作品タイトル不明
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数日後。
帳簿が、揃い始めていた。名、日数、支払い。乱れていた記録が、形を持ち始める。
私はそれを一枚ずつ見ていた。
「……早いな」
小さく呟く。すぐに答えたのは、マルクだった。
「最初に応じた者たちです。宿主と、商人が数名」
私は頷いた。
「呼べ」
集められた者たちは、どこか落ち着かなかった。罰か、それとも取り立てか、そう思っている顔だった。私はそのまま言った。
「よく従った」
一瞬、誰も意味を理解できなかった。
「……は?」
思わず漏れた声を、誰も咎めない。私は続けた。
「帳簿は整っている。誤りも少ない。手間だったはずだ」
視線を一人ずつに向ける。
やがて、一人が小さく言った。
「……まあ、楽では」
「だが、やった。ならば、それに応じる」
ざわめきが広がった。私は指を上げた。
「この者たちには、次の季までの税を一部減ずる」
空気が変わる。
「さらに、門のすぐ内での商いを許す」
今度は、はっきりとざわめきが起きた。
それが何を意味するか、誰もが分かっている。
門の内、兵が守る場所、貴族が先ず通る場所……つまり、最も金が落ちる場所だ。
一人が、思わず口を開いた。
「……本当に、ですか」
「ああ。許可証を持つ者だけだ」
私は頷いた。
「持たぬ者は、他の場での商いとする」
その日のうちに、話は広がった。
「あいつら、場を許されたぞ」
「税が軽くなったらしい」
「帳簿を出しただけでか?」
疑いと、羨みが混ざる。やがて、形を変える。
「……出せば、いいのか」
誰かが呟いた。それで、十分だった。
翌日、帳簿を持ってくる者が増えた。
ある日、門の前で、再び言い争いが起きた。許可証を持たぬ男が、通そうとしない兵と揉めたのだ。
「どうして入れない!」
「決まりだ。持たぬ者は通せん」
押し問答は、長くは続かなかった。周囲にいた者が、口を出したからだ。
「金を取るための細工だろう」
「貴族だけを通す気か」
「俺たちは追い出すつもりだ」
声はすぐに広がった。不満はすでにあったのだ。宿に泊まれぬ者、湯に入れぬ者、これまで曖昧に紛れ込めていた者たちが、はじき出され始めていた。
そして、もう一つ。薬売りが、締め出された。「効く」と謳っていた者たちが、医官の許しを持たぬという理由で追い払われた。
「ふざけるな!」
男が叫んだ。
「こっちは、ここで食ってるんだ!」
誰かが応じた。
「俺たちだって同じだ!」
その一言で、均衡が崩れた。
押し合いが始まり、罵声が飛び交う。誰かが、兵を突き飛ばし、次の瞬間、拳が振るわれた。一人が倒れ、それを見た誰かが、石を投げた。乾いた音が響く。
「やめろ!」
兵の声は、もう届かなかった。人が人を押し、倒れ、踏みつける。逃げようとする者と、押し寄せる者がぶつかる。門の前は、瞬く間に混乱に飲まれた。
それは、戦ではない。だが、十分に暴力だった。
暴動が起きました、既に抑えましたが、負傷者が出ています、と報告が来た。
私は一瞬、目を閉じた。
「……来たか」
小さく呟く。驚きはない。むしろ、遅いくらいだった。
今回の施策は、流れを整えるものだ。だが同時に、それまで曖昧に許されていたものを切り捨てるものでもある。
はじかれる者は、必ず出る。ならば、その不満がどこへ向かうかなど、考えるまでもない。
私はゆっくりと息を吐いた。
……本来なら、段を踏み、時間をかけて慣らすべきもの。だが、それでは間に合わないと判断した。
「……早いか、遅いか。それだけの違いだ」
誰に向けたわけでもなく、言う。
為政とは、すべてを防ぐことではない。起きるものを選び、抑え、広げぬことだ。
私は目を開いた。
「……門へ行く」
短く告げると、マルクが目を上げた。
「殿下自ら、ですか」
「ああ」
それだけを答え、歩き出した。門の前には、まだ血の跡が残っていた。板は割れ、柵は歪み、混乱をそのまま残している。その中で、兵たちは黙々と修復に当たっていた。
誰も、口を開かない。疲労が、空気に沈んでいる。
私は、その中へ入った。一人の兵が気づき、慌てて姿勢を正そうとする。
「そのままでいい」
制した。視線を巡らせる。包帯を巻いた腕、裂けた外套、泥と血で汚れた靴。
私は静かに言った。
「よく抑えた」
大きな声ではない。だが、その場の手が止まった。誰も、顔を上げないが、聞いている。
「門は破られていない。中も守られている」
間を置く。
「十分だ」
それだけ言った。やがて、一人が大きく息を吐いた。張り詰めていたものが、緩む。
私はマルクに視線を向けた。
「用意してあるな」
「はい」
合図とともに、荷が運び込まれた。大鍋、焼いた肉、そして酒だ。兵たちが、わずかにざわめく。
「本日分の配給を増やせ」
私は言った。
「負傷者には、さらに出せ。働けぬ間の分もな」
役人が書き留める。
「家族持ちには、持ち帰らせろ」
小さなざわめきが、今度ははっきりと広がった。私は続けた。
「名も記せ。門を守った者。負傷した者。すべてだ」
誰かが顔を上げた。
「後で、まとめて報いる。忘れはしない」
その場に、沈黙が落ちた。
だが、それは先ほどまでの重さとは違う。
私は最後に言った。
「よく、休め」
それだけだった。
命令でも、叱責でもない。だが、兵たちは動かなかった。一瞬遅れて、誰かが言った。
「……ありがたく」
それが、広がった。
村長視点
儂は、その様子を少し離れた場所から見ていた。
……派手ではない。金貨をばら撒くでもなく、声を張り上げるでもない。
だが、分かる。あれは、効く。食を与え、名を記し、後で報いると言う。今すぐではない。だが、確実に覚えていると示す。
兵も、働き手も、これは、離れぬ。
儂は、ゆっくりと息を吐いた。
……囲うとは、こういうことか。
暴れる者だけではない。守る者も、同じように囲う。そうして、場が固まる。
儂は、小さく呟いた。
「……抜け目がない」
だが、その声には、もう戸惑いはなかった。
私は報告書を閉じた。
暴動は収まったが、それで終わりではない。
また起きる。原因は分かっている。締め出された者が、行き場を失ったことだ。
私はしばらく考え、顔を上げた。
「人を集めろ」
役人たちが揃う。疲労の色が濃い。当然だろう。私は言った。
「……締め出すだけでは、足りない」
何人かが顔を上げる。
「場を作る」
短く言う。
「許可証を持たぬ者、持てぬ者。そいつらを外に溜めない。外で勝手をさせれば、また同じ事になる」
私は続けた。
「働かせろ。門の外に、仕事を置く。荷運び、掃除、水汲み、薪割り。何でもいい」
空気が変わった。
「日銭を払え。代わりに、勝手な商いは禁止する」
役人の一人が戸惑いながら言う。
「……雇う、ということですか」
「ああ」
即答した。
「金を落とす場所をこちらで作る。そうすれば、勝手な場所ではやらなくなる」
言葉を切る。
「“流れ”を管理する」
誰も口を挟まない。理解し始めている。
「薬売りも同じだ。完全に締め出すな」
視線を向ける。
「試す場を用意する。医官の前で効能を示し、認められた者だけ、中に入れ」
ざわめきが小さく起きる。
「……それでは、手間が増えます」
「そうだ」
迷いなく言った。
「放っておけば、もっと面倒になる」
一瞬、静まり返る。私はさらに言葉を重ねた。
「娼婦も、囲え」
役人たちの顔が強張る。
「勝手に散らばらせるな。場所を決め、見張りを置け。そして、病が出ればすぐ分かるようにしろ」
誰かが、息を呑んだ。
「……管理、するのですね」
「ああ。見えないものが、一番厄介だ」
間を置く。
「暴れた者は罰する。だが、それだけでは終わらせない。二度と、同じ理由で暴れさせるな」
その言葉は、静かだった。
マルク視点
マルクは、殿下の言葉を黙って聞いていた。
……締め出さぬのか。
外に溜まる者を、そのままにしない。場を与え、仕事を与え、金の流れを握る。そうすれば、人は勝手には動かなくなる。
ゆっくりと息を吐いた。
……囲っている。兵も、商人も、貧民も、中も外も、すべて。
誰を守るかではない。すべてを、手の内に収めている。
ふと、先ほどの光景がよぎる。門の前で食を与え、名を記し、「忘れない」と言ったあの言葉。
あれは慰撫ではない。繋ぎ止めているのだ。
……恐ろしい方だ。
だが、その恐ろしさは、乱れを生まない。むしろ、乱れを許さない。
視線を上げる。
殿下は変わらぬ顔で、次の指示を考えている。
「……承知致しました」
静かに、頭を下げていた。