作品タイトル不明
第三話 両替商のハッテ
今の帝都では珍しく、船着き場は活気づいていた。
それもそのはず、船着き場は人と物の集積地。さらには船で運ばれてきた最新の情報も転がっている。
チトセが船着き場に着いたちょうどその時、河を遡上してきた貨物船が入港したのもあって乗船客でごった返している。
夕食時が近いこともあって、土地勘がない乗船客が案内人に声をかけ、あまり混雑しないが美味い料理店を聞いている。宿から小遣いをもらっている案内人は「この時間では部屋がなかなか取れない」などとほんのり脅しながら宿泊先を紹介しつつ、乗船客の予算にあった料理店を教えていた。
アシエラの手紙を渡す相手、ハッテはいつも桟橋から少し南に歩いた銅像の横に陣取っている。今日もその銅像の横で古びた組み立て椅子に座っていた。
「――新婚旅行! おめでたいじゃないの! トッペバの渡り鳥? あそこは確かにいい宿屋だ。食事が美味くて量も多い。でも、で・も・だ・よ? 新婚旅行なんだからさ、その綺麗な金髪のお嫁さんがそこにいるのを見ただけで思い出にずっと残るような良い庭のある宿を紹介したいね。いやいや、いやいやいや、泊まらなくていいんだよ。庭なんだから! 散歩するだけ。ほら、紹介状。あたしへのお代はいらないよ。……ここだけの話、この紹介状を渡せば宿代が一割引き。トッペバの渡り鳥と価格が変わらないんだよ。それに、あたしがトッペバの渡り宿を紹介する時は大飯食らいの船乗り相手だと相場が決まってんだ。あそこの料理は本当に美味いし量が多いからね」
立て板に水の如く、客の求めに見合った宿を紹介しながら他の宿も立てる長広舌を振るう女。
シックな白黒のシルクスカーフを首に巻く五十絡みのその女こそ、両替商のハッテだ。
客の新婚夫婦は最初こそ呆気に取られていたが、押し売りするわけでもなく親身に話を聞いて穴場の観光名所まで教えるハッテに最後は感謝の言葉を述べ、笑顔でイチャイチャしながら歩き去った。
チトセの肩の上で、シャンジが呆れ声を出す。
「よくもまぁ、舌を噛まねぇもんだよ」
チトセはシャンジの感想に頷く。そんなチトセの頭上を飛んでいるエティがハッテに感心する。
「それもあるけど、訛りを使い分けてない?」
「遠方から来た客に配慮してるんだろ。ただ、今の新婚夫婦は旧ディグジニア協商連合出身だ。よく聞き取れるレベルに訛らせたな」
ディグジニア協商連合は海沿いに存在した商業国家だ。各国から貿易船が来航してきた歴史から様々な言語が入り混じり「解らないけど分かる」言語になっている。その弊害か、「分かるから解ろうとしない」ので帝国語があやふやだったりする。
そんなディグジニア協商連合の公用語ですらなく帝国語で、さらにはディグジニア協商連合訛りにして先ほどの長広舌を振るって理解させたハッテは紛れもなく船着き場で最高の案内人だ。本業は両替商だが。
ハッテは新婚夫婦に手を振って見送ってから、チトセの方を見る。まだそれなりに距離があるのだが、視野が広いハッテはしっかりチトセを認識していたらしい。
「やっほー、チトセちゃん。飴ちゃんいる?」
「いらない。これ、アシエラさんから手紙」
「まださん付けしてんの? 奥ゆかしいね!」
けらけら笑いながら右手で右膝を叩き、左手で手紙を受け取ったハッテは折りたたまれた手紙を片手で器用に開けて速読する。
「……おぅ、そう来るか。流石はアシエラ師匠」
手紙に目を通したハッテは呟いて、組み立て椅子から立ち上がる。そして、銅像の陰、必死の形相で計算をしていた少年の肩を叩いた。
「こら、エルタ。計算をする時には朗らかに、にこやかにだって言ったろう。金を扱う奴が険しい顔をしていたら足元を見られるんだよ! 赤字で微笑み、黒字で真面目な顔をするもんだ」
「この計算はお金じゃなくて、あんたが計算しろって言った荷運び船の台数と容積と積荷の木箱とその中身――」
「お馬鹿! 数字は嘘をつかないんだ。余所様に計算の内容を喚くんじゃないよ!」
「……すみません!」
ほぼ逆ギレで謝って、エルタというらしい少年が銅像の後ろから出てきた。
銅像が作り出す影がエルタに覆いかぶさる。夕暮れ間近の強い日差しの中で銅像による陰影に呑まれる少年は年相応……否、それ以上の柔らかな雰囲気を纏っていた。
やや暗い色調の茶髪は周囲の光を吸収してエルタ自身の輪郭と雰囲気を形作り強烈なまでの存在感を生み出している。その中に光る黄金の瞳は鋭く攻撃的な光を放ちながらも暗闇に灯る唯一の光源のような信頼と安心を宿していた。
「ハッテさんの弟子? 両替商に適性がありそうだね」
チトセはエルタに抱いた感想をそのまま口にした。
ハッテが豪快に笑う。
「見た目だけじゃないんだよ。頭も切れる! チトセちゃんに感謝だね」
「え? 私?」
ハッテとエルタの師弟関係に自分を持ち出されて、チトセは二人の顔を見比べる。
エルタは計算途中の書き付けを忘れたようにチトセを見つめている。対してハッテはアシエラの手紙への返信を書きながら片手間にチトセに答えた。
「アシエラさんが店番を任せるほどのしっかり者がチトセちゃんだ。なら、チトセちゃんくらいのしっかり者を見つけ出したら弟子にするさ」
「そういうもの?」
「チトセちゃんは自覚ないだろうけど、なかなか居ないんだよ。チトセちゃんくらいのしっかり者は」
チトセが裏町出身なのを知っているハッテの評価には素直に喜べない。大人が頼りないなら自分を頼るしかない。そんな環境で生きてきたチトセは自分が標準だと思っていた。
だが、少し嬉しそうな顔をするエルタを見れば、自分の評価軸が間違っているのは分かる。
「頼りない人が多い世の中だね」
「ははっ。その言葉が出てくるチトセちゃんが大好きだ!」
周囲の両替商も振り返るほどの声量で笑ったハッテはアシエラの手紙の返信を書き終えた。