作品タイトル不明
74話 静かなる共鳴
第二章 静かなる共鳴
第0部隊の棟は、魔法使いの棟と騎士の棟のさらに奥。視界の端に隠れるように、ひっそりとそびえていた。
その存在を知っていても、近づくことは滅多にない。
訓練も任務も、彼等は普通とはまるで違う。
かくいう私も、第0部隊の領域に足を踏み入れるのは今日が初めてだった。
「ここが……第0部隊の――《零【ぜろ】の棟【とう】》ね」
目の前にある建物を見上げ、思わず息を飲む。
黒でも白でもない「灰色」の外壁が淡く光を反射している建物は、どこか現実味がなくて――見えているのに、どこか遠く感じる。そんな不思議な存在感だった。
「ふぅ……。今日から私も第0部隊の一員なんだから、気合、入れなきゃ」
大きく息を吐いて胸を押さえる。
ずっと夢見てきた場所に、今、自分の足で立っている。そう思うだけで心臓が強く高鳴った。
「――貴女が、リネットですね?」
当然、後ろから声をかけられ、思わず肩が跳ねる。
「は、はい! 今日から配属になります」
わずかに上ずった声で答えながら振り返り、慌てて頭を下げる。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
白いローブが朝の光を受けてふわりと揺れ、その下の第0部隊の団服と相まって、どこか清らかで神聖な雰囲気をまとっている。
その袖口には、銀糸で縁取られた魔法陣が繊細に描かれていた。
「貴女の案内役を任されています、《ノア=リュミエール》と申します。どうぞ、よろしくお願いします」
彼女は胸に手を添え、しなやかに一礼した。
所作一つ一つに研ぎ澄まされた気品が漂っていて、柔らかな栗色の髪が動きに合わせてさらりと揺れた瞬間、息を飲んだ。
――綺麗な人……。
思わず見惚れてしまった。
「こちらへどうぞ」
そう言って、静かに背を向けて歩き出す。
私もその背を追って、ついに、零の棟に足を踏み入れた。
足を踏み入れて感じたのは、黒を基調とした魔法使いの棟、白を基調とした騎士の棟と比べても、灰色の外観であること以外、造りそのものに大きな違いはないということ。
もっと近寄りがたいほどの特別感があると想像していたけど……ちょっと安心。
「一般隊員の棟からすると、小規模でしょう?」
物珍しそうにきょろきょろしている私に気付いたのか、ノア様がふと口を開いた。
「い、いえ、そんなことは……」
「遠慮なさらなくて結構ですよ。第0部隊は大所帯ではありませんから。この広さで充分なんです。訓練場などは別にありますし」
「な、なるほど」
確かに魔法使いや騎士達の棟と比べれば、零の棟はこぢんまりとして見える。
けれど、たった一部隊のためだけに用意された場所だと思うと――その灰色の中に、どこか特別な重みが感じられた。
「ここが隊員の待機室です」
案内されたのは、どこか居心地の良さを感じさせる空間。
木製の壁が柔らかな温もりを感じさせ、壁際には簡素なソファと資料棚。中央には、大きな円卓が一つ置かれている。
隅に飾られた観葉植物の緑が、静かな空気に優しい彩りを添えていた。
「任務の合間には、ここで報告や指示をまとめています。なので、リネットも遠慮なく使ってください」
「はい、分かりました。ところで……他の第0部隊の方々はいらっしゃらないんですか?」
ここに来てからというもの、数名の職員とはすれ違ったが、第0部隊の隊員とはまだ一人も顔を合わせていない。
「第0部隊はご存じの通り、【異能】に関するあらゆる事象に即応する特殊部隊です。現在も多くの隊員が任務に出ているため、全員を紹介することは出来ません。ご了承ください」
「そうなんですね。お忙しいのですから、仕方ありません」
新人一人のために第0部隊の貴重なお時間を割いていただくなんて、むしろこちらが恐縮してしまう。また機会があれば、その時にでもご挨拶できれば十分。
「ノア様ご自身もお忙しいはずなのにお時間を取っていただき、本当にありがとうございます」
それは、ごく自然な感謝の気持ちだった。
けれどノア様は、ふと動きを止め、しばし私の顔を見つめた。
「……良かった。やっと、まともな人が入ってきたんですね」
「へ?」
それは、どういう意味?
意味が掴めず放心していると、ノア様はそのまま言葉を続けた。
「第0部隊は、まあ……よく言えば個性派揃い。悪く言えば好き勝手する人達の集まりでして。説明役を任されているのも、他の方だと話が脱線してしまうことが多いからなんです」
「そ、そんなに……ですか?」
「ええ。ですから、貴女のように言葉遣いが丁寧で、きちんと受け答えしてくれる方が入ってくださって、嬉しく思います」
安堵したように微笑むノア様の表情に、嘘偽りは感じられない。
い、一体、どんな人達がいるの!?
詳しく話を聞こうとした、その時――
「やっほー! リネットー!」
――突如、扉が勢いよく開き、場違いの明るい声が部屋に飛び込む。
「久しぶりだねぇ! また会えてすっごく嬉しいや! ほんと大きくなったねぇ。あの頃はまだ小さくて可愛い子供だったのにねぇ!」
「え、え?」
ぴょんぴょんと兎みたいに跳ねて近付いてきた少年が、戸惑う私の腕に人懐っこく手を絡ませる。
オレンジ色の髪がふわふわと跳ね、まん丸の瞳が太陽のように輝く。猫の耳がついた帽子を被った、どう見ても私よりも年下の可愛らしい子供。
まだ七、八歳くらい? 身長だって私の方がずっと高いのに、大きくなったとか言われても……!
「……ねぇ、もしかして迷い込んできちゃったの? お父様とお母様はどこ? 私が送ってあげるから、家に帰ろう」
子供の目線に合わせるように、膝をつく。
すると目の前の子はぷぅっと頬をふくらませて、少し怒ったように私を見た。
「迷子じゃないよ! リネットに会いに来たの!」
「どこで私の名前を知ったのは知らないけど、こんな場所に子供が来ちゃ駄目よ。早くおうちに帰りなさい」
「えーっ、ひどいなぁ。リネットったら、本当に僕のこと忘れちゃったの?」
「そ、そんなこと言われても……」
心当たりなんてまるでない。
戸惑う私をよそに、その子は胸を張り、誇らしげに名乗った。
「《アイノウ》だよ!」
「……アイ、ノウ……?」
その名前を聞いた瞬間、頭の中が真っ白になった。
「そう! トルターン学校の校外学習の時、第0部隊として同行したアイノウだよ! 思い出してくれた?」
「……ええっ!?」
思わず声が裏返る。
まるで信じられない。だって私の知っているアイノウ様は二十歳前後の青年だったはずなのに! でも確かに言われてみれば……どこかに面影はあるような……?
ううん、そんなはずない!
「う、嘘です! だってアイノウ様はもっと大人の方で、少なくとも、今はもう二十代後半になっていてもおかしくないはず!」
「えへへ。僕ってすっごく可愛いでしょ? 少し若返っただけだから、気にしないでね!」
「わ、若返る!?」
頭が追いつかない。
目の前の子供が、あのアイノウ様だなんて――混乱する思考の隙間に、少年はとどめを刺すように、懐かしむような声で呟いた。
「あの頃のリネットは魔力が弱いまま必死で抗っていたのに、随分立派になったねぇ。今の君なら、あの『砂漠で迷子になっていた子供』を救えたかもしれないね」
「っ!」
息が詰まる。
あの時のことを知っている――
「諦めてください、リネット。彼は正真正銘、本物の第0部隊の魔法使い《アイノウ=ドリエルラ》です」
「の、ノア様……」
混乱している私を他所に、隣のノア様は、こめかみを押さえて小さくため息をついた。
「アイノウ。子供になって周囲を驚かせるそのお遊び。そろそろ止めたらいかがですか? リネットが混乱するでしょう」
「えー、だって面白いんだもん」
悪びれる様子もなく、ぺろっと舌を出して無邪気に微笑むアイノウ様。
――普通なら若返りなんて、そう簡単に信じられるはずがない。
「ごめんね。僕は異能を持つ『異能者』なんだ。僕は異能【鏡【かがみ】の問【と】いかけ】で、どんな姿にもなれるの。だから、僕は僕が一番可愛い姿でいるんだよ」
けれど、ここでは特別な魔法【異能】がある限り、どんな不思議も現実になり得る。
やっぱり、第0部隊は普通じゃない。