軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第34話 器を作る人たち

東都財閥本館は、やっぱり東都財閥本館という顔をしていた。

この前も思ったが、あの建物には「立派です」とか「格式があります」みたいな分かりやすい圧がない。むしろ逆だ。静かすぎる。高級ホテルより物音が少なくて、官庁より柔らかいくせに、空気だけはやたら重い。

つまり、入った瞬間に分かる。

ここは、会議をする場所じゃない。

会議の“後”を決める人間がいる場所だ。

「……やっぱり胃に悪いな」

エレベーターの扉が閉まる直前、思わず小声でそう呟くと、隣に立っていた天城が視線だけこちらへ向けた。

「会いたいと言い出したのは、あなたです」

「言ったけど、会いたいとは一言も言ってない」

「知っています」

表情を変えずに返される。最近このやり取りが増えた気がする。良い傾向なのか悪い傾向なのかは分からないが、とりあえず今は胃薬が欲しい。

今日の同行は、俺と天城、それから神代。柏木たちは研究棟に残った。医療並行運用の初期案をさらに絞る役目があるし、何より全員でぞろぞろ来る話でもない。今日は研究会議じゃない。もっと大きくて、もっと面倒な話だ。

扉が開く。

案内された会議室は前と同じ階ではなかった。広さも派手さも前回と大差ない。ただ、前より人数が少ない。その少なさが逆に嫌だった。人数が少ない会議ほど、だいたい決まることが大きい。

先に来ていたのは、御影だった。相変わらず無駄のないスーツ姿で、立ち上がりも座り直しも綺麗すぎる。この人、たぶん寝癖とかつかないんだろうなと、どうでもいいことを考えてしまう。

「お待ちしておりました」

「どうも」

俺が頭を下げると、御影は柔らかく微笑んだ。

「本日はもう少し、奥の話になります」

「でしょうね」

「緊張されていますか」

「かなり」

「結構です」

何が“結構”なのか分からない。たぶんこの人の中では、緊張を隠して大物ぶるより、最初から胃が痛いと認める方が評価が高いのだろう。

御影の向かいには、初めて見る男が座っていた。七十に届くか届かないかくらい。背筋は妙に真っすぐで、髪は白いのに肌の印象だけが若い。いかにも偉い人という感じではない。むしろ町医者か古本屋の店主みたいな、穏やかな顔だ。

でも、空気はその人が一番重い。

「紹介します」

御影が言った。

「東都ホールディングス常務理事、柊木です」

穏やかな顔の男が軽く会釈する。

「初めまして、久世さん。話は御影から聞いています。面白いものを拾われたそうで」

「拾った、というと雑ですけど」

「雑なくらいでちょうどいいですよ。ここへ来る人間は、大抵最初に丁寧になりすぎる」

声も穏やかだった。だが、そこでふっと分かる。

この人は優しいんじゃない。

優しい顔で話すことに慣れている人だ。

席に着く。俺の正面に柊木、横に御影。こちら側は俺、天城、神代。

資料は薄い。だが、その薄さもまた嫌な感じがした。決めることが多い会議ほど、紙は薄い。

「では、始めましょう」

御影が端末を開いた。

「前回までの流れは共有済みですので、本日は現状整理からではなく、今後の編成について入ります」

編成。

その言い方が、思っていたよりずっとしっくりきた。確認でも承認でもない。編成。つまり、こっちが何を持ち、向こうがどう器を作るか、その配置の話だ。

御影が短く続ける。

「久世さん側の意向は三点。医療並行運用を薄く開くこと。搬送・接触管理の階層を一段上げること。探索を止めないこと。加えて、現行の実務層だけでは器が足りないため、一度本流と握る必要がある――ここまでは合っていますか」

「合ってます」

「よろしい」

柊木がそこで初めて資料に目を落とし、それからゆっくりこちらを見た。

「医療を開く判断は妥当です」

いきなりそこから来るのかと思った。

「そんなにですか」

「ええ。分離膜系統は、資源でも水でも効きますが、医療は価値の伝わり方が別です。社会が早く理解する。理解したものは、守る理由が生まれる。守る理由が生まれれば、器が作れる」

なるほど。話が速い。

神代が口を開いた。

「研究側としても、医療“そのもの”ではなく、まずは医療周辺で入る想定です。検体前処理、特殊分離、毒物除去補助、高価試料の保全補助。この辺りなら研究の顔で運用可能です」

「それで十分でしょう」

柊木は頷いた。

「いきなり救命の顔をかぶる必要はない。ああいうものは、強すぎる顔で世に出ると反動も強い。まずは使い道の一つでいい。問題はそこではなく、そこから先です」

「守る線、ですか」

天城が確認すると、柊木はそのまま頷いた。

「はい。研究棟だけで抱えるには、もう危ない。サンプル、搬送、接触、評価依頼、共同研究打診、問い合わせ窓口。いまは全部が少しずつズレた階層で動いている。これを一本にする必要があります」

御影が補足する。

「現状、東都マテリアルサイエンス、東都E&L、財閥本流法務、資産保全、国研対応窓口がそれぞれ別に動いています。この状態でも回せなくはありませんが、医療運用が始まると保たない」

「だから器を作る、か」

「ええ」

御影は迷いなく答えた。

「本日ここでご相談したいのは、財閥横断の新部門立ち上げです」

言われて、背筋が少しだけ固くなる。

来るとは思っていた。

思っていたが、実際に言葉になると重い。

「名前はまだ仮ですが、特殊基幹機能統合室」

天城がわずかに目を細める。

神代は何も言わない。たぶん研究者らしく、名前より中身を見ている。

俺は率直に聞いた。

「……露骨じゃないですか」

「表向きには充分に地味です」

御影は平然としていた。

「特殊機能材料、基幹運用、横断実装。そのどれも財閥組織としてはあり得る語です。実際に扱うのは、電源、熱管理、分離、保存、輸送、接触管理。その延長に見せることはできます」

「で、中身は」

「異星文明テクノロジー、異常物品、オカルト由来と呼ばれてきた物品群、それらを含む“説明しづらい本物”の横断運用です」

そこは濁さないのか、と思った。

いや、違うな。

ここではもう濁す必要がないんだ。

柊木が穏やかな声で続ける。

「国の機関に興味があるタイプの話でしょう、と御影から聞いているかもしれません」

「まあ、はい」

「その通りです。こういうものに熱心なのは、たいてい国家か、国家に近いところです。民間は普通、もっと手前で引く」

「じゃあ今回は」

「少なくとも、事業として横断管理しようという意味では、かなり珍しいでしょうね」

“初めて”とは言わない。そこが少し嫌だった。つまり前例がゼロだとは、誰も言わないのだ。

御影がそこで、部門の骨子を読み上げた。

「統合室の役割は四つです。

一、技術実装の横断管理。

二、接触・搬送・秘匿の階層設計。

三、グループ各社への配分と優先順位決定。

四、外部協力者との運用契約整理」

「外部協力者ってのは、俺ですね」

「はい」

「社員にはしない?」

「しません」

即答だった。

少し笑ってしまう。

「そこは迷わないんだな」

「迷うと崩れます」

御影の声は変わらない。

「久世さんは外部協力者である方が良い。少なくとも現時点では。基幹技術の主保持者が社員化されると、責任線が綺麗になりすぎる。綺麗になりすぎた責任線は、他所が触りたがる」

つまり、社員にしない方が守りやすいということか。

変な理屈だが、たぶん正しい。

天城がそこで初めて明確に口を挟んだ。

「私の位置づけは」

「兼任です」

御影は端的に答える。

「天城さんは東都E&L側の実務と、新統合室の橋になります。現場、事業、技術、対外文面。その全部を理解している人間を、完全に片側へ寄せるのは非効率です」

「了解しました」

彼女は短く頷く。

表情は変わらないが、たぶんかなり腹落ちしている。天城はこういう時、納得すると逆に静かになる。

「神代さんは」

「研究統括補佐で結構です。私は表の顔を持つ人間です。そこは崩さない方が良い。その代わり、研究棟の運用条件についてはかなり口を出します」

神代の方が先に言った。

「歓迎します」

柊木が穏やかに返した。

「ここから先は、研究が静かな顔をしていることそのものが重要になりますから」

そこまで聞いて、俺は一つだけ気になっていたことを口にした。

「確認したいんですけど」

「どうぞ」

「その統合室って、どこまで俺の要求を通せるんですか」

言うと、御影でも柊木でもなく、先に天城がこちらを見た。

たぶん“そこを聞くのか”と思ったのだろう。でも、そこは聞く。器を作る話なら、鍵を握る側の条件もはっきりさせないと意味がない。

「俺の条件はそんなに複雑じゃないです。基幹は俺が握る。中核の起動条件には無断で触れない。探索は止めない。医療運用は薄く。搬送と接触は先に守る。この辺が崩れるなら、器だけ大きくても意味がない」

しばらく沈黙があって、それから柊木がふっと笑った。

「良いと思います」

「そんな簡単でいいんですか」

「簡単ではありません。むしろ、はっきりしているので助かります」

そこで、御影が言った。

「全てのご要求が、そのまま通るとは約束できません。ですが、通る形へ整えることはできます」

やっぱりそう来るか、と思った次の瞬間だった。

言い回しが、いかにもこの人らしい。

「要求をそのまま上へ持っていくのではなく、通る文脈へ直して持っていく。そこは我々の仕事です」

「我々、ね」

「はい」

御影はそこで一拍置いた。

「我々の上も、かなり興味を示しています」

その一言で、会議室の空気が少しだけ変わった。

「上?」

思わず聞き返した。

「財閥だと、貴方たちがトップだと思ってましたが」

御影ではなく、柊木が答える。

「表に出る組織としては、そう見えて差し支えありません」

「じゃあ、その上って」

柊木は穏やかな顔のまま言った。

「表へ決して出てこない、さらに古い家々の方々ですよ」

ぞくっとした。

理屈ではなく、感覚として。

財閥本館ですら十分に古い。十分に大きい。十分に嫌な重みを持っている。

そのさらに上。

組織ですらなく、“家々”と呼ぶ連中。

国家とも違う。企業とも違う。

たぶんもっと前から、こういう“説明しづらい本物”と付き合ってきた側の人間たちだ。

「……怖い話ですね」

「ええ。ただ、悪い話ではありません。少なくとも今は、期待されています」

柊木はあっさり肯定した。

「期待、ですか」

「はい。かなり」

そこで、初めて柊木の声にわずかな熱が混じった。

「久世さん。あなたが今やっていることは、単に面白い拾い物を事業化している、という段階を過ぎつつあります。電源。熱管理。分離。保存。いずれも派手ではない。だが、どれも基盤です。基盤技術を、地味な顔のまま社会へ混ぜられる人間は希少です」

天城が横で静かに息を呑む気配がした。

俺は言葉を探したが、うまく出てこない。

すると御影が、そこで仕事の顔に戻った声で言う。

「必要な器はこちらで整えます。ご要求は、通る形に直して上へ通します。ですので」

彼女はほんの少しだけ視線を上げた。

「どうか、止まらないでください」

その言い方が、妙に印象に残った。

励ましじゃない。

応援でもない。

もっと静かで、もっと重い、期待と圧力の混ざった言葉だった。

止まるな。

慎重になりすぎるな。

拾え。通せ。広げろ。器は作る。だから前へ行け。

たぶん、そういう意味だ。

「……分かりました」

俺はようやくそれだけ言った。

「じゃあ、こっちも止まりません」

言った瞬間、少しだけ自分で可笑しくなる。

前ならもっと逃げ道のある答え方をした気がする。いまはこういう時、割とまっすぐ返してしまうらしい。

神代がその場の空気を少しだけ緩めるように咳払いした。

「では、実務へ落としましょう。統合室発足が決まるなら、研究棟側は医療並行運用初期案を三案から二案へ絞ります。搬送とサンプル保管の分離も前倒ししたい」

「承知しました」

御影が即答する。

天城もすぐ続いた。

「E&L側では医療輸送、特殊検体搬送、電源・熱管理一体案件の顔でラインを整理します。外からは“輸送と材料の延長”に見えるように。あと、対外窓口は一本化した方がいいですね。問い合わせの文面がもう変わり始めています」

「ええ」

御影が端末に何かを打ち込みながら答える。

「本日付で準備室扱い。正式稼働は一週間以内。名称は仮称で良いでしょう。対外的には“特殊基幹機能統合室準備室”で進めます」

「長いな」

思わず言うと、柊木が穏やかに笑った。

「長くて地味な名前ほど便利です」

「覚えづらいですけど」

「覚えられない方が、たぶん都合が良い」

それは確かにそうかもしれない。

会議はそこから先、かなり嫌な意味で実務的だった。

誰がどの線を持つか。

研究棟とE&Lの情報の切り分け。

搬送に使う名目。

護衛を“警備”で済ませる範囲と、済ませない範囲。

問い合わせへの一次返答テンプレート。

秘密保持契約前提の二次接触文面。

国研と政府の顔を立てつつ、本流判断へ引き上げる導線。

内容は地味だ。

ひたすら地味だ。

でも、その地味さの一つひとつが、膜よりずっと大きい何かの形を決めている感じがした。

ようやく会議が終わる頃には、俺の手元のノートには箇条書きがびっしり増えていた。

統合室準備室発足。

天城兼任。

俺は外部協力者。

基幹保持。

医療は薄く開く。

探索は止めない。

接触管理一段上げ。

上は、古い家々。

最後の一行だけ、やたら浮いて見えた。

帰り際、廊下で天城が小さく息を吐いた。

「どうでした」

「胃に悪い」

「感想が貧弱ですね」

「じゃあ言い直す。思ったより、話が大きかった」

「ええ。でも、たぶん悪くない大きさです」

彼女は正面を見たまま頷く。

「そう思うか」

「思います。少なくとも、“呼ばれて説明させられる場”ではありませんでした。ちゃんと、あなたの条件を前提に器を作る話だった」

それは確かだった。

囲われた感じは薄い。

むしろ逆に、囲うためにはこちらの条件が必要だと向こうが認めた、に近い。

「しかし……古い家々、か」

「気になりますか」

「そりゃな」

「私もです。ただ、今はそちらを気にしすぎない方がいいでしょう。見ているのは分かりました。でも、今日の本題はそこじゃない」

珍しく、天城が少しだけ本音っぽく言った。

「器を作る方か」

「ええ」

彼女はほんの少しだけ笑った。

「それに、上が興味津々なのは、たぶん悪いことではありません。少なくとも、完全に潰す気なら、もっと違う会議になっていました」

「たしかに」

「だから今は」

天城はそこで言葉を切り、それから静かに続けた。

「次に何を持ち込むか、です」

その言い方が妙にしっくり来た。

そうだ。

今日決まったのは、守ることだけじゃない。

器ができる。線が増える。順番が売れる。なら次は、その器に何を入れるかの話になる。

医療か。

搬送か。

あるいは、次の遺産か。

エレベーターの扉が開く。ロビーの静けさは来た時と変わらないのに、見え方だけが少し違っていた。

東都財閥本館。

会議の“後”を決める場所。

そして今日からたぶん、俺たちが拾ってきたものの置き場所を、少しずつ増やしていく場所でもある。

外へ出ると、夕方の空気が思ったより普通で、少しだけ救われた。

スマホが震える。

【会議結果を確認しました】

イヴからの短い通知だった。

「どこまで見てるんだよ」

【恒一の表情変化、会議後メモ、移動中の独り言から概ね推測可能です】

「便利だな」

【褒め言葉として受理します】

ため息をついて、歩き出す。

新部門が立ち上がる。

医療を薄く開く。

護衛線が引かれる。

探索は止めない。

そして、その上には古い家々がいる。

話は大きい。

面倒も増える。

たぶん、ここからはもっとややこしい。

それでも。

「……まあ、悪くない」

【そうでしょう】

即答だった。

たぶん今の俺は、びびっているのと同じくらい、少しだけ面白がっている。

それなら、まだ進める。