心強いですわ」

「え、ええ……あの、でも」

「姫が安心できるよう、セシルも一緒に付き添わせます。それでよろしいですね?」

「あら。彼女は別にいなくて構いませんわ。私がそばにいますもの」

しれっとした態度でポーレットが却下するが、ナディアがいいえとセシルの方を見る。

「セシルも、できればそばにいてちょうだい。……あなたが嫌でなければ」

不満そうな顔をするポーレットを目に映さないようにして、セシルはにっこり笑う。

「もちろん嫌ではございません。姫様をおそばでお守りすることができるなんて、とても光栄でございますわ」

セシルは不安でたまらないであろうナディアの心を勇気づけるように彼女のほっそりとした手を両手で包み込んだ。

「大丈夫です。姫様の御身は、必ずお守りいたします。わたしもガブリエルも、みんな姫様の味方ですから」

ナディアが目を見開き、唇を震わせた。彼女が何か言葉を発する前に、手をポーレットに払い落とされる。

「たかが侍女ごときが馴れ馴れしく姫様に触れないでちょうだい」

「これは失礼いたしました! ……でも、ポーレット様も、同じお気持ちですよね?」

セシルが目を見てそう確かめれば、ポーレットは鼻で笑った。

「何を愚かなことを。当たり前でしょう。私ほど、姫様の幸せを願う者はいないわ」

「よかった。――では、その言葉を信じております」

今後のことが決まったので、セシルはナディアたちにもう休むよう告げた。

「ポーレット様。荒らされた部屋についてもう少し詳しく調べたいので、あなたは別の部屋で休んでいただけますか」

「ガブリエル卿。後は我々が引き受けましょう」

他の騎士たち――国王夫妻の護衛を普段任されている騎士たちが申し出ると、ガブリエルは何か考えるように数秒黙り込んだが、最後には素直に承諾した。

「わかりました。では、後はどうぞよろしくお願いします」

「セシル、ガブリエル。今日はあなたたちも休んでください」

これだけ騒ぎになったのだから、犯人もすぐには手を出してこないはずだ。

ナディアの言葉にセシルたちは頷いて、それでも信頼できる人間に警備をしっかり任せて、ポーレットの部屋を退出しようとした。

その際、セシルは暖炉の火に目をやり、部屋を出た。そしてガブリエルと共にこのことを国王に報告しようと二人きりでそちらへ向かう最中、おもむろに口を開く。

「――ガブリエル。相談事があるんだが」

「ああ。俺もある」

セシルとガブリエルはお互いに顔を見合わせた。