軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

51

丘は、静まり返っていた。

敵の旗は消え、焚き火の跡だけが黒く残る。

私は騎乗のまま、空白となった丘へ進ませた。少数の護衛と、マルク、副騎士団長を伴っていた。

隊の士気は高い。作戦は成功し、敵は退いた。

だが、すべての顔が晴れているわけではない。正面からの決戦を望んでいた者もいる。

私は気づかぬふりをした。勝ちは、勝ちだ。

敵は退いた。そう判断するに足る状況だった。 私は報告を受けながら、馬を進めていた。

そのとき。風が鳴った。いや、違う。

マルクが叫ぶ。

「殿下!」

同時に、衝撃音。矢が、彼の腕を貫いていた。

「敵だ!」

誰かが叫ぶ。

丘の空気が、一瞬で戦場に戻る。

森は、まだ終わっていなかった。

矢を放ったのは、若い兵士だった。

まだ髭も薄い。捕縛は早かった。

森の縁から引きずり出され、地に膝をつかされる。

目が、ぎらついていた。怒りか、恐怖か。

何も言わない。

「処分を」

誰かが言った。

「殺せ」

若い兵士が、自ら言った。低く、乾いた声だった。その響きに、私は、気づいた。

死を急ぐような声。私は馬上から告げる。

「鎧を脱がせ。持ち物を改めよ」

兵が若者の兜を外し、胸甲を解く。

鎧は、普通の兵士と同等だった。しかし、汗に濡れた上衣の裏地に、刺繍があった。

粗布に似せてあるが、糸は細く、染めは上質だ。袖口には、小さく紋。

さらに剣を取り上げる。鞘は質素だが、刃が違った。鍛え込まれている。重さの均衡が、普通の兵のとは違った。

それを見て、随行の文官が息を呑んだ。

「……もしや」

彼は若者の顔を覗き込む。

「城塞都市へ撤退した伯爵の……息子では?」

一瞬。若者の顔色が変わった。血が引く。

唇がわずかに震える。否定はしない。それで、十分だった。

丘の風が、冷たく吹き抜ける。

兵たちの視線が、殺意から計算へと変わった。

私は言った。

「丁重に扱え」

「ですが……」

「後で確認したい」

それだけで十分だった。若者は縛られ、幕舎の外に置かれた。処刑もされず、牢にも入れない。中途半端な扱いは、心を削る。

夜営の準備が整った頃、私は護衛騎士二人を伴って若者の前へ向かった。

焚き火の明かりが、彼の横顔を照らす。

私は立ったまま言う。

「名は?」

沈黙。私は若者の袖を取った。裏地の刺繍を、短刀で切り取る。糸がほつれた。

若者が初めて動揺を見せる。

「やめろ」

私は答えない。布片を畳み、書状に添えた。

封蝋を落とす。

「これは明朝送る。内容は――お前が名乗らなかった、とだけ」

沈黙。

焚き火が爆ぜた。若者の喉が鳴った。

私は、何も言わない。

沈黙は、最も安い拷問だ。

翌朝、使者は旗を掲げて出立した。

白地に王家の紋。その後ろに、書記と二騎。

正午過ぎ、彼らは戻った。私は幕舎の前で待っていた。

「様子は?」

使者は馬を降りる。

「刺繍を見た瞬間、顔色を変えました」

「他には?」

「一言。――“生きているのか”と」

私は頷いた。それだけで十分だ。

夜が明ける前に、再び旗が見えた。今度は向こうから。城塞都市の色。使者は単騎。書状を差し出した。封蝋は急いだ跡があった。

私は静かに開いた。

文面は簡潔だった。

本戦そのものを否定するものにあらず。

ただ、捕虜に関する確認のため、一時の猶予を求む。

私は書状を閉じた。

焚き火の煙が、ゆるやかに流れる。

戦は、剣から筆へ移った。

私は城塞都市の伯爵へ書状を書いた。

此度の書状、確と拝受した。

捕虜の件につき確認を望まれる由、理解するところである。

当該人物は、身分に相応しき待遇をもって拘束中にて、辱めも粗略も加えてはおらぬ。

よって、三日の間、戦線を現状のまま固定することは可能とする。

ただし――その期間中、いかなる理由をもってしても我が領への越境行為を禁ず。

斥候、小隊、補給隊に至るまで例外は認めぬ。

これが守られる限りにおいて、捕虜の身柄は安全に保たれることを約す。

本戦そのものを否定する意は、我にもなし。

だが、無益なる流血は双方に利なし。三日ののち、改めて使者を立てられよ。

私は静かに息を吐いた。伯爵の陣では、灯りが遅くまで消えぬという。

焦っている。息子の身柄が、王家の耳に入った以上、 軽挙はできまい。

裏で、私は調べさせた。商人に。修道士に。捕虜にも。相手国は何を欲しているのか。

領土か。通商路か。それとも王の威信か。

そして、此方は。

相手国の望み。此方の、望み。

すり合わせは、できないのか。

ふと、視線を横にやる。幕舎の奥、寝台の上で、マルクの息が荒い。医務官が額に布を当てている。熱が出たのだ。

私はしばし、立ち尽くした。

戦は、秤の上にある。

だが――

血は、ここにある。

拳を握る。

戦いは、終わらせる。