軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第100話 聖女リリア

「ひっ、ドラゴン……!?」

「あ、大丈夫よ。私の友達だから」

部屋の鍵を開けて梨里杏を中に通すと、「おかえりー!」と言わんばかりにピィちゃんが飛び出してきた。耳をパタパタさせるピィちゃんを抱き止めて、怯える梨里杏に微笑みかける。

ピィちゃんも、「誰?」と首を傾げつつも私に頬擦りをしてくれる。可愛い。

「さ、立っているのも辛いんじゃない? とりあえず、ベッドに座って」

手で指し示して誘導すると、梨里杏は戸惑いつつも素直にベッドに腰を下ろした。

そして何やらモジモジと膝を擦り合わせながら、上目遣いで問いかけてきた。

「…………あなた、生きていたのね」

「この通りピンピンしているわよ。何、路頭に迷っているとでも思っていたの?」

黙り込んだ様子から、どうやら図星のようね。

そりゃそうか。召喚された時に、魔道士たち全員を引き連れて私を地下室に置き去りにした張本人と言っても過言じゃないものね。

まあ、あの時はアルフレッドさんがいたから何とかなったんだけど、彼がいなければ本当に梨里杏の想像通り、路頭に迷って最悪野垂れ死んでいたかもしれないもの。改めてアルフレッドさんに感謝だわ。

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は 蓮水紗千(ハスミサチ) 。冒険者ギルドの魔物解体カウンターで働いているの」

「解体……」

この反応からすると、どうやら私の【 天恵(ギフト) 】を覚えているみたいね。

「あたしは、田中梨里杏…………知っての通り、【聖女】よ」

【聖女】だという声は、消え入りそうなほどか細かった。

召喚されたあの日、【聖女】の【 天恵(ギフト) 】を持つことを誇らしげにしていた面影は消え失せている。あの時の覇気や勢いはなく、どこか疲れた様子の梨里杏は、膝を抱えて丸くなってしまった。

私は静かに梨里杏の隣に腰掛けると、丸くなった背中をそっと撫でた。

「ねえ、あなた……瘴気に蝕まれているんじゃない?」

「…………あは、やっぱり気づいてた? すごいわね、あたしの仲間は誰一人として気づかなかったのに」

静かに顔を上げた梨里杏は、自嘲気味に言った。

そして、司祭服のゆったりとした袖を捲って右腕を出した。

手首から肘にかけて肌は黒く変色し、不穏な様相をしている。

「触らない方がいいわよ。あたしは湖を浄化する時に、瘴気に触れちゃってこうなったのよ」

「……自分で自分を浄化することはできないの?」

「できるしやってるわよ。これでも随分と薄くなったのよ。自分自身を【浄化】するのって、思ったよりも難しいのよ。いつも以上に時間がかかるし疲れるの」

力を十分に発揮するには、コンディションが良くないといけない。

けれど、目の前で小さくなる梨里杏はどう見ても万全の状態ではない。

「ちゃんと食事はしているの?」

「ん、あんまりかも。聖女は女神の使いだって考え方があるから、豪勢な食事じゃなくて質素で倹約にって口うるさく言われるし。お肉もたまにしか食べられないわよ? 今は旅の途中だから、野宿だと携帯食だし……なんか、食欲もない」

ダメじゃん。食べなきゃ踏ん張れるところも踏ん張れなくなる。

「それに、聖女が瘴気に侵されているだなんて、この国の人には絶対に言えないもの。ブライアンには尚更ね」

今日一日で見た聖女を信仰する人たちのことを思い返す。

この国の人は聖女を神格化している気がする。

その中でもとりわけブライアン王子は聖女に並々ならぬ思い入れがありそうだった。

「何よそれ。あなたは聖女である前に、田中梨里杏って一人のか弱い女の子じゃない。辛い時に辛いって言えない相手に命を預けることができるの?」

思わずため息と共に本音が漏れた。慌てて「あっ」と口を手で覆う。梨里杏の周りの人たちに対する憤りが溢れてしまったけど、本人を前に言うべきことじゃなかった。

恐る恐る梨里杏の様子を見ると、みるみるうちに大玉の涙が膨れ上がって、とうとう堪えきれずにボロボロと零れ落ちてしまった。

「わわっ、ごめん。泣かせるつもりじゃ……」

オロオロする私に、「違うの」と梨里杏は首を振ってくれる。けれど、一度零れた涙は止まることを知らないようで、どんどんと溢れては零れ落ちていく。

これまで我慢してきたものが溢れてしまったのかもしれない。

黙ってハンカチを差し出すと、梨里杏はハンカチに顔を埋めて涙を流し続けた。

「ピィ?」

ピィちゃんも心配そうに梨里杏を仰ぎ見ている。「大丈夫だよ」とでも言いたげに、ポンポンと梨里杏の足に手を乗せている。

ピィちゃんは人の心の奥に潜む善悪の感情に敏感だ。

警戒するわけでもなく梨里杏に寄り添っているということは、この子の心根はきっと――

しばらく泣き続けた梨里杏は、泣き止んでから召喚時のことを謝ってくれた。それから、ポツリポツリと召喚後の出来事を語って聞かせてくれた。

王城に連れて行かれて早速ブライアン王子に謁見したところ、梨里杏を一眼見て滝のような涙を流したらしい。ブライアン王子は幼い頃から勇者たるべく育てられてきて、そのパートナーとも言える聖女が現れることを心待ちにしていたのだとか。

古い書物や姿絵、言い伝えにより聖女という存在を美化し続けたところに現れたのが梨里杏だった。

聖女に陶酔するブライアン王子に、梨里杏もドン引きだったみたい。そりゃびっくりするよね。イケメンが大号泣しながら縋り付いてきたら私だってゾッとするかもしれない。

中身はとにかく超美形の王子には違いないので、勇者パーティの一行に加わって魔王討伐に向かうことになったという。

「【聖女】だって言うからさ、こう、祈りを捧げるとものすごい力で周りを浄化して、魔王もあっという間に倒せるものだって、そう思っていたのよ。だって、そうじゃない? わざわざ異世界召喚までして呼ばれたのよ、あたし。なのに、【 天恵(ギフト) 】の能力レベルってやつはレベル1からスタートだし、肝心の【浄化】のスキルだって……【浄化(微)】だったのよ! かっこ微、かっこ閉じる! 何よそれ!」

何かが吹っ切れたらしい梨里杏が吠えた。子猫が毛を逆立てているようにしか見えないけど、これは黙っていた方がよさそう。

「そんなんじゃ、到底魔王を討つことはできないからって、今はこの国の各地を巡って困った人の手助けをしているのよ。怪我や病気を癒したり、魔物を討伐したり……能力レベルを上げるために、そりゃもう一生懸命頑張ったわよ。でも、まだ能力レベルは3に上がったところなの。レベルが上がって【浄化(小)】になったけど、小って!! 大して変わらないわよ!! それに、聖女様、聖女様って言うくせにさ、旅は質素で泥臭いし。宿より野宿の方が多いんだから。トカゲやカエル、ムカデだってもう慣れちゃったわよ。ブライアンは虫が苦手で今でもキャーキャー騒いでるけどね。何であたしが虫を駆除しなきゃならないのよ! 逆でしょう、普通は!」

うーん、こりゃ随分と鬱憤が溜まっているらしい。

それに、やっぱり私の能力レベルの上がるスピードは尋常じゃなさそうね……同じタイミングで異世界にやってきた梨里杏が能力レベル3か……これは、梨里杏のためにも私のレベルを言うわけにはいかないわね。

「あ、あたしだって、頑張ってるんだから! みんな、聖女聖女って……【聖女】だからって、なんでもできると思わないでよねっ!」

梨里杏はマシンガントークを炸裂させながら、ふんすふんすと肩を怒らせている。熱があるから、あんまり興奮させるのも良くないな。今更だけど。

「そっか、頑張ったのね」

私は梨里杏を宥めるように、よしよし、と頭を撫でた。

悲しい時や辛い時、おじいちゃんは『頑張ったなあ』の一言を添えて、ただ優しく頭を撫でてくれた。それだけで、ちゃんと私のことを見てくれて、認めてくれる人がいるんだって安心したっけなあ。

懐かしい気持ちを抱きつつ、なでなで、と手を動かしていると、ポカンと梨里杏がこちらを見上げてきた。

「どうかした?」

「……ううん。……そう、あたし、頑張ったの。頑張ってるの……ちゃんと、『頑張ったね』って言ってくれたのはあなたが初めて」

梨里杏はうつむくと、ズビ、と鼻を啜ってしばらく静かに頭を撫でさせてくれた。

きっと、聖女だからと高い理想を掲げられ、聖女だから当たり前、聖女にとっては容易いこと、と誰も『梨里杏』自身を見てくれなかったのだろう。

それに、みんなが聖女様をキラキラした目で見るものだから、こうして本当の気持ちをぶちまけることもできず、笑顔の仮面を被って心を押し殺してきたのかもしれない。

それはとても苦しいし、辛いし、しんどい。

逃げ場もなくて、魔王討伐なんてとっても大きな使命も与えられて、まだ十八歳の女の子だと言うのに、どれほど心細かっただろう。

梨里杏が落ち着いたことを確認して、私はカバンの中から出発前にレイラさんが持たせてくれた疲労回復薬を二本取り出した。

「ねえ、よかったら私の友達が作ってくれた疲労回復薬を飲んでみない? 元の世界の栄養ドリンクみたいなものよ。これを飲んで寝たらスッキリすると思うわ」

「……いいの?」

薄水色の小瓶の蓋を開けると、甘い匂いが立ち上る。ひとつをグイッと飲み干して安全であるとアピールする。

「もちろん。動くのももう辛いでしょう? 今夜はここで寝ていいよ」

「でも……」

「いいから、いいから。年長者のお節介を聞いてちょうだい」

「……ありがとう」

梨里杏は小瓶を受け取ると、喉を反らせて一息に呷った。

「甘い……」

「さ、横になって」

「うん」

促すと素直に布団に潜り込んだ梨里杏。

すぐにうとうとと長いまつ毛が震えて、瞼が落ちる。間も無く、規則的な寝息が聞こえてきた。

「気を張って熟睡もできてなかったのかもね。朝までしっかり眠れるといいけど」

私は後で宿にお願いをして布団を一組借りてきて床に敷いて寝るつもりだ。梨里杏を一人にはできないしね。

「さて、と」

その前に、やってしまわなければならないことがある。

私はカバンから、今度はオリハルコンのナイフを取り出した。

梨里杏が自分で懸命に瘴気を【浄化】しようとしているのだから、彼女の成長のためにも、プライドのためにも、私がさっくりと癒してしまうのはどうかと思った。

でも、心身ともに疲れ切っている彼女を少しでも安らげてあげたい。このまま放っておくわけにはいかない。

「疲労回復薬を飲んでしっかり眠ったから、自己治癒力が上がったってことで、納得してくれるといいけど」

私は眠る梨里杏の額にかかる髪をそっと撫で付け、(【浄化】)と心の中でスキル名を唱えてから、梨里杏の細い腕にナイフの切っ先を触れさせた。