軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

関東制圧

永禄二年(1559年) 十月上旬 山城国葛野・愛宕郡 西洞院大路 飛鳥井邸 飛鳥井基綱

支度をして対面所に入ると女がこちらを見て微かに頭を下げた。間違いない、春日局だ。

「お待たせしましたな、御許し頂きとうおじゃります」

席に座って挨拶をすると春日局が首を横に振った。

「いえ、夜分に押し掛けたのはこちらにございます。不快には思っておりませぬ」

ふむ、顔色が良くない。かなり悩んでいる。いや、 逡巡(まよ) っているのかもしれない。何を? 此処に来た事、俺と会っている事をだろう。

「良い御邸にございますな」

「ええ、幕府の方々が随分と力を入れて下さったようです」

春日局が“そのようでございますな”と言った。一口白湯を飲んだ。春日局も白湯を飲んだ。ふむ、狐の茶碗は大分白湯が減っているな、外は暑いのかもしれん。

この対面所の裏、俺の後ろには人が忍べるような空間が有る。万一の場合には後ろから人が飛び出して俺を守るためだ。この邸が後世に残れば飛鳥井家は忍者と密接に繋がった、いや忍者を配下に持った公家だったと騒がれるだろう。伊賀や甲賀よりも有名になるだろうな。忍びの名前は何だろう? 飛鳥井党? それとも銀杏党? 今一つだな。

足利が戦国末期に力を失ったのは飛鳥井との反目により情報収集能力を失ったためだという説が出るかもしれない。御大葬から改元までの流れがスムーズに行ったのも忍者の力によるものだと学者達が言い出すだろう。俺は朝廷のCIA長官だったと言われるかもしれない。春齢と結婚出来たのもそれが理由だと。想像すると楽しくなる。

「さて、御来訪の趣は?」

春日局の表情が曇った。悩んでいる。一つ息を吐いた。

「先日のお話を今少し詳しくお聞きしたいと思いました」

やはりそれか……。

「貴女様一人の思い立ちでおじゃりますか? それともどなたかの御考えでおじゃりますか?」

「私一人の思い立ちでございます」

なるほどな、それは悩みが深いわ。

「感心致しませぬな」

「……」

「春日殿、この邸は見張られておりますぞ」

春日局が目を瞠った。

「昼間の事ですが我が家の者が何度か同じ顔を見たと言っております。余程の暇人でなければ何者かの命を受けてこの邸を見張っていたという事になる。今も見張っておりましょうな」

春日局が顔を強張らせた。嘘じゃない、九兵衛は間違いなく忍びだと言っていた。変装して誤魔化そうとしていたが同一人物だと。何人かで交代で見張っているらしい。九兵衛は四人までは確認出来たそうだが他にも居る可能性は有ると言っている。妙な話だがこの邸に移ってから自分が重要人物なんだと認識出来た。宮中では分らん事だ。

「三好でしょうか?」

「とは限りますまい。六角、畠山、或いは幕府という事も有る……」

春日局がますます顔を強張らせた。三好にもお抱えの忍びが居る。四国の出らしい。六角は甲賀を使っている。畠山は如何なんだろう? 根来かな? 或いは別の組織か。紀伊なんて山が多いんだから忍びの集団が居てもおかしくは無い。

「そうですか、ならば猶の事この機会を逃す事は出来ませぬ」

春日局が姿勢を正した。こちらを睨むような眼で見ている。お前なあ、眼が吊り上がって本当に狐だぞ。

「ここ最近、公方様は時折憂鬱そうな御様子をなされます」

悩みの無い人間なんて居ないよ。余り気にするな。

「大体において周囲に人が居ない時です」

あんたが居るだろう。私は特別ですと自慢でもしたいのか?

「何を御悩みなのか、御訊ねしました。すると関東制圧は上手く行かぬかもしれぬと……」

意見が一致したな、大いに結構。現実を見る事が出来たというわけだ。

「皆様にご相談なされてはと申し上げましたが公方様は皆を落胆させたく無いと仰られ……」

「……」

春日局がジッと俺を見ている。

「さぞかし蔑んでおられましょうな」

その通りだ、話にならんな。

「ですが公方様はこう申されたのです。侍従の話を聞いて幕府が、自分が如何に無力かが分かった。自分に打つ手が有るとは思えぬ。この状況で関東制圧が上手く行かぬとは言えぬ。言えば皆を落胆させるだけだと……、だが喜んでいる皆を見るのが辛いと……、苦しんでおいでです」

馬鹿げている。結局何もしていないじゃないか。糠喜びさせてどうする? 目標を立てたら方策を考える、そしてメリットとデメリットを洗い出しデメリットが多いなら目標、方策の再検討だ。メリットが多いならリスクを洗い出して成功率を算定しなければならない。その後はどうすればリスクを軽減出来るかを検討する。そうする事で成功率を上げる事が出来るんだ。それでも成功率が低ければ違う方策を考えるか目標を変えるかを検討する必要が出てくる。

関東制圧が無理なら長尾の力を関東で浪費すべきじゃないという考えも出てくるんだ。それなら越中から加賀に進ませた方が良いという発想も出る。権威付けが必要なら北陸管領とか適当な役職を作ってくれてやれば良い。信濃は現状維持で義輝が仲裁し村上等の信濃の国人衆は越中から加賀で新たに領地を与える。

そうなれば武田、北条、長尾が争う理由も無くなる。越中から加賀に出れば朝倉も動くだろう。上洛は難しくない。上杉謙信の晩年は越中から能登で戦っていた。結果的に関東制圧なんて時間の浪費だったのだ。無知と無策が浪費を生み出した。……この世界でも同じだ、もう止められないだろう。義輝はプロジェクトのマネージメントが出来ていない……。

「美作守殿は何と?」

春日局の顔が歪んだ。

「一度二人きりになった時に如何思うかと訊ねましたが答えは有りませんでした。再度問うと上手く行かないと決まったわけではないと……」

溜息が出た。美作守は現実を見せてもそこから眼を背けている。義輝の不幸はブレーンに恵まれない事だ。

長尾を使うという発想そのものは悪くないんだ。だがブレーンが居ないから関東でとなってしまう。ブレーンが居れば関東は難しいから北陸へという案も出た筈だ。天下を取った源頼朝には大江広元という政略家が居た。足利尊氏にも足利直義、高師直という男達が居た。だが義輝には居ない。……似てるかな、尊氏と義輝は。人間的な魅力は有るが冷徹さは無い。だから不安定で脆い……。担ぐ人間次第で英雄にも阿呆にもなる……。いかんな、現実に戻ろう。

「それで貴女様が此処に来たのですな……」

「はい」

声が弱い。多分、美作守の態度を情けなく思っているんだろう。全くだ、本当なら美作守自身が此処に来るべきなのだ。それなのに……。この女が憐れだ。好きになれない女だが義輝を想う気持ちには偽りは無い。義輝を本当に自分の子供のように思っているのだろう。慶寿院と同じだ……。

「正直に申し上げます、私は貴方様を好みませぬ。なれど貴方様が私達に見えないものを見ている事も分かっております。そして私達は余りにも無知に過ぎる……。恥を忍んでお訊ね致しまする。関東制圧、上手く行く手立てはございませぬか?」

縋るような眼だ。なんでそんな眼で俺を見るの? あんたが俺を嫌いな様に俺は足利が嫌いなんだけど……。

関東制圧か、……成功する機会は二度有ったと思う。一度目は最初の関東遠征、二度目は三国同盟が崩壊した後、武田と北条が戦った時だ。問題は一度目だな、可能だろうか……。いや、その前に何をもって関東制圧とするかだがやはり北条制圧だろう。つまり小田原城を攻略出来るかだ。

史実では謙信は小田原攻城を行ったが成功せずに終わった。そして鎌倉で関東管領に就任して越後に帰国する。当時の小田原城は戦国末期の小田原城とは違う。かなり規模が小さい筈だ。だが落とせなかった。攻め手は十万を超えたとあるが嘘だろう。常陸以外の関東を領有した徳川家康の石高は二百五十万石だった。

常陸を入れればざっと三百万石、一万石当たりの動員数を三百とすれば関東全域で九万人が動員可能という事になる。相模、伊豆、武蔵、下総で北条側に付いた者も居る筈だ。それが二万くらいか。謙信側では付き合いで兵を出した者も居るだろう。そいつらの動員数が少なかったとすれば越後兵を入れても兵力は七万~八万といったところだろうな。

七万から八万で増築前の小田原城を攻める。史実では落ちなかった。謙信は小田原城を落す意思が無かったという話を聞いた事が有る。或る程度武威を見せ関東管領に就任した事で関東の秩序は回復したと思ったという話だ。この説に従えば謙信は戦国時代に生きているという事を理解していなかったという事になる……。

「少将様?」

眼の前に春日局の顔が有った。

「如何なされましたか?」

「もう少し、時間を頂きたいと思います」

春日局が頷いた。

有り得るだろうか? 信玄には騙され約束など当てにはならないと思い知らされた筈だ。武田、今川という同盟者が居る北条がこれで大人しくなると判断したとは思えない。となると落とさなかったのではなく落とせなかったという判断が妥当だ。理由は何だろう? 大軍だが統率が取れなかったという事だろうな。謙信の兵力は一万程度だろう。となれば全体の一割程度が謙信の意のままに動く兵という事になる。相当やり辛かっただろう。

後は兵糧だろうな。八万人の兵糧を何処まで用意出来たか……。兵糧が無くなれば連合軍などあっという間に四散してしまう。その辺りの不安も有ったのだろう。この時期関東では酷い凶作だったと聞いた事が有る。北条が籠城戦を選んだのも兵力差で敵わないと思ったというより持久戦になれば敵は撤退するという確信が有ったからかもしれん。

それに武田の動向も不安だった筈だ。となると関東遠征は派手に見えたが内実はギリギリの状態だった可能性が有る。以前太閤殿下と話した時は成功率は三十~四十パーセントと思ったが実際はもっと低いのかもしれない。謙信は軍が自壊する前に関東管領就任を行って軍を解散した……。皆が失望する前に綺麗に収めた……。

「機会は二度有りましょう」

「二度……」

「先ずは最初の遠征。かなりの兵が集まる筈。皆も期待しましょうな。但し、成功する可能性はかなり低い。いや、無きに等しいと思います」

「……そんな」

そんな顔をするな。こっちが切なくなるだろう。

「……北条、武田、今川、この三者の同盟が堅固な内は難しいでしょう」

「……ではもう一つは?」

声が掠れている。

「三者の同盟が崩れた時」

「そのような時が来ましょうか?」

食い入るように俺を見ている。

「春日殿は三国の同盟が何故結ばれたか、御存じかな?」

春日局が困惑するような表情を見せた。

「詳しくは知りませぬ。ですが互いに争うよりも同盟を結んで協力した方が得だと考えたと聞いておりまする」

間違ってはいない。だがもう少し補足する必要が有るだろう。

「その通り、今川、武田、北条は争っておじゃりました。しかしそれは三者にとって本意ではなかった。以前にも言いましたが北条は関東で勢威を伸ばす事を望んでおじゃりました。武田も大きな勢力の無い信濃への侵攻を望み今川も西への勢力拡大を望んでいた。いつしか三者の間で互いに争うのは足の引っ張り合いではないかという思いが芽生えた……」

春日局が頷いた。

「つまり、互いの利のために結んだ同盟でおじゃります。利が無くなれば同盟の意味が消える……」

「……」

「北条は関東、今川は東海道、それぞれ勢力を伸ばす余地はおじゃります。なれど武田は厳しい。信濃の先は越後、長尾を相手にこれ以上北上するのは難しいでしょう。つまり武田は大きくなれない」

春日局が“なるほど”と頷いた。

「既にその兆しが見えておじゃります。武田にはそれが分かっている筈、不満は徐々に募りましょう。となれば切っ掛けさえ有れば武田が同盟を破棄する可能性は十分に有る。その時は関東から東海にかけて激震が走りましょう。それを如何利用するか……。それ次第でおじゃりますな」

「それは、何時頃になりましょう」

「さあ、分かりませぬ。五年か、十年か……」

春日局が“五年か、十年か”と呟いた。

「麿に言えるのはその程度でおじゃります。これ以上は……」

「有り難うございました。この通りにございまする」

春日局が頭を深々と下げた。

「公方様には諦めてはなりませぬと励ます事が出来ます。それだけでも来た甲斐が有りました」

「……」

表情が明るい、希望か……。しかしな、三国同盟が崩れたのは義輝が死んだ後だった……。

「夜分遅くに失礼を致しました」

春日局が腰を上げた。

「御見送りは致しませぬ。親しく見送りをしたなどと風評が立っては互いに困った事になる」

春日局が微かに笑った。

「真に、左様でございますな。では……」

春日局が軽く頭を下げて部屋を出ていった。暫くすると九兵衛が部屋に入って来た。

「帰ったか?」

「はい」

「……見られたか?」

「はい」

「鬱陶しい事だな」

九兵衛が俺を見た。

「追い払いますか?」

「無用だ。こちらの手の内を見せる必要は無い」

九兵衛が笑みを浮かべた。

「それが宜しいかと思いまする」

「如何思った? 聞いていたのであろう?」

「はっ、真に三国の同盟が崩れるとお考えで?」

九兵衛は疑念を持っている。そうだな、三国同盟は強固だ。互いに利だけではなく婚姻でも結び付きを強めている。

「麿が尾張の織田殿に肩入れしているのは知っているな?」

「はい」

「織田が今川に勝てば如何なる? 治部大輔が死ねば?」

「それは……」

「今川は揺らぐぞ。そして武田はそれを見逃すまい。駿河から遠江に出れば東海道を西へと進めるのだからな」

今川義元の死後、三河の松平の離反で今川の勢威は落ちる。今川は信玄にとって美味そうな肉になったのだ。

「しかし、武田は長尾と敵対しております。同盟を破棄すれば北条も敵に回りましょう。四方を囲まれますぞ」

「そうならぬと言ったら如何する?」

九兵衛が顔を蒼褪めさせている。思わず笑ってしまった。世の中は不思議で満ちている。

今はまだ起こっていない。だが桶狭間と第四次川中島、この戦いは微妙に連動しているのだ。そして関東から東海に大嵐が起きる事になる。