作品タイトル不明
第101話 誰にも言えなかった気持ち ◆梨里杏視点
「うーん……はあ、よく寝た」
目が覚めると、昨日までの気怠さが嘘のように身体が軽くなっていた。
ズキンズキンと長引いていた頭痛も消えている。
それに――
「嘘……」
腕に視線を落とすと、昨日まで黒く澱んだ色をしていた腕が、元の色を取り戻していた。綺麗さっぱり瘴気が消え去っている。
「疲労回復薬すごすぎ……ううん、違う。そんなものじゃ瘴気は浄化できないもの」
身体が回復して、【浄化】の精度が上がった?
いや、寝ている間はスキルの発動をしていなかった。
瘴気は薬なんかで癒えるものじゃない。
【聖女】の【浄化】でしか、癒すことができないのに……
キョロキョロと部屋の中を見渡すと、ベッドの横に布団が敷かれていることに気がついた。覗き込むと、あたしと同じく異世界召喚でこの世界に呼びつけられたおばさ……ううん、サチさんが気持ちよさそうに眠っている。
小さなドラゴンちゃんも大の字になって眠っていて、二人ともとっても幸せそう。
「あなた、一体何をしたのよ……」
十中八九、瘴気に侵された腕を癒したのはこの人でしょうね。
確か、【 天恵(ギフト) 】は【解体】って言ってたよね。瘴気まで【解体】しちゃったとか? ……ふふ、まさかね。
もしかするとこのドラゴンちゃんが特別な力を持っているのかもしれない。うん、きっとそうね。ドラゴンなんて初めて見たもの。
「ん……ん? ああ、おはよお。よく眠れた?」
ベッドの上で頬杖をついてジッと二人を見つめていると、寝返りを打った拍子に意識が浮上したらしいサチさんが目を覚ました。
寝起きでふにゃふにゃした笑みを浮かべている。この人を前にしていると、気を張っていたことがバカらしくなるぐらい力が抜けてくるわね……
「おはよ。おかげさまでよく眠れたわ。それに……」
綺麗さっぱり瘴気が消えた腕を掲げてみせると、サチさんは「ああ」と少し目を泳がせた。
「身体が元気になったから、【浄化】もよく効いたんだね! よかったよかった!」
明らかに怪しい。この人、嘘つくの下手すぎない?
なんだかおかしいので、そういうことにしておいてあげるわよ。
あたしは思わずプッと吹き出してから身体を起こした。
サチさんも身体を起こして、まだスヤスヤと気持ちよさそうに眠っているドラゴンちゃんの頭を撫でた。……いいなあ。
「……ねえ、あたしも触っていい?」
「ピィちゃんに? ええ、もちろん。ピィちゃんも喜ぶと思うよ。寝てるけど」
ドラゴンちゃんの側に膝をついて、恐る恐る首元に手を伸ばす。猫の喉を撫でるように、サワサワッと指を動かすと、「プピィ」と身じろぎした。
「……かわいい」
「ふふふ、でしょう?」
サチさんと二人でドラゴンちゃんを撫で撫でする。癒される。
しばらくそうしていると、サチさんがあたしに顔を向けた。
「ねえ、あなたの話をもっと聞きたいな」
返答に少し詰まってしまった。だって、こっちに来てから誰も『梨里杏』の話を聞こうとしなかったから。
結局、元の世界もこの世界も変わらない。あたしを認めて、理解してくれる人なんて、あたし自身に興味を持ってくれる人なんていないんだって、そう思っていたから。
「い、いいわよ。何が聞きたいわけ」
う……つい、ツンとした態度を取っちゃうわ。だって今更どんな顔すればいいか分からないんだもの。昨日この人の前で色々曝け出しちゃったし。
私の問いに、サチさんはうーん、と考える素振りを見せてから口を開いた。
「梨里杏はさ、この世界を救いたいと思ってるの?」
「え?」
予想外の質問に、思わず間抜けな声を出してしまった。
「だって、突然元の生活を奪われて、この世界に召喚されて、あなたは【聖女】の力を持っているので魔王を討伐してくれ! って言われても、簡単に受け入れられないと思うのよね。だって、そんな義理はないじゃない?」
確かにサチさんの言うことはもっともだわ。
でもあたしは……ただ、嬉しかった。元の世界では、親の言うことをひたすらに聞いて、親の言う通りに勉強して、中高一貫校に入って、親の決めた大学に入るために遅くまで塾に通っていた。
あたしは親の見栄のための道具でしかなくて、ちょっと反抗すれば幻滅したような目で見られて……とにかく、両親に嫌われたくなくて、あたし自身を見てほしくて、認めてほしくて頑張ってた。
親の敷いたレールの上をただ歩くだけの人生に、何の意味があるんだろうって、そう思ってた。
このままだと、きっと結婚相手まで親に決められて、あたしは一生この人たちの操り人形として生きていくのかって、そう思ってた。
そんな時だった。塾の帰り道に突然足元が光って、気づけば知らない世界に呼び寄せられていた。しかも、唯一無二の存在だって言われて、あたしが必要だって言われて……嬉しかった。
新しい自分になって、親の機嫌を取る人生から抜け出して、自分のために生きることができるんだって……本当に嬉しかった。
魔王討伐とかは、正直実感が湧かなかったけど、あたしは特別なんだから何とかなるでしょうって思ったの。
サクッと魔王を倒して、その後は一生チヤホヤされて生きたいって思ってた。ただそれだけ。世界を救うなんて大義名分なんて何もない。
でも、この世界で生きることになってすぐに痛感した。親に敷かれたレールの上を歩くことが、どれだけ楽なことだったのかを。
自由がないと反抗心を抱いていたけれど、自分で考えず、選択もせず、決められた道をいくのはとても容易なことだった。
結局あたしは、親に依存していたんだと、都合の悪いことは全部親のせいにして、自分で状況を打開しようと努力していなかったんだと、思い知った。
俯いて黙り込んだあたしに、サチさんは優しく声をかけてくれる。
「スキルってさ、面白くて、自分の心の動きに大きく影響されるみたいなの」
いきなり何の話? と首を傾げると、サチさんはこっちの世界に来てからのことを話してくれた。
「は? 魔物解体カウンターヤバすぎでしょ」
「え……サラマンダーが生き返って襲われた!?」
「Bランクの魔物を【解体】した……!?」
「小型ナイフ一つで!?」
ヘラヘラと笑っているけれど、この人、なかなかに異世界の洗礼を受けているんじゃないの? よく今日まで生きてこられたわね……
各地を冒険しているあたしたち勇者パーティよりも、よっぽど危険な状況に陥っている気がするんですけど……
「まあ、色々あったけど、大事な人もたくさんできたし、毎日充実してて楽しいよ。それで、梨里杏はこの世界でどう生きたい? 色んな人と腹を割って接してみた? 多分ね、あなたはもっとこっちの世界に触れるべきなんだと思うな。きっと、何かのきっかけがあれば、梨里杏の能力もぐんと伸びるんじゃないかな。あんまり思い詰めずにさ、気楽に楽しくいこう」
にっこり笑うサチさんの言葉に、頭を強く殴られたような衝撃が走った。
聖女様聖女様と崇め奉られ、みんなあたし自身を見てくれないと思っていたけれど、聖女を理由に周囲と壁を作っていたのは自分だったのかもしれない。
みんなが求める聖女にならなきゃ、あたしにしか倒せないんだから、魔王を倒せるほどに強くならなくちゃ、って。
本当に楽しそうにこれまでの出来事を語るサチさんが羨ましいと思った。どうしてそんなに素直で柔軟なのだろう。適応力高過ぎじゃない?
……捻くれていて、意固地なあたしとは随分と違うわ。
穏やかな笑顔を浮かべ、この世界で自分の居場所を見出したこの人こそ、世界の救世主たるべき人物なんじゃ――サチさんの曇りのない笑顔が眩しくて、つい俯いてしまう。
「梨里杏はまだ一八歳なんだもんね。って、私と三つしか変わらないんだけど……一応私は社会に出て荒波に揉まれてきたし、親がいなくて生きるのに必死だったから歳の割には人生経験ある方だけど」
「え?」
親がいない?
サチさんの発言に思わず顔を上げてしまった。
「うん、子供の時に事故で亡くしちゃったの。育ての親のおじいちゃんも、高校の時にいなくなっちゃって……それからは一人で生きてきたの。だからまあ、元の世界に戻れなくてもいっかって、すぐに割り切れたんだけどね」
「え、高校の時から……?」
あたしと同じ頃には、一人きりで生きていたの?
きっとこの人は、苦労を知らず、幸せに生きてきたんだろうなって思っていたのに、そんなに大変な生活をしていたの?
もし、自分が同じ境遇だったら――?
きっと、サチさんのように強く前向きに生きることはできないわ。
「あ、そうだ。これ、あげるよ」
「……なにこれ」
思い出したようにカバンの中を探ったサチさんが取り出したのは、綺麗な水晶玉のついたペンダントだった。反射的に両手をお椀のようにして受け取る。
「綺麗……」
「これね、通信機なんだって。見て、お揃い。こうやってトントントンって三回叩くと……あーあー、ほら、ね?」
サチさんの声がダブって聞こえたので驚いて音の発生源に視線を落とした。水晶玉から、サチさんの声がしている。
「回数制限はあるから、そう何回も使えないんだけど……不安になったり、つらくなったりしたらいつでも連絡して。話し相手ぐらいにはなるからさ」
そう言ってサチさんはペンダントを顔の横に掲げてブラブラと揺らした。
「サチさん……うん、うん。……ありがと」
嬉しい。
その言葉は口の中でモゴモゴとくぐもらせてしまったので、聞こえたのかは定かではない。けれど、サチさんは嬉しそうに笑みを深めていた。
これって貴重なものなんじゃないの? 例えば、恋人とか好きな人に渡すものなんじゃないの? ……ほんと、お人好しなんだから。
でも、ちょっとだけ、この人みたいに前を向いて生きたいと、そう思ってしまった。
お人好しなこの人は、初めて『梨里杏』という一人の人間に向き合い、理解しようとしてくれた。
あたしがずっと求めていたのは、サチさんのような存在だったのかもしれない。
ペンダントをぎゅっと胸に抱きしめた。
一粒だけ、ポロリと涙が溢れた。