作品タイトル不明
チョウに群がるアリの群れ
あの後、私はユーステッド殿下に手伝ってもらいながら、講演会で使う原稿の添削、修正を行いながら、何とか仕上げることが出来た。
排泄物の話は外せないという私の主張を、品位だのなんだのと訳の分からないことを言って、何かにつけては却下しようとする殿下には困ったもので、添削作業は白熱して時間が掛かったけど、何とかお互いが納得できる原稿に仕上がったと思う。
「あの、お兄様……? 大丈夫ですか? 随分とお疲れのようですけれど……」
「問題ない……気にするな……」
そして講演会の当日。私は登校するティア様とユーステッド殿下に同行する形で、皇宮から出発した馬車に乗っていた。
ティア様の言う通り、今日の殿下は何だか疲れている様子。馬車の窓枠に肘をつき、重たそうにしている頭に手を添えて支えている。
「どうしたんですか殿下? 寝不足か何かですか? 普段は私にちゃんと寝ろって言っといて、それはどうかと思ぃいいいいいいいいいいっ!?」
「誰のせいだと思っているのだ……! 最後の最後まで、汚物の話を盛り込もうとしおってからに……!」
「わ、私かぁああああああああっ!?」
ユーステッド殿下の怒りのアイアンクローに、私は悶絶する。
……そう言えば、ちょっと心当たりはあるかなぁ。昨晩は遅くまで原稿内容について激論してたし……ちょっと悪いことしたかも。
「少し目を離すと、どうして貴様は汚らしい方向に話の舵を切りたがるのだ……!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!? すんませんっしたぁああああああああああっ!」
「お、お兄様っ。お姉様も反省しているようですし、どうか穏便にっ」
汚い悲鳴を上げる私を憐れんだのか、仲裁してくれたティア様のおかげで、ユーステッド殿下は舌打ちと共に私の頭を解放する。
「いいか? お前は皇族……第一皇子派の依頼によって学院で講演会を開くのだ。くれぐれも生徒や来賓の前で下品な話題をするな。生物学を語る上で欠かせないとしても、原稿通りにオブラートに包むようにしろ。分かったな?」
「はいはい、分かってますって」
私だって、一応仕事で来てる自覚はある。その依頼を承諾した以上、相手方のオーダーにもある程度従うつもりだ。
どうやら貴族間では、排泄物の話はNGみたいだし? 貴族が多いアーケディア学院では控えてやろうじゃないか。
「それにしても、貴族って食えない狸みたいな印象があって図太いと思ってたんですけど、このくらいの話題を気にするなんて、案外肝が小さいんですねぇ。平民の子供とかは、私が排泄物の話をすると大喜びするんですけど」
「それは方向性の違いと申しますか……そういう意味で図太いという意味ではないかと」
私がポロッと口にした言葉に、ティア様は苦笑しながら答える。
「そうですか? でもレオンハルト殿下は、私が排泄物の話をするとすっごい楽しそうにしてましたよ?」
「貴様兄上にまでその様な話をしていたのか!?」
この間、離宮でバッタリ会って少し話す機会があったんだけど、その時にドラゴンの生態について話すことになって、排泄物の話題についても触れたんだけど、その時のレオンハルト殿下は平然としてた。
後ろに控えていた側近の人たちは口元を手で押さえて顔色悪くしてたけど、レオンハルト殿下はむしろ大喜びだったって言うか……。
「お二人のお兄さん、凄い前のめりになって興味津々な様子で話を聞いてくれましてね。『もっと聞かせてくれ』ってせがまれたくらいです」
「あの人は本当に……!」
心底頭が痛いとばかりに額を手で押さえるユーステッド殿下。どうやらレオンハルト殿下はレオンハルト殿下で、私とは別の意味でこの人を悩ませているらしい。
「あの方は常人の枠組みには居ないというか、その……常に感性が子供のように瑞々しく、柔軟な思考をお持ちなのだ。だからこそ、どのような話題にも偏見を持たずに真摯に耳を傾けておられる」
「あ、それは何となく分かります」
少し話しただけだけど、レオンハルト殿下って図体がデカくて風格がある割には、子供みたいに好奇心で目を輝かせるんだよね。
前世で小児科病院に長く入院していた時の経験からか、私は子供と話すのは割と好きな方だ。レオンハルト殿下は、そんな子供たちを彷彿とさせる雰囲気があって、話していて毒気が抜けてくるのである。
「あ、着いたみたいですね」
そんな話をしていると、私たちが乗っている馬車が、巨大な施設の前に到着していた。
地平線の先まで続く長くて高い塀に囲まれた、恐らく皇宮にも匹敵する帝都で最も巨大な建物の一つ。一見すると城館にも見えるこの建造物が、アーケディア学院か。
窓ガラス越しに見える巨大建造物を、どこか感心したような気持ちで眺めていると、ドアを開けて先に馬車から降りたユーステッド殿下が、次に降りようとしたティア様に手を差し伸べる。
ティア様はその手を自然な仕草で取って馬車から降りると、ユーステッド殿下は今度は私の方に向かって手を差し伸べてきて……。
「さぁ、手を……」
「え?」
私はその手を、何の他意もなく無自覚にスルーして、馬車から地面に向かって直接飛んで降りてしまった。
「殿下? どうしたんですか、その手?」
「……何でもない。お前にこの手でエスコートは必要ないという考えに至れなかった、私が間違いだった」
「あー……何かすいません」
少し憮然とした表情で返事をする殿下。
どうやらエスコートとやらをしようとしたのを、私は完全にスルーを決め込んでしまって、差し伸べた手の行き場が無くなったらしい。
「……お二人は、息が合っているのか合っていないのか、お似合いなのかそうでないのか、時々分からなくなりますね」
心なしか、ティア様も残念そうなものを見るような眼を向けてくる。
お似合いだのなんだの、訳の分からないことを言っているけど……仕方ないじゃん。だって私、馬車を乗り降りするのに、わざわざ人の手を借りる必要ないんだもん。
そんなちょっとしたことがありながら、両殿下と共に正門を潜って学院の敷地内に入り、道なりに進んでいると……周囲から、無数の人の視線が集まるのが分かった。
『ご覧になって……! ユーステッド殿下がご登校なされたわ』
『しばらくウォークライ領の跡取りとして領地で励んでおられたと聞いたけれど……逞しく磨き抜かれると共に、また一段とお美しくなって……』
『ティアーユ殿下……今日も相変わらず麗しくあらせられる』
『つい先日まで病弱であったというのが嘘のようだ……あの美しさに加え、第一皇子殿下との仲も良好とあれば、是非とも我が家に降嫁を……』
その視線は、さながらハイエナ。群れを成す肉食獣が、食いでのある大型草食動物を前にしたかのようにギラついたものだった。
(……これは、もしかしてアレか? 二人揃って、結婚相手として集中マークされてるっていう奴か?)
どこかで聞いたことがある。皇族ともなると、何もしなくても政略結婚の申し出が山のようにくると。
ティア様に関しては、病弱という事でそういう話も無かったらしいけど、皮肉なことに病状が回復したことで、手のひら返しをした貴族たちに政略結婚相手として見られるようになった感じか。
『……ところで、両殿下の後ろをついて歩く、見すぼらしい娘は誰かしら?』
『白いローブコートを羽織っているという事は、学士か? それにしては貧相だが……』
『あのような品性を感じさせない小娘が、畏れ多くも両殿下の傍に侍るだなんて……一体何様のつもり?』
となると、当然お二人の近くを歩く私にも視線が向けられるわけだけど、その眼差しと、遠巻きから呟く声には悪意が満ちていた。
ただ一緒に歩いているだけの事に、何をそんなに過敏になって、何が気に入らないのか……私には欠片も理解できないけど、正直どうでもいい事だ。
直接手出しも口出しもしてこないというのなら、私から何かする理由がない。悪意ある貴族の囁きなんぞ、暴れ狂うドラゴンの咆哮と比べれば、何の意味も無い雑音と同じである。
……とまぁ、そんな感じで欠伸をしながら校舎に向かって歩いていると、こちらに近付いてくる女子生徒の集団が現れた。
「ご機嫌よう、ユーステッド殿下。並びに、ティアーユ殿下。お二人は本日も大変麗しくあらせられますわね」
「ご機嫌よう、イグリット侯爵令嬢。それに皆様も、ご壮健のようで何よりです」
「お気遣いありがとうございますわ、ティアーユ殿下。ご快復され、こうしてご登校できるようになられて、何よりでございます」
濃い金髪を縦ロールにし、過度ではないけど目立つくらいには宝飾品を身に付けた、学生にしてはド派手な格好をした女子生徒や、その後ろにカルガモの雛のようには付いてきていた女子生徒たちは、私の事は華麗にスルーしてユーステッド殿下やティア様に話しかける。
侯爵令嬢……という事は、それなりに偉い立場の人間ってことか。それにしては、そこはかとなく軽薄な印象を感じるけど。
「もしよろしければ、ティアーユ殿下のご快復を祝し、我がイグリット家にお招きさせていただければ、それに勝る幸運はございませんわ。我が家が治める領土では幅広い産業を通じて、他領との交流も深いんですの。これから社交界へお見えになられる機会も増えますでしょうし、ティアーユ殿下にとっても非常に有意義な機会となると思いますわ……その時には、是非ともユーステッド殿下もご招待させていただきたく存じます」
ツゥ……と、ユーステッド殿下に視線を送るイグリット侯爵令嬢。その目つきは流し目というよりも、獲物をロックオンしたヘビのように感じたのは、私の気のせいじゃないと思う。
「恐れながら、ティアーユ殿下はまだ社交の経験も少なくあらせられますし、兄君であるユーステッド殿下が傍に居らっしゃれば心強いと思いますの。当然、イグリット侯爵家には皇族のお二人をお招きしても、必ずやご満足いただける自負が……」
「まぁ、それでしたら我がシュトラル家にもお招きしたく存じますわ」
すると今度は別の女子生徒一行が会話に乱入してきて、イグリット侯爵令嬢が今にも舌打ちしそうなくらいに顔を歪めた。
「我が家は前々から、ティアーユ殿下とのお茶会の場を設けさせていただきたいと思っておりましたの。もちろん、ユーステッド殿下にもお越しいただける準備は何時でも……」
「まぁ、でしたら我が家こそが両殿下をお招きするに相応しいですわ」
「いいえ、我が家の方が歴史も古く、皇族をお持て成しする品格が……」
「何を言っているの? 貴女の家は確かに建国時から続いているけど、近年は財政難で、皇族を招待できるほどではないでしょう? それに比べて、我が家は経済の発展が目覚ましくて……」
一人の女性との声に呼応したかのように、女子生徒たちが一人、また一人と、続々集まってくる。
おいおいおい……マジかよ。貴族と思われる女子生徒たちが大群となって、たった二人の皇族の元に押し寄せてきてるじゃん。その姿はまるで……。
「地面に落ちたチョウに群がるアリみた……あむぐっ!?」
「皆様からのご厚意、心より感謝いたします。スケジュールの都合もありますので、現時点では確約できませんが、皆様からのご招待に参加するかは、前向きに検討をさせていただきます」
「そうだな。予定が合えば、私もティアーユと共に出席するのも吝かではない」
皇族と貴族令嬢を纏めて虫呼ばわりしようすると、ユーステッド殿下が前を向いたまま後ろ手で私の頭を引っ叩き、ティア様が私の口を指先で優しく塞ぐ。
そんな兄妹の無言のコンビネーションには、私も黙るしか出来なかった。
(しかし……なるほどねぇ。これは確かにユーステッド殿下も疲れるわ)
群がってくる女子生徒たちはいずれも、ティア様と交流したいというのは嘘じゃないと思う。でも本音では皇族という権力にあやかりたいという気持ちと、交尾相手としてユーステッド殿下と縁を繋ぎたいという考えが、私にも丸分かりだ。
そしてそんな鬼気迫る勢いすら感じる女子生徒たちに気圧されながらも、遠巻きから男子生徒たちは羨ましさと妬ましさが混在したような眼で、ユーステッド殿下を睨んでいる。
(この調子だと、学院に行く度にこんな感じなんだろうなぁ)
真面目な事に、女子生徒一人一人に丁寧な対応する殿下を見ている限りだと、私の予感も間違いではないだろう。
私を相手にする時みたいに、大声で怒鳴って散らせばいいと思うけど、国内の勢力争いが続いている今の情勢だと、国内の貴族を雑に扱うのは難しいか。
だから殿下たちも、道を塞いで全然退こうとしない女子生徒たち相手に穏便に立ち回っているんだろうけど……。
(駄目だ……シンプルにクソ邪魔だわ)
こちとら校舎に用事があるから向かっていたのに、それを邪魔するかのように群がってきてからに。
別に自分の利益と権力の為に、親切を装って皇族である殿下たちを利用しようとしていることも、ユーステッド殿下を交尾相手にするために動くことも、私は悪い事とは思わない。
群れを率いるボスに従い、密接な関係になって甘い汁を啜ろうとすることも、子孫繁栄の為に優秀な遺伝子を持った個体を繁殖相手に選び、それを奪い合うことも、自然界ではよくある生物として当たり前の行動だ。
(それ自体にケチを付ける気は毛頭ないけど……そんな行動を取る相手をどう思い、どんな事をしようが、それもまた自由だよね)
こっちにだって予定があるのだ。それの邪魔になるって言うんなら、私もそれなりの事をさせてもらおう。
「殿下、いい加減職員室へ向かいません? 教員の人たちと講演会の打ち合わせがあるんでしょ?」
女子生徒たちによる勧誘の声を遮るくらいの大きめな声でそう言うと、女子生徒たちが一斉に私の方を睨む。
うぉ、怖……くはないな。彼女たちの目は、生きるために命も賭けたことが無いような、睨むと呼ぶには弱々しい眼差しだ。自分が常に安全圏で生き続けられると信じて疑っていない、ある意味では生きることへの執着心が薄い目だと、私は感じた。
平和な環境で生きられることは素晴らしい事だけど、正直全然怖くない。それに私は本当のことを言っただけで、睨まれても八つ当たりとしか思えないなぁ。
「そうですね、お兄様。アメリアお姉様の言う通り、先生方をお待たせするわけにはまいりません。ここに居る皆様には申し訳ありませんが、この場は失礼させていただきましょう」
「む……そうだな。確かにその通りだ」
お姉様……そう呼んで私と腕を組むというスキンシップをするティア様。それを見ていた周りの生徒たちは、一斉に目を見開いた。
「ティアーユ殿下……? その、そちらの女性とは随分と仲睦まじいようですが……?」
「それはもう。何しろアメリアお姉様は、お兄様と共に私を病の苦しみから救ってくださった恩人ですから。皇族としてだけでなく、一個人としても深く感謝し、敬意と親愛を持っております。それはこの場に居ない母やレオンハルトお兄様も同じですわ」
「そ、そうでしたか……それは、帝国貴族として感謝しなければなりませんわね……」
すげぇ……さっきまで露骨に私の事を見下してた連中が、手のひら返したみたいに取り繕ったような引き攣った笑顔を浮かべながら、悔しさを滲ませた目で見てくるようになった。
私に手を出したら、皇族として黙ってねぇぞ……そんな意思が言外に伝わったんだろうな。心底妬ましそうにしながらも何も言えなくなって、悔しそうにしている。
そんな女子生徒たちを置いて、再び職員室へ向かうと、その途中でユーステッド殿下がポツリと呟いた。
「正直、助かった。おかげで予定時刻に間に合いそうだ」
「へっ……何のことですか? 私はあの蜜に群がる虫みたいな連中が鬱陶しかったから口出ししただけですよ」
「貴様という奴は……先ほども言いかけたが、そのようなことを面と向かって口にするんじゃない」
「へいへい、分かりましたよっと」
何とも見当違いな感謝の言葉を告げるユーステッド殿下を鼻で笑ってやると、苦手な女に詰め寄られていた殿下は、少し元気が出たみたいに笑っていた。