作品タイトル不明
セリウスが去った後
少し話は遡る。
甘甘草は、無事に収穫を終えた。刈り取られた束は丁寧に乾燥され、選別され、公爵家へと出荷される。
まずは公爵夫人のもとへ。そこからさらに厳密な鑑定が行われた。薬効の強いものは、選び抜かれて王妃の元へと送られる。今年は、昨年よりも明らかに収穫量が増えていた。
だが――効用が認められたのは、リリアーナの魔力が注がれた区画のみだった。
それ以外の場所で育ったものは、成分こそ悪くないが、特筆すべき効き目はない。
結果、「上質な甘甘茶」として扱われるに留まった。
そして。ラニアが魔力を注いだ区画。
それは、リリアーナの区画に比べれば、ほんの僅かな広さの土地だった。だが、鑑定結果はリリアーナに比べると微妙だった。
報告を受けた場で、ラニアはとても良い笑顔を浮かべていた。しかし、セリウスは、オルフェウスと交渉を始めた。穏やかに。丁寧に。しかし一歩も引かず。
それを聞いた公爵夫人は、すぐにマルグリットへ書簡を送る。甘甘草を死守するように、と。
だが。相手は皇国の王子。立場という壁は、想像以上に高かった。
そうしてラニアの魔力を注いだ甘甘草は、量は少ないがセリウス保有扱いとなった。
ある日のことだった、
「別に、魔力を注がなくても十分美味しいのだけど」
そう言いながら、リリアーナは湯気の立つ甘甘草の茶を口に運んだ。
鑑定で「効用なし」とされた区画のものは、彼女の希望で戻されたのだ。薬効が弱いと言われただけで、味まで否定されたわけではない。
――あんなにも、頑張ったのに。
それでも彼女は気にした様子もなく、嬉しそうにカップを傾けている。そこへ、北の領地に残ったローデンが現れた。
セリウスたちを見送ってから、数日。
まだ静けさの残る屋敷の廊下を抜けてきた彼は、ふと足を止める。
「変わった匂いだな」
独特の香りが、空気に溶けていた。
「飲んでみる?」
リリアーナは振り向き、にっこり笑う。
「とても、美味しいのよ」
無邪気な笑顔で差し出された茶。断れる空気ではない。ローデンは覚悟を決め、口をつけた。
……甘い。
想像以上だ。これは、本当にお茶なのか?
何か、こっそり砂糖でも入れたのではないか?はっきり言って、俺の口には合わない。
というか――これを、飲み干すのか?
そっと視線を上げる。リリアーナが、期待に満ちた目でこちらを見ていた。
「とっても、美味しいでしょ?」
満面の笑み。逃げ道はない。
「……珍しい、味だな」
それが精一杯だった。ちょうどその時、エドモンドが通りかかる。
「……甘甘茶か?」
「そうよ」
「リリアーナは、大好きだからな」
「ええ。だって、甘くて、幸せになるよね」
相変わらずにこにこと、幸せそうに茶を飲むリリアーナ。それを穏やかに見守るエドモンド。二人の間には、すでに完成された空気がある。
……こっそりお茶を捨てて、ここから逃げたい。ローデンは真剣にそう思いながら、もう一口を、ゆっくりと飲み込んだ。
甘さが、容赦なく喉に絡みついた。
ようやく――本当に、ようやく飲み干したローデンは、静かに湯呑みを置いた。
限界だ。
「少し、身体を動かしてくる」
それだけ告げて、すっと立ち上がる。
「おかわり、あるよ?」
背後から飛んできたリリアーナの親切な声に、ローデンの背筋が凍った。
「いや、今は動きたい気分なんだ」
自分でも意味が分からない言い訳を残し、彼は廊下を足早に去る。
……口直しが必要だ。というか、気分すら最悪だ。あれは本当に、人の飲み物なのか?
ようやく水差しを見つけ、杯に注いで一気にあおる。冷たい水が喉を通り抜けた瞬間、心から安堵した。
その時。
「……ローデン、どうしたの?」
振り向けば、ラニアがロキと共に立っていた。相変わらず無邪気な笑み。
「いや、これから身体を動かそうと思ってな」
平静を装う。
「……何をするの?」
首を傾げるラニア。
「……走るか?」
半ば投げやりに言った。ラニアは、にんまりと笑う。
「僕、手伝うよ」
数分後。ローデンは走っていた。ほぼ全速力で。背後からは、馬に乗ったラニアが軽やかに追ってくる。
「ほらほらー!」
楽しそうな声。そして真後ろには――ロキ。
ぴたりと背後につく。
……ロキの圧が、襲ってくる。何故だ?
半端ではない。足音が近い。近すぎる。
いつまで、走るんだ。
ローデンは、早くも後悔していた。一方で、ラニアは心底楽しそうだ。ロキも尻尾を振りながら、まるで良い遊び相手を見つけたと言わんばかりに追い立てる。
暇な大人は、良い獲物だとでも言うように。
その光景を、少し離れた場所からリリアーナとエドモンドが眺めていた。
「楽しそうね」
「そうだな」
風に揺れる草原の向こう。
全力で逃げる男と、追う少女と魔獣。
「いつの間に、あんなに仲良くなったのかしら?」
エドモンドは少し考える。
……仲良し、なのか?まあ……そう見えなくもない。
「……そうだな」
そう言いながら、そっとリリアーナの肩を引き寄せた。リリアーナは自然に、エドモンドの肩へ首をことんと預ける。
馬に乗り、髪を揺らすラニア。
ロキと必死に走るローデンの姿。
穏やかな風景を見て、二人は静かに笑っていた。