作品タイトル不明
2、侍女として仕える
(出会った頃のガブリエル、すごく生意気だったなぁ)
まぁ、それは自分にも言えるかもしれない。
その後、図々しくもガブリエルに会いに行ってはくだらないことをして遊んで、やがては彼の家族とも付き合うようになった。彼の父親であるラガルド侯爵は王都にいたが、領地にはガブリエルの母親や兄妹たちがいた。
「ガブリエルのお兄さんって、どんな人?」
「すごく優秀。俺よりも頭が良くて、優しい」
そう語るガブリエルの口調が珍しく素直だったから、セシルは本当に慕っているのだなと思い、少し羨ましく思えた。
彼には頼る人がいるのだ。兄だけでなく、母親も――
「まぁ、あなたがガブリエルと仲良くしている子ね」
ガブリエルの母親であるラウラはふんわりとした優しい雰囲気を持った女性で、見た目通り、男装した風変わりなセシルにも初対面の時から親切にしてくれた。
「ガブリエルがこの頃毎日楽しそうにしていたのは、きみのお陰か」
ガブリエルの兄であるサンソンは、母親のラウラとよく似ていた。性格もガブリエルの言う通り優しくて、聡明だった。
「あにうえの、ともだち?」
「天使さまみたい。きらきら!」
ガブリエルには弟のジルと妹のリリアンもいて、みんなから可愛がられていた。彼らはとても仲が良い家族に見えて、実際その通りだったと思う。
父親のラガルド侯爵が話題に出る時以外は。
「ガブリエル。セシルと遊ぶのもいいが、剣術の稽古もきちんとやるんだぞ」
「やってる」
「本当か? 今度父上がいらした時に、稽古してくださるだろう。だから――」
「あんなやつから絶対に習うかよ!」
それまで和やかな雰囲気だったのが、ガブリエルの怒鳴り声でしんとなってしまった。
「ガブリエル。父上はお前のために指南してくださっているんだ」
サンソンが真面目な顔をして弟を諭すも、噛みつくようにガブリエルは反論する。
「はっ。俺のため? 違うだろう! あいつは俺が自分に似ているから、ただ覚えさせたいだけだ。俺はあんな男のために剣なんて振るいたくない!」
「ガブリエル。そんな口の利き方――」
「母さんや兄さん、俺たちを大事にしないやつなんか、大嫌いだ。父親なんて思いたくない!!」
感情を爆発させたガブリエルはすべてを言い終えると、母親や兄の悲しそうな顔、弟妹たちの怯えた表情を見て、我に返る。俯いてごめんと言うと、逃げるように部屋を出て行った。
「ごめんなさいね、セシル」
気まずい空気の中、ラウラがまずそう謝った。セシルは気にしないでくださいと微笑を浮かべ、椅子からさっと立ち上がった。
「わたし、ガブリエルの様子を見てきます」
「でも、今は……いえ、あなたの方が、あの子も落ち着くかもしれないわね」
「頼んだよ、セシル。僕たちが行っても、ますますあの子を苦しめるだけだろうからね」
困ったように言ったサンソンもまた苦しそうに見えた。
ガブリエルは屋敷から離れた小高い丘の上にいた。隣に並んでも、しばらく口を開かなかった。セシルも慰めの言葉や深い事情を尋ねようとは思わなかった。
沈黙を守り続けたことで、最初に痺れを切らしたのはガブリエルの方だった。
「訊かないのか」
「何を?」
「俺の父親のこと」
「……じゃあ、教えて」
ガブリエルは一呼吸おいて話し始めた。
最初は努めて冷静に、でも次第に怒りが湧いて荒っぽい口調になり、やがてそんな自分を恥じるようにぼそぼそと父親に対する不満を述べた。
セシルは黙って耳を傾け、最後まで聞き終わると、確認するように淡々と言った。
「ガブリエルのお父様は、ラガルド夫人以外の女性のことが好きなんだね」
「ああ、そうだ。……母さんの話をいつも上の空で聞いて、どこか遠くを見て、俺や兄さんが引き留めても、隣国に行くんだ……母さんは何でもない振りをしているけど、俺たちに隠れて、泣いているのを見たことがある……最低なクソ野郎だ」
ガブリエルは悔しそうな顔をして拳を握りしめる。
侯爵は護衛騎士としてシャルレーヌに仕えていた。そして彼女が隣国へ嫁ぐと、ラウラと結婚した。
関係が終わったように見えても、侯爵は理由をつけて隣国へ足を向けているらしい。たとえ直接会うことは叶わずとも、好きな人の姿を一目見たいがために……。
侯爵夫人やガブリエルたちからすると、とても耐え難い行為だろう。
(わたしも、お父様がお母様より 愛人(アナベル) と 異母妹(フランセット) の方を気にかけるのは腹が立つ)
「……剣を教えるのも、ガブリエルに似ているから、と言っていたけれど、あれはどういうこと?」
「あいつが好きな女に娘がいるんだ。その娘を守るためにお前は騎士にならなくちゃいけない。自分は最後までお守りすることができなかったから、って言われた。……ははっ。笑えるだろ。おかしいだろ。なんで近くにいもしない人間のために剣を覚えなくちゃいけないんだ。家族じゃなくて、全く赤の他人を守る義務があるんだっ。俺は親父の代わりじゃない。そんなことのために剣を振るいたくないっ!」
ガブリエルが心底怒っているのが伝わってくる。怒りだけではない。父に振り向いてもらえないのが悲しい。己の気持ちを理解してもらえないのがやるせなくて、悔しい気持ちもまたセシルには伝わった。
「っ……ごめん。こんなこと、お前に言っても仕方ないのに」
「構わないよ。言葉にした方がスッキリする。あとはがむしゃらに剣を振り回したり、馬に乗って遠出したりするのも、いいよ」
まるでガブリエルのそうしたくなる気持ちがわかると言いたげなセシルの返しに、彼は驚いたように顔を上げる。セシルは目を細めて、おもむろにガブリエルの手を取った。
「ね、ガブリエル。きみは、侯爵夫人やサンソン、ジルやリリアンが好きだろう?」
「何だよ、急に。……ああ、好きだよ」
「だったら、守ってあげよう」
面食らった顔をする彼の手を両手で包み込み、温もりを伝えるようにぎゅっと握りしめた。
「ラガルド卿のことで悲しまないよう、ガブリエルが面白いことを言って笑わせてあげよう。卿がいなくてもいいよう、ガブリエルが強くなって、夫人や兄君、弟と妹たちを傷つける人間から守ってあげればいい。そのために、剣を取ればいい。きみが大事だと思う人のために、強くなりたいと思え!」
自分の目を真っ直ぐ見て告げたセシルの言葉にガブリエルは呆気にとられる。
彼女は微笑んで朗らかに言った。
「わたしも、一緒に強くなるから。きみが今みたいに弱音を吐きたくなったら、わたしがそばで聞く。それでしっかりしろ! って言ってやる。だからわたしがみっともない姿を見せたら、ガブリエルが背中を叩いてくれ」
「……なんで、お前がそこまでするんだよ」
「わたしにとっても、夫人やサンソンたちは大事な人だから」
何より、とセシルは白い歯を見せて笑う。
「親友の情けない姿は見ていられないからな!」
「……お人よし」
「心が広い、聖女のようだと言ってくれ」
「絶対言わない」
ガブリエルは赤くなった目を隠すようにそっぽを向いて、ぼそりとありがとうと言った。
それから、ガブリエルは剣術の稽古を真面目に取り組むようになった。ラガルド侯爵のことで感情が乱されても、家族の前で感情的に怒りを露わにすることはしなくなった。
侯爵夫人が亡くなり、嫡男であるサンソンが体調を崩して屋敷に引き籠るようになっても、彼は年長者として屋敷や使用人を管理し、まだ庇護を必要とする弟と妹のそばについて守り続けた。
十五歳の時にセシルと共に王都の騎士団に入団し、一人の騎士としてようやく認められた時。
「――まぁ、あなたがガブリエルなのね。本当にお父様にそっくりね」
まるで因縁を果たすかのように父親の想い人の娘と再会したのだった。
◇ ◇ ◇
「お目にかかれて至極光栄でございます」
ナディアから声をかけられたガブリエルは頭を下げて恭しい態度で挨拶した。それはどこか淡々としており、愛想のない態度に見えることを危惧してか、すかさず国王が明るく言った。
「はは。ガブリエルもそなたの美しさに目を奪われて緊張しているようだな。ナディア。そなたは本当にシャルレーヌに似ている。あの子が病で亡くなった時は兄としてとても悲しかったが……娘であるそなたとこうして再び会えたのは、何かの運命に感じる。きっとシャルレーヌの帰りたいという気持ちが、そなたをこの地へ呼び寄せたのだろう」
伯父にあたる国王の言葉にナディアは微かに顔を強張らせたように、セシルの目には見えた。
(見間違いかな?)
実際、彼女はすぐに可憐な笑みを浮かべて軽く頷いてみせたから。
「ええ。母が生きていたら、きっと陛下と同じことを述べたと思います」
病で亡くなったシャルレーヌは夫であるヴェイユ王とあまり仲がよかったとは言えず、娘のナディアも冷遇されていたわけではないが、どこか居心地悪く過ごしていたそうだ。
そのことを気にかけた国王夫妻が遊学を理由にナディアをこちらに呼び寄せた。
「陛下など、他人行儀な言い方はよしてくれ。ぜひ伯父様と気軽に呼んでほしい」
「ふふ。わかりました」
その笑い方が打ち解けたような自然な笑みだったので、国王だけでなく、他の人間も頬を緩ませた。
「ナディア。あちらではいろいろ苦労しただろう。こちらでは羽を伸ばすがいい。そなたにはガブリエルを護衛をとしてつける」
「まぁ。それは頼もしいですわね。……あら、そちらの方は?」
ナディアがガブリエルの少し後ろにいるセシルに目を留める。
「ああ。その子はそなたの侍女だ。一応用意したのだが、向こうから連れてきた頼もしい侍女がいるだろうから不要かもしれないな。まぁ、あまり気にしないでいい」
(さすが国王陛下)
空気のように扱えと言わんばかりの素っ気なさだ。
セシルの名前を出すことも、セシル本人に自己紹介する機会も与えなかった。
(まぁ。ここでガブリエルとの関係を打ち明けられても困るだけだしね)
そんな空気の読めないようなことをする人間がここにいるはず――
「セシルは俺の恋人でよく気が付く人間ですので、こちらに来たばかりで慣れない姫のことも気遣ってくれると思います」
(いたー!!)
しかも国王が将来の伴侶としてあてがおうとしている男本人の発言である。
「恋人? あなたとセシルは恋人同士なのですか?」
ナディアも驚いた様子で確かめる。
「いや、姫。それは誤解というか――」
「はい。セシルとは将来を共に生きると約束した、正真正銘の恋人同士です」
国王のごまかしもばっさり切り捨てて、ガブリエルは姫に伝えた。臣下たちは真っ青である。セシルも冷や汗が出てきた。
(ガブリエルのやつ、何を考えているんだ)
事前に国王からは余計なことを話さないよう命じられていたのに、こうもあっさり破るとは……後で絶対叱られる。
「そう。それは……お似合いね」
「ありがとうございます」
普段めったに微笑まないくせに、こんな時だけ実に清々しい笑顔を浮かべるガブリエルに、国王が青筋を立てているように見える。
(ど、どうしよう!)
「くくっ。相変わらずお前は面白いね、ガブリエル」
周囲が焦りながら口を挟めずにいると、男性にしては高く柔らかな声音で銀髪の青年が現れた。
「ステファン。お前は晩餐会の時に顔を出す予定であったはずだ」
「そうつれないことをおっしゃらないでくださいよ、父上。私の従妹がわざわざ隣国から来てくれたのですよ? 夜まで会わないでいるなんて、我慢できません」
少々軽薄な印象を持っているステファンは我が国の王太子である。ナディアの従兄にあたる。
彼は国王の厳しい眼差しに全く物怖じせず、ナディアの前まで来ると、流れるような所作で彼女の掌に口づけを落とした。
「会えて嬉しいよ、従妹殿。父上が何かとお節介を焼くだろうが、気にせずのびのびと過ごしてくれ。そうだ。早速だが、母上自慢の庭を紹介しよう」
「ステファン! 勝手に連れて行こうとするな! それに紹介ならば、護衛のガブリエルにこそ――」
「なぜ一介の護衛騎士に大事な隣国の姫君の相手を任せるのですか。彼女は国賓として、また我が王家の大事な親族として、この国へ招かれたのでしょう? ならば次期国王である私が率先して案内するのが正しい」
何か間違っていますか? と父親譲りの圧のある笑顔でステファンは問いかける。
国王が思わず言い淀むと、ステファンは素早くガブリエルに確認した。
「ガブリエル。お前も、私に譲ってくれるだろう?」
「もちろんでございます。私などには、姫の相手は務まりません。……最初に、姫に問うべきかと」
「ああ、そうだった。ナディア、いいかな?」
「……はい。お願いします」
ステファンはにっこり笑って、ナディアを謁見の間から連れ出した。
彼が現れてからあっという間の出来事だった。
「まったく。ステファンのやつ。……ガブリエル。お前も護衛として後についていけ」
「ではセシルも連れて行きます」
「いや。セシルは――」
「男ばかりいては姫も落ち着かないでしょう。何かあった時のためにもセシルがそばにいた方がいいです」
反論は認めないとガブリエルは強い口調で言い切り、失礼しますとセシルを連れて退出する。彼女は躊躇ったものの、ガブリエルが言ったことにも頷けたので後に続いた。
「……ガブリエル。先ほどの態度は陛下に対して失礼だ」
「覚悟の上だ。黙っていれば、あっという間に陛下たちの思い通りになる」
「ステファン殿下にも、顔を出してくれるよう協力を仰いだな」
気づいたのかと言いたげにちらりと一瞥される。
「ああ。喜んで引き受けてくださった」
はぁとセシルは小さくため息をつく。
ステファンはきっと国王に盾突くよい機会だと思ったのだろう。あと、面白がっている。そういう性格のお人だ。
(優しい方でもあるんだけど……)
「セシル。最初に俺たちの関係を打ち明けていれば、姫も理解してくださるだろう」
「それは、そうかもしれないけれど……だとしても、あんな態度では、姫に失礼だ」
彼女からすれば、長い旅路を終えてようやく到着したというのに、こちらの勝手な事情から変な気は起こすなよと警告されて、不快な思いをしてもおかしくない。
「こういう時はあえてはっきり言った方がいい」
「もっと姫の気持ちを考えて、段階を踏むべきだ」
相手は高貴な女性で、その身だけでなく、心も守るべき対象なのだから。
「ガブリエル。わたしのことを考えてくれるのはありがたい。でも、陛下から与えられた職務を忘れてはいけない。わたしたちはこの国に仕える騎士なのだから」
国王と王太子の仲を悪くさせ、他国の王族を傷つけるようなことは絶対にしてはならない。
諭すようにセシルがそう言えば、ガブリエルはわかっていると前を見据えたまま答える。
「本当にわかっているのか?」
「ああ。陛下たちが俺にラガルド卿のような騎士像を求めているのならば、完璧に演じてやる。だからお前も、姫の侍女として仕えろ」
何だか引っかかる物言いに再度セシルは念を押そうとしたが、ガブリエルはにっと昔見たような悪い笑みで封じ込め、さらにステファンとナディアの姿が見えてきたので、セシルはそれ以上何も言えなかった。
「――ガブリエル、おはよう。今日もよろしくね」
「はい」
完璧に演じてみせると言った通り、ガブリエルはそれまでの人格を捨ててしまったようにがらりとナディアへの態度を変えた。
「またお庭を案内してほしいの。エスコートしてもらえる?」
「かしこまりました」
「……迷惑になっていないかしら」
「まさか。お供させてもらえて光栄でございます」
姫を見て柔らかく微笑む表情は甘い胸のときめきを覚えるもので、ナディアも白い頬をうっすらと赤く染めた。
(ガブリエル。あんな顔もできるんだ)
十年以上の付き合いだというのに初めて見る表情にセシルは衝撃を覚える。
なぜか胸も痛い気がして……これはもしや自分には見せたことのない表情を姫に見せたことが悲しくて嫉妬しているのだろうかと自己分析したが、それよりはと思う。
(なんだか不気味かも)
きみ誰? 悪いものでも食べた? と思わず指摘したくなるような変化に妙にそわそわする。無理しているんだろうなとか、身内の恋愛している姿を見て自分まで恥ずかしくて居たたまれない気持ちになるというか……。
(いやいや。ガブリエルはただ姫に仕えるのに相応しい態度で接しているだけだ)
自分も見習わなくては、とセシルは気合を入れた。
「姫様。外はまだ冷えますから、ショールをお召しになってください」
「ありがとう、セシル」
触り心地のよいショールを肩にかけてやると、ナディアは振り向いてお礼を言う。
「そろってよく気が付くのね」
「ありがとうございます。他にも何かございましたら、遠慮なくお申し付けください」
「ふふ。ではあなたたちの馴れ初めでも教えてもらおうかしら」
セシルが目を丸くすると、ナディアは悪戯が成功したように笑みを深めた。
「冗談よ。いえ、知りたいのは本当だけれど……こういうことは、もっと仲良くなって教えてもらうものよね。だから今は我慢するわ」
約束よ、とナディアはどこかあどけない口調で約束させようとする。
(母君のシャルレーヌ様もこんな人だったのかな……)
それならば国王が気にかけるのも分かる気がした。
「姫は、可愛らしい人ですね」
思わずぽろりと漏れたセシルの本音に今度はナディアが目を見開いた。
しまったとセシルが口に手を当てると、ゴホンとわざとらしい咳払いが耳に入る。
「こちらの使用人は、まるで男を口説くような馴れ馴れしい言い方をするのですね」
嫌味まじりに注意をしたのは、ナディアがヴェイユ国から連れてきた侍女のポーレットであった。歳はセシルの母親世代くらいで、幼少の頃から姫に仕えてきたのが窺えた。そんな彼女がセシルをあまりよく思っていないことは、胡乱な目つきやどこか棘を感じる言葉から伝わってくる。
(でも男を口説くような、って言い得て妙かも)
つい男装していた時のように、騎士として贈り物をしてくれる令嬢たちに接する時のように、セシルはナディアにも可愛いと言ってしまった。
しかしそれまでのセシルの姿を知らないナディアやポーレットからすると、やはりどこか違和感を覚えたのだろう。
「ポーレット。言葉遣いには気をつけなさい」
「私はただ、姫様に対して無礼な振る舞いを指摘しただけですわ」
「だとしても」
「いいえ、姫様。いいのです。今のはわたしが軽率でした。以後気をつけますわ」
セシルは素早く自分の非を認め、ポーレットにも軽く頭を下げた。
「ポーレット様は長く姫に仕えておりますゆえ、わたしの未熟な態度が気になるかと思われます。その際は、どうぞご指導の程よろしくお願いいたします」
真っ向からそう頼めば、ポーレットも少したじろいだ。だがやはりどこか気に入らない様子で「まるで新人教育を任されたみたいだわ」とぼやいた。
そんな侍女の態度に主人であるナディアがまた注意して、困った顔でセシルに謝る。
「ごめんなさいね、セシル。ポーレットに悪気はないの」
「はい。どうか気になさらないでください。それよりも、わたしのことでお時間をとらせてしまって申し訳ございません」
セシルがガブリエルに目配せする前に、彼はナディアにすっと手を差し出した。
「参りましょう、殿下」
「……ええ」
二人の後にセシルも続こうとしたが、ポーレットに腕を掴まれてしまう。
「あなた。ここを片付けてから、来てちょうだい」
「片付けでしたら、他の使用人が行いますわ」
「察しの悪い娘ね。お二人の邪魔をするなと言っているの」
セシルはちらりと扉の方を見て、廊下を寄り添って歩く二人にこの会話が届いていないことを確認すると、またポーレットに視線を戻した。
「ポーレット様は、ナディア様とガブリエルが結ばれることを願っていらっしゃるのですか」
「もちろんです。あのお二人以上に似合いな男女はいません」
「……一応、ガブリエルはわたしの恋人であるのですが」
ガブリエルも納得していないし、ナディアにもそういったつもりはないように見える。
そうしたセシルの指摘も、ポーレットは鼻で笑う。
「王命となれば、仕方がありませんわ。それにガブリエル卿も、姫様のような方と一緒になれるのならばとても光栄なはずよ。なんならもうすでに惹かれているのが私にはわかるわ。もちろん姫もね」
「姫はまだこちらに来て日が浅いというのに、ずいぶんと確信を持っていらっしゃるのですね」
「ええ。私ほど姫様を理解している人間はいません。ガブリエル卿も、あなたに接する時よりも姫のことを気遣っている。本当は互いに惹かれ合っているのだと、私には思えてなりません」
なにより、とポーレットはうっとりとした表情で語る。
「お二人はシャルレーヌ様とアンリ様の血を引いていらっしゃるもの」
「……なるほど」
年齢からしてガブリエルたちの両親のことも近くで見てきたのだろう。
それゆえ国王夫妻と同じように肩入れして、ガブリエルとナディアに結ばれてほしいと願っている。
「……あなたは、姫様の幸せを願っていますか」
夢見るような表情で浸っていたポーレットは怪訝な顔でセシルを見やる。
「何を当然のことを。私は誰よりも姫様の幸せを願っております。だから、あなたには身を引いてもらおうと考えています。申し訳ないけれどね」
面と向かって言われてさすがにセシルは苦笑いする。少し視線を落として、困ったように返す。
「あなたの気持ちはわかりました。……それでも、彼はわたしにとって大切な人ですから」
「そう。では、その健気な気持ちがいつまで続くか、楽しみにしていますわ」
宣戦布告を終えると、ポーレットは先ほどセシルが指導を頼むという言葉を盾に後片付けを言いつけ、自分はナディアたちの後を追いかけに行ってしまった。
セシルは軽くため息をつき、仕方がないと姫が飲んだ茶器を片付け始める。
「――きみが武具以外の手入れをしている姿はやはり見慣れないね」
「殿下」
気配を感じて振り向くと同時にやぁとステファンが手を上げた。王太子が隣国の姫が滞在している部屋に入るのはよくないと止めようとしたが、彼は人払いはしてあるからと無視してそばへ来る。
「僕が会いにきたのは、偉そうな侍女に虐められて落ち込んでいる可哀想な侍女にだからね」
一体いつから盗み見ていたのか。セシルは内心呆れてしまう。
「わたしは大丈夫ですから。どうか余計なお節介は焼かないでくださいね」
「あのまま好き勝手させるつもりか。ガブリエルを取られても構わないのか」
いきなり本題に切り込んできたステファンはセシルの言動に不満があるようだった。
「殿下。わたしを心配してくださる気持ちは大変ありがたく思います。ですが、姫様の気持ちを無視したやり方には賛同しかねます」
「ふふ。きみはあの姫が本当に噂通りの心優しい姫だとでも? ……いや、そうだな。きみの言う通り、彼女は優しい人間だろう。だが、ああいう性格をしている人間だからこそ、厄介なことになるとは思わないのか?」
「優しい性格ならば、それでいいではありませんか」
何が問題なのだとセシルが微笑すれば、ステファンは露骨にため息をつく。
「セシル。きみは男女の機微を全く理解していないな。優しいからこそガブリエルが姫に惹かれて、本気で好きになるかもしれないんだぞ。絶対に好きになるはずがない、好きになるものか、という感情が気づけば好意に転じることだって、あり得るとは思わないのか。性根の腐った女が誘惑するよりも、よほど性質の悪い、胸がむかむかする話じゃないか」
まるで責めるように言われても、セシルは笑みを浮かべて平然と返した。
「そうですね。ではその場合、わたしは嫉妬や憎悪を膨らませて、姫に矛先を向ける悪女になるのでしょう。ガブリエルも、そんなわたしに愛想を尽かして別れを告げ、姫に結婚を申し込む結末になりましょう」
「……そこまで思い描くことができるからこそ、今動けないでいるのか?」
セシルは小さく肩を竦めた。
「全然違いますよ。第一、ガブリエルはそんな人間じゃない。いえ、殿方ではありません」
危ない。つい口調が乱雑になってしまう。
セシルはそっと息を吐き、静かな口調で述べた。
「わたしはただ……下手に動いた結果、あの二人にとって触れられたくないことに触れて、傷つけてしまうのを恐れているだけです」
「触れられたくないこと、というのは親のことか」
ステファンはきちんとわかっているはずなのにわざわざ訊いてくる。そんな彼にセシルはどうしても物申したい気持ちになった。
「ええ、そうです。……殿下。子である自分でさえ理解し難いと思う家族のことに、他人が関わってくることは、とても神経が滅入ることなんです。何気ない言葉でも、深く傷つけてしまうことがある。……姫も、何でもないように振る舞っていますが、もしかすると複雑な気持ちを母君に抱いていらっしゃるかもしれませんわ」
その証拠に、ではないが、ナディアの口からまだ母親のことを聞いていない。……それとも、二人きりに近いかたちになった今、ガブリエルには話しているだろうか。
互いの両親で苦労したことを語り合えば、二人の距離は縮まるだろうか。ポーレットやステファンが言ったように……。
(でも、それでガブリエルの心が慰められるなら――)
「セシル。きみは相手のことばかりだな」
ふと顔を上げるとステファンが思いのほか近くにおり、指でくいっと顎を上げられた。
ナディアと同じ明るい青色の目がセシルの奥底まで調べるように見つめてくる。
「殿下、近いです。適切な距離をお願いします」
「あまりに潔いのは、きみの育った環境のせいかな? 望んでも手に入らないから、諦める癖がついているのか」
彼の方から離れてくれないので、仕方なく自分から距離を取る。
「殿下。わたしが危惧しているのは、まさにそういう言動ですわ」
自分はともかく、ガブリエルやナディアには絶対にしないでほしいと注意すれば、肩を竦められた。
「本当にきみって子は、どこまで聖人なんだ。いや、聖女さまか」
「殿下。わたしは真面目にお願いしています」
「はいはい。わかったよ」
今一つ安心できない返事であったが、ちょうど人払いもしてポーレットもいない状況だったので気になっていたことを尋ねる。
「最初に同伴していた姫の護衛は、ヴェイユ王の意向で帰国されたのですか?」
「いや。僕の父が、勧めた。きみたちがいては、ナディアも安心して暮らせないだろうから、ってね。あの図々しい侍女が、祖国での姫の扱いについて熱く語っていたよ。もちろん姫のいないところで。あの騎士たちは姫のことを疎ましく思っている。心から寄り添ってくれない、とかね……どうも、胡散臭さが拭えない熱演だったな。二人で何か企んでいるように見える」
やはりそうか、と思いながら、ポーレットの出自についても知っているか訊いてみる。
「彼女はシャルレーヌ様にもお仕えしていた経歴がおありですか」
「ああ。こちらから嫁ぐ際に叔母上が連れていった女だ」
ではもともとルーセル国の人間なのだ。国王とも面識があっただろう。
「ガブリエルの父親との関係もばっちり目の当たりにしている。駆け落ちの手引きをしなかったのがいっそ不思議なくらい二人の仲を応援していたそうだよ」
なるほど。だからこそ、あんなふうにセシルに言ったのか。国王と同じようにポーレットもガブリエルたちが結ばれることを願っている。
(とすると、今後もいろいろ仕掛けてきそうだな)
「ポーレット自身には、戦闘能力はおありですか」
「ははっ。ないない。メイドの格好をして剣をぶん回すのはきみくらいだよ」
愉快だと笑うステファンに思わずムッとする。
「わたしだって好きでこんな格好をしているのではありません。そもそも、殿下とガブリエルのせいですわ」
「言い出したのはあいつだよ」
「面白いと乗ったのは殿下でしょう?」
国王からの反対をうまく躱す役目を担ったのも王太子であるステファンの存在があったからだ。
「まぁまぁ、いいじゃないか。普段の甲冑や隊服姿も凛々しくて可憐だが、今の姿も貴族の令嬢らしく大変可愛らしい。ガブリエルも可愛いと見惚れたはずさ」
「珍種の動物を見るような目でじろじろ観察されましたわ」
「それがあいつなりの可愛いって意思表示なんだよ。興味のないものにそこまで反応は示さない。じっくり見たということは、かなりむっつりだな」
一体何の話をしているのかとセシルは馬鹿らしくなってきた。
「話を元に戻しましょう」
「何の話をしていたんだっけ?」
「ポーレットについてです」
「ああ。そうだった。まぁ、きみのように武器を用いて戦うという話は掴んでいないが、薬に関しては詳しいそうだ」
「薬……薬草とかですか?」
「ああ。こちらでも、シャルレーヌが緊張した時や身体の不調を訴えた時、煎じて飲ませていたそうだ。ナディアにも同じことをしているだろうね」
薬は毒にもなる。大事にしているナディアに毒を盛ることはないだろうが……一応、それとなく注意しておこうとセシルは心に留めた。
「教えていただきありがとうございます」
「他はもういいの? ナディアと父親の関係があまりうまくいってなかったこととか、詳しく教えるよ?」
「いいえ。そういったことは必要ございません」
軽々しく聞いてはいけないと思ったし、どうしても知りたいなら、ナディア本人に聞くべきだ。……彼女とそんな関係が築けたらの話であるが。
「相手の弱みを握るチャンスだってのに。まぁ、そういうところが、きみの長所であり、闇を抱える人間からすると惹かれるところなんだろうね」
「恐れ入ります。では、わたしはそろそろ姫君のもとへ参りますので、殿下も公務にお戻りください」
「僕も姫に会いに行くよ。エスコートしてくれ」
セシルは公務はいいのかと言いたくなったが、彼は一度言い出したら絶対に曲げない。
「殿下。わたしは今は侍女ですので、エスコートすることはできません」
「あはは。騎士であった時も、別にエスコートする必要はないよ? きみは女の子だしね」
「……」
もの言いたげなセシルにステファンはにこにこ微笑んで、大事なことを伝えるようにゆっくりと告げた。
「セシル。きみは女の子だ。誰かに守られたっていいし、好きなものを我儘にねだっていい。本当に譲りたくないものは、絶対に手放しちゃダメだよ」
いつもどこか毒を吐いたり意地悪を言うステファンが珍しく優しい言葉を述べたので、セシルは少し驚いて、はいと微笑んだ。