作品タイトル不明
第二十八話 もう一人
「――デポッサ老を探ってたのはこいつじゃない。別の奴だ!」
硬直する。
ルマンからの手紙にあった容疑者の人相と取り押さえた男を見比べる。
サウベリア系で二十代半ばの若い男。小麦色の肌に長い手足。陰気な印象。全部あっている。
ただひとつ――茶髪ではなく赤褐色の髪であることを除けば。
大きく息を吸って、チトセは宿り木の庭へ駆け出そうと重心を傾けた。
一歩目を踏み出す寸前、建物の上から何者かが降り立つ。目の前に着地することでチトセの動きを止め、隙を作り出す。
衝突を避けるためにバランスを崩して横に倒れる最中、チトセは自分の失態を悟った。
長い茶色の前髪の裏から覗く冷たい視線と目が合う。視線の主の手が短剣へと伸びる。バランスを崩して倒れるチトセは短剣をただ強く握りしめる以外に抵抗できない。子供のチトセと成人が短剣を奪い合えば結果は明らかだ。
「――許せぬな」
怒りの籠った声でティ・キーが呟き、茶髪の男の手を横から蹴り飛ばした。普段からチトセの肩に乗っているほど小さな精霊の蹴りは大した衝撃ではないが、それでも男の手は短剣からそれてチトセの服を掠める。
「ちっ」
舌打ちした男はすぐさま対応し、前のめりになりながらチトセの襟首を掴んで持ち上げた。
「手間を掛けさせるな」
茶髪の男は片手で軽々とチトセを持ち上げ、駆け寄ろうとしていたルマンたちに睨みを利かせる。
「近づくな。マフィアなんかに興味はない。お前らのボスを殺したのはそこのチンピラだ。勝手に始末をつけてくれ」
バジガンファミリーが動く理由を的確に潰してチトセへの救援に二の足を踏ませた茶髪の男は、逃れようともがくチトセに目を向ける。
「暴れるな。殺してもいいんだぞ」
面倒くさそうに言って、茶髪の男は左手を振り抜く。隙を窺っていたティ・キーが弾き飛ばされた。
「視えてんだよ」
空中で受け身を取るティ・キーを睨み、茶髪の男は告げる。
精霊が視えている。それだけで、チトセの優位はほぼ消え去った。
茶髪の男が短剣に手を伸ばす。
チトセは襟首を掴んでいる茶髪の男の手に爪を食い込ませ、相手の腹へ渾身の力で蹴りを見舞う。しかし、茶髪の男は怯みもしない。
「精霊魔法使い相手に防御しないわけがないだろう。面倒臭いな。殺すか」
冷徹な目でチトセを見て、茶髪の男は左脚を半歩前に出す。ほぼ同時に、チトセの襟首を掴んだままの右手を持ち上げて反動をつけ、地面へと振り下ろす。
後頭部に地面が迫る感覚。浮遊感の中でチトセは頭を持ち上げて背中から地面に落ちるように体勢を作った。
衝撃を覚悟し、歯を食いしばる。
しかし、背中に触れたのは綿のような感触だった。
「――ぎりぎり間に合ったね」
通りに新たな人影が現れる。
孵化精霊たちを従え、茶髪の男を睨みながら歩いてくるのは宿り木の庭の店主、アシエラだった。
茶髪の男は腰からナイフを抜き放ちながら口を開く。
「それ以上近付くな! このガキを殺すぞ!」
「ほらやっぱり……間に合った」
アシエラが呟いた瞬間、チトセが握り続けていた短剣に変化が訪れる。
通りに魔力が充満する。その魔力は全て、チトセが握る短剣から放たれていた。
ほのかに白く光る魔力の塊が短剣から分離する。
反応できたのは二人。精霊が孵化する瞬間を見たことがあるアシエラと――誰よりも付き合いが長いチトセだけだ。
「エティ!」
まだ形も定まらないほのかな白光に、チトセは呼びかける。
「斬るよ!」
「はーい!」
鞘から抜き放った短剣を一閃する。
少女の力では振り抜いたところでたかが知れている。何らかの魔法で防御している茶髪の男が傷一つ負うはずがなかった。
だが、瞬時にチトセの意図を汲める孵化精霊エティがいるとなれば、結果は異なる。
茶髪の男の腕が飛んだ。
「――は?」
チトセの襟首を掴んでいたはずの自分の腕が宙を舞う光景に、茶髪の男は呆気にとられる。
「お嬢を殺そうなど、万死に値する」
憤怒を滲ませた声と共に、地面から生えた樹木の腕が茶髪の男の腰を握りしめた。
アシエラの傍らから飛び立ったシャンジが空から男を見下ろす。
「俺の恩人に暴力振るいやがって」
通りの左右からなぜか海水が押し寄せて茶髪の男に覆いかぶさった。支えがないチトセは難なく波の上に浮かぶが、樹木の腕に掴まれた茶髪の男は口から空気の玉を吐き出しながらもがき、半ばから失った腕の断面から多量の血液を流して青い顔をしている。
波間に漂うチトセの頭上でチトセそっくりの孵化精霊エティが虹のような螺鈿の翼を広げ、白い後光を纏い、怒りに燃える目で茶髪の男を睨みつける。
「チトセを殺そうとしたの?」
「エティ、ちょっと待って」
「……なんで?」
「死体にすると駆けつけた衛兵に言い訳できないから」
流石に騒ぎが大きくなり過ぎた。アシエラがこの場に間に合ったことも考えると、衛兵にも情報が渡っている。駆けつけてくるのは時間の問題だ。
流れた血の始末などを考えると、ここで殺すのは不味い。
「むっ……」
なにか言いたそうに唇を尖らせたエティは腕を軽く振って茶髪の男の髪を残らず刈り取った。
これで許してやるとばかりに顔を背けて、エティはチトセの肩の上に降り立つ。
チトセはルマンに目を向けた。
「できるだけ早く片付けをお願いできる?」
「言われなくても俺らの仕事だ。ガキやエルフの出る幕はねぇよ」
ルマンは肩をすくめて、集まっているファミリーの面々を見回す。
「親父の仇だ。衛兵なんぞに渡すわけにはいかねぇ。袋に詰めて店の裏に運んじまえ!」
バジガンファミリーが一斉に動き出し、男二人を取り押さえて頭から麻袋を被せると、思い切り殴りつけて大人しくさせる。
そのまま縄で縛って店の中に引き吊り込んでいった。
アシエラが困ったように笑いながらチトセの隣に歩いてくる。
「なんか物騒な終わり方しちゃったなぁ……」
「そう? 今後に一番影響がない終わり方だよ」
チトセは短剣を胸元に仕舞いかけて、アシエラを見上げる。
「ずっと隠していてごめんなさい」
「隠していいって言ったのは私だからね。チトセちゃんとエティが無事でよかったよ」
帰ろうとするアシエラを見ても、チトセは動かなかった。
チトセがついてきていないことに気付いて、アシエラが振り返る。
「まだ裏町になにか用事がある?」
「……ううん。いま行く」
店に残してきた精霊たちやオーミーが心配しているだろうから――いまだけは。