作品タイトル不明
セラフィーネ、北の領地を出る
「セラフィーネ、明日、島に帰るそうね」
アグネッタはそう言って、セラフィーネの部屋を訪れた。
「そうよ。久しぶりに会えて、とても楽しかったわ」
セラフィーネはそう答えたが、その表情にはわずかな陰りがあった。
「……彼のことは、もういいのかしら……?」
アグネッタは慎重に言葉を選びながら尋ねた。
「……初めから、何も無いわ」
セラフィーネは力の抜けた声でそう答えた。
――この一週間の看病も、結局は無駄だったのね。アグネッタは、その言葉の裏にある想いを悟った。
「……気をつけて、帰るのよ」
静かにそう告げる。
「私を、誰だと思ってるの?」
セラフィーネは笑ってみせたが、その瞳はわずかに揺れていた。
その夜、城には遅くまでリリアーナのリュートの音色が流れていた。
翌朝早く、アグネッタは一人でラディンの部屋を訪ねた。
「誰だ?」
警戒する声に、アグネッタは落ち着いて答える。
「リリアーナの調合の師匠よ」
「それで、何の用なんだ?」
訝しげに問い返すラディンに、アグネッタは単刀直入に切り出した。
「本当に、体調は回復したのかしら?」
「……ああ。昨日一日様子を見ていたが、じっとしている方が辛いくらいだ」
そう言って、ラディンは小さく苦笑した。
「それなら良かったわ」
安堵したように頷いたあと、アグネッタは少し声を落とす。
「でもね、心配事があるの。あのラニアという子は、リリアーナに植え付けられた“種”から育った存在でしょう?」
「……そうだが?」
ラディンは慎重に言葉を選んだ。
「泉で眠っている間に、他に何かされていないか、不安なのよ」
――ラニアの行動は、いつも想定外だ。何もされていない、と断言できるほど、信用できる存在でもない。ラディンは、その言葉に微かに拳を握った。
「だからね」
アグネッタは続けた。
「セラフィーネを島まで送るついでに、向こうで身体をきちんと診てもらった方がいいと思うの。あの島には精霊が多いと聞くわ」
「……それなら、リリアーナでもできるんじゃないのか?」
ラディンは首をかしげる。
「だめよ。リリアーナはラニアの言いなりだもの。第三者の視点があった方が安心だわ」
「しかし、セラフィーネが同行を許すとは思えないな」
彼女の性格を思い浮かべ、ラディンは率直に言った。
「そこは、きっと何とかなるわ。一週間の看病のお礼、とでも言えばいいのよ」
アグネッタは、あっさりとした口調で言い切った。
「……それで断られたら、行かないからな」
正直なところ、島行きは面倒だった。
「もし行くことになったら、路銀は私が出すわ。弟子の不始末ですもの」
「……それは助かるな」
ラディンは肩をすくめた。
「まあ、行かないだろうけどな」
深く考えないまま、彼はそう答えたのだった。
セラフィーネの出立を見送るため、城門前にはエドモンド、リリアーナ、アグネッタ、そしてラディンが集まっていた。
「お世話になったわ」
セラフィーネは静かに、しかしきちんと皆の顔を見渡して言った。その直後、アグネッタが肘でラディンの脇腹を小突く。
「ほら、言いなさい」
促されるまま、ラディンは感情を抑えた声で口を開いた。
「……セラフィーネ。一週間の看病、ありがとう。よければ、島まで送ろうか?」
その言葉に、セラフィーネの動きが止まった。
「……それは、どういう意味なのかしら?」
声は平静を装っていたが、わずかに震えていた。
「言葉どおりだ。体調も回復したしな」
ラディンはそれ以上うまく言葉を継げず、曖昧に答えた。アグネッタはすっとセラフィーネの隣に行き、彼女だけに聞こえる声で囁いた。
「セラフィーネ、最後のチャンスよ。これを逃したら、終わりよ」
セラフィーネは震える瞳でアグネッタを見つめた。対するアグネッタの瞳には、友人を思う気持ちと、どこか楽しげな好奇心が入り混じっている。――人の恋路ほど、面白いものはない。
セラフィーネは悟った。少し間を置いてから、努めて冷静な声で言った。
「……そこまで言うのなら、お願いするわ」
その返答に、周囲は息を呑んだ。
中でも、最も驚いたのはラディンだった。
「……え?」
「当然、用意はできているのでしょう?」
セラフィーネは冷たい口調を崩さず、ラディンを見た。
「早くしてくれないかしら?」
こうして、セラフィーネとラディンは共に島へ向かうことになった。
なお、ラディンの身体にラニアが何かしたのかどうか――それはアグネッタにも分からない。すべては、ラディンを動かすためのブラフに過ぎなかった。
ラディンは困惑していた。
――あれ? 絶対に断られると思っていたのに……。予想に反して、セラフィーネは同行を受け入れた。しかも、そこにリリアーナはいない。いつもより距離を感じさせる彼女の態度は、冷たくさえ思えた。
……本当に、二人きりで島まで向かうことになるのだろうか?
戸惑いを胸に抱えたまま、ラディンはセラフィーネの後ろを歩き出した。