作品タイトル不明
ベッドに横たわる女性
男は落ち着いた声音で語り始めた。
「実はね、アグネッタ殿には娘の治療をお願いしている。もっとも……必要な薬草を十分に揃えられなかったのは、こちらの不手際だが」
そう言って、男は一瞬だけリリアーナたちへと視線を向けた。
責めるでもなく、試すでもない。ただ、状況を量るような眼差しだった。
「薬草が届いた以上、最善は尽くしますわ」
アグネッタは、迷いのない口調で答えた。
「良い結果を期待しているよ」
男は短くそう返した。
一拍の沈黙ののち、アグネッタが静かに言った。
「……学びのため、弟子にも彼女をお見せしてもよろしいかしら?」
リリアーナは思わずアグネッタを見た。
——学び?
その言葉の裏にある重さに、胸がざわつく。
私に何かを伝えたい……それほどに、難しいのだろうか。
「まあ……最後の教え、ということか」
男は少し考える素振りを見せてから、頷いた。
「いいだろう」
「寛大なお心、感謝いたします」
アグネッタは、深く礼をした。
男に促され、アグネッタとリリアーナ、エドモンド、ラニアは一つの部屋へと通された。
そこには、ひどく身体の薄い若い女性が、静かにベッドへ横たわっていた。
頬はこけ、唇には血の気がない。整った顔立ちであるはずなのに、今はその面影が痛々しい。
「……始まりは、ただ“疲れた”という言葉が増えただけだった」
男は低く語りながら、彼女の腕をそっと取った。
「突然倒れることがあり、風邪のような症状が、いつまでも抜けなくなった」
そう言って、袖を捲る。
「やがて、身体に痣ができるようになり……治らなくなった」
彼女の腕には、赤黒い痣が存在していた。
ひとつではない。まるで内側から滲み出したような色だった。
「そして今も、微熱が続き、強い倦怠感で起き上がれない……ですね」
アグネッタが、静かに確認する。
「その通りだ。何人もの治癒師や調合師が診た。良くなったと思っても、必ず元に戻る」
男の声には、抑えきれない焦りが滲んでいた。
「リリアーナ、あなたはマッサージをしてあげて。……ラニアは、私の補助を」
アグネッタは淡々と指示を出す。
「男性は、退室をお願いできるかしら?」
「……私もか?」
男はわずかに眉をひそめた。
「彼女の肌が露になります。それに――人払いもしてください」
「……なぜだ」
「貴族の女性にとって、屈辱と感じる作業が含まれるかもしれません。彼女を守るためです」
しばし沈黙ののち、男は深く息を吐いた。
「……仕方ない。決して、彼女を傷つけるなよ」
「私は、治すためにここに立っています。傷つけるなど、あり得ませんわ」
アグネッタは、きっぱりと言い切った。
やがて男達と使用人が部屋を出ると、室内にはアグネッタ、リリアーナ、ラニア、そして眠る彼女だけが残された。
ほどなくして、三人が運んできた薬の包み、空の瓶、水、コップが部屋へと運び込まれる。治療のための、静かな準備が整えられていった。
「リリアーナ、わかっているわね。……始めて」
アグネッタの静かな声が、室内に落ちた。
……これは、「調べなさい」という意味ですよね、師匠。本当に、相変わらず酷いです。
リリアーナは、そっと彼女の手を取った。
その瞬間、ベッドに横たわる女性の瞼が、かすかに揺れる。
「少し、触りますね」
小さく声をかけると、彼女はほんのわずかに頷いた。
リリアーナは、慎重に魔力を流し込む。
――おかしい。
……おかしいところは……。
……全部?
血の流れが、異様だった。
本来なら、一定の速さで巡るはずの血が、重く、粘つくように停滞している。量が多すぎる。しかも、その一つ一つが、まともに働いていない。
……多いのに、役に立っていない。
命を守るはずのものが、逆に身体を圧迫している。
血管の中が、混み合い、詰まり、
必要なものが、必要な場所へ届いていない。
……気持ち悪い。
血の中に、本来そこに在るべきでない“未熟なもの”が溢れ返り、
それが、全身の流れを乱している感覚。
リリアーナは、思わずアグネッタを見た。
アグネッタは、無言で頷く。
「続けて。彼女が、少しでも回復するように。丁寧にね」
……それは、「できるなら治療しなさい」ということですよね。
でも、どうすればいいのか、わからない。
壊すべきか、減らすべきか。けれど、血は命そのものだ。こんな症状、初めてだ。
時間も、あまりない。
胸の奥が、きゅっと締めつけられる。
――助けたい。
でも、方法がわからない。
リリアーナは、今にも泣き出しそうになりながら、必死に魔力で探り続けた。