作品タイトル不明
26
隣国の使節団が入城しただけで、城の空気は重くなった。
大柄な騎士たち。豪奢な紋章。
床を踏む靴音さえ、威圧のように響く。
協議の席で、使節長が言い放つ。
「友好のため、三つの提案がある」
名目は――
『国境紛争軽減のための資源管理』
『恒久的平和を目指す経済互助同盟』
『両王家を一つに結ぶ神聖なる血の盟約』
実質は、
国境の鉄鉱山を二十年、無償貸与。
十年間の関税撤廃と商人の自由往来。
王族、もしくはそれに準ずる娘を王太子へ輿入れ。
侯爵は横目で第三王子を見る。……青ざめるか、言葉に詰まるか。だが、第三王子は黙って聞いていた。
やがて、静かに口を開く。
「ご提案、確かに承りました」
それだけだった。即答しない。その沈黙に、室内がざわつく。使節長が眉をひそめる。
「返答は」
第三王子は穏やかに問い返す。
「確認ですが。これは“友好”の提案で、間違いありませんか」
「無論だ」
「では――友好は、対等であるべきでしょう」
空気が変わった。第三王子は、机上の地図を指でなぞる。
「この鉄鉱山。貴国が欲しいのは、鉄そのものではない」
使節長の目がわずかに細まる。
「大量の武具を作るための、安定した供給。違いますか」
沈黙。
「でしたら、鉱山を丸ごと差し出す必要はない。仮に、共同開発という形も――」
そこで、第三王子は言葉を止めた。
わずかに視線を上げる。
「……いえ。失礼」
視線を使節長に向ける。
「武具の供給を、絶やせない理由がある」
その一言で、空気が変わった。使節の一人の喉が、わずかに動く。使節長がゆっくりと首を振った。
「共同開発では、我が国の需要は満たせぬ」
低く、揺るがぬ声だった。
第三王子は、わずかに頷いた。予想していた、というように。
「ではお尋ねします」
静かな声だった。
「貴国が恐れているのは、供給の不足ではなく――我が国の裏切りではありませんか」
使節長の眉が動く。
「二十年の貸与を求めたのは、鉄が欲しいからではない。鉄を“握っていたい”からだ」
静寂が落ちた。
「……戦を、長く続ける国だけが、この条件を出す」
室内の空気が、凍りついた。
「ならば、供給量を条文で保証しましょう。三割と。産出量の最低保証値を定める。さらに、違約時の賠償も明記する」
使節の一人が、思わず言う。
「……そこまで条文に落とすと?」
「我が国は約を違えません」
即答だった。
「そして、違えぬと文書で示せる国こそ、真に信用に値する」
沈黙。押していたはずの側が、初めて押し返される。第三王子は続ける。
「関税撤廃も同じです」
穏やかな声。
「貴国が欲しいのは、我が国の特産品と交易路。穀物、塩――生活に直結するものばかりだ」
侯爵が、はっと息を呑む。
「関税を捨ててまで、それを求める理由がある」
沈黙。
「ですが、そうではない」
使節長が、初めてはっきりと第三王子を見る。
「……何を、言いたい」
「貴国は、我が国と争う気はない」
誰も、息をしなかった。
「別の国と争う準備をしている」
沈黙は、今度こそ重かった。
「鉄も、交易も、婚姻も。後顧の憂いを断ちたいだけだ」
誰も、否定できない。第三王子はそこで初めて微笑んだ。
「でしたら、形を整えましょう。本当に“平和の条約”になる形に」
一拍置き、続ける。
「貴国が欲しいのは、我が国の特産品と交易路。ならば、貴国の港も我が商船に開いていただきたい。互いに得をする形で。それが関税撤廃の条件です」
その瞬間、使節の一人が口を挟んだ。
「それは成り立たぬ」
鋭い声だった。
「我が国の港はすでに飽和している。そちらの商船まで受け入れれば、我が商人が立ち行かなくなる」
別の使節も続ける。
「そもそも関税撤廃は、そちらの国にとって恩恵の方が大きい。我らが港を開く理由にはならぬ」
侯爵が、わずかに息を呑む。押し返された。
だが第三王子は、少しも動じない。
「関税がなくなれば、貴国の織物や薬、加工品が、我が国の市場にそのまま入ってきます」
使節の目がわずかに動く。
「質も価格も優れている。正直に申し上げて、我が国の商人が勝てるとは思えません」
一人の使節が、低く言う。
「それは、貴国の事情だ」
「ええ。ですから問題なのです」
穏やかな声だった。
「これでは、貴国の商人だけが大きく得をする形になります」
沈黙。
「それでは、対等とは言えません」
場が静まり返る。
そのとき、別の使節が椅子を引いた。
「ばかばかしい。これでは話にならん」
立ち上がろうとする。
「待て」
低く制したのは、使節長だった。
「最後まで聞け」
わずかに顎を引き、続きを促す。
第三王子は、その動きを一瞥しただけで、すぐに続けた。
「港を全面開放する必要はありません。まず、我が国に入る貴国の商船は、指定した一港のみとする」
「港を一つに?」
「はい。入り口を一か所に絞れば、品が無制限に流れ込むことはありません」
さらに続ける。
「そして対等の証として、貴国もまた、我が商船のために一港を指定していただきたい」
使節たちが視線を交わす。立ちかけた使節も、ゆっくりと席に戻った。
「互いに一つずつ。出入口を限定する。これならば、商人は守られ、交易も成り立ちます」
さらに続ける。
「そして、交易する品もあらかじめ決めておく。織物、薬、加工品など、限られたものだけにする」
使節たちが、再び視線を交わす。
「それならば、我が国の市場が荒らされることはない。ですが、交易そのものは続けられる」
使節長が、初めて口を開いた。
「……商人は守られ、交易もできる、と」
「はい」
第三王子は頷く。
「商人が潰れずに済み、なおかつ交易は滞らない。これならば、どちらか一方だけが利を得る形にはなりません」
一拍置いて、はっきりと言う。
「だからこそ、対等と言えるのです」
使節たちが視線を交わす。条件が、あまりにも現実的だった。
「さらに申し上げれば」
第三王子は静かに言う。
「交易とは、品だけを運ぶものではありません」
その言葉に、使節長の目が細まる。
侯爵の指先が、わずかに震えた。
それは、押されているからではない。第三王子が、隣国の本音と事情を、すべて言語化してしまったからだった。
そして――使節長が、ゆっくりと口を開く。
「品だけを運ぶにあらず、と申されたな」
静かな声が、場に落ちる。
「……その意味を、聞かせていただこう」