軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

永禄三年(1560年) 十一月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 飛鳥井基綱

長橋に行くと勾当内侍が笑顔で出迎えてくれた。

「まあまあ、お忙しいでしょうにこのように早く来て頂けるとは……」

「急ぎの用だと思いましたので」

「有難うございまする。さ、こちらへ」

手を引かんばかりにして部屋の中へと入れてくれた。うん、何か随分気を使っているな。

「この度は運上の件、真に御見事な御働きでございました」

「畏れ入りまする」

「帝もさぞかしお慶びでございましょう。これで来年は小朝拝、元日節会を催す事が出来ます」

小朝拝は元日に大臣以下公卿、殿上人が帝に拝謁する儀式だ。小朝拝の後に元日節会が有る。これは宴会、つまり新年会だな。こいつはこれまでは銭が無いんで出来なかった。元日節会が出来なかったんで小朝拝も中止だ。そうだよな、元旦に出仕させて何も無しってのは帝も気が引けるさ。

「余り派手にならぬようにお願い致しまする」

「分かっております。儀式だけでは有りませぬ。内裏の修理もございます。少しずつでも手を入れなければ……。銭は幾ら有っても足りませぬ。それでも千二百貫の銭は大きいと思います」

勾当内侍が溜息を吐いた。金が無いってのは辛いよな。勾当内侍は宮中の経理、総務、人事、庶務などの事務処理全般の統括者だ。金が無い辛さを一番感じているのは彼女だろう。

「内侍殿、お願いがおじゃります」

「何でございましょう?」

「二百貫、いや百貫でも構いませぬ。非常時用の費えとして蓄えて頂けませぬか?」

勾当内侍がジッと俺を見た。

「……毎年でございますか?」

「はい」

「……」

「この運上は足利と三好の合意によって得られたものでおじゃります。残念ではおじゃりますが足利と三好の軋轢は当分収まりますまい。状況次第では運上が無くなる事もおじゃりましょう」

勾当内侍が“そうですね”と言って頷いた。

「分かりました。そのように致しましょう」

「有難うおじゃりまする。この後、麿から帝へ二百貫を献上致しまする」

“まあ”と勾当内侍が声を上げた。目を瞠った表情が意外に幼く見えた。結構可愛いな。

「日頃の御厚恩に応えたいと思います。正月の行事の費用に使って頂きたいと言上致しましょう」

やっかむ奴が居るからな。事前に手を打つ。正月の行事に使ってくれと言えば黙るだろう。二百貫を民に戻す事にも文句は言わない筈だ。

「有難うございます。新蔵人殿、感謝致します」

「いえ、当然の事でおじゃります」

「これからも御力添えをお願い致しまする」

「こちらこそお願い致しまする」

社交辞令じゃない。本心だ。勾当内侍は内裏内部の儀礼や事務処理のトップで蔵人は帝の秘書官。仕事で協力し合う事は多い。

「新蔵人殿、お気を付けられませ」

「……」

黙っていると勾当内侍が微かに笑った。

「新大典侍殿が新蔵人殿を大分気にしておいでのようです。以前からでは有りますが先日の太閤殿下の一件よりそれが強まっているのだとか」

「なるほど」

帝の御見舞いを二回お願いして実現したからな。

「今回の運上の件で益々強まりましょう」

「御忠告、有難うおじゃりまする。注意致しましょう」

注意と言っても敵だらけだからな。簡単じゃないわ。……もしかすると俺を呼んだのはこっちが理由かな。だとすると相当に新大典侍は俺を敵視している事になる。失敗したな、注意すべきは九条、二条、一条だけでは無かったか。重蔵にこっちも頼まなければならん。春齢との結婚、早めようか。宮中に置いておくのは危ないかもしれない。これから養母に相談だな。

永禄三年(1560年) 十一月上旬 山城国葛野・愛宕郡 四条通り 三好邸 三好長慶

「如何でございました」

「御首尾は?」

宮中から戻ると弾正と大叔父が迎えてくれた。二人とも興味津々と言った表情で儂を見ている。

「うむ。千二百貫ずつという事になった」

大叔父が“少のうございますな”と小首を傾げた。

「千二百貫では合わせても四千八百貫にしかなりませぬぞ」

「桔梗屋に五百七十貫程を報酬として与えたそうだ。それに二百貫を民に戻すと言っていた」

「では……、全て合わせれば運上は五千七百貫程に?」

弾正の言葉に大叔父が“うーん”と唸った。

「こちらは五千貫程、七百貫も差が出るか。やはり京の方が高く売れるようですな」

「まあその分需要が多いのだろう、人が多いからな」

二人が頷いた。それでも五千貫を得た。戦で随分と散財しただけにこの五千貫は大きい。勝ち戦に花を添えたわ。

「殿、民に戻すと伺いましたが?」

「うむ、祇園御霊会の支度金として町衆に渡すそうだ。税を取るだけでは民に恨まれるという事でな」

二人が唸っている。儂も多少は民に戻した方が良かろうな。そうでないと新蔵人と比較されかねぬ。三好修理大夫は貪欲だと言われるのは避けねば……。その事を言うと二人が賛成した。後で名目を考えねばならぬな。

「公方様は如何で?」

大叔父の問いに思わず顔が綻んだ。

「儂が淀川から五千貫の運上を得たと知って愕然としていたな。悔しそうな表情をしていたわ。はははははは」

儂が笑うと大叔父、弾正も声を合わせて笑った。

「それは愉快ですな」

「真に」

「千二百貫で喜んだであろうが儂は合わせれば六千貫以上の銭を得た。公方は儂の五分の一よ。さぞかし屈辱であっただろう」

また三人で声を合わせて笑った。

「どうしても儂が許せぬようだがそれは儂も同じよ。あの男と組んだのだからの、許す事は出来ぬわ」

二人が頷いた。

「しかし油断は出来ませぬぞ。公方、前管領、六角、畠山は諦めておりませぬ。頻りに連絡を取り合っておりますぞ」

太閤殿下が病に倒れた事で公方を抑える人間が居なくなった。その所為であろうな。動きが活発だ。多少は儂を憚る様な動きを見せれば可愛げが有るものを……。

「おそらくは六角、畠山が時を合わせての挙兵となる筈。我らは二方向で戦う事を強いられましょう」

「そうだな、油断は出来ぬ」

大叔父、弾正の懸念は当然のものだ。儂もそれは理解している。だから弟の讃岐守を岸和田城に入れた。讃岐守なれば遅れをとる事は無い。

「ところで弾正、新蔵人殿に謝礼として贈る領地は決まったかな?」

弾正が“はっ”と畏まった。

「河内国志紀郡の中より用意致しました。柏原村、市村新田の内から千五十石にございます」

志紀郡か……。

「あそこは交通の要衝にございます。畠山が河内を回復すれば必ず取り上げましょう」

ふむ、三好だから与えられるか……。まあ運上も有る。領地に拘るとは思えぬが失うのは避けたかろう。となれば三好と積極的に敵対するのは避けような。

「大叔父上、如何かな?」

「まあ、多少は足枷となりましょうな」

釈然としないという顔だ。思わず笑った。

「では決まりだ。弾正、吉日を選んで新蔵人殿の所に行ってくれ。儂からの礼だと言ってな」

「はっ」

永禄三年(1560年) 十一月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 正親町帝

”目々よ”と背中を撫でながら耳元で囁くと目々が”はい”と答えた。

「急では有るが年内に新蔵人に春齢を娶せたいと思うが如何思うか?」

目々が”まあ”と声を上げた。顔を上げ私を見ている。

「来年一月の除目であの者を頭中将にしたいのじゃ。朕の側に置きたい」

今年の秋に蔵人にしたばかりだ。早過ぎると反対も多い筈。それを押し切るには春齢と結婚させるのが一番だろう。

「実は新蔵人からも婚儀を早めたいと今日相談を受けました」

「なんと」

驚いていると目々が“真にございます”と言った。

「最初は来年の四月以降、暖かくなってからと考えていたのですが新蔵人は六角、畠山の動きを訝しんでおります。幕府、前管領と連絡を取り合っているようで三好との戦を考えているのかもしれないと。動くとすれば来年以降になるのは必定、騒がしくなる前に春齢を迎えたいと」

思わず息を吐いた。懼れていた事が現実になるのかもしれない。冷える、夜は寒いと思った。目々を抱き寄せる。目々は大人しく抱かれている。温かいと思った。

「朕も足利が畠山、六角を煽っているとは新蔵人から聞いた。京が戦場になる可能性も有るとな」

「……」

「実はな、目々。勾当内侍が千二百貫の運上の内二百貫を非常時用の費えとして蓄えたいと言ってきた。聞けば新蔵人がこの運上は何時無くなるか分からぬと言ったそうじゃ。もしもの為に蓄えて貰いたいとな」

「まあ、では新蔵人が献上した二百貫は……」

「うむ、元旦節会に使って欲しいと言っていたが真実は蓄えの代わりに使って欲しいという事であろう」

若いのに気遣いをする。いじらしいわ……。

「その時思ったのだ。新蔵人は畿内で騒乱が起きる可能性を相当に高いと見ているのではないかとな。皆は京が戦場にならずに戦が終わったとホッとしているようだが実際は違うのではないか、むしろこれから激しくなるのではないかと。ならば、朕の傍にはあの者が必要であろう」

「それで春齢を……」

「うむ」

太閤が倒れた。関白は遠くに在る。関東の争いもどうなるか分からぬ。進む道を誤らぬ為にはあの者の才知が要る。

「私から何を考えているのか今少し詳しく訊いてみたいと思いますが?」

「そうだな、新蔵人がこの天下を如何見ているのか聞き出してくれるか」

目々が”はい”と頷いた。天下は動いている。つかの間の平和、だがそれは次の戦への休息でしかないのかもしれぬ……。

「それにしても驚いたぞ、目々。宇治川の運上が五千貫を超えるとは」

「はい、私も驚きました」

二人で声を合わせて笑った。許した時は少しでも運上が入ればと思った。だが五千貫、朕の元にも千二百貫の運上が入った。望外の事よ。夢ではないかと何度も思った。

「これで来年は小朝拝、元日節会を催す事が出来る。朕も面目が立つ」

「はい」

「だが天下は乱れたままじゃ。いつかこの天下の争いが収まる日が来るのか……」

「……」

父君から託された天下への想い。私は未だ果たせずにいる。だがあの者が居れば……。

永禄三年(1560年) 十一月上旬 山城国葛野・愛宕郡 平安京内裏 目々典侍

新蔵人が困ったような顔で座っている。

「如何見ているかと問われましても……」

「帝は年明けの除目でそなたを頭中将にと考えておられます」

「頭中将? 真で?」

「ええ、帝は天下が乱れると見ておられるのです。だから御側にそなたを」

新蔵人が唇に力を入れるのが分かった。

「春齢の事ですが帝から直ぐにそなたに添わせたいとお言葉が有りました。理由は分かりますね?」

「はい」

「如何見ているのです。春齢は居りませぬ。この場にいるのは私だけです」

迫ると新蔵人が一つ息を吐いた。

「太閤殿下が倒れてからでおじゃりますが室町第では反三好の気運が高まっているそうでおじゃります」

「公方が六角、畠山を焚き付けると?」

新蔵人が私をチラッと見て伏せた。先走っただろうか?

「関白殿下から文が届きました。越後の長尾ですが年内は上野の制圧に専念するそうですが越後に戻らずそのまま上野で越年するのだとか」

「まあ」

ゆっくりと呟くように言葉を出していた新蔵人がまた私をチラッと見た。やはり先走ってしまったのだ。気を付けなければ……。

「越後は雪が深い、戻れば兵を出すのは簡単ではおじゃりませぬ。越後に戻っては関東の反北条の者達が長尾は本気で北条と戦う意志が有るのか、上野を獲って終わりではないかと疑念を持ちかねぬという事でしょう。年が明ければ関東の戦は激しさを増す筈でおじゃります」

「そなたは勝てぬと見ていましたね」

新蔵人が”はい、勝てませぬ”と頷いた。

「年が明ければ甲斐の武田も信濃方面で動きましょう。長尾はそれを放置出来ませぬ。それに長い戦が出来るほど兵糧が潤沢に有るとも思えませぬ。多分半年持ちますまい。関東制圧は無理でおじゃります」

「……」

新蔵人がジッと一点を見詰めて考えている。邪魔をしてはいけない。待っていると”ホウッ”と息を吐いた。

「本来なら長尾の上洛を待ち、それに合わせて畿内で兵を起こす。それが最善の策でおじゃります。長尾が最低でも五万の兵を動かせば朝倉も兵を動かしましょう。六角、畠山もそれに合わせれば十万近い大軍が動く事になる」

「……」

「しかし、状況がそれを許しませぬ」

室町第では反三好の気運が高まっている……。

「六角が三好との戦を望んでおじゃります」

「六角が……」

新蔵人が頷いた。室町第ではない?

「嫡男の右衛門督ですが家中からの反感が相当に強いようです。六角は内に不安を抱えています。この不安を抑え家中を一つに纏めるために強い敵を必要としているのです。左京大夫はそう考えている」

「……」

「浅井の問題もおじゃります」

「それは?」

新蔵人が一つ息を吐いた。

「野良田の戦いで六角は敗れました。しかし兵の損失は浅井の方が多かった。だから今は浅井は動けませぬ。しかし月日が経てば回復します。そうなる前に六角は戦う事を望みましょう。畠山も早い報復を望んでおじゃります」

「……そして室町第では反三好の気運が高まっている……」

新蔵人が頷いた。

「ここ一、二年の内に大きな戦が起きると思います」

溜息が出た。十二歳、小柄な身体が大きく見える。私は女だけれどそれでもこの子の大きさに圧倒されてしまう。男なら、そして敵なら如何なのだろう?

「防ぐ方法は有りますか?」

養子が首を横に振った。

「どちらが勝ちます?」

「……」

今度は無言だ。分からないのか、或いは答えたくないのか……。

「注意すべき事は?」

新蔵人が私を見た。冷たい、冷え冷えとした目だ。

「足利と三好の遺恨はより深まりましょう。畿内はその遺恨に振り回される事になります」

その後は? 振り回された後は? 問いたかったが問えなかった。新蔵人は目を逸らし宙を見ている。先程の冷たさは無い。だが感情は見えなかった。一体何を見ているのか……。新蔵人が一つ息を吐いた。

「婚儀の準備をしなければなりませぬな」

「ええ、そうですね」

何処かでホッとするような思いが有った。私から望んだ話なのにその重さに耐えかねていたのだろうか?

「日が有りませぬ。簡素に身内だけで行う事になりましょう」

「分かりました。帝にはそのようにお伝えしましょう」

新蔵人が頷きました。

「では麿はこれで」

「助かりました。帝には確かに伝えます」

新蔵人が頷いて立ち上がった。小柄な身体。先程の大きさは感じない。でも養子が出て行くと急に寒々としたものを感じた。あの子が居れば……。