作品タイトル不明
ラニア達、エドモンドの姉に会う
そうして三人は、朝の光の中を馬車で出発した。
ラニアは窓の外を眺めながら、時折進む方向を指さし、エドモンドに道を伝えた。
エドモンドは御者に短く指示を出し、馬車はゆっくりと石畳を進み始める。
ふたつ隣の街までは、何の問題もなかった。
だがそこから王都方面へ向かう途中、道は次第に人影の少ない郊外へと変わっていく。
「ねえ、街から外れていくのだけど……一体どこに住んでるのかしら?」
リリアーナが不安げに呟く。
「まったくわからないな。ラニア、本当にこの方向で合ってるのか?」
エドモンドが問いかけても、ラニアは窓の外に釘付けだった。
「ここだよ」
突然、ラニアが声を上げた。
御者が慌てて手綱を引くと、馬車は砂埃を上げて止まった。
そこにあったのは、どこかの貴族の別荘と思われる建物だった。
塀は少し高く、庭は手入れされていた。ここに、彼女がいるのか……?
三人は顔を見合わせ、そっと馬車を降りた。
そのとき、家の中から言い争うような声が聞こえてきた。
「……世話にならないよ。ここを出て、違うところに行く」――年配の女性の声。
「彼女はまだ怪我人だ。動かせないよ。それに、住むところは焼けてしまったんだ。いい加減、諦めて、二人ともここで暮らせばいい。その為に、ここを用意したのだから」――男性の声。
「私たちは、おまえの邪魔になるから駄目だ」――また女性。
「邪魔になんてならないさ。第一、怪我人と二人きりでは生活が大変だ」――男性が返す。
エドモンドとリリアーナは顔を見合わせた。
どう考えても、今は訪ねるべきではない。
だが、その判断を口にする前に――。
「ここだよ!」
ラニアは駆け出していた。
二人が止める間もなく、玄関の呼び鈴を鳴らしてしまった。
しばらくして扉が開き、やや疲れた様子の中年近い男が姿を現した。
「……何のご用でしょうか?」
明らかに警戒している。
「えっと――」エドモンドが言い出そうとした瞬間、ラニアが前に出た。
「ここに、イレーネっていう子、いない?」
あまりにも直球な言葉に、エドモンドとリリアーナは思わず息を呑んだ。
男の眉がぴくりと動く。
「……君は?」
「イレーネをね、知ってるの」ラニアは真剣な顔で答えた。
男の脳裏に疑問が走った。
――イレーネのことを知っている?
彼女は火事で大怪我を負い、しばらく病院で療養していた。その前は、近所に買い物に行く程度の生活。……買い物の途中で仲良くなった町の子か何かか?それとも、病院関係者か? それにしては……なぜ居場所がわかった?
男は慎重に言葉を選んだ。
「イレーネは、まだ大怪我が治っていないんだ。ベッドから起き上がることも難しい。……だから、今度にしてくれないかな?」
「会うだけでも、駄目?」
ラニアは大きな瞳を見開き、両手を前で組んで懇願するように見つめた。
エドモンドが慌てて言った。
「ラニア、怪我をしているのだろう。今度にしよう」
しかしラニアはすぐに言い返した。
「怪我なら、リリアーナになおしてもらえばいいんじゃない?」
その一言で、男の視線が初めてリリアーナへと向かった。
淡い紫色の髪に、紫色の瞳。大人の女性というより、少女だ。
そして次に、男の目はエドモンドへと移った。
銀に近い金色の髪――その色は、火事の前に見たイレーネの髪にどこか似ているように思えた。瞳の色も、不思議と懐かしい。
「……彼女は、治癒の力を持っているのか?」
男の声には、かすかな期待と警戒が混じっていた。
治癒の能力――それは王都でも数少ない。
「リリアーナなら、大丈夫だと思うよ」ラニアが即答する。
すると、奥の部屋から年配の女性の声がした。
「治せるっていうんなら、頼めばいいじゃないか」
その声には、諦めにも似た切実さが滲んでいた。
エドモンドとリリアーナは、顔を見合わせて立ち尽くした。治癒の力……それを、こんな場所で使っていいのだろうか?
「……どうしよう?」
リリアーナが小声で問いかける。
「とりあえず、様子を見てみよう」
エドモンドが静かに答え、二人はラニアのあとに続いた。
通された部屋は、陽の差し込まない静かな空間だった。
ベッドの上には一人の若い女性が入口の方を向いて横たわっていた。髪は短く切られ、肌のあちこちは火傷の跡でまだ赤く痛々しい。
傍らにいた年配の女性が、リリアーナたちに向き直った。
「この子はね、私を庇って背中に大きな火傷を負ったんだ。まだ若いのに……私なんて、放っておけばよかったのに。病院では薬を塗って包帯を巻くだけ。こんな状態で退院させるなんて……」
ベッドの上の女性――イレーネが、ゆっくりと微笑んだ。
「ちゃんと治療をしてくれたわ。命があるだけでも、ありがたいの。いつかは、治るわ。それに、同じことがあったとしても、私はまた助けに行くわ」
「イレーネ……」
年配の女性は、潤んだ瞳で彼女を見つめた。
イレーネの目には、痛みの中にも穏やかな光が宿っている。
リリアーナの胸に、温かいものが広がった。――この人を助けたい。
だがその瞬間、隣のエドモンドが静かに首を振った。
“簡単に治癒の力を見せてはいけない”――その眼差しが、そう告げていた。
ラニアは、その場で動けなくなっていた。
目を大きく見開き、まるで時間が止まったようにイレーネを見つめている。
やがて、震える声で言った。
「……イレーネ?」
イレーネは、わずかに驚いたように顔を向けた。
「……そうだけど、あなたは?」
その瞬間、ラニアの目から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
声も出せず、ただその場に立ち尽くす。
リリアーナは慌ててラニアを抱きしめ、背を優しく撫でた。
「ラニア……今は、何も言わないで」
ラニアは、小さく頷き、震える肩を押さえながらリリアーナの胸に顔をうずめた。
男はその様子を見て、何か深い事情があるのだと感じた。しかし、治癒の力を持つ者が来たというだけで十分に幸運だと考え、これ以上詮索はしなかった。
「……疲れただろう。客室を用意する。少し休むといい」
彼はそう言って、エドモンドたち三人を客室へ案内した。
扉が静かに閉まると、外では風の音だけが響いていた。